帝劇クロージングラインナップ公演として3年ぶりに上演されている『モーツァルト!』を観てまいりました。
今回のメインキャストのうち、京本大我くんと真彩希帆さんは多分初見です。メスマーとアルコも前回からキャストが代わってますが初見かは自信なし。
中西アルコの歌声が聴きやすくて綺麗でした。アルコはコメディリリーフだからか、以前はどちらかと言えば演技力重視でキャスティングされていたイメージがありますが、前回の阿部裕さん辺りから歌唱力重視になってきた気がします。
ということで所々飛ばしながら全体の感想に入ります。例により軽いネタバレはありますので、未見の方はご注意ください。
1幕序盤の真彩コンスタンツェがすっかりオバさん……もとい、貫禄のある雰囲気を打ち出していて視線が引きつけられました。墓場場面のコンスにあまり着目したことがありませんでしたが、良く考えたらヴォルフの死後、再婚もして、やや年齢を重ねているのですよね。
アマデの子役は顔立ちがきりりとしているので最初男の子と思っていましたが、葉奈ちゃん、女の子でした。涼風男爵夫人は今回もにこやかに雄々しくて簡単に信念がぶれない、社交界を肩で風を切って渡る女性として、堂々とセンターで歌っていました。
京本ヴォルフ登場。歴代ヴォルフの中では最も幼くやんちゃな印象です。自分が持っている才能も家族の愛も(そしてお金も!)永遠にそのまま失われず、特に何もしなくてもそこにあって当たり前と信じて疑わない、可愛らしい子犬。この時代のアマデとのじゃれあいが実に愛らしいのです。
そして、いよいよコロレド猊下登場! あっ、マント捌きが今回もカッコいい! ビジュアルもキリストのようで(性格はともかく)神々しい! でも楽譜を投げる時はほどいたリボンも丁寧に近くに投げる!(後でアルコが拾うからね) ああ、楽譜を嬉しそうに眺めてから去っていく後ろ姿も美しい!
……と、猊下を追いかけていたら、猊下の館でのレオポルトパパやヴォルフをチェックするのを本気で忘れていたという体たらくでして、ああ、情けなや。
パパは今回も市村さん続投ということで安堵しています。この南部鉄器のようなストイックさと、不器用な愛情と愚かしさとをここまでごく自然に体現できる方は限られていると思います。あと、歌う時に昔よりも声が出ているような気がするのは気のせいでしょうか?
千弘ナンネールは強さが前面に出ていると感じました。ナンネールは、父や弟への愛情に様々な激しい葛藤が根ざしていて実は大変難しい役だと考えていますが、あの弟に振り回されまくる人生を送りながらどこかどっしりと構えていられるのはナンネールの精神的な強さゆえに違いない、と、千弘ナンネールを見ていて気づいた次第です。
セシリアママは今回から未来優希さんに交替です。前任の阿知波さんからそんなに大きく役作りを変えている印象はないものの、若干猛々しい感じのセシリアでした。
最初の挫折を味わったヴォルフの「残酷な人生」、京本くんの声質の良さもあって素直に心にしみていきます。
遠山シカネーダーはすっかり定着しましたね。最初に役を引き継いだ時には大変申し訳ないながらどこか借り物感が否めませんでしたが、今はセンターで欠かせない存在になりつつあります。
居酒屋の場面の後の逢い引き場面、京本ヴォルフ、可愛いのですがもう少し色気も欲しいような……。涼風男爵夫人の「星から降る金」はどこか気っ風の良い姐御が坊やを昂然と煽る雰囲気が漂っており、母性溢れる香寿男爵夫人と対極的、それぞれに魅力があって好きです。
猊下の馬車の背景、他の場面の背景もそうですが、今回は絵画調のものが映し出されています。この場面の猊下の「私が(名声を)独占するのだ」のドヤ顔を見ると安心します。
プラター公園の場面のヴォルフの「並みの男じゃない」、こちらも子犬が暴れてる感じで可愛いかったです。
そこから猊下の「お取り込み」場面へ。ここも油断すると猊下のシュッとした佇まいや罵倒する声の美しさに気を取られてしまいますが、頑張ってヴォルフを確認。子犬が全力で鎖を断ち切った後に改めて事の重大さを噛み締めながら歌う声を聴いて、多分この演目を見始めてから初めて「ヴォルフ頑張れ」と思いました。親戚筋の可愛い子を見守るオバさん的なものに近い気持ちを抱いていたかも知れません。
2幕では、初っ端にまた涼風男爵夫人の姐御ぶりを堪能しまくりました。
京本ヴォルフは、繰り返しになりますが、自分が元から持っているものや手に入れたものは決して自分から離れていくことはないし、裏切っても許してくれる、と少なくとも2幕前半までは信じ込んでいたように見えました。
前々回の2018年公演辺りから、コンスがヴォルフよりだいぶアダルトな雰囲気になっていますが、真彩コンスも例外ではありません。ただ、あのヴォルフ愛の強すぎるモーツァルト家のパパや義姉とは相容れないでしょうね。
ヴォルフの人生がきしみ始める中、再びの猊下登場。彼の歌声が力強いほどに、男爵夫人とはまた違う形でヴォルフの才能に注ぐ愛憎半ばする思いの強さが伝わってきました。パパが新たな天才を連れてくる、と言った時に一瞬本気で期待しているのが泣けるのです。
レオポルトパパの噛み合わない息子への愛情も寂しいですね。どうも前回公演あたりから、パパの不器用な父性に寄り添う気持ちが強くなってきています。……年齢?
こうして振り返ると、『モーツァルト!』って、対象は人間ヴォルフだったり神童アマデだったり、あるいは両方ひっくるめてだったりと様々ですが、みんながヴォルフガング・アマデウスを愛しているのに、本人(たち)とは盛大にすれ違う物語なのだと実感しています。
2幕で最も印象に残った場面の1つは「破滅への道」でしょうか。それまで対立する権力者と芸術家という立ち位置でしかなかった猊下とヴォルフが唯一真正面から対峙するのがこのデュエットです。
最初にこの曲が追加された頃には突然の猊下の街角への出現に違和感が満載でしたが、今回は現れ方もだいぶ自然な段取りになっていたと感じました。猊下と京本ヴォルフ、2人の声、結構相性が良いようで、お互いを殺さず、覆い隠さず、対等にぶつかり合って共鳴していたと思います。ヴォルフに対する猊下の激しい執着がどこまで行っても報われることのない片想いなのが哀しくて、でもそれが良いのです。
そして、この物語はヴォルフが永遠と信じ込んでいたものが次々に手元を離れていく過程でもあります。唯一、時にヴォルフの心の拠り所、時に疎ましい存在であった才能だけが最後に残って、自身はそれなくしては生きていけないと悟った時には……というお話。アマデもまた、誰よりもヴォルフを愛し、憎みますが、ヴォルフという媒体となる人間がいなければこの世に関わることが許されません。
無邪気な子犬が絶望の底に落とされた後にそうした悟りに至るまでの魂の悲鳴を上げながらの変革を、京本ヴォルフが2幕で好演していました。若干、彼を二世アイドルと見くびっていた自分を反省しています。
今回の上演回の感想は以上です。
今季の『モーツァルト!』帝劇公演は、あと二度ほど観る機会があります。古川ヴォルフで一度観た後に、もう一度京本ヴォルフを観る予定です。果たしてその時に京本ヴォルフがどのように変化してくれているか、楽しみにしています。