日々記 観劇別館

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『ムーラン・ルージュ』感想(2023.07.01 13:00開演)

キャスト:
ティーン=平原綾香 クリスチャン=井上芳雄 ジドラー=橋本さとし ロートレック=上野哲也 デューク=K サンティアゴ中井智彦 ニニ=加賀楓

もう先週の話になりますが、帝劇で上演中のミュージカル『ムーラン・ルージュ』を観てきました。

物語の舞台は1899年、パリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」。看板歌姫サティーンを擁した華やかなレビューショーが売りのムーランは裏では経営破綻寸前で、太客の公爵(デューク)アンドレをサティーンのパトロンにして支援を仰ごうとする状態。一方、作家志望のアメリカ人青年クリスチャンは、渡仏早々意気投合した芸術家仲間のロートレックサンティアゴとともにムーランでの音楽劇『ボヘミアン・ラプソディ』(ロートレックがタイトルを口にした時、客席から笑いが起きてました)の上演を目指してサティーンに取り入ろうとするが、サティーンのふとした勘違いをきっかけに惹かれあう関係に。しかしアクシデントが重なった結果、公爵とサティーンの愛人関係と引き換えに音楽劇上演とムーランの支援が実現。クリスチャンとサティーンの恋の行方は? というのが物語の粗筋です。

粗筋だけ見ると一見きらびやかで、実際ショーは本当に華やかなのですが、サティーンの生い立ちやロートレックの人物像、貧富の差、障害者差別など、シビアな描写も多く、陰影豊かな物語となっています。

とにかく舞台装置が豪華です。A席でもリピートを躊躇させるチケ代の一部は、確実にあの、舞台両袖に鎮座する赤い風車や象をはじめとするゴージャスでカラフルな電飾に課せられているに違いない、と思いながら観ていました(残りのチケ代は演出のロイヤリティとS席に舞う銀テ代と思料)。

舞台装置は、1幕では序盤のショータイムのセット一式と終盤のカップルが踊るエッフェル塔、2幕ではレミゼの「星よ」を彷彿とさせる満点の星空が特にお気に入りです。

ダンスは時代の雰囲気を若干醸し出しながらもしっかり現代風で、見ると元気になる系でした。個人的に、フレンチカンカンの見せパンは、劇中のダンサーが身につけていた今風の短いパンツよりはズロースの方が時代感があって好みですが、そこはダンスが決まっていればどちらでも良いです。

以下は、キャラクターやお話について延々とぶつぶつ語るだけなので、お時間のある方のみどうぞ。

まず、振り返ってみて、この物語の主役は語り部であるクリスチャンよりもやはりサティーンだ、と再認識しています。
ティーンは子供の頃から、貧しさから金のためなら何でもやらざるを得ない世界に生きてきて、その枠組みの中で歌姫としてのし上がったがゆえに、自分が身も心も汚れていると自覚していたからこそ、自分が住む世界を「素晴らしい世界」と呼んでくれたクリスチャンに惹かれてしまったわけで……。

ティーンとクリスチャンは、今回は平原さんと井上くんで観ました。
平原さん、どちらかと言えば小柄な方だと思いますが、とにかくスタイルが良いので、舞台映えしていました。「這い上がってきた女」の酸いも甘いも噛み分けた雰囲気と、家族同然の仲間も、自分に純愛を捧げてくるお坊ちゃんも裏切れない義理堅さのどちらも自然に兼ね備えていて良かったです。
また、井上くん、こういう純情バカなお坊ちゃん役を演じると本当に上手いです。クリスチャンの心優しい一方で、未熟で自分しか見えていなくてイラッとさせる所まで含めて、巧みに見せていると思いました。これが、Wキャストの甲斐くんだと、もっと青臭さと恋に舞い上がる感じが強調されるのかな、と想像していますがどうなんでしょうね。

主演の2人以外で気になったのは、上野哲也さん演じる画家ロートレックです。少女時代から知るサティーンに心惹かれながらも、自身の身体のハンディキャップを引け目に感じて一歩引いて彼女を見守り続けてきたこのボヘミアンの青年を、上野さんが繊細な演技で好演していました。

それから、ムーランのオーナー兼興行主で時にステージにも上がるジドラー(橋本さとしさん)も、ライトでコミカルな場面とハードでシリアスな場面との橋渡し役として、実にいい味を出していたと思います。ジドラーとロートレックが芝居を随所で引き締めていたと言っても過言ではないです。

あと、何の思い入れもないのに心に引っかかって離れないのは、サティーンのパトロンとなる公爵。ひたすら戯画的にやたら金と権力を振りかざす存在で、位の高い貴族の割には全く上品には描かれていないのが潔いです。恐らく演じるKさん自身「貴族である」ことよりも、女を自分の所有物にすることに最大の価値を置いている人物として演じているためだと思いますが、実は2幕で彼の館が出てくるまでは、私、彼をかなり「偽貴族」じゃないかと疑っていました。
公爵、一応ヒロインに惚れる役なので、顔と財産以外にもう少し長所があっても良いと思いますが、あまりないですね……。ただあの徹頭徹尾傲岸不遜な性格がお好きな方にはたまらないかも知れません。
家柄は下(伯爵家)ながら一応名門貴族の筈のロートレックと何かあるのでは? と期待しましたが、それを前提にした会話は特に何もなし。彼をはぐれ者で身体が不自由な貴族と知っていて見下しているのか、そもそも貴族と気づいていないのかは不明です。

すみません、全く愛のない公爵に対して長々と語ってしまいました。

ムーラン・ルージュ』の物語は前述のとおり華やかなショーと甘い恋と苦い現実とで彩られ、悲劇的顛末を迎えますが、なぜか劇場から出る時には心に華やいだテンションが残るという不思議な作品です。リピートできるかできないか? で申しますと、全然できる! と自信を持って断言できます。
開演前と幕間、終演時のキャストが登場していないタイミングでのステージ撮影も許可されています。なかなか撮影が難しいきらびやかなステージではありますが。

願わくば望海サティーン×甲斐クリスチャンでも観てみたいところですが、ちょっと日程が微妙に合わなさそうで残念でなりません。

ところで以下は独り言ですが、「私、不治の病なの」と相手にストレートに重い事実を伝えるのと、何も知らない相手の目の前、しかもステージ上で突然大量に喀血して倒れるのとでは、相手に確実に重大なダメージを与えるのはやはり後者ですよね……。