日々記 観劇別館

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『赤毛のなっちゅん』読後感想

昨年11月14日に天に召されたなつめさんこと大浦みずきさんのお姉様が書かれて、一周忌に出版された、『赤毛のなっちゅん―宝塚を愛し、舞台に生きた妹・大浦みずきに』。先週土曜日に入手し、その夜のうちに徹夜して読了したのですが、何だか胸が詰まってまとまった感想を今まで書けずにおりました。
「なっちゅん」は幼い頃から家族が呼び習わした彼女の愛称。昨年開かれた「お別れの会」から遡り、53年の短い生涯を駆け抜けた実妹について語る文面からは、節度ある、それ故に何とも深いお姉様の愛情がじんわりと伝わってきました。
そして、彼女が小学校入学直前から宝塚音楽学校に進学するまでを過ごした町の名を知って驚きました。私自身が幼児期を過ごした町から1kmも離れていない、通りを挟んで隣の町だったのです。もっとも、私が隣町で暮らし始めたのとちょうど入れ違いの時期に、彼女は故郷を離れて舞台人の卵として学ぶ日々を送り始めていたので、街角で出会うはずもないのですが。

音楽学校、そして歌劇団在団時代のエピソードは、その時代を知らないどころか亡くなる2年前の舞台1作しか観たことのない自分には、何もかもが新鮮でした。
例えば、あれだけの見事なダンスを披露されていた方が、音楽学校入学当初、バレエはお手の物でありながらリズム感を要求されるジャズダンスは苦手とし、歌劇団に入団してからもディスコに通い詰めるなどして何年も掛けてものにした、というお話。また、在団時から繰り返し組子達に伝えていたという、レビューで「空気を揃える」というアドバイス。自分が唯一観劇した彼女の出演作『イーストウィックの魔女たち』ですっかり魅了された、愛すべき敵役フェリシアが率いる見事な群舞は、これらのエピソードに象徴される数々の努力と経験により培われた、絶妙なダンスセンスあってこその美しさだったのだと、納得せずにはいられませんでした。
できるなら、在団時、更に退団後の、本当に熱望していた役*1を得られないなどの悩みを持ちながらも充実して華やかな舞台歴のお話だけを読んでいたかったです。しかし、やはりどうしても最終章――ガンとの闘病生活――は、どんなに読むのが辛くても見届けなければならぬ、と、土曜の夜更け、懸命に文字を追い続けました。
私は所詮、舞台1作だけを観て「これから彼女の舞台をもっと観たい」と願った、遅れてきたファンの一人に過ぎません。にもかかわらず、彼女が最期を迎える直前まで生きて舞台に復帰する意志を捨てずに病と闘い続けたことをお姉様の文章から知った後、やりきれない気持ちに襲われました。
もし、恐らくは男役時代の声作り、役作りからスタートしたであろう喫煙を彼女が止められていたなら。最初に身体の不調に気づいた時に東洋医学や民間療法に依存せず、もう少し早く西洋医学の力を借り、十分な精密検査を受けていたなら。
いみじくもお姉様も文章に記されているとおり、「たら、れば」と仮定して悔やんでみても、天に召されてしまった彼女が帰ってくるわけではありません。でも、生きていて欲しかったです。亡くなられたのは僅か53歳*2。まだ神様の御許にまいるには早すぎます。もっともっと地上で、年々円熟を続けたであろう素晴らしい舞台を見せてもらいたかったです。本当に残念でなりません。
それでも、お姉様の言葉どおり、彼女の生涯が「幸福な53年間だった」ことはきっと間違いない、と確信しています。
自分も、たった1作だけではありましたが、彼女の見事な舞台姿にお目にかかることができました。それは彼女に出会えないままでいるより遥かに幸せなことだったと、心からそう思うのです。

*1:『蜘蛛女のキス』のオーロラ等

*2:山口さんと同年(1956年)のお生まれです。