日々記 観劇別館

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『タン・ビエットの唄』感想(2010.8.14ソワレ)

キャスト:
フェイ=安寿ミラ ティエン=土居裕子 トアン=畠中洋 ハイン=吉野圭吾 ミン=宮川 浩 ビン=駒田一 ゴク=戸井勝海

本作は2年前の再演の時が初見でした。メインキャストには変更がありません。
演出も多分大きい変更はなし。「多分」と書いたのは、今回見返してみたら、細かい展開をほとんど忘れていたためですが(^_^;)。
例えば、ビンの弟の言葉や出家したゴクとのやり取りが、実はのちのフェイの決断に大きく影響を及ぼす伏線であったことに今回初めて気づきました。ちなみに、フェイが使節団に加わる時にティエンとフェイが互いのリボンを交換していて、さらにティエンの持っていたフェイのリボンがハインに託され、彼から更に……という変遷にも前回気づかなかった自分。一体どこ観てたんでしょうね。
一ヶ所だけ、前回と変わった?と思ったのは、2幕前半でフェイが自分の民族と国籍の間で葛藤する場面での、仮面寸劇の演出。「アジアの歴史も知らず能天気に振舞う日本人観光客」、前回はおじさんだった様な気もしますけれど(記憶曖昧)、今回はギャル2人組でした。あの場面は要らん、と前回思い、今回もそれは同じだったわけですが、少し表現が柔らかくなったように感じました。

今回の観劇の最大の目的であったのが土居さんの歌声。改めて聴くと、やはり良いです。澄んで声量のある高音にすっかり癒されました。大人の女性である土居さんが、少女から若い母親に至るまでのティエンを演じることに全く違和感なし。というより、他にこの役を演じられる歌声の持ち主を、日本人で他に思いつかなかったりします。
キャストの皆さんが、前回以上に哀感漂う演技を見せてくれたと思います。そして、お姫様を守ろうとして叶えられなかったのみならず、結果として解放戦線の裏切者あるいは落伍者となってしまった悲劇を、しっかり歌声で表現してくれる実力派ばかりなのも嬉しいです。
なかでも、今回のタン・ビエットは半分以上2幕の吉野さんが持っていった感があります。ハインがティエンに関する顛末を告白する場面の演技も歌も、前回公演で観た時より格段にグレードアップしていました。闇社会に生きる者の仮面を被り感情を押し殺した口調から、過去の真相を語りながら次第に狂乱し、絶望に激しく打ちひしがれて行くハイン。
これは自分だけの印象かも知れませんけれど、何故か『レベッカ』のマキシムの告白場面を連想しました。間違ってたら吉野さんに謝らないといけませんが、無意識であっても「父上」の影響は結構大きいのかも?と思うのです。

後悔と絶望に押し潰されるハインを目にし、夢は人を裏切らない。人が諦めるだけ。だから光を求めて人は生きなければ、というティエンが遺したメッセージを思い出すフェイ。そしてついに光と巡り合い、共に語らいテーマ曲を歌うラストには前回観た時のような唐突感もなく、心から泣く事ができました。

以下は、再々演観劇から1日経ってふと思ったことです。ネタバレがありますので未見の方はご注意ください。

ティエンは自分と妹を救い守ってくれた小隊の皆を、仲間として本当に大切に思っていた筈です。しかし、恐らくはフェイに去られた心の穴を埋めるためでもあっただろう恋愛が原因で、皆も反逆罪の危機に陥れたという事実に付いて彼女がどう考えていたのかは、実は物語では直接触れられていません。
何故、あんなに生きることに拘っていた彼女が、敵のスパイであった恋人と逃げるという無謀な道を選んだのか?を考えてみました。もちろん恋人に対する愛情もあったのだと思いますが、実は脱走に成功するとは全く考えていなかったのではないか?という気がしてならないのです。
脱走しなかった場合も、脱走に失敗した場合も、やがて恋人は死ぬ運命でした。失敗したなら間違いなく自分も殺されますが、部隊に残っていたとしてもいずれ娘の存在が上層部にばれた暁には親子ともに抹殺されるでしょう。
かと言って母子2人だけで逃げて娘の命を確実に救える力は彼女にはありません。奇跡的に恋人との脱走に成功したとしても、ハインがそうであったように脱走兵として身を潜めるしかなく、表社会に身元を晒して生きることは不可能でしょう。
脱走であれば、その成否に関係なく犠牲は自分と恋人の2人で済みます。娘の扱いは小隊の仲間に任せるしかありませんが、少なくとも仲間を反逆罪からは切り離すことができる。そのように考えたのではないでしょうか。
生きることを強烈に切望していた筈のティエンの、自分の死を念頭に置いた決断がいかに重い物であったかを考えると、心を揺さぶられ切なくなります。しかも、彼女の与り知らない話ではありますが、彼女に片思いしていたビンの魂は、実質彼女を殺した瞬間に希望を持って生きることを止めています(その証拠に仲間達が子供に希望を託す決意を表明する歌にはビンは加わっていません)。
しかし、だからこそ、箱の底に残ったティエンの娘という「希望」の存在が、かつての仲間達にとって大変に重く大切な物なのだと思います。あまりにも過酷すぎる痛みと犠牲を伴い生み出された「希望」。泥沼から生まれた蓮の花。ビンの弟と同様、本人は戦争を知らないにも関わらず戦争の影を背負いながら、恐らくはハインから繰り返し伝えられた母の歌を胸に、前を向いて生きようとする少女。仲間達や彼らの祖国の抱えた現実はあまりに重苦しすぎますが、それでも叔母と姪の出逢いにより、これまでとは何か違う大きな一歩が踏み出された――。あの美しいラストシーンに込められた意味の深さに身震いがしました。

……と、前回の再演観劇時はこんなことまでは考えもしなかったんですけどね(前回の感想)。良い作品なので、繰り返し再演してもらいたいです。そしてまた、観る者に色々と考えさせて欲しい。そう思います。