日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『キングダム』大千穐楽配信感想(2023.05.11 18:00開演)

キャスト:
信=高野洸 嬴政・漂=小関裕太 河了貂=川島海荷 楊端和=美弥るりか 壁=有澤樟太郎 成蟜=神里優希 左慈HAYATE バジオウ=元木聖也 紫夏=朴璐美 昌文君=小西遼生 王騎=山口祐一郎 昌王・竭氏=壤晴彦

遅くなりましたが、『キングダム』の札幌大千穐楽(劇場:札幌文化芸術劇場 hitaru)を配信で観ましたので、ごく簡単に感想を残しておきます。

当日夕方、ぎりぎりまで仕事があり焦りましたが、どうにか18時から自宅にてリアルタイムで立ち会い見届けることができました。

数ヶ月ぶりに舞台版『キングダム』を観て、この演目、最初から最後までダレたり破綻したりがほとんどないのは実は希有なのではないかと、改めて感じていました。いまだに原作漫画は読めていませんが、きっとそれだけ原作に力があるのでしょう。

高野さんの信は初見でしたが、台詞もアクションもしっかりしていて、三浦さんに負けず劣らずはまり役と思いました。

政は結局小関さんしか見られていません。小関政は品があって好きなので良いですが、牧島輝さんが出演されるもう1公演の配信を観る時間はなく……残念!

そしてもちろんわれらが王騎将軍は、画面越しでも朗々と良く通る台詞回しで、圧倒的な強さと、その強さに相応しい絶対的な主の再臨を渇望する激しくも孤独な魂とを、決して長いとは言えない出演時間で強烈に演じきっていました。

川島さん、美弥さん、朴さん。女性陣もそれぞれに見せ場を持って好演されていましたし、小西さんら中堅どころ、複雑なアクションをこなすアンサンブルチーム、大ベテランの壤さん、祐一郎さん……。幅広い年齢層のキャスト一丸となって、完成された舞台を作り上げていたという印象です。

色々書きましたが、個々のキャストやキャラクターについてどうこうよりも、カンパニーの熱量と物語の力とが、中継ではありましたが真っ直ぐに届いてきて、それを受け止めるのが楽しかったです。後日特典の舞台裏メイキング映像を見た後付けの感想ではありますが、アクションも演技もあれだけ作り込み、カンパニーの雰囲気も悪くなさそうで。カーテンコールからも、文字通り老若男女揃ったカンパニーの温かさが伝わってきたと思います。しかもこのコロナ禍で1日も公演中止もキャスト休演もなかったというのはなかなか貴重ではないかと。

ここからは自分語りになってしまうことをお許しください。4月末の土曜日に咳、頭痛、鼻水、倦怠感ののち、夕方突然発熱し、日曜日に抗原検査で新型コロナウイルス陽性と診断され、連休最終日まで自宅療養、引きこもり生活を送っていました。

前出の諸症状、解熱後の嗅覚障害(回復済み)、謎のしつこい咳などは、まあ、諦めて受け容れるしかありませんでしたが、陽性診断の下った当日は、浦井くんの『アルジャーノンに花束を』を観に行く予定でした。チケットは発券済み、しかも夕方遅くの発熱であったため譲渡も叶わず、空席を作ってしまったのが本当に悔しくて……。ああ、こんな風に悔しい思いをした人が、この3年間でたくさんいたのだろうな、と、分かっていたつもりなのに今更ながら悟る日々。

そんなダメージを引きずった状態で観たからこそ、配信『キングダム』が余計に心にしみたのだと思います。自分の心の奥で折れていた元気の素が、舞台のパワーで温められて呼び覚まされた感じでした。

改めて、心から「完走おめでとう! キングダ・ムー!」と叫ばせていただきます。カンパニーの皆さま、スタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。また再演あるいは続編でお会いできる日を心待ちにしています。

『キングダム』感想(2023.02.23 13:00開演)

キャスト:
信=三浦宏規 嬴政・漂=小関裕太 河了貂=華優希 楊端和=美弥るりか 壁=有澤樟太郎 成蟜=神里優希 左慈早乙女友貴 バジオウ=元木聖也 紫夏=朴璐美 昌文君=小西遼生 王騎=山口祐一郎 昌王・竭氏=壤晴彦 信(子供時代)=芝﨑郁久也 嬴政(子供時代)・漂(子供時代)=シャルパンティエ壱世

再び帝劇で『キングダム』を観てまいりました。今回がひとまずマイ楽で、王騎将軍も見納めになる予定です。今回はおけぴ観劇会・チケットぴあ合同貸切ということで、私はおけぴ観劇会枠でチケットを取っていただけました。おけぴさん、ありがとうございました!

信と政(青年)は初日と同じ三浦・小関ペア、壁と紫夏も同じキャストでしたが、河了貂と楊端和は華さん、美弥さんの元ジェンヌさんでした。王弟成蟜も今回は神里さんです。

美弥端和、尋常でなく凛々しく格好良かったです。初日に観た梅澤端和も美しかったですが、美弥端和は戦闘場面での動きのキレの良さもさることながら、ちょっとしたポーズの決めの美しさなど、自分の見せ方がやはり上手いと感じました。

河了貂は、海荷テンはああだとか、華テン(この略称は若干某中古車センターを連想しますね)だからこうだとかいう、演じる役者さんによる差が出にくい、フラットな役どころだという印象です。華さんは私は『ポーの一族』のライビュで可憐なメリーベルを観ただけなのですが、宝塚の娘役の方は男役を支える役割として観客にも期待される立場なのでメンタルが強くないと務まらない、という前提でいつも観ているので、テンの明るさ、強さ、賢さとはとても親和性が高いと思いながら観ていました。

神里成蟜は、ひん曲がった眉毛のメイクが特徴的です。今回の舞台では成蟜はプライドばかり高くて器の小さい悪役ですが、神里成蟜には未熟で幼いゆえの愚かさや残酷さが強くて、それでいて終盤には兄王の器に圧倒されている様子も見せており、原作の、成長後に兄王を支える立場に変わるという成蟜に通じるルートが見えた気がしました。

また今回、見納め(予定)ということもあり、全体のアクションに目を凝らして観ていました。「パルクール」についてはスポーツとして洗練されたアクション、という程度の知識しかないのですけれども、普通の見慣れた殺陣とはまた異なり、必然性のある、演者に高い身体能力を求めながらも決して無茶はさせないアクションで、それでいて見せ場はしっかり作られ仕上げられていることに好感を抱いています。劇中音楽が生オケであることも相まって、改めて、なんて豪華な2.5次元舞台! と感服するばかりです。

ということで、ここから今回の王騎将軍の感想にまいります。毎度Twitterなどで彼についての熱い愛の込められた的確な語りを読んでは、自分の語彙の貧困さと熱量の低さが嫌になっていますが、それでも書きます。

王騎将軍、初日に観た時よりもケレン味が少し和らいで、その分、無二の主君であった昭王ロスの激しさゆえに、忠誠心と闘争心の行き場を失った将の魂の孤独感が強調されているように見えました。まさにさまよえる怪鳥。原作未読なのでなぜ昌文君の偽首を差し出したのかなど良く分からない場面もありますが、現王の器を見極めるためにも昌文君は生かしておく必要のある人材と認めているのかな、と勝手に想像しています。

しかしケレン味が和らいだと言っても2幕のクライマックスでの矛の一振りと咆哮(衝撃波?)とで周囲を圧倒する場面のインパクトは健在! 客席からは笑いが起きていましたし、私も笑ってしまいましたが、それほど衝撃的、インパクト特大ということで💦

また、プロローグで王騎将軍が見せる昭王への深い敬意と愛情のこもった眼差しと、途中でのハイテンションかつ激しい振る舞いとのギャップがまた彼の魂の振れ幅を示していると感じられました。そのギャップがあるからこそ、終盤で彼が、大望を語るに相応しい器の片鱗を見せる政や、戦士としての高い資質を発揮する信ら若者たちに新たな生きがいを見出した後に、再び昭王の幻と向き合った時に見せる少年のような希望を湛えた表情の美しさが、より輝いて見えてきます。怪鳥にも、その能力と大きさに見合った止まり木は必要なのですよね。

終演後は貸切公演ということで、スペシャルカーテンコールがありました。

まずは三浦さんのご挨拶。最初は割と普通てしたが、途中から、
「皆さんキングダムのことを忘れないように、おけぴの相関図と……グッズを買ってください!」
という若干面白要素が入った展開に。なんか天然の香りが激しく漂うような……。でも真っ直ぐさが伝わってきて、祐一郎さんが推す理由が何となく分かったように思います。

続いてのご挨拶は小関さんから。
「舞台のその上の方にも人が2人ずつぐらいいて(照明さん?)皆で一つずつ場面を紡いでこの舞台を作っています」
ほう、宝塚の男役さんのようにきちんとした内容、と思った直後に、
「でも実は今日、コンタクトを落としてしまって……」
の発言が。初日に三浦さんがコンタクトを落としたという話をしていて、今回は大丈夫だったようで安心していましたが、今度は君かーい! と笑ってしまいました。

するとそこへだめ押しで、後ろに控えていた祐一郎さんが、
「あ、そこにコンタクトが」
と床を指差し、えっ、どこどこ? と小関さんが引っかかる状況も発生し、もう笑いが止まらなくなりそうでした。

カテコの締めは、
「これをぜひ流行らせたいんです!」
という三浦さんの前振りがあり、
“「キングダ」という掛け声とともに「ムー!」と皆で拳を振り上げる”
というアクションを客席全員でやる、というものでした。何か、良い子だなあ、と思って、元気が出ました。

このカンパニーが、そして王騎将軍が今後2ヶ月以上の地方公演を経てどう変化していくのか、もう一度観てみたい、という気持ちにもなっていますが、もう手持ちのチケットはゼロなのでした。今後は観に行かれた皆さんのレポートを楽しみに待ちたいと思います。でも配信があれば観るかも知れません。

 

『キングダム』帝劇初日感想(2023.02.05 18:00開演)

キャスト:
信=三浦宏規 嬴政・漂=小関裕太 河了貂=川島海荷 楊端和=梅澤美波 壁=有澤樟太郎 成蟜=鈴木大河 左慈早乙女友貴 バジオウ=元木聖也 紫夏=朴璐美 昌文君=小西遼生 王騎=山口祐一郎 昌王・竭氏=壤晴彦 信(子供時代)=升谷天 嬴政(子供時代)・漂(子供時代)=古澤利空

帝劇で無事開幕した『キングダム』。幸運にも観劇することができました。

原作か映画を予習せねばと思いつつなかなかできずに時は過ぎ、ついに予習ゼロで劇場入りすることに。

ただ、見終えた感想としては。予習なしでも全然行けます、これ。ちなみにWikipediaによれば原作1~5巻辺りのお話の模様です。

もちろん読者であればもう何倍か楽しめるのかも知れませんが、古代中国という設定さえ理解していれば、見始めるとあとは主人公たちがぐいぐい引っ張って行ってくれるので、心配無用です。とにかく展開がスピーディーで飽きさせません。余韻はもう少しあっても、と思いましたが、観客に若い男性も多く(全体の3割は男性だった印象です)、性別を問わず観劇に慣れていない人もいる可能性があるので、スピーディーで多分正解なのでしょう。

王騎はあまり出番は多くないです。ただ、大事な所で現れては大音声で語り、見得を切ってカッコ良く決めてくれます。当然ながら若い人たちのように数多く激しいアクションをこなすわけでもなく、筋肉スーツなどをお召しでやや着ぐるみ感なんてのもあったりしますが、少ない動きと大音声とレーザー光で雷鳴のごとく一撃必殺、この矛はそう無駄には使わぬぞ、な感じで唯一無二の存在感をいかんなく発揮していました。これ、普段東宝ミュージカルを全く見ない、ミュージカル役者さんはテレビや配信にマメな人ぐらいを知っているかどうか、という若い観客が王騎をどう感じたか聞いてみたいです。

あと、祐一郎さんの大先輩、壤晴彦さん。王騎の主君だった王様と、王弟になびいて王を裏切る大臣の二役を演じられていましたが、声の出方や居方が段違いでした。

主人公たる信が、いかにも少年漫画の主人公らしく直情径行、正義と友情に篤いキャラクターなので感情移入しやすいです。三浦さん、『ヘアスプレー』のリンクの時とは全く異なる素朴で粗野な雰囲気で、多分配役を知らずに観ていたら同一人物とは気づかなかったと思います。

また、信は冒頭で登場した子役もとても身軽で驚かされましたが、三浦さんはそれ以上に高い身体能力で、激しいアクションをごく自然に見える感じでこなしていました。

今回個人的に惹きつけられたのは、信の親友の漂と王都奪還を目指す王様の政(嬴政)の二役を演じた小関さんです。漂は序盤で亡くなるものの、途中回想シーンでちょくちょく登場しますが、何の違和感もなく別人として見事に切り替わっていました。

政のように、不遇な過去を抱えながらも、持ち前の才覚と強い意志を武器に、見た目クールに、内心では懸命に自分自身と闘いながら目的へ突き進んでいく人物は好きです。

2幕で明かされる闇商人の女性、紫夏と政の過去の場面、原作未読でも、小さな政と紫夏たちが馬車で走り出しただけで結末が予測されてしまうのがつらく、話が進むとまさに予測どおりの展開で胸が苦しくなります。クライマックスで過去(子役)の政と現在(青年)の政が入れ替わるのは、原作準拠なのでしょうか? 泣けました。

紫夏のほか、河了貂、楊端和といった数少ない女性陣に女性感が薄く、全員イケメンキャラなのがまた良いですね。河了貂と楊端和は今回の川島さんと梅澤さんも愛らしさと凛々しさを兼ね備えていましたが、次回観る時は元ジェンヌさんペアなので、よりイケメン度が増すのではないかと期待しています。

ここまで序盤以外のストーリーには触れていないのでラストシーンにも触れませんが、後味は割と良いです。彼らの今後の物語、即ち続編が観たくなる作りになっています。できれば同じキャストで。未だ物語が完結していない長編なので難しいかも知れませんが、ぜひ観たいです。

カーテンコールでは三浦さん、小関さん、祐一郎さんからご挨拶がありました。三浦さんの、
「お客さんの顔をこれほど見たい時はないのに、戦闘中にコンタクトを落としてしまって、今、何も見えないんです」
のご挨拶に爆笑しきり。ああ、確かにアクション激しかったからねえ、その状況であれだけ動けたなんて、どれだけ身体に動きが叩き込まれてるのよ、と感心していたら、その余韻で(?)小関さんのご挨拶の内容が記憶から吹っ飛びました(小関さんファンの方ごめんなさい)。
祐一郎さんのご挨拶は、
「お父さんは幸せです」
といういつもの内容でした。以前はこういう時に「おじいちゃん」と自虐することが多かったですが、ヘアスプレーの時も役柄的にママだったとは言え、自虐に走ってはいなかったような? 最近気持ちが若返られたのか、それとも大先輩に遠慮されたのかは不明です。

なお、これまで2年以上、劇場では緊急連絡先登録と整列退場とが続いていましたが、今回の帝劇ではそのどちらもありませんでした。あまりそういう実感がありませんが、こうして少しずつ、日常が戻っていくのでしょうか?

次回は2月23日昼公演を観る予定です。無事上演されることを祈っています。そしてアクションの極めて多い演目でもありますので、キャストの皆さまの無事完走を願っております。

 

ミュージカル『キングアーサー』感想(2023.01.28 13:00開演)

キャスト:
アーサー=浦井健治 メレアガン=加藤和樹 ランスロット=平間壮一 グィネヴィア=宮澤佐江 ガウェイン=小林亮太 ケイ=東山光明 マーリン=石川禅 モルガン=安蘭けい

新国立劇場中劇場にて上演中のミュージカル『キングアーサー』を観に行ってきました。

以下、一部、物語の重要な展開に触れています。結末には触れていませんが、ご注意ください。

本作はフレンチミュージカルで、演出は韓国版。ストーリーはアーサー王伝説がベースにはなっているものの、オリジナルキャラクターなども加えて大幅にアレンジされているようです。

作品の内容については、タイトルが「キングアーサー」なのに反して主人公アーサー以外の複数の人物の心情描写も多く、群像劇的に作られていました。何せ序盤からして、アーサーが見事に聖剣エクスカリバーを抜いて王に選ばれた直後にソロを取るのが、当のアーサーではなく、最強の騎士を自認しながら聖剣に選ばれなかったメレアガンなわけでして。

この物語は、いくら周囲が説得しようと何をしようと、自らの恨みや妬みに囚われてなかなか脱出できない人物が多いです。先ほどの騎士メレアガンもそうですが、アーサーの異父姉であるモルガンも同様で、しかもその恨みつらみのソロ曲もしくはデュエット曲がそれぞれ2、3パターン繰り返されるので、
「いや、貴方がアーサーを恨む理由とその行動を選ばざるを得ない動機は1回言えば分かるから。そんな何度もしつこく語らなくていいから」
という気持ちになってきます。

特にメレアガンは加藤和樹さん、モルガンはとうこさんこと安蘭けいさんというそれぞれに濃口なお二人が演じていて、いずれも(役柄が)粘着質で圧がすごかったので、殊更そう感じたのかも知れません。

なお私、モルガンが最初に登場した時、あまりにも真っ黒な魔女オーラが強烈だったためか、冗談抜きで「濱めぐさん、なぜここに?」と動揺していました。とうこさん、ごめんなさい。

また、強引に婚約させられていたっぽいメレアガンから乗り換えて、助けてくれたアーサーの婚約者になったグィネヴィアと、ふとしたことから彼女と両思いになってしまう「湖の騎士」ランスロット

グィネヴィアは正直見ていて、
「人間とは弱く移り気な生き物だのう」
という印象しかなかったのですが、ランスロット
「天使!」
と思いました。天使が道を踏み外す動機なんて、意外とつまらない女と言うかきっかけだったりしますよね……。

ただ、この2人の結末の持っていき方にはちょっと納得が行かずにいます。本当に彼らの魂の絆が永久に結ばれているのなら、果たしてわざわざ現世であそこまで悲劇的にする必要はあるのか? と疑問です。

それから、魔術師マーリン。本当に登場人物一覧を全く読まずに臨んだので、途中まで素で名前を「マリー」だと思い込んでいた自分……。

マーリンは、この物語の諸悪の根源でもあるわけですが、自らの所業を反省して、最大の被害者のひとりであるアーサーのそばに仕えサポートし、師匠として導くというのは普通なかなかできることではありません(だったら最初から犯罪に手を染めるなよ、という話もありますが……)。とは言え、運命が変えられないからと言って、どう考えても主君に災いをもたらすに決まっているモルガンをお城に入れてしまうのは、かなりどうなのかと思いました。

そして、数々の個性が強烈なキャラクターの中で主人公に任じられたアーサー。普通あれだけ主人公を差し置いて周囲の人物のソロが乱発されたら、もっと影が薄くなりそうなものですし、実際幕間や終演後に「誰が主人公か分からない」という声もちらほらと聞こえてきました。ちなみに彼の王としての覚醒には、1幕いっぱいかかり、それまでは私情に走ったり周囲に振り回されたりが多いので、主人公として前半どうも落ち着かないのは確かです。

しかし、自己主張が強い割に人の話を聞かずに自己を見失いがちな人が多いこの物語において、マーリンの言葉にしっかり耳を傾け、モルガンに陥れられようが妻に裏切られようが自己を確立して、自分を襲う運命を恐れて悩むよりも他人のために生き、王として民のためにできることをする道を選んだアーサー。

何だかんだで、物語の中で最も共感できた人物は彼でしたし、やはりこの物語は「アーサー王の物語」であったと声を大にして言いたいです。

物語の中で唯一泣きそうになったのも、アーサーの場面でした。欺かれての過ちの結果である、まだ見ぬわが子、将来自分を殺す運命と宣告されているわが子に向けて、それでも優しく子守唄を歌い語りかけるアーサー。自身に逆恨みを向ける相手に対し、この城を出て「私がそうしてもらったように」この子を幸せに育ててやってほしい、と言えるアーサー。

きっと、この場面の彼が聖人すぎて共感できない人もいると思います。でも、アーサーの「私がそうしてもらったように」と言うのは、恐らくアーサーを産んだ後悔と苦痛のうちに生涯を閉じた彼自身の母上ではなく、彼を引き取り、貧しくも温かい家庭で実子同様に育ててくれた養父と義兄ケイを指しているんですよね……。母上とは違い貴方にも幸せになってほしい、と言えるアーサーに、凄みのある優しさとでも言えば良いのでしょうか、そのようなものが宿っているのが分かり、その瞬間は彼の心に気持ちが寄り添っていました。

最後に、そのケイ兄さん。登場人物の中では最も「普通の人」で、単にコメディリリーフを担っていると思っていましたが、実は数々の試練に見舞われるアーサーを真の意味では孤独にしない重要な人物なのではないかと思っています。その辺の使いどころも居方もなかなか難しい役だという印象でした。

あまり個々の役者さんに言及しない感想になってしまいましたが、この人はイマイチ、というのは本当になくて、皆さま好演されていたと思います。特に印象的だったのは加藤メレアガンの狂気。ソロもかなりキーの高いものをこなしていてなかなか凄まじかったです。とうこさんモルガンは最後に少し救いがありますが、恨みに深く囚われていて、孤独。本当に孤独で悲しいのです。あと禅さんの、序盤でアーサーの味方と宣言していて、人生の師であるにも関わらずずっと漂う胡散臭さは何なのでしょうか? そして、あの「凄みのある、胆力のある優しさ」を出せる浦井くんはすごい役者になったと実感しています。

もう1回リピートしたいかと言われると、現時点では若干微妙な、ハードなお話です。でも、曲は良いと思います。メレアガンのロックなソロナンバーが好きです。主人公ソロでなくてすみません……。

 

『チェーザレ』感想(2023.01.21 12:00開演)

キャスト:
チェーザレ・ボルジア中川晃教 ミゲル・ダ・コレッラ=橘ケンチ アンジェロ・ダ・カノッサ山崎大輝 ジョヴァンニ・デ・メディチ=風間由次郎 ドラギニャッツォ=近藤頌利 ロベルト=木戸邑弥 ダンテ・アリギエーリ=藤岡正明 ロレンツォ・デ・メディチ今拓哉 ラファエーレ・リアーリオ=丘山晴己 ハインリッヒ7世=横山だいすけ ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ=岡幸二郎 ロドリーゴ・ボルジア=別所哲也

2023年の観劇始めということで、明治座でミュージカル『チェーザレ』を観てまいりました。2022年の観劇振り返りができていませんが、そちらは気が向いたらいずれ書きたいと思います。

なお、最初に懺悔いたしますが、実は1幕後半、最も重要なダンテと皇帝陛下のエピソードの辺りから1幕終わり辺りまで……睡魔との戦いでかなり記憶が薄いです!(しょんぼり)

恐らく、当日諸事情で普段より早起きだったのと、せっかく明治座に行くのなら、と現地でいただいた洋風御膳弁当をつい完食し、腹十二分目の状態で観劇に臨んだのがよろしくなかったと思われます。

というわけで、以下、あまり細かくない、全体を通しての感想になりますことをご容赦ください。

15世紀に枢機卿であるロドリーゴ庶子として生まれたチェーザレ。強大な後ろ盾を持ちつつも世間から「罪の子」と呼ばれる彼は、歴史上の偉人・ダンテ先生に憧れ、信仰や民族の違いで差別されず多様性が尊重される世界を作るという壮大な目標を持つがゆえに、やさぐれることなく父親の教皇就任の先にある理想世界実現に向けて尽力します。

しかし、肝心の父親は野心家であり、徹頭徹尾、優秀な息子や美しい娘(今回は登場しないルクレツィア)を自分のための道具としてしか考えていません。チェーザレの生き方、父親に全く似ていないという印象でしたが、2幕冒頭のロドリーゴのフラメンコと、その後の場面でのチェーザレの「闘牛」を模した戦いを見て、この2人、野心の行き先が異なるだけで、生き方は間違いなく彼らに流れるスペインの血のなせる業だ、と感じました。

中川くんの「神の歌声」がまた、チェーザレの中に同居するどんな状況でも自分を見失わない冷静沈着さと、理想のため邁進する熱さという二面性を、ごく自然なものとして彩っていたと思います。

主人公以外で印象が強かった登場人物としては、ロドリーゴとそのライバルにして宿敵のジュリアーノ、あと、ジョヴァンニの父ロレンツォでしょうか。おじさまばかりですみませんが、若手の役者さんの多いこの舞台ではやはりベテランの皆様が演じるおじさま連が要所要所で輝いて引き締めていたと思います。

ロドリーゴとジュリアーノが内心いがみ合いながら2人で登場した場面で、いけないと思いつつ脳内に「黒い野心家のヴァルジャンと白いジャベール」というフレーズが浮かんでしまいました。ロドリーゴはともかくジュリアーノは彼のあらゆる所業は「信仰を貫くためなら手段を選ばない」という所に全て行き着くという点が、ジャベールだ! と思った次第です。2幕のジュリアーノのソロで彼が単純な悪役ではないことが伝わってきました。

逆に、ロレンツォは、恐らく、チェーザレとかなり近い魂を持つ人物だと思っています。物語のクライマックスで語られる、良き目的のために使われるお金は決して汚いものではない、というチェーザレの思想は、多分ロレンツォの影響なのではないかと考えています。原作未読ですので解釈が違っていたらすみません。

上記のおじさま3人により歌われるレクイエムが実に圧巻で、素晴らしかったです。ただ、なぜこの3人の組み合わせ? というのは若干謎でしたが😅

若者の中では、チェーザレの側近にして幼なじみのミゲル、そして、チェーザレのかけがえのない友人となったアンジェロが心に残っています。

ミゲルについては、彼がチェーザレに尽くす忠義の健気な様子を見ながら、果たして彼の思いはどこまで報われているのだろうか? という不安を覚えていました。チェーザレにとっては「言わぬが花」なのだとは思いますが。

アンジェロは、正直、2幕前半まではあまりの無邪気さにイラッとくる時がありましたが、彼の陰日向のない精神がチェーザレの目にはその名のとおり「天使」であり、自身が持たないものを持っている存在として刺さったのだと思います、きっと。演じる山崎大輝くんの歌も良かったです。

この作品の結末は悲劇ではありませんが、決して大団円でもありません。若干のネタバレになりますが、悪役の行動には悪役なりに簡単に譲れない動機があり、しかし犠牲者はそれなりに出ている上に、チェーザレが、当時の社会の定番どおりに宗教界で出世コースを歩んだとしても自分の望む理想を実現するには限界がある、と気づいてしまいます。加えて「さらば青春の光」的な別離も迎えるので、やや消化不良的な感もあります。ただ、そこで物語を無理やりハッピーエンドにしなかった点については評価したいです。

演出に1つだけ不満を申しますと、前述のとおり、真面目に見られていない所もありますのであまり偉そうなことは言えないのですが、登場人物の「居場所」が分かりづらい時がありました。今回は「おけぴ観劇会」(おけぴ+チケットセディナ合同観劇会)で手元にオリジナルの人物相関図をもらえたので、それを頼りに幕間に「ええと、ダンテと皇帝陛下は明らかに過去の人だけど、チェーザレたち学生はピサに、ロドリーゴとジュリアーノはローマにいて、ロレンツォは基本フィレンツェで……」と勉強していましたが、実際に舞台を見始めるとなかなか頭が追いつかず。

カーテンコールでは、貸切公演ということで、キャストからのご挨拶の代わりに全員で1曲がアンコール披露されました。耳福、耳福。

次回もしもう一度『チェーザレ』を観る機会があるならば、改めてきちんと原作を読んで人物の人間関係だけでなく力関係を理解した上で臨みたいと思います。

 

『ヘアスプレー』名古屋大千穐楽感想(その2)(2022.11.20 12:00開演)

キャスト:
トレイシー・ターンブラッド=渡辺直美 “モーターマウス”メイベル=エリアンナ リンク・ラーキン=三浦宏規 シーウィード・J・スタッブス=平間壮一 ペニー・ルー・ピングルトン=清水くるみ アンバー・フォン・タッセル=田村芽実 コーニー・コリンズ=上口耕平 ウィルバー・ターンブラッド=石川禅 ヴェルマ・フォン・タッセル=瀬奈じゅん エドナ・ターンブラッド=山口祐一郎


『ヘアスプレー』大千穐楽感想の続きです。

2幕の「ビッグ・ドール・ハウス」で皆が放り込まれている監獄は女性看守の台詞では「女子刑務所」となっているけど、どう考えても拘置所だよね、と考えながら聴いていました。

この場面で皆を颯爽と……ではなくいつものさりげない感じで救いに現れるウィルバーがカッコいいです。娘の救出には失敗してしまいましたが。

雑貨屋閉店のピタゴラスイッチはラストの今回も見事に成功していました。そしてそこからの「ふたりはいつまでも」。これ、ウィルバーとエドナの相愛というテーマも、音楽としても大好きなナンバーなのですが、演じているお二人の間に漂う信頼もひしひしと伝わってきて良かったです。

舞台で役を演じる祐一郎さんについて、観ていてたまに「この人、今、虚実のちょうど境目に立っている!」と思う瞬間があります。今回、いつもの地味なワンピースから鮮やかな赤いドレスに早変わりした瞬間の幸福なエドナの笑顔に、それを感じました。

そこにいるのは間違いなくエドナなのだけど、同時に祐一郎さんでもある。決して素に戻っているのではなく、でも祐一郎さんがいてこそのエドナのかわいらしさと美しさ。現あってこその夢。夢あってこその現。語彙が貧困で、この感覚をうまく説明できなくて申し訳ありませんが、おお、今回もこの瞬間に立ち会えたぞ! と、歌い踊る2人を眺めながら1人で喜びをかみしめておりました。

この物語の登場人物は、男女や社会的立場、善玉悪玉を問わず、皆しっかりと「こうしたい」という明確な意思を持って行動していることに好感を持てます。

ママに縛り上げられ閉じ込められたペニーを、王子様感満載で窓辺から救いに現れるシーウィード。無事脱出できると分かっていても、そんなにいちゃついていたらママが戻ってきちゃうよ! とついはらはらしてしまうのはなぜでしょう。それにしてもくるみペニーは鳥のようにふんわりと身体が軽そうでうらやましいです。

同じく囚われのトレイシーを救い出すリンク。この2人のカップルも見ていて楽しいですが、なぜだかそんなに長続きする感じがしないのです。最終的には相手への愛よりも自分の夢を優先しそうな気がして……。いや、あれだけお互いに散々愛の鐘を鳴らして妄想しまくっていますし、そんなことはないとやはり信じることにします。

脱獄したトレイシーたちを迎えるメイベルのコミュニティ。コリンズショー全米中継突入作戦への再挑戦をためらい、一度は自分は降りると言って立ち去ろうとする、名もない黒人の少女がいます。最終的には、メイベルにリベンジの理由を問われたトレイシーの「みんなといっしょに踊りたいから!」というシンプルな望みと、メイベルの力強い戦う意思(エリアンナさんの歌声が本当に頼もしい!)とに共鳴して仲間に加わりますが、こういう細かい描写が良いですね。

そんなこんなで突入するクライマックスの「ビートは止められない」(You Can't Stop the Beat)ではもう盛り上がるしかありませんでした。トレイシーたちのいる時代は1962年。ほどなくトレイシーの台詞にも出てきたジャクリーン・ケネディの夫君は暗殺され、更にアメリカはまたつらい戦争の時代に突入する筈なので、『ヘアスプレー』におけるハッピーは決して永遠ではないと分かってはいますが、この痛快な展開には心が沸き立ちます。東京公演の感想でも書きましたが、踏んだり蹴ったり、でも棚からぼた餅もあって複雑な心境の悪役のヴェルマやアンバーもさあ一緒に踊ろう! となるのが気持ち良いのです。

ラストのエドナのサプライズも、繰り返し観ていても、登場すると思わず「ほう……」と自然にため息が出てきました。夢を叶えたエドナさんが美しく輝いていたのは、決して銀色ドレスのきらめきの効果だけではなかったと思います。うっかり1幕の感想で書き忘れていましたが、ほぼ家の中だけで過ごしていたエドナがミスター・ピンキーデザインの衣装に着替えて現れた時の艶やかさもただごとではありませんでした。疑いなく、この物語のもう1人のヒロインはエドナです!

カーテンコールでは、直美ちゃんからご挨拶がありました。涙をこらえつつもお稽古からの長い日々を支えてくれたキャストや観客への感謝の言葉を語るうちに、ついに言葉に詰まって号泣。そこへ素早くエドナママが駆け寄り、「かわいい……!」と口にしながら娘さんをハグ! いや、そんな貴方がかわいいし尊い! これは鼻血出そう! と客席で打ち震えておりました。

その後、娘さんから突然挨拶のバトンを渡されたエドナさん。
渡辺直美さんには(Instagramの)フォロワーが1000万人いますので、全員が観るには35年かかります。その時には私は100歳になっていますのでそこにいられるかは分かりませんが、それまでこの『ヘアスプレー』が続いてほしいと思います」
というような内容でご挨拶されていて、おお、久々にチャーミングとか夢のようなひとときとかいうフレーズのない普通の内容だ! と驚いておりました。

なお、「1000万人が観るには35年かかる」は本当なのか? と帰りの新幹線で同行の友人と計算したところ、1公演1000人、年間300公演(休演日抜き)と仮定して、
1000×300×35=1050万
となったので、確かに! と納得しました。

ただ、よく考えると年間300公演は相当に過酷なので、実際は1公演2000人、年間150公演ぐらいにしておきたいですね。

カーテンコールに戻りますと、ご挨拶の後も何度かキャスト退場→スタオベ→お出まし→スタオベ→退場→スタオベ→お出まし、が繰り返され、ついに名残惜しくも本当に終演の時を迎えました。

整列退場の案内アナウンスが流れ、静かに退場の順番を待っていたその時、舞台の奥からキャストとスタッフの三本締めの手拍子の音が聞こえてきました。客席の誰ともなく、一緒に三本締めの手拍子を始め、満場で舞台裏の皆さまに感謝の思いを伝えていました。改めて、大千穐楽の公演が無事完走できて良かったと思った瞬間でした。

『ヘアスプレー』、開演前や幕間にも客席での撮影が完全に禁止されているなど、版権はなかなか厳しいという印象ですが、願わくば、いつかまた再演で観たい作品です。その時は、色々と難しい所はあるかも知れませんが、ぜひターンブラッド家の皆さまは同じキャストでお願いできれば、と思います。

 

『ヘアスプレー』名古屋大千穐楽感想(その1)(2022.11.20 12:00開演)

キャスト:
トレイシー・ターンブラッド=渡辺直美 “モーターマウス”メイベル=エリアンナ リンク・ラーキン=三浦宏規 シーウィード・J・スタッブス=平間壮一 ペニー・ルー・ピングルトン=清水くるみ アンバー・フォン・タッセル=田村芽実 コーニー・コリンズ=上口耕平 ウィルバー・ターンブラッド=石川禅 ヴェルマ・フォン・タッセル=瀬奈じゅん エドナ・ターンブラッド=山口祐一郎


東京初日開幕延期、続く大阪梅田芸術劇場(梅芸)公演の中断を経ての千穐楽中止で多くの方が涙をのんだ『ヘアスプレー』。名古屋御園座での公演はどうなるかと危ぶまれましたが、一日の中断もなく無事大千穐楽を迎え、そして現地で該当公演を観ることができました。

公演の感想を書くと同時に「私の中のヘアスプレー」が終わってしまうような気がしてもったいなくてたまりませんが、逆に書かないといつまでもけじめがつきませんので、書くことにします。

御園座の座席はいわゆる桟敷席、1階のボックス席から観ていました。『ヘアスプレー』には2幕半ばに周りを囲ってセンターのみで演技をする場面がありますが、その場面の見え方もややぎりぎりとはいえほぼ支障なく、とても見やすいお席でした。ありがとう、チケを確保してくれた友人!

劇場に入り、席に着いても、コロナ禍で半端に訓練されてしまったが故に、無事開演するのか? いや、開演しても無事最後まで幕を通せるのか? という不安が拭えず。少しでも気持ちを前向きに切り替えることを心がけていました。

無事に開演し、1幕冒頭のトレイシーのソロ「グッドモーニング・ボルティモア」から物語開始。ここ、ブリリアホールではセンター席だったにも関わらず歌声も歌詞も聞き取りづらかったのですが、今回はどちらも普通に良く聞こえたので、ブリリアの音響どれだけ……という気持ちになりました。

直美トレイシー、小生意気さもポジティブさも、大好きなテレビにペニーと一緒にかじりつくさまもやはり愛らしいです。

そして祐一郎エドナ! くどいようですが、あれだけ上背のある人が横幅もビッグサイズになってワンピース姿で甲高い声でしゃべっても、全くグロくないどころか、かわいくて綺麗なのはどういうことかと思います。エドナの内面の美しさや家族への愛の強さもしっかり打ち出していて、改めて新境地、素晴らしかったです。

エドナとトレイシーの愛を一身に受ける禅ウィルバーも、最初から一貫して「娘にはやりたいことをやらせたい」という強い思いが伝わってきて素敵なパパでした。ウィルバーは恐らく自分の望み通りの人生は100%は達成できていなくて、でも今の幸せをとても大切にする、懐の深いパパ。多分トレイシーのポジティブさはこの人から受け継いだのでしょう。

このターンブラッド家の皆さんについては、あまりにも3人とも呼吸が絶妙、はまり役すぎて、自身の中で今回のキャスト以外に考えられなくなってしまっています。特にエドナママ。見た目や歌唱力だけで見れば他にも演じられる人はいるかも知れませんが、上っ面だけの見せ方では通用しない役だと思うのです。

コリンズショーのプロデューサー、ヴェルマ。前回あまり耳に入っていませんでしたが、彼女が繰り返し誇らしげに口にしている「元ミス・ボルティモア・蟹」、なんと微妙な肩書き。そもそも何で蟹なの? と思ったら、蟹は港町ボルティモアの名産品らしく、なるほど「水戸梅むすめ」みたいなものか! と一旦理解しましたが、その後パンフレットを見たところ、座談会で瀬奈さんがエリアンナさんから聞いた話として、クラブ(蟹)には「意地悪」「毛じらみ」「体を使ってのしあがってきた人」という意味がある(ヴェルマという人物を象徴した言葉である)と発言されていて、大いに納得しました。

ヴェルマとアンバーの母子、エドナとトレイシーのほんわか母子と良い合わせ鏡になっていて、やっていることは実にえげつないわ大人げないわで、大変憎たらしい筈なのに、何でか憎めないのです。瀬奈ヴェルマが自らの生き方に一個も後ろ暗さを抱いていないからでしょうか。

また、トレイシー、ペニー、アンバーの母子模様を三組三様で描いた曲「もう子供じゃない」を聞くと、自分のことはあんなにわかりきっているヴェルマが、自分の娘に彼女の本質や能力以上の期待を背負わせようとしているので、そこはやはり、エドナやブルーディー(ペニーのママ)と同じ母親のうちのひとりなのだな、と思わずにいられませんでした。

これ以上登場人物のキャラについて語ると止まらないのでこれぐらいにしておきます。

とにかく『ヘアスプレー』という作品はノンストップで楽しませてくれるのですが、1幕終盤の梅芸で上演中止になったと聞いていた箇所(メイベルのパーティーにヴェルマ親子が押しかけてくる場面)を無事通過するまではやはり気持ちがどこか落ち着かずにいました。

ターンブラッド家とメイベルたち一派が捕らえられて1幕が終了した瞬間「大きい関門を1つ越えた」と思わずほっとしましたが、よく考えると本来は次の幕で全員監獄にぶち込まれ、更にトレイシーが過酷な目に遭うので、ここで安心するのは何か違うような……😅

長くなってしまったので、ここで一旦区切ります。続きは次の記事にて。

 

『ジャージー・ボーイズ』感想(2022.10.22 13:00開演)

キャスト:
フランキー・ヴァリ中川晃教 トミー・デヴィート=藤岡正明 ボブ・ゴーディオ=東啓介 ニック・マッシ=大山真志 ボブ・クルー=加藤潤一 ジップ・デカルロ=山路和弘 ノーム・ワックスマン=戸井勝海

日生劇場で上演中の『ジャージー・ボーイズ』(チームBLACK)を観に行ってきました。

実はこの作品、一昨年に配信でコンサート・バージョンは観ましたが、フルバージョンで鑑賞するのは今回が初めてです。初演、再演はチケ取りに敗れ、以降も「劇場が自宅から遠すぎて断念」「やっとチケットが取れたと思ったらコロナ禍で公演自体が消滅」などにより、四度目の正直ぐらいでようやくご縁ができました。

さて、フルバージョンで『ジャージー・ボーイズ』(以下、JB)を初鑑賞した感想を一言で申しますと「ほろ苦い」です。フィクションだと「フォー・シーズンズ」のオリジナル・メンバー4人の人生がもう少し美化されたり必要以上に悲劇的に描かれたりすると思いますが、実話ベースな分、
「勤勉だろうがごくつぶしだろうが、輝きを持とうが持つまいが、人はそれぞれが平等に傷や想いを抱えたまま生きて、それぞれの人生を全うするのだ」
という感じで、まあ現実世界ではこうなるよね、と自分なりに納得しています。

いや、恐らくJBにおける彼らも現実の彼らより美化されているのだろうとは思いますが。ただ、メンバーの大半が街のチンピラから成り上がり、綺麗事ではないむき出しの心でぶつかり合って生きてきたのに、終盤の再集結ではお互いに近況を、年齢を重ねて大人の対応で語り合っているのを見て、何とも心がほろ苦さでいっぱいになってしまったのは確かです。

そんなほろ苦くも人生の痛みに満ちた物語を客席で見守る最中に響き渡る、綺麗な歌声と美しいメロディーにしばしば魂を救われていました。特に中川フランキーのまさに「音楽の天使」と呼ぶにふさわしいファルセット。低音を支える大山ニックと藤岡トミー、高音を担う東ボブとのハーモニーが絶妙なのです。

物語が進むにつれてメンバーの人間関係や音楽活動が徐々に不協和音を発し始めているのに、奏でられるハーモニーはどんどん素晴らしくなり、「待ってました!」という感じで耳に染み入るのが何とも皮肉に思われました。

なおJBのメイン4人の関係性について、最初は何となく、
 何かを“持っている”人=フランキーとボブ
 何かを“持っていない”人=トミーとニック
という2対2の関係だと考えていましたがさにあらず、トミーとニックだって、それぞれ「人を見る目」と「人を育てる力」を“持っている”人なのですよね。
他方で飛び抜けた音楽の才を”持っている”2人も、フランキーは音楽に没頭すると家族や恋人が見えなくなってしまうし、ボブは未来を見通す目はあっても目の前の仲間たちの歪みに気づく視点は持っていなかった。
そういう意味では4人に大した違いはない筈、なのですが、そんな中でフランキーがわだかまりを抱いていた相手でもあるトミーの肩代わりをする決意をしたのは、最後の友情(と言うか義理人情)だったのでしょうか。それとも輝きを持つ者としての一種のノブレス・オブリージュだったのでしょうか。

そうした4人の人生に交錯する女性たち(綿引さやかさん、小此木麻里さんら)も好演しており、また、ベテラン山路さん、戸井さんが、フランキーやトミーと関わりの深い地元マフィアのボス、4人の運命を左右することになる高利貸しをそれぞれいぶし銀な存在感で務めて、舞台を引き締めていました。

なお当日はe+の貸切公演だったため、カーテンコールでキャスト一同からのご挨拶がありました。最後に4人でe+の歌を合唱するという、大変に美味しいご挨拶でした。

最後に。日生劇場、多分2年以上行っていなかったと思いますが、劇場空間(客席もロビーも)、音響から、幕間のトイレ行列の捌きまで含めて、やっぱり大好きな劇場です。先日、帝劇の一時閉館と建て替えの発表がありましたが、日生劇場も結構古い建物だった筈なので、気になっています。まだしばらくは今の日生のままでいてもらいたい、というのはわがままかも知れませんが、あの独特な雰囲気は末永く保っていただきたいものです。

 

『ヘアスプレー』東京千穐楽感想(2022.10.02 12:00開演)

キャスト:
トレイシー・ターンブラッド=渡辺直美 “モーターマウス”メイベル=エリアンナ リンク・ラーキン=三浦宏規 シーウィード・J・スタッブス=平間壮一 ペニー・ルー・ピングルトン=清水くるみ アンバー・フォン・タッセル=田村芽実 コーニー・コリンズ=上口耕平 ウィルバー・ターンブラッド=石川禅 ヴェルマ・フォン・タッセル=瀬奈じゅん エドナ・ターンブラッド=山口祐一郎

2020年の無念の上演中止から2年、満を持して日本初演となったミュージカル『ヘアスプレー』(東京公演:東京建物Brilliaホール)。チケットが別日になかなか取れず、東京千穐楽まて待つことになりましたが、ようやく観ることができました。

さて、こけら落とし以降、座席配置問題などで色々言われてきたブリリアですが、私の今回の座席は1階の真ん中あたりのセンターブロック。元から問題なく改修対象外だったようで普通に見られました。客席と距離が近い感じは良いですね。

音響は、OPナンバーで歌詞が聞き取りづらい所があったので、最初役者さんの声量の問題? と思っていましたが、その後別の方が歌った時も時々聞き取りづらかったです。なので、少なくとも他の劇場より音響が素晴らしい、という感じではなさそうです。

ということで、公演本編の感想に入ります。

まず、渡辺直美ちゃんのトレイシー。舞台に登場した瞬間に客席から拍手が起きていて、あれ? ここ宝塚だったっけ? と若干の戸惑いがありましたが、大変失礼ながら、正直、ここまで好演してくれているとは思いませんでした。学校で先生方からの受けはいまいちで、見た目にハンデあり、しかしダンスやファッションのセンスは抜群なトレイシーのイメージが直美ちゃんのパーソナルイメージにぴったりなのも大きいと思います。

舞台は1962年のアメリカ。母エドナの反対どこ吹く風、大好きなテレビ番組「コーニー・コリンズ・ショー」の出演者オーディションに挑み、見た目差別でプロデューサーのヴェルマに門前払いされても、級友でヴェルマの娘の金髪少女アンバーにいけずをされてもめげることなく、アフリカ系の級友シーウィードの助言や厳格な母親を持つ親友ペニーの応援を得て、ついに番組への出演権を獲得するトレイシーはまさに不撓不屈です。

ということで、最初はペニーのママと同じく小言を言って娘を止めようとしていたエドナママ。彼女が登場した瞬間もまた拍手が起きていました(私もした)。とにかく、かわいい😍、かわいいんですよ! 

地のお顔が綺麗である以上に、エドナの、反対していたけれど娘がテレビに出たら出たで、結局一番のファンになって応援してしまう温かい心根とか、ミスター・ピンキーのデザインの衣装をまとった時の嬉しそうな笑顔とかが本気でかわいくて……。中の人の地の声を自然にキャピっとさせたハイトーンボイスでの語り口もまた良し。

娘以上にビッグサイズでお家中心に生きてきたというエドナが専業主婦ではなく、クリーニング店という職業を持っているのがいかにもアメリカらしいと感じましたが、そんな彼女も娘を応援しているうちに昔の夢を思い出したりしてどんどんステップアップし、最後にあっと驚く美しい姿を見せてくれてとても幸せな気持ちになりました。

実は祐一郎エドナ、もっと見るたび笑ってしまう感じになるのでは? と事前に思っていたのですが、あまりにもごく自然に、かわいらしい、夫に永遠に変わらぬ愛を捧げ、それでいて娘のためならどこまでも戦える強い女性になっていたので、また一つ役者さんとしての評価が爆上がりしている所です。

なおエドナママ、ダンスもセンターポジションを務める場面がありましたが、きちんと踊れていました。これはちゃんとできていたというだけで嬉しいですし、人はいくつになっても向上できるのだと実感しました(普段の中の人へのダンス評価どれだけ……)。

禅さん演じるパパ、雑貨店主で発明好きのウィルバーもまたいい味を出していました。この妻子への愛と信頼が海よりも深く、修羅場でもにこやかにしなやかに立ち振る舞える人がいなければ、多分この演目は成立しないでしょう。

2幕で彼が披露する閉店の「仕掛け」(Twitterピタゴラスイッチと呼ばれているのを見て膝を打ちました)が面白かったです。成功した時に大拍手が起きていましたが、あれ、もしやほかの日に不発だったこともあるのでしょうか?

この仕掛けの後に突入する妻エドナとの愛のデュエットがまた良い曲で、確か同じ曲を同じ歌い手で5月のトークショーMSMSでも聴いていますが、あの時の何十倍も素敵に心に沁み入りました。

『ヘアスプレー』という演目は、人種差別や見た目差別をとことん批判しながらもそれだけで終わることなく、かつ勧善懲悪でもなく、散々トレイシーを目の敵にしていたヴェルマ、アンバー母娘ら敵役にも何らかの形で救いがもたらされるという点に、非常に好感がもてます。

ヴェルマ、やっている差別的行動は本当えげつないのですが、演じる瀬奈さんの持ち味もあってか、しっかりカッコ良さと愛らしさを備えていてどこか憎めない感じがありました。

ただ、現実には『ヘアスプレー』という作品が作られた1980年代から作品のテーマが現代でも色褪せていないどころか、逆にマイノリティへの配慮が時に行き過ぎと思われる場合(一時期存在した『ヘアスプレー』をアジアンキャストのみで上演できないかも知れない問題など)もあったりしますので、ヴェルマの複雑なハッピーはどうも他人事ではないぞ、とも思えてなりません。

とは言え、『ヘアスプレー』は決して重い話ではなく、青春ドラマとして楽しく観ることができました。

エリアンナさんの熱く力強く包容力たっぷりなメイベル(歌ウマ!)、平間さんの優しく温かいシーウィード、清水さんの健気なペニー、三浦さんの軽妙なリンク、上口さんのフラットで決して信念がぶれないコーニー……そして書き切れませんがアンサンブルの皆さまも含めて全員が一丸となって高い実力で、社会性と娯楽性との両輪に支えられたこの青春冒険活劇の世界観を支えていると思います。

なお、三浦リンクの、一見王子様、実は苦労人で恋とチャンスの間で葛藤しつつも保ち続けられるあの軽妙さはどう表現すべきだろう? と思っていたら、後日『キングダム』の制作発表で祐一郎さんが「三浦くんには重力を感じない」と発言されていて、大いに腑に落ちています。

私としては、平間シーウィードのダンスアクションも激推しします。公演パンフレットの座談会で清水さんが指摘しているとおり、メイクに頼らず身のこなしだけでトレイシーが憧れる「黒人のリズム」を表現するのは地味に大変と思われるので、そこを評価したいです。

カンパニーの一体感は、カーテンコールからも感じられました。直美ちゃんが何度目かの呼び戻しで感極まって涙で言葉に詰まった時に祐一郎ママと交わされた熱いアイコンタクト。それを見守るキャストの皆さまの温かい眼差し。

初日が2日遅れ、また序盤での欠席を余儀なくされたキャストもいましたが、その分一層カンパニーの結束も増したのかも、と思います。

このまま、大千穐楽まで無事にこのグッドカンパニーが駆け抜けられることを心から願うばかりです。

 

『COLOR』感想(2022.9.10 17:00開演)

キャスト:
ぼく=浦井健治 母=柚希礼音 大切な人たち=成河

久々に初台の新国立劇場小劇場に出向き、ミュージカル『COLOR』を観てまいりました。

ある日突然、バイク事故のため、過去の思い出だけでなく、一切の生活記憶までも失った、大学で美術を学ぶ青年「ぼく」(草太)が、困難と絶望を克服し、揺るぎない愛を向ける母や、彼に著書の執筆を促す編集者らに見守られながら、草木染め作家として独立するまでのストーリー。と、書くとお涙頂戴なお話みたいに読めてしまうかも知れませんが、実際はもっとたくましい物語でした。

また、一応「ミュージカル」ではありますが、作品の公式サイトに「言葉と音が密接に繋がり合う楽曲」とあるとおり、どの曲も言葉、メッセージを伝えることを重視した作りになっているという印象です。

今回の公演では「ぼく」と「大切な人たち」は浦井くんと成河さんが交互に演じていますが、今回は浦井くんの草太で観劇しました。

浦井くんの草太について、序盤の新たな人生の記憶を身につけようと、子供のように疑問を口にし続ける姿を観て、『アルジャーノンに花束を』のチャーリィを思い出しました。

もっとも、チャーリィが知能を獲得して新たな人生を歩むと同時に、知らなくても良かった人の心の闇や絶望をも知ってしまったのに対し、草太は彼の中から消えずに残された芸術家魂を足がかりに新しい人生の目的を見出して、希望の火を再度灯すことができたので、真逆の役どころではありますが……。

途中で観ていて身につまされたのは、草太が事故の影響で失った数々のものを克服し取り戻そうと、言わば異世界に放り込まれた状態で必死に足掻く中、周囲の日常は変わらず、草太が元の日常サイクルに戻ることを無意識に要求してくるという事実に気づき、絶望の底に突き落とされる場面です。

事実に気づけるということは、そうできるだけの社会性と知性を、草太が努力で身につけたということでもあると思うのですが、もしここで、心配しながらも彼を独り立ちさせようと見守る柚希母さんや父さん(演じるのはこちらも成河さん!)の支えと、何よりも彼自身の芸術の才能がなかったら、草太の人生は一体……? と考えるだけで鬱になりました。

今回の舞台では、役者さん3人の歌声と演技の巧みさが物を言っていたと思います。

何と言っても、浦井草太の、事故直後の真っ白な状態から始まり、UFOキャッチャーのぬいぐるみと共鳴したりしながらも次第に生活記憶や社会性を獲得し、「自分のいのちの色」を手に入れていくさまを歌と全身を駆使しての表現が素晴らしかったですが、それだけではなく。

柚希母の何が起きても揺るがず、息子の苦難と堂々向き合う凛とした姿。そして成河さんの、編集者、草太父、親友、モブの学友、大学教員等々、冗談抜きで七色の歌声を駆使して何役も演じ分ける実力。これらがあってこそ成り立つ演目と思います(はまめぐさんの母さん、浦井くんの演じ分けは観ていませんが多分同様)。

一つだけ言いたいことがあるとすれば、草太がいのちの色を手に入れようと考え始めるきっかけになった「絵画専攻から染色専攻への変更」がさらりと描かれていた点でしょうか。もちろん、彼の描く絵の画風が事故以前から変化したこと(以前のようには描けなくなったこと)や、草木染めに生きた花や実や葉は使わずに専ら木から落ちたものや枯れ枝を使うに至った理由は語られていましたが、どうして染色だったんだろう? というのはあまり作中で説明されていないので、そこら辺が観ていて頭の片隅にもやっとした状態で残ってしまいました。

とは言え、草太が事故直後のモノクロームと線で構成された世界から二次元、立体(くまのぬいぐるみ)、空間(空の星)などを経て、自然の草木の色、自らのバイクで駆け抜けるカラフルな街並みの色など、彼の世界が充実するとともに次第に豊かな色彩で満たされていく演出は、とても美しかったです。とても85分1幕ものという短い時間とは思えないような密度の濃い演目でした。

カーテンコールでは盛大な拍手のもと、キャストの皆様が4、5回のお出ましに答えてくださいました。

濱田めぐみさんの母さんや、成河さんの草太、浦井くんの1人複数役も観て比べてみたいとは思うものの、ちょっと時間がないですね💦

なお、『COLOR』を観ての帰宅後、『モダン・ミリー』の土~月の公演や『ピピン』の向こう1週間の公演の、感染者発生による中止のニュースを知りました。無事『COLOR』の公演が完走することを願っております。

次の観劇は『ヘアスプレー』東京楽の予定です。こちらも無事の上演を祈るばかりです。