日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『笑う男』感想(2019.4.21 13:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=下之園嵐史

今回は『笑う男』e+貸切公演。日生劇場ではこれで見納めになります。
ちなみに偶然にも日生で観た3回ともデアと子グウィンプレンが一緒でした。ねねさんのデアについては事前に分かっていましたが、子役さんまで揃うのは私的になかなか珍しいです。

この作品、原作と舞台、そして舞台のベースになったらしい2012年の映画版とは少しずつ話の内容が異なるらしく。元の脚本に由来すると思われる展開の分かりづらさについては演出家も役者も噛み砕いて伝える努力を講じていただいているようですが、微妙にややこしい部分をはしょり過ぎて逆に観客にあまりにも多くの推測を強いるのは、商業作品としてはちょっとどうなのかと思わないでもありません。

また、原作を読破された方の感想や英語版ウィキペディアの“The Man Who Laughs”の項目を参照した限りでは、舞台で完全な悪役になっているデヴィットは原作では少なくとも悪人ではなく、どちらかと言えば原作での加害者に人生を振り回された立場の人物のようです。ちょっと舞台では悪役を背負わされ過ぎていて気の毒な気がします。

しかしそういう印象にもかかわらず、舞台のエピローグではすっかりウルシュスに気持ちがシンクロしてしまっており、「こんなのってないよ!」と心が震えていたりするのですから不思議です。

ウルシュスの子供たちに向けられた不器用だが大きな愛。グウィンプレンが運命に翻弄された末にたどり着く愛。デアの天使ぶりと想い人に向けられた雛鳥のように信じきった愛。公演を重ねてそれぞれに深化していたと思います。

アンサンブルの皆さまも含めたカンパニーの雰囲気の温かさも随所から伝わってきて良いです。例えばウルシュス一座の女性芸人たちが総出で歌うナンバー「涙は流して」や、最後の若い2人と父親との顛末を見届けることになるラストシーンにそうした優しい雰囲気がにじみ出ていました。冷静に考えるとあのラストシーン、「止めろよ」と思わないでもないですが、原作ではウルシュスが気を失っている隙に……ということなので(一座は解散済み)、実際には一瞬の出来事だったのだと理解しています。

それから今回、3回目の観劇にして初めてジョシアナに深く共感できました。ジョシアナは演じる朝夏まなとさんの舞台映えする男前な見た目と歌声、そして強気な立ち居振る舞いもあって、最初はあまり思い入れを抱けなかったのですが、今回、2幕終盤のソロで今までになく彼女の哀れさが伝わってきて良かったです。

ジョシアナが一見強気の姿勢の陰で取り憑かれていたコンプレックス、焦燥感、渇望、そして自身が真実に求めていたものが何かに気づいた時には手遅れであった悲劇。この辺り、グウィンプレンと共通点がたくさんある一方、決定的な違いがあると思っています。

すなわちグウィンプレンは「欲しいものは既に手にしていたのに、真実から目をそらしていた人」。対するジョシアナは「全てを手にしているようでいて、その実何一つ持っていなかったことに、気づかなかった人」。グウィンプレンは真実の愛に気づいた後に束の間ではあっても幸福を味わうことができましたが、ジョシアナにはそれが許されなかった。2人が迎えた結末はいずれも決してハッピーとは言えないものでしたが、ジョシアナの方がより救われない感があるのは、その辺に理由があるのでしょうか。

なおこの公演はe+貸切公演だったので、終演後に浦井くんの舞台挨拶がありました。

「このカンパニーだからこそ、演出家が上田さんだからこそ、そしてウルシュスが祐さんだからこそ、素敵な舞台になっています」

というようなことを言っていたと思います。「祐さんだからこそ」の直後に山口さんがくるくる回りながらお辞儀をしていて大変にかわいらしかったです。そして浦井くん、後から慌てて「禅さんも!」と付け加えていました😊。

次にこの演目を観るのは北九州の予定です。もう一度ぐらい日生劇場で観たかった気もしますが、1ヶ月後、恐らく劇場が変われば演出も良い意味で変わるでしょうし、カンパニーの皆さまもより深化されているものと思われますので、期待してその日を待ちたいと思います。