日々記 観劇別館

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映画『この世界の片隅に』感想(2017.8.25鑑賞)

もう先週金曜日の話になりますが、ようやくアニメーション映画『この世界の片隅に』を鑑賞してきましたので感想を記しておきます。
2回目を観ない限りは消化しきれない所もたくさんありますが、初見でしか書けない感想ということでご容赦ください。

初っ端の第一印象としては、「すず」さんを演じたのんさん(本名:能年玲奈さん)の声の、あの絵柄の世界にしっくりはまる感じと存在感に驚かされました。どこか、あの大竹しのぶさんに通じる雰囲気があると思います。

序盤のすずさんの幼年時代のシーンが、あえてそういう描写になっているらしいですが大変に虚実あいまいで、そんな場面が旦那さんとの邂逅という重要なポイントになっているのは面白いと思ったりもしました。

この世界の片隅に』は、1人の絵を描くことが上手な若妻の戦争に翻弄された人生を描いた、第二次世界大戦前から戦中、戦後間もなくにかけての物語です。

この映画は反戦映画と思うか? と問われても、実は良く分からないです。
ただ、災厄や死というものは何人に対しても、平和な世においても平等そして理不尽に訪れますが、戦争というのはその「理不尽」がとりわけ残念な形で、しかもよりたくさんの、幅広い立場や年齢の人々に一度に降り注ぐ、人間が引き起こす事象の中でも最悪の部類に属するものであることには違いないので、できるだけ発生が回避されるべき事象であると、すずさんや、晴美ちゃんを初めとする周囲の人々の受難を見て改めて思ったのは確かです。

すずさんのように少女から抜け出したばかりの素直で純粋で健気で忍耐強く、その上一見地味に見えて実は豊かな芸術的感性を持った瑞々しい女性だからこそ、彼女が次々に大事なものを奪われていく姿はより痛々しいものがあります。しかし、彼女以外の人々も、人生の大事なものを奪われたり壊されたりしたのだということを、これでもかと丹念にリアルかつ細密に描写された、戦前の広島や呉の街の姿が物語っていたと思います。
映画を見たお年寄りの方達が、確かにあの時代のあの風景の中に家族や自分がいた、と語ったそうですが、まさに人間の埋もれた記憶を呼び起こす、素晴らしい情景でした。

この世界の片隅のどこかで、1人1人異なる人生を送る人がいて、1人1人違う形で生を終えています。誰かの死は覚悟の上のものかも知れませんし、別の誰かの死は全く理不尽で望まぬ形で訪れたものかも知れません。あるいは生まれたことそのものを理不尽と感じている人もいることでしょう。
しかし、誰のどのような人生であろうと、本当は少なくとも自分自身にとっては愛おしいものであってほしい。万人において人生がそのようなものであることは、まずあり得ないのだと知りながらも、この映画を見た後ではそう思わずにはいられません。

すずさんの失われた右手―かけがえのない自らの重要なアイデンティティでもあり、光り輝く胸を締め付けられるように懐かしい日々の象徴でもあります―は二度と還ることはありませんが、それでも世界の片隅で彼女の人生は続いて行きます。

右手を失ったことは理不尽な災難以外の何ものでもありませんが、皮肉にも恐らく、もし右手を失っていなければ、彼女は終盤に大切なものとの巡り逢いを経験することはなかったか、もう少し出逢いが遅れていたかも知れません。
こういうのは何と言えば良いのでしょうか? 「理不尽な巡り合わせが出会わせたささやかな幸福」とでも呼ぶべきでしょうか? 全くもって人生とは理不尽で不思議なものだと深く息をつくばかりです。