日々記 観劇別館

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『ミュージカル エディット・ピアフ』感想(2011.2.11マチネ)

キャスト:エディット・ピアフ安蘭けい イヴ・モンタン/テオ・サラポ=浦井健治 マルセル・セルダン=鈴木一真 シモーヌ=佐藤仁美 警官=八十田勇一 ピアフの母/テオの母=床嶋佳子 レイモン・アッソ/テオの父=中嶋しゅう ルイ・バリエ=甲本雅裕
演出:源孝志 作:藤井清美 音楽監督甲斐正人

関東は本日降雪のまっただ中。北国育ちとしては雪、しかもパウダーではないベタ雪に何の感慨もないのですが、劇場までの道が妨げられてはたまらない、と交通状況を気にしつつ、天王洲銀河劇場まで出向いてまいりました。
エディット・ピアフ。フランスの国民的シャンソン歌手。私の中では、不幸な生い立ち、貧困、悲恋、早世というキーワードの他、「愛の讃歌」などでの鬼気迫る歌声のイメージがやはり強烈です。
とにかく今回は、ピアフを演じたとうこさんこと安蘭けいさんの歌声に鳥肌が立ちました。声量もありますし、表現も豊か。何と言っても、声の出し方が、最初の頃キャバレーで仕事を得た頃の若いピアフはやや蓮っ葉なのですが、途中、作詞家レイモンの教えで「自分の人生の表現」に目覚めてから、急激に変わっていったのには驚かされました。この場面はストーリーの上でも、ただ日銭を稼ぐ為だけに特技を披露していた人間が、表現者、芸能者として覚醒する瞬間を見せてくれていて、面白かったです*1
そして、この演目、良くも悪くもひたすらとうこさんあっての舞台であると感じました。
良くも、というのは、ピアフの歌が少しでも崩れたら成立しないだろうと思われる物語を、とうこさんが見事な歌唱力で支えていたこと。ちなみにパンフに書いてありましたが、とうこさんは今回、ピアフと同じキーで歌唱されているそうです。
逆に、悪くも、とは、劇中で歌うのが、一部を除き、専らピアフの役目であったこと、です。ミュージカルと銘打たれてはいますが、歌う必然性のない場面では誰も歌っていなかったので、どちらかと言えば年末に観た『プライド』のような「音楽劇」に近かったと思います。
その数少ないピアフ以外の「歌う人」だったのが、浦井くん。1幕のイヴ・モンタンアメリカかぶれで少々小生意気な有望歌手。軽やかなダンスも見せてくれました。2幕のピアフの最後の夫テオは、少年の純粋さと大人の包容力を併せ持つ駆け出しの歌手。無理なく、歌い方からしてモンタンと全く別人を演じ切っていました。
歌唱力は本当、とうこさん同様、劇場中に朗々と響いてくれて問題なし。1幕の「枯葉」では渋い大人の男性、2幕の「恋は何の役にたつの」では清廉な若者、と全く違う魅力を見せてくれて、一粒で二度美味しい浦井くんなのです。

歌う人が少ない、と文句を言いましたが、歌わない役の人物も、それぞれに印象的でした。
佐藤さん演じる、ピアフの幼なじみで妹分のシモーヌ。彼女が実在したかどうかは不明ですが*2、やれやれしょうがないわね、とどっしり構えてピアフを見守る、妹分なのに時にお姉さんのような女性に、佐藤さん、ぴったりはまっていたと思います。
1幕途中から登場する、マネージャーのルイ・バリエ。ピアフの行状に説教をたれ愚痴をこぼしつつも、生涯支え続けた人物。ピアフに愛情を注ぎながら、決して恋愛関係には結びつかず、またピアフの前では仕事以上の感情をおくびにも出すことはない男。それでもピアフにとって「歌=人生」であることを深く理解し、惜しみなく尽くし続けるバリエを、甲本雅裕さんが軽妙に、時に切なく好演されていました。
それから、恋人マルセルの鈴木さんは12月に舞台『プライド』で拝見していますが、神野さんより少しだけ朴訥な感じでした。喋り方はあまり変わりありませんが(笑)。ピアフとの幸せの絶頂の時のバカップル状態が、とても可愛かったです。彼ら、現代ならケータイでメールしまくりだったのでは?と想像してしまいました(ピアフにケータイのようなディジタル機器が似合うかはさておいて)。

というわけで、以下、本編の物語の感想です。軽いネタバレありです。

全編に渡り、ピアフの美点も欠点も全部まとめて、誠実にリスペクトしている姿勢に好感が持てました。
1幕の序盤でピアフ自身により、多少露悪的に語られる生い立ちは、20歳になるかならないかの若者には重すぎる内容。にも関わらず、ピアフは幻の実母(自分の分身でもある)と向き合って心情を吐露したり、また大事な人との出会いと別れに絶望し挫折しながらも、奔放にポジティブに生きていきます。
そんなピアフを取り巻く人々、庇護者や恋人達、妹分やマネージャー、果ては全編通しで登場する名もない警官に至るまで、皆、時には愚痴をこぼし、嘆きつつもピアフを赦し、見返りを求めない愛で包んで見守っているのでした。そしてピアフ自身も彼らの思いを素直に受け取り、襲いかかる不運に心身を苛まれながらも、歌うことに自分の存在意義があるという自負の元に立ち上がるのです。
ピアフも、物語の中では随分長いこと愛に見返りを求めてはいません。それは彼女の気っぷの良さと信仰心の篤さ(私生活はとても敬虔なものとは言い難かったようですが)に由来する所が大きかったとは思いますが、彼女を捨てた母親や物語にたびたび登場する「電話のベル」に象徴されるように、愛の永続性を信じていなかったこと、また、一度だけ、マルセルに「早く帰ってきて」と願った言葉が悲劇に繋がったこと、が影響したのだと思います。
そんな彼女が、紆余曲折を経て、2幕終盤で今度は、見返りを求めない愛に包まれて生きる喜びを知ることになります。若い夫のテオだけでなく、その両親の揺るぎない愛。ようやく通じた電話。観ていて心が溶かされるようで、泣きそうになりました。テオの父母のキャストが、言わばピアフの表現者としての父であるレイモンと、心の中の母の幻影と同一人物であることと相まって、とてもすんなりと心に落ちて、じんわりと染み渡るような気持ちになりました。
ラストまで観て、ピアフの人生はあまりにも波瀾万丈で太く短かったけれど、総体で見て、多分幸福だったんじゃないかな、と思うことができました。
観た後しばらくは、人生を、ひいては人間というものを積極的に肯定したくなる。そんな演目だったと思います。

*1:書き忘れ。この場面の演技と歌も凄かったんですが、レイモンと出会う前に、キャバレーの客の前で初めて歌い終えた瞬間のほっとした笑顔もGoodでした。

*2:2011.2.12追記:実在していたようです。ピアフの伝記『愛の讃歌エディット・ピアフの生涯』の著者シモーヌ・ベルトー。ピアフに「悪霊」呼ばわりされていたと記したページもありますが、今回の作品中では遠慮のない腐れ縁の幼なじみという関係なので、仲が上手くいっていない時はピアフ、「悪霊」ぐらいは言いそうです。