日々記 観劇別館

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『エリザベート』感想(2010.8.14マチネ)

キャスト:
エリザベート瀬奈じゅん トート=山口祐一郎 ルイジ・ルキーニ=高嶋政宏 フランツ・ヨーゼフ=石川禅 ゾフィー杜けあき ルドルフ=田代万里生 少年ルドルフ=鈴木知憲

昼は帝劇で『エリザベート』、夜は東京芸術劇場で『タン・ビエットの唄』をマチソワしてきました。
まずは『エリザベート』の感想を。流石に疲れたので、ごく簡単な感想のみです。

今回の山口トートですが、メイクはまだ初日のクオリティを保ってました。目張りもきちんと入れて、ラメっぽいのも塗ってましたし。
なお、チラシやパンフの写真のような厚塗りは端から期待していません。
歌については、「最後のダンス」で1ヶ所だけ歌詞を噛みそうになってました(^_^;)。作詞ではなく、節回しが明らかに躓いていたという。しかし曲の後半は怒濤の勢いで盛り返し、終盤はいつになく激しくロック魂に溢れた熱唱ぶりで、すっかり圧倒されてしまいました。

そして、ヅカ時代を知らない自分には初見であり、本番舞台では山口トートと初顔合わせの瀬奈シシィ。
瀬奈さんのシシィ像は、一路さんよりは涼風さんに近いイメージでしょうか。少女時代は磨かれざる原石で、宮廷に入ってからは束縛された立場に葛藤しつつも、自らの孤独や閉塞感に野太く雄々しく立ち向かっているシシィ。
割と逞しいお顔立ちと体型なので、失礼ながら、最初に棺桶から出てきた瞬間、心の中で「ごつっ!」と叫んでしまいました(^_^;)。少女時代のシシィにはやや違和感を覚えましたが、大人になってからは特に気になりませんでした。
懸念の歌は、声にやや拡がりが少なく背中まで響かない点、声質が低めで高音の綺麗さがやや劣る点だけは気になりました。しかしきちんと音程が取れており音楽として聴ける声なので、シシィとしては許容範囲だと思います。
あと、声そのものの好みは別として、下手に頭音を出そうとしたりがなり立てたりせずに、地声に近い声で歌う姿勢は決して嫌いではありません。

山口トートとの声の相性は、「私が踊る時」を聴く限りはやや弱いような印象です。但し本日初顔合わせでもあり、今後変化していく可能性はあります。また、朝海シシィの時のように、危なげな歌声にトートが無理やり合わせるというのは全くなかったので、その点では安心して聴くことができました。
演技の相性は悪くないと思います。朝海シシィに対しては、良く吠える可愛らしい小型犬を保護者のように包み込むイメージですが、瀬奈シシィについては大型犬を上手に手なずけつつ、時に振り回されているようなそんなイメージです。

そして、もう1人の本日初見のキャスト、杜ゾフィー
歌い方は男役っぽく、声も割と綺麗。自分の好みから申しますと、寿ゾフィーのようにもう少し声にドスが効いていて欲しいのですが、そこは贅沢は申しません。
ただ、「そこはもう少し声を溜めて(あるいは伸ばして)歌って欲しいんだけど」と肩透かしを喰らう場面がいくつかありました。多分、キーが違うか、あるいは音域がやや狭いかのどちらかではないかと推測します。今後、慣れで不安定さが解消されれば良いのですが。
役作り面では、フランツと並ぶと母親というよりは姐御あるいはお局風のゾフィーでした。何せ「宮廷でただ1人の男」な方ですので、母性が薄い(というより皆無)なゾフィー像は十分「あり」だと思います。

作品全体として今回観ていて特にひしひしと感じたのは、フランツが話の進行につれ段階的に陥っていくどうしようもない「孤独感」でした。
トートとシシィの対話を除いては、基本的にこのお話の登場人物の思い――シシィの自由希求心、フランツの妻への愛、ゾフィーの忠誠心、ルドルフの愛国心――は皆一方通行。皆が「夜のボート」として独りぼっちで航行してそれぞれに孤独であり、ある意味フランツの自業自得と言えないこともありませんが、「そして誰もいなくなり最後にフランツだけが残った*1」という状態が何とも悲しすぎる、と、何故か今回唐突に思ったのでした。
もっとも、瀬奈シシィがかなり骨太で強いので、禅さんの繊細な演技と対比して余計にそう感じられたのかも知れません。

カーテンコールは全員のが3、4回あった後、シシィ&トートのみで2回ほどお出ましがありました。お茶目なトートはまず自分がお辞儀をした後、突如跪いてシシィの方に両腕を伸ばし、拍手を促したりして、良い雰囲気を醸し出していました。

*1:史実では孫のエリザベートなんてのがいましたけれど。