日々記 観劇別館

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『組曲虐殺』感想(2012.12.9マチネ)

キャスト:
小林多喜二井上芳雄 佐藤チマ=高畑淳子 田口瀧子=石原さとみ 伊藤ふじ子=神野三鈴 古橋鉄雄=山本龍二 山本正=山崎一 ピアニスト=小曽根真

井上ひさし先生の遺作にして、井上芳雄くんに当て書きされ、2009年に初演された本作。初演時はまさか戯曲家の遺作になるとは思わなかったので観に行かず、テレビ放映時に録画したもののずるずると観ずじまい。やっと本日、観ることができました。
全編見終えた後、自らの貧困体験と、持ち前の聡明さと心優しさ故に社会の矛盾に気づいてしまった多喜二が、高等商業出の銀行マンとして約束されていた筈の平穏な生活を捨ててまで自らのペンの力で守ろうとし続けた、たくさんの誰かの掛け替えのない人生の数々の瞬間の尊さに、丸ごと心を包み込まれたような心持ちになりました。
「現代の政治家たちは、誰かの小さくとも大切な人生を尊重するのではなく、蹴飛ばしながら見せかけの幸せの皮を被せることで大衆を扇動していない?」
「でも、そう言って政治を批判する私自身は、本当に苦しんでいる誰かの人生を、そして生命を愛おしむことができている?」
そんな問いかけに脈絡なく自問自答をし続けています。まさに井上くんが歌う劇中歌「胸の映写機」のような状態です。
このお芝居のテーマはとても重いのですが、井上先生らしいシットコム風のくすぐり場面がふんだんに盛り込まれており、2幕3時間15分、最後まで呼吸困難になることなく観ることができました。ただ、そんな笑いに包まれた場面の中に突如として、
「たがいの生命を大事にしない思想など、思想と呼ぶに価いしません。(略)ふじ子(注:多喜二夫人)、ぼくの思想に、人殺し道具の出る幕はありません」
などの心を打つ台詞が飛び込んでくるので、全く油断できません。
キャストの皆様、それぞれに好演されていましたが、何と言っても、多喜二の姉を演じた高畑淳子さんの軽妙な台詞回しと立ち居振る舞いがやはり素晴らしかったです。
多喜二を巡る2人の女、瀧子とふじ子。それぞれがそれぞれにいい女であるが故に、2人とも切なすぎました。
ふじ子さんは史実では多喜二よりずっと年下の筈なんですが、いいオバさんな筈の自分よりずっと自立していて聡明な大人の女に見えました。その印象が神野さんの気丈で知的な演技故か、井上先生のテキストにおける人物造形故か、それともふじ子さんの背負った役割の重さ故か、あるいはその全部によるものかは定かではありません。
瀧子さんの運命は、かなり辛かったです。多喜二に寄せる思いに微塵も揺るぎはないのに、見方によってはふじ子さんよりも背中にのしかかっている現実(家族の生活等)が重すぎるために恋する相手のそばに居ることができないのです。全てを地下活動の同志であるふじ子さんに委ねるしかないという葛藤を、「自分もまた同志である」と割り切ることにより自身を納得させようとする行動は、見ていて胸の潰れる思いでした。
また、本編とは関係ありませんが、石原さとみさんの艶々肌とぷっくり唇は美しゅうございました。
特高刑事コンビ。彼らが多喜二を追う動機は天下国家よりもまず自分たちの利益のためであり、その行動は多喜二を追い詰めるものではありましたが、彼らもまた掛け替えのない人生を背負った人間であることが、山本さんと山崎さんの自然な演技もあって、優しく心に染み渡りました。もしも、彼らの立場と生きた時代とが異なっていたなら、多喜二と良い友人になれたかも知れないのに、と少しだけ想像しました。
そして多喜二を演じた井上くん。どちらかと言えばやはり、ジャジーにラフに崩しながら歌うナンバーよりもじっくり歌いかけるナンバーの方が得意なのかな?と思いましたが、彼の硬質ながら真摯で品のある歌声が、この演目が観客の心にもたらすメッセージの深味に大きく寄与していることは間違いありません。台詞回しも聴きやすくて良かったと思います。心なしか胸板が厚くなったように見えたのは、気のせいでしょうか?
多喜二の人生の幕引きは、エピローグで登場人物達によって語られたように、苦痛に満ちたものだった筈ですが、ラストの「胸の映写機」のリプライズの穏やかな響きもあって、厳かにして優しさに満たされた思いで、カーテンコールで客席から舞台に拍手を送ることができました。