日々記 観劇別館

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『ウィーン版ミュージカル エリザベート20周年記念コンサート 〜日本スペシャルバージョン〜』感想(2012.10.28マチネ)

キャスト:
エリザベート=マヤ・ハクフォート トート=マテ・カマラス ルイジ・ルキーニ=ブルーノ・グラッシーニ 皇帝フランツ・ヨーゼフ=アンドレ・バウアー 皇太子ルドルフ=ルカス・ペルマン 皇太后ゾフィー=ガブリエレ・ラム バイエルン公爵マックス=トルステン・ティンネ ルドヴィカ公爵夫人/フラウ・ヴォルフ=マイケ・カトリン・メルケル 皇太子ルドルフ(少年)=ケン・マズーア

やはり、誰の歌にもストレスを感じずに聴ける『エリザベート』は良いですね。ウィーン版をコンサートバージョンで観たのは初めてでしたが、余分な装飾が取り払われている分、純粋にキャストの歌と演技に集中することができました。

ウィーン版は、以前の来日時に一度梅芸で観たきりなので、細かい演出はだいぶ忘れてしまっていますが、「闇が広がる(リプライズ)」の場と「パパみたいに(リプライズ)」の場の順序が入れ替わっていたのは覚えています。また、その時には、マテトートは跳ね橋に乗って肉食獣のようにマヤシシィを手玉に取り駆け回っていました。
今回の公演は、場面の順序など、構成のベースはウィーン版ですが、後述する通り、あくまで「日本スペシャバージョン」のコンサートなので跳ね橋はありません。そしてマテも、シシィへの強い執着には変わりありませんが、シシィの魂の深淵に時に優しく寄り添い、時にその深淵に手を突っ込んで引きずり出そうとする、より複雑な存在になっていたと思います。

特にマテトートの「寄り添い」を強く感じたのは「愛と死の輪舞」の場面です。5年前の舞台にはなかったこの曲には、更にシシィとのデュエットアレンジが加えられていました。トートの一人語りではなくシシィとの対話がなされることにより、魂が共鳴しあう瞬間——否、概念であるトートに「魂」はないので、正確にはシシィという「生」が「死」は怖れではなく終着駅の安らぎ、自己解放であると悟った瞬間、でしょうか——が体現されていると感じました。
回りくどい書き方をしてしまいましたが、まとめるとつまり、「愛と死の輪舞」で既にシシィは(無意識のうちに)トートと相思相愛になっているわけで(^_^;)。これじゃあマザコンフランツがいくら愛を捧げてもシシィは最後はトートのもとに行ってしまうよね、フランツ出落ち状態じゃないの、可哀想に、と観ながら終始フランツに同情していました。マテトートは「エリザベート泣かないで」の場面でも、実にしっとりと優しくシシィに手を差し伸べていました。あの優しげな手を、必死にではあるもののきっぱりと拒絶できるシシィって凄いと思います。

その分「最後のダンス」や「私が踊る時」ではマテトート、執拗にシシィを追い詰めていました。「私が踊る時」の激しく絡みつくように誘惑するマテトートと、強烈な意志で懸命にはね除けるマヤシシィのガチンコ勝負歌合戦。そう、『エリザベート』ではずっと、こんなロープ際ぎりぎりの精神的闘いが観たかったのです。東宝版ではなかなか出会えませんでしたが、ようやく巡り会うことができました。

マヤシシィが好きなのは、上記に象徴される自我と意志の強さと、それらに反比例する深い絶望に裏打ちされたアンニュイさ、そして奔放さと上品さ(家格が決して高くない上お転婆娘とは言え、シシィは歴とした貴族の姫君なのです)が無理なく1人の人間の個性として同居している所です。こういう個性を無理なく満たした演技ができて、しかも歌を聴いていてストレスのないシシィ、どうしていないんだろう……。いえ、何でも海外マンセー、と言うのは本当は好きじゃないんですけれどね。マヤシシィは今回で本国でも見納め、ということで寂しいです。

シシィのナンバー絡みで思い出したことを書いておきます。
体操室でシシィが「命を絶ちます!」と発言したのを聞いた変装トートが調子づいて、結局拒絶される2幕のあの場面(何という言い方(^_^;))。日本語歌詞だと♪誤魔化すなよ……この俺だ!♪に至るパートを、今回マヤシシィが全く違う歌詞で歌っていました。確か、日本語版にもある、この先はフランツに心を閉ざしていく、という内容に加え、「鎖は断ち切られた」というフレーズが入っていたように思います*1。そして「貴方とは踊らない!」の時に、1幕でフランツに「愛の証」として貰ったネックレス(鎖!)をぱあっとトートに投げつけて、フランツとの決別を宣言する場面が大変に格好良うございました。
この場面で出てきた「鎖は断ち切られた」が後からルドルフの「僕はママの鏡だから」への返答としても使われていて、何故シシィが最愛の息子の願いをあんなにも頑なに拒絶したのか、という心境の理解に繋がりやすくなっているのも良かったです。またルカスルドルフの「僕はママの〜」の歌い方が、母親に是が非でも助けて貰おうとはしておらず、かなりダメもとの諦めモードで語りかけているのが、泣ける所でした。

ルキーニについても語らなくてはなりません。
ブルーノルキーニ、とても、若々しくてカッコ可愛いルキーニでした。軽妙で悪目立ちしない茶目っ気たっぷりの歌い方に好感度大。アクションも得意のようで、舞台の端から端まで実に軽々と走り抜けていました。身軽さについては、5年前に同じブルーノルキーニを観た時の自分の感想を読み返すと同じことを書いていました。
東宝版ルキーニにも、百歩譲ってWキャストで良いので、カッコ可愛い系が来れば良いのに、とつい考えてしまいました。

そして、これは以前の来日ウィーン版にあった場面かどうかの記憶がないのですが、ルキーニ、2幕終盤の「悪夢」で、トートが「ルキーニ、早く(ヤスリを)取りに来い!」と命じた時、「え?俺?」というキョトン顔をしていました。そして、ちょっと待ってよ!と逃げ腰なルキーニの手を無理やり引っ張り、ヤスリを握らせるトート。……ええと、もしかしてルキーニ、たまたま手近にいたから「偉大なる愛」の成就に巻き込まれただけですか?ちょっと可哀想なんですが(汗)。
なお、ルキーニについては、2幕の途中で一瞬「トラブル?」と思わせておいて、思いがけないサプライズがありました。あれは本気で騙されかけましたが、嬉しいドッキリでした。

そろそろ文章を打つのに力尽きてきました。
カーテンコールに触れておきます。プリンシパルの登場曲がそれぞれのソロ曲なのは嬉しいですね。「キッチュ」はルキーニだけで、フランツは「夜のボート」、トートは「最後のダンス」といった具合でした。

最後に。マテトートのキャラクターの陰影の変化は、今回のスペシャバージョン限定なのか、それとも東宝版カンパニーへの参加が生んだ効果なのかは定かではありません。ただ、いずれにしても、プラスな変化だと思います。公演期間が今回は短くて、一度しか観られないのが返す返すも残念です。

(おまけ)
以下は小ネタです。
ヴィンディッシュ嬢を演じているアリース・マキューラがシシィの、ラウシャー大司教を演じているラルス・リンデラウブがフランツのそれぞれセカンドだそうで。どちらも良い声をしてらしたので、ちょっとこのお2人での公演も観てみたいな、と思いました。今回の公演、回数がそんなに多くはありませんが、やはりセカンドの方の登板機会はどこかにあるのでしょうか。
それから、これは小ネタと言うより歴とした本編の話ですが、どこに書いたら良いか分からなかったので。
エンディングでシシィ、ルキーニに刺された後、黒衣のまま絶命。この後確か、トートがお迎えに来た時には白いドレスになっていないといけないのに、コンサート版だからマヤさん隠れないでそのまま板の上に転がってるし、どうするんだろう?と1人で緊迫する私。そのうち上手からマテトートが白い衣装にお着替えして現れた!と思ったら、マヤシシィ、むくりと床から起き上がって自力で素早く黒衣を脱いで、白いドレスになっていました。ほぼ脱皮状態(^_^;)*2

*1:補足。パンフレットに載っていた訳詩では「鎖」という単語は使われておらず、「束縛」と書かれていました。

*2:補足その2。前に観たウィーン版でも自分で脱皮していたようです。完全に忘れていました。