日々記 観劇別館

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『笑う男』感想(2019.4.13 13:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=下之園嵐史

本日、2回目の『笑う男』を観てまいりました。

デアもリトル・グウィンプレンも初日に観たキャストと全く一緒で、物語を見慣れたためもありそうですが、キャストの皆さま、初日よりもだいぶしっくり役が身体になじんでいる印象です。

特にウルシュス父さん。初日は押し寄せる激しい感情を尊重しつつもどこか手探り感がありましたが、今回はウルシュスという厳しくも温かく、不器用で苛烈だが愛情深い人物像が、より一層確立されているように見えました。

この作品のラストシーンは、ビジュアル的には壮絶なまでに美しくて心を奪われますが、やはり、かつて世の中の不平等を諦めきって「俺は泣いたことがない」とうそぶいていたのに、今や子供たちのことを思って号泣する慈父へと変化しているウルシュスの気持ちに心を寄せると、あの場面はかなり辛いものがありました。

ただ、彼があの結末の後、再び泣かない人間に戻るか? と言えば恐らくそうはならないのではないか、いや、ならないでほしい、とも思っています。

そして、観劇2回目にしてやっとストーリーと登場人物の関係性や内面、特に貴族関係者の皆さまの内面への理解がだいぶクリアになった感があります。
まず、劇中での数々の所業がかなりアレなのに2幕のソロ曲が無闇にカッコいい、トム・ジム・ジャックことデヴィットの立場がよく分からん、と前回書きましたが、すみません、単に私が聞き逃していただけで、1幕で登場した際にフェドロが「クランチャリー卿の庶子」としっかり紹介していました。

なお劇中の「25年前に(略)」、「ウルシュスと暮らして15年」などの台詞から、青年グウィンプレンは25歳ぐらい、15年前に乳飲み子だったデアは15歳ないしは16歳と思われます。原作ではどうもデヴィットは44歳ぐらいらしいので、19歳違いぐらいならあの2人の関係性の設定はそんなに不自然ではなさそうです。まあ、いくら当時は15、6歳の娘は子供ではないとは言っても、デヴィットのデアに対する所業が鬼畜であることには相違ありませんが😡。

それから、禅さんの首尾一貫したポーカーフェイスが光るフェドロ。彼の行動の描写からして、どう考えてもウルシュス一座の旅芝居に出かける前には既に瓶の中の手紙に基づき目星をつけています(あの手紙、沈みかけた船の中でよく読める字が書けたな、と感心しますがそこは深く突っ込まないことにします。)。旅芝居に登場したグウィンプレンを見た時には彼の正体を確信していて、なのにしらばっくれてジョシアナの所にグウィンプレンを手引きした上に、グウィンプレンの正体確定後はあの家の使用人に顰蹙を買いつつ図々しく取り入ろうとしている(でもグウィンプレンからウルシュスに渡してくれ、と頼まれた金貨は一部しか渡していない疑惑あり😅)。そりゃ終盤でジョシアナもぶち切れるよね、と思いました。

また、例えば1回目は専らウルシュスに心を寄せていましたが、今回はジョシアナを憐れむ気持ちも少しずつわいてきています。

以下、自分が考える「ジョシアナの心情、たぶんこうだったんじゃないか劇場」(元ネタ:『チコちゃんに叱られる』)的な解釈です。ストーリーのネタバレありまくりなので未見の方はご注意ください。

 

ジョシアナは自分が身を置く貴族社会と自身の身分について、かなり抑圧を覚えてしんどく思っていたのだと思います。ただでさえ女性は現代以上に社会的足枷をはめられており、しかも「女王陛下の妹君(ただし側室腹で異母姉妹)」という微妙な但し書きの付く立場。
しかし、彼女は狭い王侯貴族の世界しか知らず、たとえ女王より劣った出自であろうとその世界で生きていくしかない人物。もしかしたら意図的に高飛車に、自由を標榜して振る舞うことで、ようやく自己を保っていたのかも知れません。
ウィンプレンについては、最初、自分に貴族世界を束の間忘れさせてくれる刺激的な火遊び相手、しかも貴族には絶対服従の身分としか思っていなかったのが、その相手からけんもほろろにされた衝撃はただ事ではなかったであろうことは想像に難くありません。
しかも後日、彼が実は自分と同じ世界に属する人物だと知り、

「この人も私を縛る側の人間に過ぎなかったのか。しかも正室所生だなんて!」

と心底がっかりしたのだと思います。
ところが彼女は、グウィンプレンが国会で貴族社会を批判する演説―しかも王配殿下への特権付与の否定なので女王への侮辱でもあります―を行ったことで、多分「彼こそが自分が内心で求めていたものを与えてくれる人であり、自分をこの世界から救い出してくれる人物かも知れない」とやっと気づきました。けれど時既に遅し。
またジョシアナ、フェドロが職務上グウィンプレンに関して知った事実について職権濫用した上に、恐らくは新当主を傀儡にするつもりで、元々主人であった筈のジョシアナをも謀って手駒の1つにしてあの家に取り入ろうとしていたことは既に悟っていたことでしょう。
というわけで、キーッ、おまえさえ主人を欺いて(裏切って)クランチャリー卿家にしっぽを振らなければこんなことには! ……となってしまったのではないかと解釈しています。

 

以上、長くなってしまいました。あくまで一個人の解釈ですのでご容赦ください。

次回の私の『笑う男』観劇は4月21日ですが、日生劇場公演の手持ちチケットはこれで最後になります(北九州大千穐楽には出向く予定)。この作品、リピート観劇でないと分かりにくいし大団円のハッピーエンドでもありませんが、音楽も物語も決して嫌いではないですし(「幸せになる権利」、大好きです!)、音響の良い日生でもう2、3回観たかった、と贅沢なことを考えたりしています。