日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『メタルマクベス disc3』感想(2018.12.15 18:00開演)

キャスト:
ランダムスター/マクベス浦井=浦井健治 ランダムスター夫人/ローズ/右近B=長澤まさみ レスポール Jr./元きよし=高杉真宙 グレコ/マクダフ柳下=柳下 大 グレコ夫人/シマコ/林=峯村リエ パール王/ナンプラー粟根まこと 右近/医者=右近健一 エクスプローラー/バンクォー橋本=橋本じゅん レスポール王/元社長=ラサール石井

 

豊洲IHIステージアラウンド東京にて、『メタルマクベス disc3』(以下、「メタマク」)を観てまいりました。

実はメタマクは全くの初見。ヘヴィメタルの重厚なサウンドがドンスコドンスコと耳とお腹に響きまくる中、時たま役者さんにより少々歌詞が聞き取りづらい場合もありましたが、休憩時間を含めてちょうど4時間、質量ともにかなり見応えのある演目でした。

ストーリーは聞き知っているシェイクスピアの『マクベス』をほぼ踏襲しています。

舞台は2218年、戦国の世。道に迷った猛将ランダムスター(ランディ)の前に現れた3人のゴスロリ魔女達の予言とともにもたらされた、1980年代の幻のヘヴィメタバンド「メタルマクベス」のCDが、ただ職務に忠実に生きてきたランディとその愛妻の運命を狂わせていきます。

過去と現在を行き来して紡がれる物語が、展開につれ次第に時系列が錯綜していき、1980年代のマクベス浦井と2218年のランディの犯した悪行と転落とが同時進行で語られるとともに、マクベスのマネージャーであるローズとランディの妻も、自らの罪深い所業を背負いきれずに精神が過去と現在との間を往来しながら錯乱し、狂気を極めていきます。

結局、舞台上では1980年代の「彼ら」の最期については明言されていません。しかし、バンド「メタルマクベス」が遺したCDのラスト曲はインストゥルメンタルです。これが「ヴォーカルがいなくなる」ことを暗示しているのではないか? と終演後に思いついてしまい、しばし慄然としました。まさに「呪いのビデオ」ならぬ「呪いのCD」。メタマクは一種のホラーと言えるかも知れません。

ランディ夫妻もマクベスとローズも、最初はまあ、ささやかな日常の幸せを尊ぶ「普通の人々」だったんだろうな、と思います。その普通の人々が予言に踊らされて変貌していくさまを、浦井くんは天使からデスボイスまで縦横無尽、変幻自在の七色の声で、そして艶々お肌と美脚が麗しい長澤さんはツンデレからヤンデレまでのジェットコースター的転落を巧みな表情と立ち居振る舞いで(しかもローズとランディの妻とで堕ち方、狂い方が微妙に違う!)、激しく動き回りながら見事に演じ切っていました。

特に『マクベス』のマクベス夫人が血まみれの手(幻覚)を洗い続けるエピソードは誰がやっても本当に怖いんですが、今回夢遊病になったランダムスター夫人が幻覚に取り憑かれる場面は、右近さん演じるお医者と門番のビビりぶりに笑いながらもかなり恐ろしかったです。映画『蜘蛛巣城』で山田五十鈴様が演じられた浅茅(マクベス夫人)のただならぬ狂気ぶりを思い出しました。

シェイクスピアの『マクベス』は、権力を握る器ではない者がたまたまささやかな野心にかられて手にしてしまった権力が、結局は王権神授説に従ってそれを握るに相応しいと神が認めた者の元へ還され、バンクォー(エクスプローラー)やマクダフ(グレコ)の妻子ら犠牲者の魂も報われめでたし、という物語だと思っていました。

メタマクも、途中まではそんな雰囲気で展開していき、ラサールさんのレスポール王も、高杉さんのレスポール Jr.(王子)も、そして王子に従う柳下さんのグレコ(マクダフ)も、まさにそのテンプレに沿ったキャラクターを演じています。しかし最後の最後に衝撃的などんでん返しがあり、魔女の予言通りの結果とは言え、結局はたまたま生き残った「普通の人々」が焼け跡で何とか立ち上がって生きていくしかないのだ、と思い知らされるのです。元々はランディ夫妻も「普通の人々」だった筈であり、世界を生かすも殺すも所詮は普通の人々の手に委ねられているということか、クドカン脚本恐るべし、と愕然としながら劇場を後にしました。

それにしても新感線の公演は、無論演じる側もかなりの体力を消耗すると思いますが、観る側も相当に気力と体力を使います。観劇後の呆然とした心持ちを立て直すのに結局一週間かかってしまいました。いや、師走につき本業も忙しかったというのも大きいのですが。

 

以下、蛇足ながら。

2幕のとある場面を観て、「トートダンサーズに追い詰められてるのにいつまでもトートが来てくれないルドルフ」と思ったんですが、あれはもしかして初演では「トートダンサーズに追い詰められるトート」だったんでしょうか?

あと、今回の演目は18時開演、22時終演でした。今回は都内を運転できる同行者がいたので車で高速を飛ばして帰宅できましたが、これ、都外からの日帰り観劇には微妙にきつい上演時間です😅。新感線は今回がステージアラウンドでのラストステージのようですが、もうちょっと何とかならないかな、と思いました。

 

 

『レベッカ』プレビュー2回目感想(2018.12.2 13:30開演)

キャスト:
「わたし」=平野綾 マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=保坂知寿 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=今拓哉 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=出雲綾 ヴァン・ホッパー夫人=森公美子

 

プレビュー公演2回目の『レベッカ』を観てまいりました。

何事もなかったように吉野圭吾さんが一足遅く初日を迎えられました。

何があったのか気にならないわけではありませんが、熟練の技の持ち主、吉野ファヴェルが復活してくれたことを今は観客として喜びたいと思います。

例えば吉野ファヴェル、ただベッドに横たわり、レベッカの遺品のナイトガウンをうっとりと抱き締めたりふわりと舞わせたりして戯れるだけなのに、一連の仕草が全て艶かしいダンスになっていたりするのです。しかもフェロモンだだ漏れ。そんな熟練者なのにマンダレイに来ると皆に邪険にされ「出て行け」と言われたり、わざわざ邪道で庶民派なウイスキーソーダ割りをオーダーして聞いてもらえなかったりするファヴェル。彼だけはあの結末の後でも何の影響も受けずにせこく汚くお下劣に生き延びるであろうことが容易に想像できます。

 

今回初見のキャストの感想にまいります。

平野綾さんのヒロイン。困ると左眉がかくんと下がります。物語前半では割と下がりっぱなしなんですが、後半ではそうでもありません。

例えば千弘Ichは2幕でキューピッドを破壊する時に少し表情が、

「あなたに罪はないのにごめんね、でもあなたを壊さなければ前に進めないから、ごめんね!」

と躊躇ってから、えいっ! と思い切っているように見えます。

一方、平野Ichは全く躊躇うことなく、気持ちいいほどあっさりとキューピッドを手放して破壊します。

この子は天涯孤独で苦労したために卑屈、臆病になってるだけであり、おきゃんで後半の試練に立ち向かう強い性格の方が本来の姿に違いない、と思いました。

歌ももちろん申し分なし。歌声も声量も良く、他のキャストと綺麗にハモっていたと思います。

 

保坂知寿さんのダンヴァース。まっしぐらにレベッカを偏愛するひたむきな狂気の主。やや歌声が可愛らしすぎる印象も受けますが、こういう「普通のおばさん」が1幕からじわじわとちら見せしてきた凄まじい執着と憎悪を、2幕で無表情に開陳してヒロインに襲いかかるさまは、観る者も静かに追い詰められる気持ちにさせられました。高笑いは涼風ダニー以上に似合わないです。

なお、涼風ダニーも怖いと言えば怖いんですが、本人が美しすぎる上にレベッカと一心同体になりすぎている感が強いので、個人的には逆に引いてしまう所があります。

知寿ダニーは多分レベッカが生まれた時から母親代わりに厳しくも大事に育て、恐らくお嬢様が魔性の片鱗を見せたら見せたですっかり虜になって、

「この悪の花を摘み取らずに育てなければ。自分のような女には成し得なかった人生をお嬢様ならば男どもを踏み台に歩んでくれるに違いない」

ぐらいのことは普通に考えていたのではないでしょうか。……以上、妄想終了。

それから前回書き損ねていましたが、 出雲さん。1幕のソロの高音域が無理なく安定して出ているなど、安心して聴けるお歌でした。原作のベアトリス(ビー)は優しいけれどお節介で多少口やかましい感じなのですが、舞台のビーは前任の伊東さんも出雲さんも、優しいキャラクターを前面に出していると思います。

あと、続投メンバーですが、tekkanさんのベン。何だか以前よりも存在感がリアルになったように見えるのは気のせいでしょうか。彼は、ヒロインに心を許していても一見表情を大きく変えることはないのですが、2幕のファヴェルの尋問シーンでは、ヒロインを慮ってかばう、というのではなく、ただ彼が、数少ない優しくしてくれた人(多分今まで彼を尊重してくれるマンダレイの住人はフランクぐらいだったのではないかと……)のためにそうしたいからそうしているだけ、という強い意思が伝わってきて良いです。

というわけであまりだらだら書いても仕方ないので、最後にマキシムのことを少し書いて締めくくります。

マキシムの2幕の告白が、今回異様に好きです。特に、これはSNSでも似たことを仰っている方がいらしたと思いますが、彼が語り歌う時の女振り、レベッカの影がちらちら見えて、事件の核心に触れた時にその影がわーっと大きく広がってくる感じが好きです。しかもその影、もしかしたらマキシム自身の心の闇の大きさの反映でもあるのかも知れませんが、彼が新たな揺るぎない愛を得て真相が明らかになった後もなお、恐らく一生涯マキシムの心に住み続け、支配し続けたに違いないと考えると、慄然とするものがあります。

……レベッカ、心底恐ろしい女です。でもまた彼女に会いたい! プレビュー公演のチケットはもう手元になく、遠征観劇の予定もありませんので、一ヶ月後のクリエ公演までお預けとなりますが、またこの作品でマキシムやダニー、そしてファヴェルを通じて、早く彼女の恐るべき魔性に再会したいです。

 

『レベッカ』プレビュー初日感想(2018.12.1 17:00開演)

キャスト:
「わたし」=大塚千弘 マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=涼風真世 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=後藤晋彦 ベン=tekkan ジュリアン大佐=今拓哉 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=出雲綾 ヴァン・ホッパー夫人=森公美子

 

シアター1010で開幕した『レベッカ』プレビュー初日を観てまいりました。

出かける前の午前中に東宝のサイトを見て「吉野圭吾さん休演、後藤晋彦さん代演」の報に驚愕し、少々動揺しつつもお出かけ。

ほぼTwitter投稿の焼き直しですが、まず休演と代演の件について最初にまとめておきます。

プレビュー開演前に、演出家の山田さんから、吉野さん休演と後藤さん代演について、説明がありました。休演の理由は「事情により」のみでしたが、「後藤さんはとても短い期間で準備を……」と仰っていたので、本当に緊急事態であったらしいことが窺えました。お友達の三谷幸喜さんをネタにしたジョークを交えつつ、山田さんが客席を、スタッフを、そして役者さん方を懸命にほぐそうと務めている様子が伝わってきました。

本編が始まり、後藤さんのファヴェルは1幕を見る限りとてもねちっこく人が悪そうに作っているように見受けられました。原作のちょっと脂ぎっしゅなファヴェルに近い感じだったと思います。吉野ファヴェルを真似たものではなくきちんと彼のファヴェルとして演じようとしていると感じました。
2幕のファヴェルのソロはそっくりカットされていました。あればかりはやはり吉野さん当て振りだから無理だったのかな? と思っていましたが、カーテンコールでの祐一郎さんから納得のいくコメントが。コメントの概要は次のとおりです。
「彼は昨日今日の稽古で(代役の演技を)覚えました。ああ、できるんだ、と、今後日本の演劇界でお稽古の期間が短くなったらそれはこの後藤さんのせいです(にっこり)」
祐一郎さんの言葉の響きも、他のアンサンブルの皆様の拍手にもとても暖かい響きがありました。
最初からアンダーとして準備したものではなく、(恐らくは出番や声域の関係から)その役ができそうな既存キャストが短期間の稽古で代役を演じざるを得ない、そのシステムについては色々思うところがございます。しかし、例え1シーンの一時的なカットに繋がったとしても、今回は代役をこなした後藤さんに拍手を送らせていただきます。

以下もほぼツイートの焼き直しではありますが、簡単に感想を記させていただきます。演出変更のネタバレありなのでご注意ください。

続きを読む

本日『レベッカ』プレビュー初日!

ご無沙汰申し上げております。

本日シアター1010で『レベッカ』のプレビュー初日が開幕します。

おお、ほぼ3ヶ月以上ぶりの観劇! 「げきぴあ」のインタビュー記事の山口さんもいと麗しく……と徐々にテンションを上げておりましたら、東宝の演劇のサイトに、
「本日吉野圭吾さんが事情により本日の公演回を休演、後藤晋彦さん代演」
のお知らせが!(出演者休演のお知らせ

休演理由が「事情により」としか書かれていないので色々気がかりな一方、7年前に『三銃士』帝劇公演の際の出来事で複雑な思いにかられたことのある身としては、アンダーの方がいらして本当に良かった! と思わずにはいられません。吉野さん、もしお怪我などの場合は、しっかり治療していただいて、また万全の状態での復帰をお待ち申し上げております。

……というわけで、本日(12月1日)の『レベッカ』プレビュー初日と明日(12月2日)の2日目を鑑賞の予定です。

足腰は相変わらず不調が続いておりますが、最寄り駅から電車一本で行ける劇場でのプレビュー公演は誠にありがたいです。

12月はその他、『メタルマクベス disc 3』も観劇の予定です。

年明けの『レベッカ』シアタークリエ公演は、初日、楽日を含め計5回観劇予定ですが、1月最終土日を除いてほぼ毎週末出かける感じなので、踏ん張れ、私の体調と体力! 本業よ、頼むから楽日を邪魔してくれるな! と願うばかりです。

 

はてなダイアリーからお引っ越ししました

このほど、2019年春限りでの「はてなダイアリー」のサービス終了が発表されました。

d.hatena.ne.jp

最近のブログサービスに比べるとかなりクラシカルなブログインターフェイスを、他のブログサービスに移る理由も見当たらなかったため使い続けてきましたが、サービス終了ということなので諦めて、過去の記事もまるごと「はてなブログ」に移ることにいたしました。

しばらくは旧ブログも残るようですが、新たなコメントの受付は停止しております。

今後の更新はこちらのブログで行ってまいります。
旧ブログをご愛顧いただいた皆様、誠にありがとうございました。
新ブログでも引き続きどうぞよろしくお願い申し上げます。

『ゴースト(GHOST)』感想(2018.8.25 18:00開演)

キャスト:
サム=浦井健治 モリー秋元才加 カール=平間壮一 オダ・メイ=森公美子

シアタークリエで『ゴースト』を観てまいりました。

元の映画『ゴースト ニューヨークの幻』が大変有名な作品であるにもかかわらず自分は観たことがなかったため、ストーリーを知らずに観劇しましたが、ラブコメとしてもホラーアクションとしても、そして人情話としても良くできていて面白く観ることができました。
観劇後に映画のネタバレあらすじをチェックしたところ、舞台と骨幹のストーリーは一緒ながら細部の展開にかなり異なる点もありましたので、きっと映画を観たことのある方も楽しめる舞台だと思います。

ただ、箱のキャパシティに対して音響効果が強すぎるのか、全体的に音が強すぎたり響きすぎたりして、かえって音楽や歌詞が聞き取りづらい印象を受けました。声量のあるキャストが多かったのも影響したのかも知れません。

以下、例により、まだ公演期間中なので核心に触れるネタバレは避けますが、主人公の重要な設定と、それから物語の結末にも若干言及しますので、未見の方はご注意ください。

まず『ゴースト』、様々なジャンルの要素はありますが基本はラブストーリーなので、メインのサムとモリーがかなりしょっちゅうハグやらキスやらでぎゅうぎゅう、チュッチュとやってます😊。

サムは彼女の前では肝心なことをなかなか口にしたがらない、やや古風でテレ屋で純粋な「男の子」な雰囲気で、銀行マンとして働く姿は真面目で熱心でキラキラしていて、でもごく普通の男性。浦井くんには合った役だと思います。ただ浦井くん、あれ?😅 こんなにスーツ似合わなかったっけ? と少し違和感を覚えてしまいました。『デスノート』で高校のブレザー制服を着ていた時はそんな風に思わなかったのですが。親友カール役の平間さんが割としっかりスーツ姿が決まっていたこともあり、意外な銀行マン・サムの印象でした。
とは言え浦井サム、演技と歌はもちろんバッチリで、シリアスもコメディも見事にこなし、モリクミさんがアドリブを仕掛けたと思われる場面でも、たまに耐えられず吹いたりはしていましたが基本はうまくいなしていて、いや、場数をこなして対応力が本当成長したなあ、と思いながら観ていました。……すみません、10年以上前の若手時代を知っているので、どうしても子供の成長過程を見守るような気持ちになってしまうのです。

秋元さんは初見でしたが声量もあり、悲劇に見舞われた中、懸命に自らを奮い立たせ、陶芸アーティストとして腕一本で健気に独りで生きていこうとする女性を好演していました。時々高音部で声が枯れたり詰まったりするのが気になりましたが、モリーは力強く歌い上げるナンバーが多いので、まあWキャストとは言ってもそろそろ疲れが出ているのかも知れないね、と考えながら聴いていました。

意外にも、と言っては失礼ですが良かったのはモリクミさん。
実は他の作品では悪目立ちしていると感じる時もありますが、今回の霊媒師オダ・メイははまり役だと思います。ケチな悪事を繰り返してきた似非霊媒師が突如として霊力に覚醒してしまった戸惑いと、そのために声はすれども姿は見えぬ、ゴーストと現世の人間とを媒介できる唯一の存在である彼女に逃げられぬよう必死のサムや、他のゴースト達にまで取り憑かれ振り回される恐怖、そしてセレブになれるかも? とぬか喜びする束の間の華やかな夢と妄想。どの姿のオダ・メイもオーバーアクションで大いに笑わせてちょっぴりしんみりさせてくれました。
サムとオダ・メイの、たまにどこまでがアドリブでどこまでが台本通りか分からなくなりそうな、ドタバタの掛け合いも楽しかったです。オダ・メイの耳元でノイジーな甲高い声で蚊の飛ぶ音やクレイジーな歌を囁き歌い続けるサムを演じる浦井くんがどこか楽しそうに見えたのは気のせいでしょうか。

この物語の、善玉は強い愛情とたゆまない努力とを重ねて奇跡を引き起こし、悪玉は同情の余地もなく徹底的に懲らしめられ滅びる、という展開は好き嫌いがあるかも知れません。
サム自身や病院のゴースト、はからずもサムの恩人(恩地縛霊?)となる地下鉄のゴーストのように理不尽に命を奪われ現世と冥界との間に留まる存在となったゴースト達と、私利私欲のために人の命を軽んじた結果地獄送りにされたゴースト達。どちらも市井に生きてきた普通の市民であり、紙一重な存在であるというのは何だか切なかったです。

しかし、そうは申しましても、クライマックスからエンディングに至る一連の幻想的な演出にはただ圧倒され目を奪われるばかりでした。
カップルの「再会」を彩る優しい青い光。一転して怒りで激しく燃え立つ青い炎と、悪党に襲いかかり容赦なく飲み込む闇の奔流。全てが終わった後にカップルと霊媒師を鮮やかながら再び優しく包み込む青い光が、ラストに向けて白い光に変わっていきます。
ラストの舞台装置を目にして、何故か井上芳雄くんと浦井くんが共演した『二都物語』を連想しました。『二都』では浦井くん演じるチャールズを守るために井上くん演じるシドニーが、星々の美しい光に照らされながら階段を昇りますが、今回は浦井くんが白く優しい光に包まれながら階段を昇っていきます。その時の浦井サムがまた、哀しくも愛に満たされた、何とも良い表情をしているのです! そして秋元モリーもまた同様。

最初に書いたとおり若干の音響の問題はありますが、真夏にふさわしい涙と笑いとスカッとするアクションたっぷりで、歌唱されるメロディも美しく、3時間近く、じっくり楽しめる舞台だと思います。
なお、最初のカーテンコールの後にもう一つお楽しみがあるので、これから観劇される方はカーテンコールが終わってもすぐに席を立たれないようお気をつけください。

『モーツァルト!』御園座大千穐楽感想(2018.8.19 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト=山崎育三郎 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 アマデ=大河原爽介

ありがたいことに、M!の大楽のチケットを友人に確保してもらえたので、脚を引きずりながら新幹線で名古屋御園座まで行ってきました。
御園座は赤と金に彩られ、正にM!のためにあるような劇場だね! コインロッカーはちょい少なめで、若干段差も多めだけど、お土産コーナーが充実していて退屈しない劇場だね! などと考えながら、いざ開演。

熱い舞台でした。特に2幕が。

とにかくコロレド猊下の「神よ何故」での感情の弾け方が、尋常ではなく熱かったです。
憎むべきヴォルフが創る音楽への執着の強さ故にレオポルトにぶつけられる、絶望と怒りに満ちた眼差しと絞り出される言葉。
「(神に愛された音楽を)傲慢うぬぼれ、愚かな男が創り出す!」
と絶叫した刹那にもたらされる、長い長い沈黙から、音楽の魔術に敬服する美しいファルセットへ。そしてショーストップ。

その猊下の熱さで化学反応が起きたのか、御前演奏会でのレオポルトも、本音では多分誰よりも息子の栄誉を称えてやりたいのに、どうしても自分を裏切った息子を許すことができないジレンマに満ちた、凄まじい父親の情念が爆発していました。
更にそれに触発されたのか、望む愛を得られないと半泣きで絶叫するヴォルフも、強烈なインパクトを放っていました。

そして、偶然を装い帰り道でまちぶせしてヴォルフを捕まえ*1、お前の行く先には破滅が待つだけ、と説得する猊下には、帝劇で観た時と同様、やはりレオポルトとはまた異なる、力強い父性を感じました。ヴォルフと猊下。永遠に相入れることのない2人。決して報われることのない父性。

キャストの皆様、大千穐楽だから熱すぎたというわけでもなく、崩しすぎることもせず、皆様好演されていたと思います。

ただ、大楽ならでは、かどうかは不明ながら、お遊び要素は結構ありました。
猊下は馬車の上でよろけて思い切り、壁ドンか?という勢いでアルコ伯爵に寄りかかってましたし、レオポルトパパに心なしかいつもより強烈なデコピンをお見舞いされた育三郎ヴォルフは、本気で痛そうでした。
あと、今思い出しましたが、育三郎ヴォルフが1幕のプラター公園のコンスと2人きりになってからの対話場面で、延々と逆立ちを繰り返しながら喋っていて、コンスに「まだやる? おおーっ!」と驚かれていました。

ほかのキャストについても少し触れておきます。

涼風男爵夫人は何だか凛々しさが増していたように見えました。ヴォルフを慈母のように優しく包み込んだり背中を押したりするというよりは、社交界を強かに泳ぎ回るキャリア女性としてぐいぐい引っ張っていたように思います。精神的に大人な育三郎ヴォルフには、このくらい強い男爵夫人の方が合っているかも知れません。

あまり引っ込み思案には見えない平野コンスは、今回も愛に飢えてもがき苦しんでいました。「ダンスはやめられない」で過剰な程に息苦しそうなのです。
今期、帝劇でのチケット運が悪く、結局平野さん以外のコンスタンツェも、香寿たつきさんの男爵夫人も観られなかったのがとても残念です。

遠山シカネーダーは、6月に帝劇で観た時にはどうしても吉野さんの面影を追ってしまい辛かったのですが、そういえば今回はそのように感じることはだいぶ少なかったなあ、と思い起こしています。
久々に観て思ったのは、彼はかなり「ぶれない人」なのだということ。前述のとおり舞台の上で思いがけない化学反応と言うか奇跡が起きる瞬間に立ち会えると、観客としては「ありがたや」な気持ちになるのですが、そういう瞬間が「ありがたや」になるのは秒刻みで進行する舞台を、高い技量で自らに課された役割をしっかり果たして安定的に支える人がいてこそであり、彼は正にそういう役割を果たそうとしている人なのだ、と今回感じた次第です*2。願わくば、このM!という作品において、もっと、例えば阿知波さんのセシリアママのように、そこにいるだけで自然に舞台の質を保証してくれるような頼もしい存在になって欲しいなあ、と思います。

……まだまだ書き足りませんが、この辺にしてカーテンコールの思い出に移ります。

楽のご挨拶は山口さんと市村さんからありました。何故この2人?
山口さんは、レオポルトの愛の込められたデコピンに言及し、ヴォルフとの父子の仲をいつも羨ましく眺めていました、と語られていました。
市村さんは、旧御園座の時代、46年前(数字はうろ覚え)に萬屋錦之介さんと中村嘉葎雄さんの兄弟公演の舞台に立った思い出を語り、また、今度は願わくば「市村座」でここに帰ってきたい、ということを仰っていました。
なお、御園座には図書室が併設されているのですが、どうもここに公演期間、市村さん、山口さんらM!キャストのサイン色紙が展示されていたらしいと後から聞きました。図書室は気になるけどどうせ日曜休館だし、と立ち寄らなかったことが悔やまれます。

最後にエプロンステージを全キャストがウォーキングしてお別れのご挨拶をされていました。今回は2階席でしたが、「もちろん」山口さんのお手振りと目線ビームはしっかりと2階まで届いておりました!
そして、最後の最後、幕が完全に降りた後にヴォルフとアマデからもご挨拶がありましたが、不覚にも当日のアマデちゃんのお名前をチェックできておりませんでした。多分爽介くんか美空ちゃんだったと思うのですが……。教えていただけるとありがたいです。
(2018.8.24 23:53追記大楽のアマデは爽介くんです、とTwitterのフォロワー様に教えていただきました。ありがとうございました!

ああ、これで今季のM!は終わってしまった。次回再び現キャストで猊下とレオポルトには出逢えるだろうか、とちょっとしんみりしております。待つ再演!

*1:すみません、妄想です!

*2:スター役者の皆様が高い技量で舞台を支えていない、という意味ではなく、果たす役割が異なっている、という意味です。

『モーツァルト!』感想(2018.6.2 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト=古川雄大 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 アマデ=小河原美空

これで帝劇見納めになりそうな『M!』の古川ヴォルフver.を観てまいりました。
ヴォルフとアマデ以外は初日と同キャストです。今回ついに香寿男爵夫人と新コンスのお2人を観ないまま終わりそうな気配が濃厚です。

古川ヴォルフは事前に予想していた以上に歌では善戦していると思いました。とは言え、まだ歌って表現することだけで手一杯で、歌っている間は歌にのみ精神が集中してしまっているという印象です。あと、1幕終盤や2幕クライマックスのキャスト全員のコーラスが入る場面では、ヴォルフの声があまり聴こえてこなかったりもします。
ただ、そのこなれていない、舞台の上でヴォルフとして生き切る為に必死で戦い続けている姿が、古川ヴォルフの子供っぽく純粋で未熟で刹那的な天才の役作りをかえって盛り立てているようにも見えました。アマデ(美空(あおい)ちゃん可愛い!)が才気溢れる子供の冷徹さの権化だとすれば、ヴォルフは子供の脆さと危うさの権化。ヴォルフもアマデもどちらも子供(^_^;)。
育三郎ヴォルフの場合は、逆に中の人が万事そつなくこなす大人な性格である印象がありますが、その分、成熟してはいるが自制心のなさと繊細さ、そして自身に真っ正直すぎるがゆえに思い描いた通りに生きられず、苦しみ続ける人物像を産み出すのに成功していたと思います。
個人的にはどちらかと言えば、古川ヴォルフの傷つきぶつかりながら懸命に一度きりの人生を生き切る人物像が好みではありますが、育三郎ヴォルフから感じられる、天才と言えども(天才であるが故に)逃れることのできない人生の苦味もまた捨てがたいです。

そしてコロレド猊下の一挙一動をつい追いかけてしまう立場としては、2人の対照的なヴォルフに向き合う時の猊下の色の違いがまた楽しかったりするのです。
例えば1幕終盤のヴォルフの猊下の館への乱入場面で、怒りに叫び暴れる古川ヴォルフに激昂しつつも、猊下、どこかはらはらとした表情で見守っているように見えました。育三郎ヴォルフに対してはあまりはらはらはしていなかったと思います。

ところで猊下大司教という位の高い権力者なので、大体いつも舞台上で庶民のヴォルフより高い位置に立って会話しています(ヴォルフの夢や幻想場面は除く)。アルコ伯爵や男爵夫人(特に男爵夫人)は普通に降りてきて同じ目線の高さで話しているのに対し、猊下は向こうから話しかけられない限り口を利いてもいけない相手。以前の演出では1幕のおトイレ場面と2幕のレオポルト召喚場面では庶民と同じ高さにいた筈なのに、今回はおトイレはカット、召喚場面でも階段の上から話しかけています。ヴォルフはそんなものクソ喰らえ! 音楽家は貴族と同等だ! と初めから意識的にタメ口叩いて喧嘩腰を貫き通すわけです。

その猊下が2幕の「破滅への道」で、かなり不自然なシチュエーションとは言えヴォルフと同じ目線の高さで対話している! と、最初に見た時にはかなり衝撃でした。
以下はただの妄想なので読み流していただいても結構です。

いくらヴォルフが自分は貴族と対等だと主張してみても、猊下の方はヴォルフと対等だなんて一度も考えたことなどないのですが、ヴォルフが理不尽にも神様から素晴らしい才能を与えられた特別な存在であることは悔しくても認めざるを得ません。そして同時にその才能の赴くがままに走り続けたなら、そう遠くない日に宿主が破綻することにも気づいてしまっています。その危うさには多分、レオポルトやナンネールは関係が近すぎるが故に、愛憎関係が濃すぎるがために気づいていないのだと思います。男爵夫人はもしかしたら薄々感づいているのかも知れませんが、それ以上に善意と「自分が彼の才能を支援し引き上げたのだ」という自負の方が強いと思われます。
でも猊下、このままではヴォルフのきらめく宝石が危ない、護らねば! と気づき、せっかく彼のもとまで降りて説得したのに、大衆に喜ばれる芸術の値打ちを評価しないばかりか、「自分の掌中の珠にして独り占めする」以外にアプローチの仕方、そして護り方をご存じないので結局振られてしまうのですね。
以前の演出では考えたこともなかったのですが、そのようなやり方でしか憎みつつ愛する者に接することのできない猊下から、レオポルトとはまた異なる「父親の哀しみ」のようなものが感じ取れて、猊下に憐れみの念を禁じ得ませんでした。古川ヴォルフの場合は特に危うさ加減が強いキャラクターなので余計にそう感じたのかも知れません。

……何だか今回、ミュージカルの感想なのに猊下とヴォルフの感想ばかりで申し訳ありません。

今回、涼風男爵夫人の高音の伸びの半端なさや、2幕序盤の「ここはウィーン」での全身が白くきらびやかに輝く美しさに圧倒されもしていました。
また、最初から最後までどこか疎外感から解放されないしんどさを全身から滲み出させる平野コンスの存在感、そして歌唱力の向上にも密かに感服したりもしていました。
なのにどうしても、
「神何故の猊下の歌い方、初日から変えているし、『おんがーくーのーまーじゅーつー』の声の出し方、何だか進化していませんか?」
と、一周回ってまた猊下に心が行き着いてしまうのは困ったものです。

そんな邪な見方しかできていない自分ですが、多分これで帝劇では『M!』は見納め。新しいコンス達も観たかったし、香寿男爵夫人も憲史郎くんアマデも観たかったよ……と、とても残念に思います。

『モーツァルト!』帝劇初日感想(2018.5.26 17:45開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト=山崎育三郎 コンスタンツェ=平野綾 ナンネール=和音美桜 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=涼風真世 セシリア・ウェーバー阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=戸井勝海 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 アマデ=大河原爽介

井上芳雄くんがヴォルフ役を卒業してから初めての、新演出版と銘打っての『モーツァルト!』2018年公演の帝劇初日を観てきました。
「新曲あり」「一部場面のカットあり」以外の事前情報はあえて仕入れずに参戦。以下、変更点を中心にレポートします。例によりネタバレありですのでご注意ください。

メインのステージセットはピアノを模したものに変わっていました。『エリザベート』や『レディ・ベス』と同様に階段がたくさんあって高低差が激しく、客席に向けて真っ正面ではなく、盆回りで止まる時ちょっと角度をつけて奥行きを深く見せる感じのセットです。加えて背景などの映像をプロジェクターで投影して見せる場面も増えていました。

人物の動線やアクションもこまごまと変わっています。大階段や銀橋を活用した演出が大幅に増えた印象です。
例えばコロレド猊下は、元々高所からばばーん!とヴォルフ達庶民を見下ろしながら登場することが多かったので動線の変化は少ない方ですが、それでも馬車のシーンで以前より高い位置で揺られていたり、「神よ、何故許される」の立ち位置がこれまでのセンターから上手の階段の途中に変更されたりしていました。
また、コンスタンツェのソロ「ダンスはやめられない」ではコンスがステージセットを上下に忙しく移動しながら歌っていて、「大変だなあ」と思いながら聴いていました。

懸案の、新曲が増えたことでカットされた場面は、覚悟していたためか意外と多くはありませんでした。例えば市場でナンネールがアルコ伯爵にいじめられた後に市場のおばちゃん達がフォローする場面。猊下の馬車移動時のおトイレ場面。これらがカットされたために、ナンネールは市場でしょんぼりなままですし、馬車は馬に水を補給しても猊下はトイレには行けません。いや、別に猊下はトイレを我慢しているわけではないのでいいんですが。

もう少し細かい所では、プラター公園の場面の「並の男じゃない」のアレンジが少し変わり、時間も少し短くなっていたようです。ほかにも細部が変わっている可能性がありますが、DVDを復習しないと良く分かりません。
なお、内心「ここは削られるかも?」と覚悟していた猊下の「お取り込み中」シーンは残っていました。ただ、以前あった、壁の向こうの出来事をシルエットで匂わす演出が好きでしたので、それがないのは少し残念です*1

メインキャストにも変更がありました。ドクトル・メスマーとシカネーダー。
この演目におけるメスマーの存在感なんて考えたこともなかったのですが、今回、プロローグの墓場から天才アマデの登場に一気になだれこむ時の戸井メスマーのコールの声が実に滑舌良く力強く響いておりまして。実は観客を物語世界に引き込む鬨の声を担う重要な存在だったのだと初めて認識しました。
逆にシカネーダー。ルックスも良く、歌も歌えてダンスも綺麗です。なのに、何かが足りない、と感じました。
シカネーダーの居酒屋でのソロ場面はヴォルフに
「芸術は特権階級が独占するものではなく、大衆のものであり観客のものである」
という思想を身をもって知らしめ、以後のヴォルフの芸術家としての生き方を決定づける極めて大事な場面です。なので、この場面におけるシカネーダーには、彼自身が最高のエンターテイナーであり、ショーを自在に操り盛り上げ、観客の熱狂を呼ぶ存在であってほしいとこれまでは当たり前のように期待してきたのですが……。どうもそのような観客の身勝手な期待に応えるのは2代目シカネーダーには早すぎたようです。いずれ時間の流れと新キャストの成長が解決してくれることを期待しています。

また、キャストの衣装も新調され、一部は細かいデザインが変更になっています。例えば猊下の2幕の黒い衣装の上着は、左右の身頃がアシンメトリーなデザインに変更されていました。左身頃に細かいプリーツが寄っていて、大きな十字架の意匠が施されているなかなかオシャレなデザインです。
大人ヴォルフの登場時の赤いコートや、猊下の赤いコートとマントは変わらず健在です。今回のパンフレットに載っている小池先生のメッセージによれば「赤いコート」はご自身の演出上どうしても外せないポイントのようです。おかげでこちらとしては猊下の初登場シーンの見事なマント捌きを引き続き堪能できてありがたい限りであります。

そして今回の新演出の最大の目玉である新曲「破滅への道」については、2幕の後半で披露されました。
歌詞の細かい内容については省きますが、猊下のヴォルフへの飽くなき執着と、誰かに支配される人生へのヴォルフの最終的な訣別を描いたデュエットナンバーです。これまで蓄積されてきたコロレド大司教の人物像に微少な変化をもたらす1曲でもあります。
猊下とヴォルフはそれぞれが水と油のような存在で、決して歩み寄って相互に理解しあうことこそありません。しかし猊下は、ヴォルフという理不尽な天才の存在に激しく葛藤しつつ執着し愛しているがゆえに、ヴォルフの進む道の先に待ち受けるものを見通すことができてしまっています。恐らくはヴォルフの父レオポルトが血の繋がりに邪魔されて見ることができなかったものまでも。
これは自分の勝手な思いに過ぎませんが、今回の新曲を聴き、
「もしヴォルフの父親がレオポルトではなく猊下であったなら、ヴォルフにはまた違う運命があったのではないか?」
と埒もないことを考えてしまいました。猊下にはヴォルフの望むクリエイターとしての生き方は永久に理解できないとしても、少なくとも天才が背負った宿命の重さとそれがもたらす苦しみはそのまま受け入れて愛することができたのではないか、と。エピローグで合唱する時の猊下のお顔が殊の外寂しそうに見えたのは決して気のせいだけではない筈です。

まだまだ書きたいことはたくさんありますがそろそろまとめに入りますと、以上のように変更点への戸惑いや驚きはありましたが、初日(カテコでの小池先生のご挨拶によれば通算507回目の公演だったようです)のキャストはびっくりするほどレベルが高く申し分のない舞台を見せてくれていたと思います。
今回の公演は何故だか全然チケットが取れなくて、帝劇公演の手持ちの残りチケットは6月2日マチネのみ、後は名古屋大楽までお預けになる可能性が大、という状況です。何とかそれまでに香寿たつきさんの男爵夫人を見ておきたいのですが……。

おまけ。小池先生のカテコご挨拶によれば507回通し出演者は市村さん、山口さん、阿知波さんのお三方だそうです。市村さんはミュージカル界の人間国宝、山口さんはキング、ということでした。個人的には阿知波さんには「ビッグマム」などの称号を授与したいと勝手に思っております。

*1:シルエットが削られたのは、「星から降る金」の前のヴォルフの色事も同様ですね。

『髑髏城の七人 極 修羅天魔』感想(2018.4.8 14:00開演)

キャスト:極楽太夫(雑賀のお蘭)=天海祐希 兵庫=福士誠治 夢三郎=竜星涼 沙霧=清水くるみ カンテツ=三宅弘城 狸穴二郎衛門=山本亨 ぜん三=梶原善 天魔王/織田信長古田新太

友人からの誘いを受けて、IHIステージアラウンド東京にて、『髑髏城の七人 極(ごく) 修羅天魔』を観てまいりました。
最寄りの豊洲新市場も未だ完全オープンに至らず、とにかく何もない場所、と聞いていたので、月島駅のおむすび屋さんで軽く腹ごしらえしてから劇場入りしました*1
この劇場も初めてですが、実は髑髏城シリーズ自体初見なのです。
なので『修羅天魔』には他の髑髏城シリーズに登場するメインキャラクターが登場しなかったり、同じ名前でも人物設定が異なっているキャラクターが存在したりする、と聞いてはいても、元々の髑髏城シリーズの骨格ストーリーを知らず、「比べる楽しみ」という点では少し損をしているかも知れません。
もっとも『修羅天魔』もひとつの独立した演目として作られているので、バリエーションを知らなくても存分に面白く堪能することができました。

新感線の演目の含有要素として、ミュージカル、音楽劇、ストプレ、新喜劇、歌舞伎、そして剣劇などがあります。それらの多要素がぜいたくに盛り込まれたお芝居を、プロジェクションマッピングや回転客席でショーアップして見せてくれます。劇団☆新感線をあえてカテゴリ分けするならジャンルは? と今回少し考え込みましたが、やはり「新感線」というジャンルの演劇、あるいは「いのうえ歌舞伎」という歌舞伎であるとしか考えられません。

訳が分からないことを書いてしまいましたが、とにかく様々な要素の詰め合わせで、各要素の完成度が高く洗練されていて、しかも楽しいのです。
例えば敵役である髑髏党の幹部のひとり、宮毘羅の猛突(くびらのもうとつ)にハラシンさんこと原慎一郎さんがキャスティングされていて、何故? と思っていましたが、1幕中盤で納得しました。猛突、もうひとりの幹部で右近健一さん演じる迷企羅の妙声(めきらのみょうせい)と部下とともに歌う歌う。「普通の芝居の中で突然ミュージカルが始まる」というシチュエーション自体は笑いのネタとして良くありますが、ネタ場面でありまがらミュージカルとしての完成度が本気なのが新感線の恐ろしい所だと思います。

今回の『修羅天魔』は上演時間が3時間45分(うち休憩20分)という長丁場でしたが、観ていて全く時間の長さを感じない演目でした。
開演すると観客はデーモン閣下のロックな歌声に乗せられながら、360°回転する客席をぐるりと取り囲む関東荒野、弱者やマイノリティがありのまま弱みをさらけ出して生きていける無界の里、鉄砲鍛冶の工房、そして敵の本拠地髑髏城といった戦国のケレン味たっぷりの世界に取り込まれます。
回転客席と360°円周舞台の感想としては、「これ、大道具出しっ放しでいいんだ、凄い!」とまず思いました。また、「走馬灯のように過去を回想する」や「複数の場面を短時間で切り替える」といった映像的な演出をまさか舞台で見られるとは思いませんでした。たまに、客席が回っているのか、それとも幕に映る映像が回転しているのかが判然としない時はありましたが。この劇場、新感線以外の演目でも使いこなせるんだろうか? と少し心配ではあります。

物語の核になるのは謎に満ちた天魔王とクールビューティーなスナイパーお蘭との情の駆け引きですが、彼らの関係はかなりミステリアスに描かれていました。天魔王と家康、どちらの言葉が正しいのかによってお蘭と天魔王の関係性が全く変わってきて、しかしどちらに転んでも2人の戦いは避けられない運命として糸に手繰り寄せられ、最後の最後に直接対決でようやく真実が明らかに……! というクライマックスまで引っ張る展開はさすがです。
天魔王の自滅のきっかけとなった最後の行動については、正解ではないことを覚悟の上で示した天魔王自身の真情だったのか、あるいは本当に勘違いだったのかはよく分かりません。ただ少なくとも私は、前者であったと信じています。だからこそお蘭もああいう形できっぱりと決着をつけざるを得なかったのだろうと思うのです。

骨子のストーリーはシリアスで血生臭く悲哀溢れるこの演目の中で一服の清涼剤となっていたのが、沙霧とカンテツでした。
髑髏城潜入の鍵を握る、賢く純粋で可愛らしくて度胸もある沙霧は、舞台に現れるだけでその場を明るくしていました。カンテツが戦場の臭いとは違う沙霧の匂いをたどって注文品を届けるというエピソードに象徴されるように、裏の世界に生きてきた他の登場人物とは全く異なる空気をまとった少女。清水くるみさん、はまり役だと思います。
そしてカンテツ。何と言ってもカンテツ。コメディーリリーフにして実は最大の危険人物のような気がします。最初出てきた時素で三宅さんとは気づきませんでした。ブラックな笑いをさらいつつ、与太郎的ボケで憎まれず、ここ一番では恐るべき実力(若干の怪我の功名もありますが)を発揮するという複雑なキャラクター。登場するたびに客席の爆笑を誘っていました。これもまた、三宅さんのはまり役であり当たり役の一つだと思います*2

他の登場人物も魅力的でした。
とりわけ、夢三郎の悪の華、それから意外にもマトリックスな大暴れを見せるぜん三に目が行きました。兵庫の純朴さ、二郎衛門の腹の中の見えなさ加減、あと二郎衛門の御庭番である清十郎の渋さとキレの良さ(川原正嗣さん好演!)も印象に残っています。
竜星涼さんの、愛に飢え父親を追い求め、父親のためなら手を血に汚すことも全く厭わない夢三郎は美しかったです。あと10年早ければ吉野圭吾さん辺りもイメージぴったりだったかも? と思いながら観ていました。
兵庫と夢三郎の関係はもっと掘り下げられていても良かったように思います。夢三郎は太夫に身をやつしている時から既に、徹頭徹尾自分自身(そして父親)のことしか見えていないのですが、兵庫からは無界の里の象徴のように扱われ憧れられていたわけで。その関係性が強ければ強いほど、裏切られ同胞を失った悲しみもまた深くなるのではないでしょうか。

久々の新感線演目、とても楽しかったです。
豊洲は自宅からは電車の乗り換えが多く、決して近いとは言えませんが、駅にも劇場にもバリアフリーな設備や配慮があるので、安心して出かけることができました。
今年は引き続き新感線がキャストを変えながら『メタルマクベス』のロングラン公演を行うそうです。秋頃に浦井健治くんが出演するとのことなので、願わくば観に行きたいところではありますが、さて、チケット取れるかなあ。

*1:豊洲駅周辺まで行けばもちろんたくさんお店がありますが、足の関係でなるべく歩きたくなかったので……。

*2:他の『髑髏城』でも同じ役を演じられていたようです。