日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『CLUB SEVEN another place』(B VERSION)感想(2024.10.06 13:00開演)

キャスト:
玉野和紀 吉野圭吾 東山義久 西村直人 林翔太 大山真志 鈴木凌平 北翔海莉 留依まきせ

有楽町の帝劇……ではなく、ビックカメラ7階にある有楽町よみうりホールにて、『CLUB SEVEN another place』を観てまいりました。

CLUB SEVEN、本当は毎年観たいのですが、今回でようやく通算3回目、3年ぶりの参戦が叶いました。

今回、上演時間が割と長いです。標準は1幕が1時間50分、休憩が20分、2幕が1時間15分、計3時間25分のようですが、途中でアドリブが入りまくるので、今回はなんと3時間40分にも及びました。

しかし、中身は芸達者なキャスト9名の全身全霊の歌、ダンス、そして笑いがてんこ盛りで、全く長丁場を感じさせない、観客を楽しませる仕上がりになっています。そして、キャストも、心身を酷使しながらも板の上で楽しんでいる雰囲気が伝わってくるのが良いのです。毎回思うのですが、玉野さんの身体の張り方が尋常ではありません。激しいタップダンスからスフィンクスまで、と書くと未見の方には何がなにやらかも知れませんが。

1幕は、歌とダンスのレビューや、どこかの映画やミュージカルで見かけたようなシチュエーションでのコントや、ミュージカル大喜利トーナメントなどのスケッチが、これでもかと展開されていました。某S社所属のキャストの方がオネエ役でいじられてゴムパッチンなどされてましたが、いいんでしょうかあれは😂

また、毎度おなじみの玉子とニャンコのコーナーでの観客いじりで、某北関東の県から毎回観に来ている女子小学生の方がいらしていましたが、2幕で主に吉野さんがかましていた下ネタは大丈夫だったんだろうか、といらぬ心配をしています。

ミュージカル大喜利トーナメントは、ちょっと『エドウィン・ドルードの謎』を彷彿とさせるシチュエーションでしたが、あれよりだいぶ小規模でばかばかしいです😂 ノリとしては昭和の歌謡バラエティ番組に近いかも? 毎日あれをやるキャストの皆様は本当大変だと思いますが、観客としては頭を使わずにただ笑いに身を委ねて観られるのは本当ありがたいです。終演後のハイボールが楽しみで公演中隙を見て冷蔵庫を開けてチェックする、などの楽屋落ちネタも多少ありますが、あくまで楽屋落ちであって内輪受けではないので無問題。

お笑いだけではなく、「風に立つライオン」のようにかなりシリアスな題材のスケッチもあり、歌もドラマもしっとりと見せて聴かせてくれるのが良いですね。ここのスケッチは私が見ていないA VERSIONでも「さだまさし系」だそうです(パンフレットのキャスト座談会より)。

1幕終了後、20分の休憩を挟んで2幕がスタート。

五十音順メドレーはだいぶ見慣れた今でも、あれを1時間以上ぶっ通しでやることに感服しています。特に北翔海莉さん。この体力勝負なショーを毎日2回公演やりたい、と仰ってましたが体力どれだけあるのでしょうか!?

内容はJ-POPあり、アイドルソングあり(嵐メドレーも!)、演歌あり、懐メロから最近の曲(新しい学校のリーダーズなど)、歌もダンスもそして笑いもしっかり魅せてくれて大満足。あっという間のようでしたが結局前述のとおり20分ほど押して終了となりました。

いつもだいたいCLUB SEVENは1公演1ver.しか観ないので、たまに別ver.も観たい、と思う時もあります。ただ結構長丁場なので体力的に躊躇するものが……。北翔さんの体力を見習わねば、ですね!

 

映画『侍タイムスリッパー』感想(2024.10.05鑑賞)

時代劇を題材にした映画『侍タイムスリッパー』を観てまいりました。
先に観た家族や公式サイトから、どうも元々は自主制作映画だったのが大評判で全国でロードショー公開になったらしいとか、なぜかヒロインの役者さんが助監督などスタッフも兼務しているらしいとかの情報のみを得た状態で映画館入り。

時は幕末、京の街。宿敵である長州藩士を討つべく仲間とともに待ち伏せ会津藩士高坂新左衛門。ターゲットとの真剣勝負に挑むも雷雨に見舞われ、突然の落雷が! 高坂が次に目覚めたのは見覚えのない街角。どうも江戸の街らしいが何だか人々の様子がおかしい。そう、ここは、時代劇が斜陽になりつつある2000年代の京都の撮影所だった。そして様々な出会いを経て、時代劇の斬られ役として生きていくことに……というのが序盤のストーリーです。
物語の性格上、後半部分のネタバレはできませんが、笑いあり、スリルあり、ほのかな甘酸っぱさあり、爽やかな感動あり、そして格好良い殺陣も満載、更に見方によってはライバルとの腐要素もありで、最後まで面白く、後味良く観られる映画でした。
太秦の撮影所を舞台にしていた朝ドラ『カムカムエヴリバディ』がお好きだった方にもおすすめしたい一本です。
キャラクターでは、高坂の設定が絶妙でした。比較的早期に自分の居場所が幕府滅亡から140年後の京都であることと、簡単に元の時代には戻れないことを悟るのですが、その後はそこまで苦労せずに1、2年で2000年代に馴染んでいるのが笑えます。
しかも身を置いているのが撮影所かつ芸能界なので、彼の風体や言葉遣い、口にする出自や事情も「個性」とか「そういう設定なのね」でかたづいてしまうし、多分戸籍や住民票がないとか多少のことは見過ごされるという😅
また、テレビの時代劇に激しくハートを鷲掴みにされる高坂や、「暴れん坊将軍(妄想)」を初めとする現実世界の数々の作品へのオマージュなど、コメディシーンとシリアスシーンとを問わず、作り手の時代劇への激しい愛が随所に込められています。
チャンバラの殺陣とホンモノの人斬りは違うのだ、という重要ポイントもしっかり笑いに昇華されています(そして伏線にも(略))。
なお、あまり詳しく書けないのが残念ですが、登場人物の1人である風見恭一郎が時代劇を演れなかった理由も演りたい理由も熱く切なくて泣けます。
高坂のライバル関係もまた良し。あれは腐要素が見出せると言ったら家族に咎められましたが、だって、あるじゃないですか……。
それから、何よりも、殺陣が本当に格好良くて、華やかなテレビの定番時代劇から、リアルを追求した映画の斬り合い、緊張感溢れる真剣勝負まで取り揃えているので、人間ドラマに興味のない人にもあの殺陣のバリエーションだけはぜひ観ていただきたい、と思います。
あと、ラストでは「えええええ!?」とリアルに声が出ました。その後の話が妄想し放題ですよ、あれは。

ところでなぜ現代(2020年代)ではなく2000年代が舞台? という疑問が映画館を出た後に残りましたが、その辺りは監督インタビュー(https://www.1st-generation.com/?p=22962)で理由が明かされていました。ただ、実際は、インタビューで明言されているそのことだけが理由じゃないだろう、という見解で私も家族も一致しています。

『モーツァルト!』帝劇千穐楽感想(2024.09.29 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト京本大我 コンスタンツェ=真彩希帆 ナンネール=大塚千弘 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=香寿たつき コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 セシリア・ウェーバー=未来優希 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=松井工 アルコ伯爵=中西勝之 アマデ=星駿成

モーツァルト!』の帝国劇場千穐楽(京本ヴォルフ・香寿男爵夫人・駿成アマデ)を観てまいりました。

終演後のカーテンコールでの小池先生のご発言によれば、今回がM!の666回目の公演だったようです。

「えっ、666って悪魔の子?」と連想してしまいましたが、6という数字は本日のヴォルフの中の人つながりで喜ばしいものでもあったようで……短絡的な昭和脳ですみません。

というわけで感想にまいります。

京本ヴォルフは前回は1幕で子犬っぽく見えたのですが、今回はそうでもなく。子犬というよりは反抗期を迎えたヘタレ坊ちゃん感が満載でした。ああ、この坊ちゃんにはまだまだ保護者が必要だし、誰かの愛を実感しないと生きていけなさそうだけど、そのことに対する自覚すらないヴォルフなのです。

8月末に観た時よりは京本ヴォルフ、着実に手練れてきている一方で、やや息切れしてきているようにも見えました。まだどこか迷いながら演じている、と言ってしまうのは穿ち過ぎでしょうか。カーテンコールのご挨拶でも、
「『モーツァルト!』は大変だよ、と言われてましたが本当に大変です」
とコメントされていて、試行錯誤の真っ最中な印象を受けたので、今後も変化するに違いない、と楽しみにしています。

アマデは今回も駿成くんでした。しかし前回古川ヴォルフで観た時と全く演技が違う! 古川ヴォルフと組んだ時はきかん気で、若き狼なヴォルフと一心同体なイメージでしたが、京本ヴォルフに対しては依怙地である一方で「全くしょうがねえなあ」と上から目線で面倒を見てやっているように見えました。もしヴォルフによって演技を変えているとしたら、恐ろしい子

香寿男爵夫人は、京本ヴォルフとの相性は良いと思いました。ヴォルフにも、常に彼と共にあるアマデにも、着実に心の琴線に触れ続けているのが伝わってきて、だから彼の岐路においてイマジナリーで現れて導けるのだ、と納得できる存在です。

真彩コンスはずっと書けてませんでしたが、1幕のウェーバー家での、所在なげで独り浮いている少女の佇まいが抜群だと思っています。

コンスについては、そのままのあんたが好き、と意図せずヴォルフに殺し文句を伝え、その流れのまま一緒になって彼の傍らに居場所を求めていましたが、その後のヴォルフとの関係の変化は、改めて振り返るとなかなか辛いですね。真彩さんの絶唱もまた本当に痛々しさを湛えていて……。

最終的にヴォルフが「別にこのままの僕を愛してもらわなくても生きていける」と思ってしまったため(思っただけ)、自分はもう必要のない存在だと解釈したのだ、というのは今回観ていて気がつきました。

それから、レオポルトパパ。彼の愛情は文字通り鋳物のように強固で重く、息子も自身も苦しめ、すれ違ってばかり。それは不幸なことだとばかりこれまでは思っていましたが、昔の演奏旅行の時など互いに互いを必要として幸福だった時期もあったわけで、まあ、親子であることによる幸せも苦しみも表裏一体ってことなのではないでしょうか。……と、今回、カーテンコールで市村さんが、初演から22年間で実生活で父親になり、(只今売り出し中の)息子もいて、父親とはこういうものかと実感している、とコメントされていたのを聞いて考えています。

ナンネール。女性であるがゆえに未来を色々諦めさせられているのは、やっぱり見ていてしんどいですね。ああ、朝ドラ『虎に翼』のトラちゃんを呼んできて「はて?」と言わせたい! と何度も思いました(すみません、あの世界観にどっぷりはまってましたので、今、だいぶロスがきています)。

なお、コンスの母と姉妹も、誰かを頼らないと生きていけなかった当時の女性であるためにあのような生き方になったと思っています。迷惑な人たちには違いありませんが、少なくとも自分を押し殺していない点だけはナンネールよりも幸福な気がしてなりません。

そして……猊下。ヴォルフにはけんもほろろの扱いを受けていますが、アマデには、男爵夫人のように特別な存在ではないにせよ、よく見ると決して嫌われてはいないのです。人権は束縛するけれど、やはり音楽を最大限に評価して、庇護してくれようとする存在だから? だとすると何だか切ないですね。

祐一郎猊下と京本ヴォルフ、このペアがトートとルドルフを演じたことはなく、役どころも全く違う、しかも京本ルドルフで『エリザベート』を観たこともないというのに、なぜか一瞬「トートを一個も友だちと思わず真っ向から拒むルドルフ」に見えました。コンサートで良いので一度この2人で闇広を聴いてみたいですが……無理かな、やはり。

ところで2幕の「神なぜ」で、猊下、作詞していませんでしたか?
♪音楽の摂理に 神の摂理が敗北するはずがない~
と歌っていたように聞こえたのですが……。なお、空耳にせよ何にせよ、もちろん猊下は何事もなかったように最後の♪音楽の~魔術~! を見事に決めてくださいました。

今回は東京楽、しかも現帝劇では最後のM!上演、更に666回目ということで、特別カーテンコール的なものがありました。

京本さんのご挨拶の後、初めに書いたとおり、小池先生がご登場。(話が長くなるから)客席に着席を促すのもお約束。666回通しで出演した市村さんと祐一郎さんに挨拶を振る先生。市村さんのコメントは前出のとおりで、観客としてもM!の歴史と市村さんの変遷に深く思いを馳せておりました。
祐一郎さんは、ご挨拶の代わりに、自らの口元に両手をそっと持って行き、ふうっとして、なんと客席全方位に投げキス! 少し間があって、あの穏やかな口調でただ一言「ありがとうございます」と締めていました。ありがとう、思いをしかと心に受け止めました。こんな技がごく自然に使えるのはきっと貴方だけです。いつもカーテンコールでB席の方までくまなくしっかり目線を送ってくれるのも、嬉しく見守っております。
そう言えば『エリザベート』の1000回記念公演、祐一郎トートの最後の名古屋公演の時もこんな感じだったような? と一瞬連想しましたが、今はあまり深く考えないようにします。

その後、客電を点した客席を背景に、舞台上のキャストが記念撮影。最後はキャスト全員で上手から下手へと銀橋渡りで締め括られていました。この銀橋渡り、アンサンブルさんはとりわけ嬉しかったのではないでしょうか。残念ながら今回ご病気で降板されてこの舞台に立つことが叶わなかったキャストの方のことも、ふと頭をよぎりました。

今回が最後の現帝劇詣でになる可能性が高いので、幕間や終演後に場内のロビーの写真を撮りまくり、さよなら、さよなら! という気分にどっぷり浸りまくりました。
ただ、M!という演目はこれから地方公演も控えていますので、遠征こそしませんが、できれば配信できちんと大楽を見届けたいと思います。

 

『モーツァルト!』感想(2024.09.16 12:30開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト=古川雄大 コンスタンツェ=真彩希帆 ナンネール=大塚千弘 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=香寿たつき コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 セシリア・ウェーバー=未来優希 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=松井工 アルコ伯爵=中西勝之 アマデ=星駿成

今季2回目の帝劇『モーツァルト!』、9月の1回目の連休最終日に、古川ヴォルフ&香寿男爵夫人で観てまいりました。

古川ヴォルフは、京本ヴォルフのような登場時の子犬感はありません。エネルギーと才能を持て余して血気盛んに吠えまくる若き狼なイメージです。声量もあるし演技も押しが強い!

そんなヴォルフの押しの強さに引っ張られてか、心なしか市村パパや真彩コンスのリアクションも強めだったように見えました。特に市村パパ。前半でものすごく息子に手を焼いて押しつ押されつしながらも心が通じ合えているように見える分、後半で「どうしてこうなった」な父子関係になっているのが痛々しいです。

他方で千弘ナンネールはブレないですね。どちらのヴォルフに対しても激しく葛藤して複雑な思いを抱きながら、それでも強く立って、結局ヴォルフを見放していないナンネールは、実はこの物語の中で最も真っすぐに生きられている人なのかも知れません。

アマデは今回は男の子、駿成くんでした。きかん気の強そうなアマデで、当たりが強めの古川ヴォルフとの相性は良かったように思います。

猊下は今回かつらも艶めいて、しかも若めの美丈夫の拵えなので、つい登場するたびに「何てキラキラなの!」「おお、今回も華麗なマント捌きの大盤振る舞い!」とオペラグラスでロックオンしてしまいがちですが、ヴォルフとの絡みの時はなるべくヴォルフも見るように心がけました。古川・京本の両ヴォルフともに、猊下に対峙する時はいつでも真摯に全力で刃向かっていますが、古川ヴォルフはその若さを誇るかのように激しく挑発的に吠えつく姿が大変に挑発的です。

猊下、1幕の「何処だ、モーツァルト!」では若干声が出にくくなっているように聞こえた箇所もありましたが、その後は特にそのようなことはなく終幕まで艶々としたお声を響かせていました。

このお話、ヴォルフを様々な形で愛して報われない人はたくさん出てくるわけですが、時々立場的にやむを得ない歪みはあれど、私の為にもっと奇跡の音楽を! と激烈にラブビームを送り続けているにも関わらず、一度も相思相愛になることなくヴォルフに嫌われ続けるのは猊下だけなのですよね(アルコも疎まれてますが別にラブビームは送っていないので別)。前半で散々嫌がらせした報いではありますが、2幕の「破滅への道」でそのままではおまえは壊れてしまうからこっちへ戻ってこいよ、と渾身のアプローチをして報われないのを眺めてやはり悲しくなりました。2021年公演の時も思いましたが、この時にヴォルフは本当の意味で1人で歩き始めたのと引き換えに神様の恩寵も断ち切った、と私的には解釈しています。

香寿男爵夫人は……癒されます。涼風男爵夫人の凛々しいオラオラな気っぷのよさも、香寿男爵夫人の穏やかな説得力の無敵さも、どちらも大好きです。

それから、真彩コンスと古川ヴォルフとの関係性について、古川ヴォルフはコンスへの愛情に嘘はないのですが、コンスが最後に言った通り、本当に愛しているのは自分の才能だけ、と申しますか、アマデと一体不可分な感じが非常に強いのですね。これではコンスはヴォルフに尽くし甲斐もないでしょうし、合うわけがないでしょう、と思わせるカップルです。

アマデと「一体不可分」と書きましたが、今回、古川ヴォルフと駿成アマデのシンクロ度合いがあまりにも高くて驚かされました。この2人なら、過酷な道行きの終着点は1つしかない、と、これまで観てきた『モーツァルト!』の中で最も納得が行った気がします。

今季公演の手持ちチケットは帝劇公演残り1回のみ、古川ヴォルフで観るのはこの日だけでした。香寿男爵夫人の温かい光に包まれて思いがけずデレる若狼だけでなく、涼風男爵夫人に煽られて燃え盛る若狼も見てみたかった、残念! と惜しんでいたら、どうやら11月末、博多座の前楽(京本ヴォルフ・香寿男爵夫人)と大千穐楽(古川ヴォルフ・涼風男爵夫人)の配信が決定した模様。これは是非観たいところです。現在の本業は以前よりは月末・月初処理に追われることは減っていますが、さて、時間作れるかな……?

 

『モーツァルト!』感想(2024.08.31 17:45開演)

キャスト:
ヴォルフガング・モーツァルト京本大我 コンスタンツェ=真彩希帆 ナンネール=大塚千弘 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=涼風真世 コロレド大司教山口祐一郎 レオポルト市村正親 セシリア・ウェーバー=未来優希 エマヌエル・シカネーダー=遠山裕介 アントン・メスマー=松井工 アルコ伯爵=中西勝之 アマデ=若杉葉奈

帝劇クロージングラインナップ公演として3年ぶりに上演されている『モーツァルト!』を観てまいりました。

今回のメインキャストのうち、京本大我くんと真彩希帆さんは多分初見です。メスマーとアルコも前回からキャストが代わってますが初見かは自信なし。

中西アルコの歌声が聴きやすくて綺麗でした。アルコはコメディリリーフだからか、以前はどちらかと言えば演技力重視でキャスティングされていたイメージがありますが、前回の阿部裕さん辺りから歌唱力重視になってきた気がします。

ということで所々飛ばしながら全体の感想に入ります。例により軽いネタバレはありますので、未見の方はご注意ください。

1幕序盤の真彩コンスタンツェがすっかりオバさん……もとい、貫禄のある雰囲気を打ち出していて視線が引きつけられました。墓場場面のコンスにあまり着目したことがありませんでしたが、良く考えたらヴォルフの死後、再婚もして、やや年齢を重ねているのですよね。

アマデの子役は顔立ちがきりりとしているので最初男の子と思っていましたが、葉奈ちゃん、女の子でした。涼風男爵夫人は今回もにこやかに雄々しくて簡単に信念がぶれない、社交界を肩で風を切って渡る女性として、堂々とセンターで歌っていました。

京本ヴォルフ登場。歴代ヴォルフの中では最も幼くやんちゃな印象です。自分が持っている才能も家族の愛も(そしてお金も!)永遠にそのまま失われず、特に何もしなくてもそこにあって当たり前と信じて疑わない、可愛らしい子犬。この時代のアマデとのじゃれあいが実に愛らしいのです。

そして、いよいよコロレド猊下登場! あっ、マント捌きが今回もカッコいい! ビジュアルもキリストのようで(性格はともかく)神々しい! でも楽譜を投げる時はほどいたリボンも丁寧に近くに投げる!(後でアルコが拾うからね) ああ、楽譜を嬉しそうに眺めてから去っていく後ろ姿も美しい!

……と、猊下を追いかけていたら、猊下の館でのレオポルトパパやヴォルフをチェックするのを本気で忘れていたという体たらくでして、ああ、情けなや。

パパは今回も市村さん続投ということで安堵しています。この南部鉄器のようなストイックさと、不器用な愛情と愚かしさとをここまでごく自然に体現できる方は限られていると思います。あと、歌う時に昔よりも声が出ているような気がするのは気のせいでしょうか?

千弘ナンネールは強さが前面に出ていると感じました。ナンネールは、父や弟への愛情に様々な激しい葛藤が根ざしていて実は大変難しい役だと考えていますが、あの弟に振り回されまくる人生を送りながらどこかどっしりと構えていられるのはナンネールの精神的な強さゆえに違いない、と、千弘ナンネールを見ていて気づいた次第です。

セシリアママは今回から未来優希さんに交替です。前任の阿知波さんからそんなに大きく役作りを変えている印象はないものの、若干猛々しい感じのセシリアでした。

最初の挫折を味わったヴォルフの「残酷な人生」、京本くんの声質の良さもあって素直に心にしみていきます。

遠山シカネーダーはすっかり定着しましたね。最初に役を引き継いだ時には大変申し訳ないながらどこか借り物感が否めませんでしたが、今はセンターで欠かせない存在になりつつあります。

居酒屋の場面の後の逢い引き場面、京本ヴォルフ、可愛いのですがもう少し色気も欲しいような……。涼風男爵夫人の「星から降る金」はどこか気っ風の良い姐御が坊やを昂然と煽る雰囲気が漂っており、母性溢れる香寿男爵夫人と対極的、それぞれに魅力があって好きです。

猊下の馬車の背景、他の場面の背景もそうですが、今回は絵画調のものが映し出されています。この場面の猊下の「私が(名声を)独占するのだ」のドヤ顔を見ると安心します。

プラター公園の場面のヴォルフの「並みの男じゃない」、こちらも子犬が暴れてる感じで可愛いかったです。

そこから猊下の「お取り込み」場面へ。ここも油断すると猊下のシュッとした佇まいや罵倒する声の美しさに気を取られてしまいますが、頑張ってヴォルフを確認。子犬が全力で鎖を断ち切った後に改めて事の重大さを噛み締めながら歌う声を聴いて、多分この演目を見始めてから初めて「ヴォルフ頑張れ」と思いました。親戚筋の可愛い子を見守るオバさん的なものに近い気持ちを抱いていたかも知れません。

2幕では、初っ端にまた涼風男爵夫人の姐御ぶりを堪能しまくりました。

京本ヴォルフは、繰り返しになりますが、自分が元から持っているものや手に入れたものは決して自分から離れていくことはないし、裏切っても許してくれる、と少なくとも2幕前半までは信じ込んでいたように見えました。

前々回の2018年公演辺りから、コンスがヴォルフよりだいぶアダルトな雰囲気になっていますが、真彩コンスも例外ではありません。ただ、あのヴォルフ愛の強すぎるモーツァルト家のパパや義姉とは相容れないでしょうね。

ヴォルフの人生がきしみ始める中、再びの猊下登場。彼の歌声が力強いほどに、男爵夫人とはまた違う形でヴォルフの才能に注ぐ愛憎半ばする思いの強さが伝わってきました。パパが新たな天才を連れてくる、と言った時に一瞬本気で期待しているのが泣けるのです。

オポルトパパの噛み合わない息子への愛情も寂しいですね。どうも前回公演あたりから、パパの不器用な父性に寄り添う気持ちが強くなってきています。……年齢?

こうして振り返ると、『モーツァルト!』って、対象は人間ヴォルフだったり神童アマデだったり、あるいは両方ひっくるめてだったりと様々ですが、みんながヴォルフガング・アマデウスを愛しているのに、本人(たち)とは盛大にすれ違う物語なのだと実感しています。

2幕で最も印象に残った場面の1つは「破滅への道」でしょうか。それまで対立する権力者と芸術家という立ち位置でしかなかった猊下とヴォルフが唯一真正面から対峙するのがこのデュエットです。

最初にこの曲が追加された頃には突然の猊下の街角への出現に違和感が満載でしたが、今回は現れ方もだいぶ自然な段取りになっていたと感じました。猊下と京本ヴォルフ、2人の声、結構相性が良いようで、お互いを殺さず、覆い隠さず、対等にぶつかり合って共鳴していたと思います。ヴォルフに対する猊下の激しい執着がどこまで行っても報われることのない片想いなのが哀しくて、でもそれが良いのです。

そして、この物語はヴォルフが永遠と信じ込んでいたものが次々に手元を離れていく過程でもあります。唯一、時にヴォルフの心の拠り所、時に疎ましい存在であった才能だけが最後に残って、自身はそれなくしては生きていけないと悟った時には……というお話。アマデもまた、誰よりもヴォルフを愛し、憎みますが、ヴォルフという媒体となる人間がいなければこの世に関わることが許されません。

無邪気な子犬が絶望の底に落とされた後にそうした悟りに至るまでの魂の悲鳴を上げながらの変革を、京本ヴォルフが2幕で好演していました。若干、彼を二世アイドルと見くびっていた自分を反省しています。

今回の上演回の感想は以上です。

今季の『モーツァルト!』帝劇公演は、あと二度ほど観る機会があります。古川ヴォルフで一度観た後に、もう一度京本ヴォルフを観る予定です。果たしてその時に京本ヴォルフがどのように変化してくれているか、楽しみにしています。

 

『モンパルナスの奇跡』感想(2024.06.16 12:30開演)

キャスト:
アメデオ・モディリアーニ浦井健治 レオポルド・ズボロフスキー=稲葉友 ジャンヌ・エビュテルヌ=宮澤佐江 アンナ・ズボロフスカ=福田えり デカーヴェ警部=俵和也 ポール・ギョーム=大津裕哉 ヴィクトル・リビオン=鎌田誠樹 ルニア・チェホフスカ=秋本奈緒美

よみうり大手町ホールにて6月15日から上演されているミュージカル『モンパルナスの奇跡』を観てまいりました。

画家モディリアーニを描いた物語は古の映画『モンパルナスの灯』などがありますが、今回の上演の話を耳にした際には、10年以上前に観た荻田浩一演出・吉野圭吾主演の『傾く首』を思い起こさずにいられなかったわけでして。あの作品のズボロフスキーはモディが亡くなった途端に飲んだくれ天才ユトリロに乗り換える、画商としては割とシビアな人として描写されていた覚えがあります。

対して今回の演目では、ズボロフスキー(レオ)は割といい人に描かれていました。いや、本当にいい人なんですが、芸術家をプロデュースして芸術作品を売ることを生業とするには、一番不向きなタイプの人が画商になってしまったのではないかというもやもやがどうにも拭い去れず。画商としては、情報収集力もあり強かなギヨームの方が遥かに賢い生き方だと思うのです。

モンパルナスの“奇跡”とは何だろう、と、終演後からずっと考えていましたが、多分、メインの5人同士のピュアな関係性そのものが“奇跡”なのかな、と思いつつ、モディとレオ、モディとジャンヌは“出会ってはいけない人たち”でもあったのでは? ともつい考えてしまうのでした。

この演目についてはあまりオブラートに包んで語れないので、以下、軽くネタバレありの感想です。

浦井くんのモディリアーニ役については、最初に聞いた時には大変失礼ながら「彼のイメージとは違うな」と思っておりました。

これは浦井くん自身のせいではなく、私の中でのモディリアーニ(ジャンヌも)は、本人の写真が残っておりそのイメージが強烈なのに加え、映画『モンパルナスの灯』の憂いに満ちた美男子ジェラール・フィリップのビジュアルも脳裏に刷り込まれてしまっている、というのが大きいです。

それらのパブリック・イメージから観客を引き離そうとする試みなのかは不明ですが、今回舞台上に現れた浦井モディはなぜか長髪で金の刺繍入りの紺色のコートを纏っていたので驚きました(私の中では密かに「黒ヴォルフ」と呼んでいます)。浦井モディはビジュアル的には最後まで違和感が残りました。

一方で、1幕の最初登場した時の、社会への苛立ちと余命への焦りとで本能のまま野獣のように生きていた浦井モディが、愛や友情に目覚める過程で徐々にデレる、もとい、次第に人として成長していく変化に惹きつけられ、目が離せなくなっていました。

浦井モディの1幕のカフェのシーンでの世界中に挑みかかるようなドスの利いた歌声と、2幕前半の空襲下の悲痛な歌声、そして終盤の望郷と家族への愛を優しく語る歌声とは、とても同一人物のものとは思えないほどで、これらを聴くためだけでもこの舞台を観る価値はあると思います。

モディと同じ芸術家同士として損得を超えた友情を保とうとするレオ役の稲葉友さんは、今回が初ミュージカルらしいですが、とてもそうは見えず、ほんわり温かで聴きやすい歌声を聴かせてくれていました。レオのイメージにも合っている印象です。

ジャンヌを演じていたのは以前に『王家の紋章』などで浦井くんと共演経験のある宮澤さん。若干歌が弱い感はあるのですが、ピュアでひたむきで時に懸命に小悪魔ぶろうとしたり。終始危うさを抱えた少女の人物像をごく自然に演じていました。実は実在のジャンヌが命を絶つ時にお腹にもう一人、という話がどうしても自分は許せないのですが、この演目でもやはりそこには触れづらかったのでしょうか……。

レオの妻アンナ役は福田さん。これまでもアンサンブルで参加されている舞台を観ている筈ですが、役付きで拝見するのは恐らく初めてです。レオと同じく温かい歌声に癒やされました。

アンナはメインの登場人物5人の中では最も「普通の感覚の人」です。夫を心から愛し、モディ夫妻にも優しくて、でも序盤で「私たちはこの時(伝説が生まれた時)のために耐えてきたのよ」とも口走っていて、ラストでナレーションで語られた顛末もあり、何か、彼女を悪者にしてしまいがちだけど、そうはしたくないな、と思いながら観ていました。

ルニア役は秋本さん。さすがの歌唱力、と歌声に聴き入りました。ルニアは竹を割ったような、男女問わず慕われるタイプの大人の女性。2幕でモディへの秘めた想いが絶望で綻びた心の裂け目から漏れ出る場面がありました。モディが丁重にお断りしたのは、彼にはもうジャンヌがいたから、という以上に、ルニアには最後まで一線を画した憧れの存在でいて欲しかったんでしょうね。ちょっと切ない二人の場面でした。

再度レオについて触れますと、2幕の終盤でレオがモディに土下座して、モディがレオを許す、という場面。
「えっ、元々無茶を言ったのはモディで、その無茶を阻止するためにレオはダメ元で行動しただけだから謝る必要はないし、あとああやって土下座されたらモディは許すしか選択肢がないでしょ?」
とひとりで客席で2人の純粋さにイラついてしまっていました。改めてやっぱり、あの2人の存在自体がひとつの奇跡だという気がし始めています……。

最後によみうり大手町ホールについて。お初のホールでしたが、読売新聞社の中にあり、大手町駅から直結で行けてアクセスも良く、音響も悪くなかったと思います。ただ、大手町はビジネス街なので日曜にランチできるお店が少ない😅 ホテルでゴージャスにいただくか、コーヒー屋さんで軽く済ませるかのどちらかになります(私は迷わず後者を選択)。日曜は、歩く元気と時間がある場合は東京駅周辺で食事を済ませてくることをお勧めします。

 

『この世界の片隅に』感想(2024.05.25 17:45開演)

キャスト:
浦野すず=大原櫻子 北條周作=海宝直人 白木リン=桜井玲香 水原哲=小野塚勇人 浦野すみ=小向なる 黒村径子=音月桂 すずの幼少期=嶋瀬晴 黒村晴美=大村つばき

日生劇場にてミュージカル『この世界の片隅に』を観てまいりました。

音楽は、シンガーソングライターとして知られるアンジェラ・アキ。彼女が活動休止してアメリカに渡っていたことは耳にしていましたが、現地でミュージカルを学んでいたことは今回初めて知りました。パンフレットの記載によれば、東宝さん、アンジェラが活動休止した頃からコンタクトを続けており、本作の企画はコロナ前から進んでいた模様なので、満を持しての制作だったようです。

まず客席に入ると、かなり傾斜がきつそうな八百屋舞台が目に入ります。開演後は盆も回っていたので、これは役者さんの動きがなかなか大変なのでは? とも最初のうちは思いましたが、劇が進行するにつれその辺りはほとんど気にならなくなりました。

全体的な感想としては、原作の軽妙さと重さ、優しさと苦さが織りなす独特の世界をよくぞここまで舞台として料理した、という一点に尽きます。歪んだ世界は本当に歪んで見えたし、桜もきちんと咲いていました。

他方で、原作ではあえて直接的に描写されなかったと思われる残酷な場面があえて描写されていたと思えば、逆に原作では意識的に「呉から見えたのはこの形」として見せていたイメージが台詞でしか描写されなかったりもしていたので、その辺りの匙加減の意味は一体どこにあるのだろう? と考えると少しだけもやっとするものがあります。

ストーリーテラー的に場面の節目に登場する登場人物が複数いましたが、最も多く語り手として登場するのは、私的には結構意外な人でした。それとは別に、幼いすず(子すず)さんが時に俯瞰的に、時に大人すずさんの代弁者としてちょくちょく現れて、曲のソロパートを担ったりする(しかも難しそうな曲を)のも面白かったです。

なお、実は今の今まで「なんで子すずさんが?」と今一つわかっていなかったのですが、そうか、子すずさんこそがこの物語の原点だからか! とようやっと腑に落ちました。ニブすぎ……。

子役はもう一人、晴美さんほかを演じる、少し年少の子役さんも登場します。子役さんがとても重要な役割を担うお話で、自分の役割を十二分に果たしていたと思います。

音楽については繊細かつ技巧的で複雑に作られていることが窺える一方で、骨太な印象を受けました。

すずさんは思ったことをずけずけと口にするのではなく、極めて芸術家的な鋭敏な感性とテンポで、語るよりも行動する人なので、内なる心情を歌で語るミュージカルという表現は実はとても合っているように感じられました。ただ、だからと言って、他人から「ぼうっとしている」と評されがちなすずさんがあまり歌で語りすぎても不自然なので、そこはひと工夫が凝らされています。

初演物なので核心は避けますが、以下、いくつか印象に残ったポイントを記します。

まず、序章が原作どおりの時系列ではなかったので、「そう来たか!」という感じでした。その場面に登場人物が至るまでに一体何が起きたのか? を見せていく形式で構成されています。原作は読んでおくに越したことはありませんが、この構成なら恐らく未読の方でもついて行きやすいように思います。

また、すずさんの心に微かな綻びが生まれるごとにメロディに増していく不協和音。これが心になんとも言えない不安をかき立てていくわけでして。いつしかすずさんの痛みにシンクロするように胸苦しさを覚えていました。

一つ疑問だったのは、1幕ラスト。あれ? あの時点でリンさんってすずさんの正体に気づいたっけ? 気づいた方がその後の話の流れとしてはスムーズだと思うけど、あそこで気づいたんだっけ?? という点が気になって落ち着かず。

舞台のリンさんについては自ら消えることを望んでいたような描写もあって、ううむ、ちょっとそれはどうなんだろう、と思いながら観ていたわけです。でも、同時に極めて魅力的な人物としても描かれていたので、桜井さんの楚々とした雰囲気と暖かな歌声も相まって、すずさんの次に強く印象に残りました。

また、径子さん。すずさんと真逆の一見キッツいキャラクターなのに加えて、ある事件が起きたがためにすずさんに一時激しい葛藤を抱くのですが、すずさんが知らずに課せられた「あの変な女ではない(身元正しい)従順な嫁」という立ち位置の不安定さを家族の中で最も深く見極めているのも、多分径子さんです。

その辺りのすずさんへの理解の深さが形になって現れているのが、2幕で絶望の底にあるすずさんに径子さんが語りかけるソロナンバーだと思います。歌詞の内容はだいぶ現代的な人生の応援歌なので、あの時代の女性の口から出た言葉としてはやや違和感が……いや、径子さんはモガだからそこは良いことにします! 良い歌でしたし。音月桂さんの力強い歌声も好印象です。

そして、周作さん。私、原作、アニメ映画、実写ドラマと色々なメディアでこの物語を観てきましたが、未だに彼のことをあまりきちんと理解できていません。しかし、海宝さんの周作を観て、単純に彼は、目の前の愛おしい存在に対してそれぞれに誠実に向き合っただけななのだ、どちらがどうというわけではなく、どちらに対しても誠実に愛情を注いでいるのだ、と少し考えられるようになりました。

最後に、本作についてはまだ書き足りませんが、もう少しブラッシュアップの余地はあるものの、佳作だと思います。東宝さんには、再演しながら丁寧に育てていただきたい作品です。

『カム フロム アウェイ』感想(2024.03.16 18:00開演)

キャスト:
ダイアン&その他=安蘭けい ニック&その他=石川禅 ケビンT&その他=浦井健治 ボブ&その他=加藤和樹 ジャニス&その他=咲妃みゆ ボニー&その他=シルビア・グラブ ケビンJ&その他=田代万里生 クロード&その他=橋本さとし ビバリー&その他=濱田めぐみ ハンナ&その他=森公美子 ビューラ&その他=柚希礼音 オズ&その他=吉原光夫

前週に引き続き、2回目の『カム フロム アウェイ』、観てまいりました。

「おけぴ観劇会」貸切ということで、ポストカードのほか、おけぴさん恒例の人物相関図の配布がありました。開演前にその相関図を眺めていて、初回観劇時はストライキ中に搭乗客の輸送対応をすることになったスクールバスドライバーさんたちの動きをだいぶ見落としていたことに気がつき、今回はその辺りに目配りしてチェックすることができました。感謝です!

合計100名以上の人物が入れ替わり立ち替わり登場するステージは、ビジュアル要素が最小限に削ぎ落とされ、その場で瞬間的に管制塔にも航空機内にもバスにも、町役場にも町のカフェやバーにも何にでも早変わり。シンプルな分、身体表現も音楽表現もごまかしが効かず、直球で客席に響いてきます。

前回は、あらすじと素早く役変わりするキャストの動きを追うだけで精一杯でしたが(そして全ての動きは追い切れず……)、今回の公演では12名のキャストが豊かな歌声、そして手練れのバンドメンバーがアイリッシュケルト楽器を駆使して一体になり生み出す「音楽の底力」的なものを感じて受け止めることができたように思います。

歌は特に万里生くんとモリクミさんの美しいデュエットと、黙祷の場面での浦井くんのソロの優しい歌声が印象に残りました。以前『ゴースト』の時にも同じようなことを感じましたが、本作のような「普通の人」の役に回った時のモリクミさんは、意外にも深い味わいの歌声と繊細な演技を見せてくれるのが良いです。

また、毎回心に響く場面は少しずつ異なりますが、やはり「思い煩うことなかれ」は外せないです。この聖書のピリピ書の言葉は地元のスクールバスドライバーと外国人搭乗客の間で交わされたものですが、意味を調べた所、
「今の境遇を思い煩うよりもまず神に祈り願い、人知を超えた存在に心を委ねることで、自分の心に安らぎを見出しましょう」
ということのようなので、まさに受け入れた側と迎えられた側の両方に通じる言葉だと思いました。

特に受け入れる側では町民がクリスチャンかそうでないかに関わらず、思い煩うよりも先に相手の気持ちや立場に寄り添うことに尽力したというのが本作の肝だと考えています。そうしてそのように努力してはいても、異教徒、特に9.11の事件で針のむしろに座らされた無関係のムスリムと心から打ち解け合えるには多少の紆余曲折があったり、ケビンJのようにマイノリティとして受けてきた心の傷に起因する繊細さゆえにコミュニティに溶け込むことの難しさを抱えていたり、といったエピソードを容赦なく描いているのもまたこの物語のリアルなのです。

航空会社の人々については、濱田めぐみさん演じるアメリカン航空の女性パイロットの草分け的存在の方の、積年の苦労に根ざした毅然とした振る舞いも心に残りました。ムスリムの搭乗機への乗務を拒否したCAを見てどう思ったのでしょうか……。あと、ちょこちょこ出てきて地元の女性町民の心に爪痕を残した人たらしのパイロットについて、あまり人物像は深掘りされていなかったので、一体どういう方だったのかが少し気になりました。

観れば観るほどに、この作品について軽々しく語るのがどんどんおこがましいような心境になっていますが、エンディングでとても感慨深い気持ちになれるのは何回観ても変わりありません。ミュージカルで定番のツッコミネタにされる「なぜ全員で大合唱する?」が、この作品においてはとても重要な意味を持っていて、舞台に登場したのべ100名以上の人物全員の思いがこのエンディングに込められていると感じられました。

カーテンコールでは、貸切公演ということで、橋本さんの仕切りのもと、当日が誕生日だった「ゆうみちゃん」こと咲妃さんからご挨拶がありました。この舞台が終わってほしくない、というようなことを仰っていて、ハードな演目に日々挑戦している手練れのキャストの皆様の結束の強さが言葉の端々に顕れていたように思います。

以下は余談です。

今回の観劇ではちょうど目の前が車椅子用スペースでした。出入り口最寄りの端席とは言え比較的前方の席で、付き添いの方の補助席設置も考慮したスペースになっていて、観劇前後のスタッフの対応もスムーズであったように見えました。以前に自分が体調を悪くしていた時にも感じましたが、日生劇場はこの辺りの対応が本当行き届いていて良いです。劇場の作り自体が空間に余裕があり、配慮しやすいというのもあるかも知れません。最近、シネコンでの車椅子ユーザ鑑賞拒否問題があったので、全ての施設で同じような対応を一律に行うのは現実問題なかなか難しいでしょうけれど、それでも対応できるような環境作りは進めてほしいな、と思いました。

『カム フロム アウェイ』感想(2024.03.09 13:00開演)

キャスト:
ダイアン&その他=安蘭けい ニック&その他=石川禅 ケビンT&その他=浦井健治 ボブ&その他=加藤和樹 ジャニス&その他=咲妃みゆ ボニー&その他=シルビア・グラブ ケビンJ&その他=田代万里生 クロード&その他=橋本さとし ビバリー&その他=濱田めぐみ ハンナ&その他=森公美子 ビューラ&その他=柚希礼音 オズ&その他=吉原光夫

日生劇場にて2024年3月7日に初日を迎えたミュージカル『カム フロム アウェイ』を観てまいりました。

この演目は、2001年9月11日に発生した同時多発テロ事件(所謂「9.11」)のとばっちりを受けてカナダの小さな町「ニューファンドランド」に緊急寄港した航空機の搭乗客と、突然彼らを迎え入れて支援することになったニューファンドランドの人たちが体験した実話を元にしたという5日間の物語です。

1幕物100分。休憩なし。開演前の御化粧室への立ち寄りは必須です。
また、12名の超豪華プリンシパルキャストにより演じられます。他よりもエピソードにスポットがやや多めに当たり、事態解決後の来し方も語られる人物こそあれど、基本は各々のキャストが何役も演じる群像劇なので、一人当たりの見せ場は決して多くないということを頭の片隅に置いてから観た方が良いと思います。

開幕して間もなく、これは人間が起こしたテロという名の災害に、間接的に被災した人々がいかにして対応したか? というお話なのだと気づきました。もちろん目的地ではない見知らぬ町に突然着陸された上に、安全上の理由によりろくに情報も与えられず長時間機内に待機させられた搭乗客たちが最も過酷ではありますが、非常事態宣言により仮宿泊所開設、支援物資調達などの災害救援体制に突入した町の住民たちもある意味で被災者です。

そのように突然の非常事態に巻き込まれたにもかかわらず、人間の老若男女、民族、国籍を問わず親身に受け入れに務め、さらに貨物として積み込まれたペットたちの世話も買って出る地元住民たち。当初理不尽な状況への憤りや不安に苛まれていたが、次第に自ら炊き出し、トイレの修理など仮宿泊所運営にも積極的にかかわっていく搭乗客たち。毎年何かの災害が起きている日本の人としてはつい劇中の当事者たちの災害対応の素晴らしさに感激していました。特にシルビアさん演じる動物愛護団体の女性の視点から語られたペット問題は、本年1月の羽田空港の航空機衝突事故により起きた悲劇が報道されたばかりでしたので、身につまされながら観ていました。

また、民族や宗教、そしてLGBTQの問題にもしっかり触れられているのは、さすがアメリカ製ミュージカルだと思った次第です。例えば、母語が異なるクリスチャンの搭乗客同士で、相手が見ていた(非英語の)聖書の節番号を通じて解り合う場面を描きつつ、ムスリムヒンズー教徒の乗客に祈りの場を提供する場面も織り込まれています。

一方で、9.11の事件の性質故に無関係のムスリムが理不尽な目に遭った事実も描かれていていて、なかなかの容赦なさを覚えました。

このほかに印象的だった場面としては、乗客のゲイカップルが現地の酒場に出向いてうっかり自分がゲイであると口を滑らせてしまい、迫害も覚悟した所に地元民が「うちの娘もゲイです」「うちのおじいさんもバイです」などと口々に言い出して救われるエピソードに心がほっこりしました。まあ、当該カップルの顛末は……でしたが。

物語には複数のカップルが登場し、同じ物を見聞きしている筈なのにある者は些細なことで心がささくれ立って離れていき、別の者は一時のつり橋効果と思いきや……というドラマがあり、これにも人生の陰影深さを感じました。

全体としては心温まる展開なのに、単純にハッピーエンドで済ませない、光にも陰にも手を抜かない作り手の姿勢が伝わってくる演目でした。

100分間ノンストップの演目。豪華キャストと書きましたが、これは決して人寄せパンダ的な何かではなく、「素晴らしい力量を歌も演技も余すことなく味わえる贅沢なキャスト揃い」という意味です。この12名の豪華キャスト(プラス陰で支えるスタンバイキャストの皆様も!)だからこそ、この演目は成り立っていると思います。

そしてキャスト共に観客も完走したような観劇後の満足感! 実際は観客として固唾を呑んで見守っていただけでしたが😅、極めて濃密な時間を劇場で過ごさせていただきました。

……で、実は来週もう一度、この演目を観劇予定なんですよね。観るだけで気力体力を使う舞台なので、できればコンディションを整えて臨まねば、と覚悟を決めているところです。頑張ろう。

『Yuichiro & Friends -Singing! Talking! Not Dancing!-』感想(2024.01.21 13:00開演)

シアタークリエにて、通称「祐友」コンサートを三たび観てまいりました。今回は自分にとってマイ楽、そして唯一の前方席(しかも最前列)でした。

後半日程の1月18日から一部曲目が変わるという話でしたが、1幕、2幕のオープニング、エンディング、そしてアンコール曲は一緒でした。

ゲストのうち綾ちゃんと浦井くんを観るのは初回でしたが、今回の公演で禅さんと浦井くんは楽日。しかも知寿さんと綾ちゃんの組み合わせも大阪を含めて最後だそうです。

綾ちゃんの1幕ソロ曲は、まあこのメンバーならこの曲を入れてくるだろう、と納得。ご本人曰わく、該当演目の1幕ラスト曲なので「カロリー消費の激しい曲」だそうです。

禅さんと知寿さんの1幕ソロ曲には変更なし。改めて『雪の華』を聴きましたが、禅さんの声、この曲との親和性がとても高いと思います。

浦井くんも今回が楽日なので曲目を書いておくと、アニメ『クラシカロイド』の『六弦の怪物』というギターサウンドにのせたロック曲でした。初っ端に本日の公演の大入り袋を下手階段途中の祐一郎さんのポートレートにかざす、というパフォーマンスがありました。どこからその発想が? そして全員登場で案の定ホストな方に「浦井健治のロックコンサートへようこそ!」と煽られる浦井くん……。

以下、楽日だった方の話題を中心にお伝えしますが、若干のネタバレはありますのでご注意ください。

綾ちゃんと浦井くん、意外にも共演経験は知寿さんもご出演の『ブロードウェイと銃弾』のみだそうです。この『ブロ銃』について、綾ちゃんが自身の役を「パッパラパーで大根女優なので殺されてしまう役なんです!」ということで、断末魔で水に沈んだ時のブクブクする音を唇に指を当てて出した、というエピソードを実演付きで披露。あっ、口紅で指が……となった瞬間、祐一郎さんがそっとあぶらとり紙もしくは紙ナプキンを彼女に差し出すという気遣いを発揮し、綾ちゃんにいたく恐縮されていました。

今回、非常に珍しいことに、ご自身の楽日ということでネタを色々仕込んできたと思しき禅さんが語りまくり、また、全方位からいじられまくっていました。ほぼ禅さん回。またいじる全員が禅さん大好きなのがひしひしと伝わってくるのですよ……。

その禅さん、◯ォー◯ーズで有名なショートブレッドのレシピを材料の分量からすらすらと誦じながら紹介されていました。聞くだけで美味しそうで、若手2人からはなぜこの流れでここに持ってこないのか、と突っ込まれ、祐一郎さんはよだれを堪える事態に陥っていました。浦井くんによれば前日の別作品のお稽古場でもレシピを一所懸命覚えていたとかいないとか? なおレシピですが、知寿さんかどなたかの「これ2幕最初の歌で爆笑したら忘れるよね」という呪いの言葉どおり、カルディで買える小麦粉を使うという以外のことは記憶にございません。

現在お稽古中の作品の稽古場でも、当日の楽屋でも一緒。しかし楽屋が同じことを劇場入りした禅さんに忘れ去られ「うわっ!」と驚かれたという浦井くんからは、『エリザベート』で祐一郎さんからは褒めて伸ばされましたが禅さんからは叱って伸ばされた、というお話が。しかし禅さんの証言では、日生劇場の神棚の真下でルドルフの台詞「ママも僕を見捨てるんだね」をぶつぶつ練習していたために寿皇太后様がお参りできず困っていたので「どいてくれない?」と声がけしたのが真相だとか。それ普通に「浦井が悪い」だよね😅、と思いながら聞いていました。

浦井くんは1幕で綾ちゃんと、じゅうたんが出てくる某演目の曲をデュエットしていましたが、なぜか歌いながら綾ちゃんを舞台下手に追い詰めるモードに。後のトークでの釈明によれば、どうも相手により「じゅうたん」が変わるらしく、どういうわけか綾ちゃんの場合は某ランプの魔人のじゅうたんになってしまったようでして。禅さんも知寿さんから「稽古場で台詞全体のスピードを上げて演じてみるレッスンの時にも自分の台詞ペースを崩さないほどマイペース」と突っ込まれており、その陰に隠れていましたが、やはり浦井くんも相当な大物であると思います。

あとは2幕だったと思いますが、TdVの教授とアルフの掛け合いで、本来は、
ア「3番目と4番目の間!」教「何の?」ア「肋骨です!」教「正解!」
となる場面でうっかり教授が、
ア「3番目と4番目の間!」教「正解!」
と台詞を飛ばした時、某I三郎アルフが「肋骨ですね!」とナイスアシストしたお話や、浦井アルフが自分の楽日のお墓シーンで「飛びます!」とマフラーを回し始め「飛べませんでした」で落としたお話などをされていました。教授とアルフでは遊びを入れすぎて演出家氏(今回のコンサートの演出も担当)にお叱りを受けたとか。そして初代教授の存在を言葉のアヤでうっかり過去形にしてしまい、先輩男女2名からいけないんだー、みたいにいじられる禅さんでした。

なお禅さん、
「芸術座という劇場が、昔ここにあった東宝のビルの4階にありました。初代の水谷八重子先生も立たれていた劇場で、それが今のクリエの前身。祐さんがとあるお腹を召された先生と出会ったのが、その先生が亡くなる前の年の1969年(別の公演日にこのお話が出ていたそうです。以前、林真理子さんも対談の後書きで少し言及されていた覚えあり)。芸術座ができたのがその12年前の1957年なんです。深いご縁を感じました」
ということを仰ってましたが、私にはそのご縁の深さがあまり良く分からないままでした(汗)。もしや干支が一回りして一緒、と言うことだったのでしょうか?

そんなわけで今回祐一郎さんはそんなにたくさんはお喋りしなかったのですが、「ここだけの話(今だから言える話だったかも)」テーマで少し長めに語られていました。仔細は避けますが、ざっくり、芸能界に身を置く者は社会的に大事が起きている時には、報道で代わりにスケープゴートにされて新聞などの紙面を埋める立場だから覚悟しておきなさい、と演出家の山田さんが大学の学生さんにお話ししていました、というような内容だったと思います。もしかしたら昨今のスキャンダルに何か思うところがあったのかも知れません。

音楽の話題に戻りますと、前回までは祐一郎さんのソロにジャズナンバーが3曲入っていましたが、今回はそのうち1曲が某閣下の曲に入れ替わっていました。これが、軽くジャズが入った別アレンジで聴くと、いつもとは違う方角から心がぐらぐらさせられて、新鮮な感動を覚えました。

また、知寿さんの曲も入れ替えになっていました。この曲の演目は私は未だに生では観たことがなく、CDで聴いたのみなのですが、そのCDで歌われていた現在はもういない方の歌声を、知寿さんの美しい歌声から連想して泣きそうになりながら聴いていました。

浦井くんのソロ2曲目についても書いておきます。曲名を聞き逃したけど、これどこかで確かに聴いたぞ? と思っていたら、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の『ミッドナイト・レイディオ』だったようです。2019年に浦井くんが主演した時の舞台を観ていますが、浦井ヘドウィグの妖艶さよりも初ライブハウスでアウェー感が半端なかった記憶の方が強烈です。

『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』初日感想(2019.8.31 13:00開演) - 日々記 観劇別館

ところでキャストのポートレート抽選会は当たり前のように外れました。くじ運には見放された人生を送っているのでそれは良いのですが、毎回祐一郎さんが、
「あなたの目の前にある番号はあなたの番号ではありません。後ろ(背もたれ)を振り返ったら見えるのがあなたの席の番号です」
と繰り返していて、え、自分の席番が判らない人がいるのか、と疑問に思っていたところ、昨日も間違えた方がいました、と言っていたので、いるんだ! と驚きました。
まあ、自分自身も、前週にまるまる1列座席を間違えて、ごめんなさいよ、と背もたれをまたいで1列上の座席に移動する、ということをやらかしたので、全く人のことは言えないわけですが……。

というわけで、残念ながらこのコンサートを観るのは今回がラストとなりました。あまりにも至福の時であったがゆえに寂しさが募り、さらに現帝劇ファイナルの『モーツァルト!』に果たして猊下は続投するのか? などのもやもやもあったりで、心が落ち着かない日々が続いていますが、ひとまずは禅さんと浦井くんの次の舞台の開幕を待ちたいと思います。