日々記 観劇別館

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『DEATH NOTE THE MUSICAL』感想(2015.4.25マチネ)

キャスト:
夜神月浦井健治 L=小池徹平 弥海砂唯月ふうか 夜神粧裕前島亜美 レム=濱田めぐみ リューク吉田鋼太郎 夜神総一郎鹿賀丈史

デスノート』、原作を連載で読んでいたのと浦井くん出演とのことで気になりつつも、プライベートで精神的余裕がなくなかなか観に行く決断ができずにいましたが、大きい仕事に一区切りがつき、更にご縁がありチケットが入手できましたので出かけてまいりました。

以下、感想です。ミステリ劇としては作られていませんが、一応ミステリ要素は含む内容ですので、ストーリーの核心には触れないようにします。

1幕でまず衝撃を受けたのは、浦井ライトや小池Lよりも誰よりも、吉田鋼太郎さん演じる死神リュークの強烈な個性でした。とにかくリンゴ1つかじる所作から始まって、軟体動物のような身体の動きも会話のテンポやリアクションも人外な雰囲気で充ち満ちています。
そして何と言っても最大の衝撃(笑撃)はミサミサライブ。鋼太郎リューク、とにかく踊る、踊りまくる!しかもダンスのキレが存外良い!センターでミサミサとバックダンサーが煌びやかに歌い踊っているのに、今思い返すと半分以上の記憶がリュークダンスで占められています(^_^;)。
パンフのキャスト鼎談によれば鋼太郎さんは短期間ですが劇団四季の研究生だったこともあるそうですし、舞台役者さんならダンスも習得されているだろう、とは頭では分かりますが、実は鋼太郎さんの舞台は未見で朝ドラでのお姿しか知らないので、余計に印象に残りました。

鋼太郎リュークと言えばもう1つ、1幕中盤の浦井ライトと鹿賀パパの対話シーンで、本来は、
リュークがリンゴを探しに立ち去ろうとするも、パパがリューク(パパからは見えない)のマントの裾を踏んづけていて立ち去れない。リュークは舌打ちしながらマントを抜いて立ち去る」
となる筈だったと思われる場面で、鹿賀パパがリュークのマントの裾を踏んづけ損ねていました。それを「ちっ、仕方ねえなぁ〜」という感じでリュークがわざわざ踏み直させて、もう一度ブツブツ言いながらマントを抜いて立ち去っていました。凄く笑ったんですが、あれ、初めからああいう演出ではないですよね?(^_^;)

というわけで1幕はリュークの見せ場が多かったですが、2幕では一転して、死神レムとミサミサとの関係に比重がかけられていました。
濱田レムはやっぱり上手いです。人間の命を救うこと=死神の消滅という運命を知りながら、ミサミサの純粋さ(また唯月さんが大変に可愛らしいのです)に惹かれ、恐らく過去の数え切れない年月で抱いたことのない感情に突き動かされ、ミサミサを守るために身を捧げようとする死神。同じ死神でありながら、何もかもがリュークと対照的な存在を見事に演じられていました。ソロナンバーも実に切なく聴かせてくれました。
そして、濱田さん、「歌を台詞として伝える力」が段違いだと思います。これは鹿賀さんも一緒。鹿賀さん、歌になるとそんなに滑舌良く聴かせてくれるわけではないのに(失礼)、台詞に込められた人物の心が真っ直ぐ伝わって来るのが不思議なのです。

肝心のメイン2人についてですが、実はベテランの皆さまに比べると少し印象が薄かったりします。
浦井ライトは、最初に登場した時が本当に純粋な気持ちで法と正義の矛盾に疑問を抱いており、ああ、この人は元が素直で純粋過ぎたが故に、「キラ」に対する世間の評価と崇拝をあまりにも真っ直ぐに受け容れ、己の万能性を信じてしまったのだな、と感じさせてくれました。
ただ、原作由来のライトというキャラクターは、元来どす黒い緻密さを潜在させており、それがデスノート使いになることで顕在化しただけだという印象なのですが、浦井ライトの場合はどこか「純白な悪」「理屈より感性で動く天才」な所があり、実のところあまり緻密な理詰めや意識的な冷酷さ、そして自らの知力に酔いしれる雰囲気を感じさせなかったりするのでした。
未見ですが、柿澤ライトの方がその辺り、感性よりも理屈で、より冷酷に、そして強かに動いているのではないか?と想像しています。
徹平くんは、Lを特徴付けているところのあの姿勢で歌えるのは凄いです。目的のためなら手段を選ばない冷徹な天才でありながら、彼もまた純粋な人物であります。ライトとの奇妙な関係は、テニス対決など小さいエピソードを膨らませるのではなく、もっと、最高の知力を有した者同士の意図とは無関係に磁石のように引きつけられてしまう2人の、微妙な襞を見たかった、と思います。

最後まで見届けて思ったのは、
「このミュージカルは愛の物語である」
ということでした。
私自身は原作の、ノートを巡る知略と才覚の限りを尽くした攻防の要素が好きだったので、今回の舞台版を観て、もっと知略合戦を積み重ねて盛り上げるやり方もあったのに、と少し残念に思うところがあったのは事実です。
とは言え、映画版(未見です)も原作とは結末が異なっていたということで、ミュージカル版も原作の展開と異なることは予測していました。
演出側として、最終的に愛のドラマとして着地させるために、ミステリ要素を削ぎ落としたかったのだろうか?と想像しています。
ミサミサのライトに対する思いは当然「愛」として、レムの行動原理は疑いなく人間が「愛」と呼ぶ物。Lのライトに対する感情も恐らく「愛」。
そして、これはどう受け止めるかに個人差がありそうですが、リュークが最後に選んだ行動も、あくまで人間の尺度とは異なる死神としての行動原理を全うしただけではありますし、本人は否定するでしょうけれど、ある意味ライトへの「愛」ゆえであったような気がしてなりません。
……で、肝心の主人公たるライトが、この物語において誰かを愛していたか?は正直良く分かりません。父親や妹への愛情は当然あったと思いますが、それ以上に何よりも彼は自分の才能を愛していたようにも見えます。あるいは逆に、実は何に対しても「愛」を抱いていなかったか、もしくは「キラ」として暴走する過程において、人であること、何かに「愛」を抱くことを置き去りにしたようにも見受けられます。

ミュージカル版デスノート、どこか割り切れないものがありますが、総じて面白かったです。もう一度、柿澤ライトで見て比較したいところですが、時間がなく叶わないのを残念に思います。