日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『レベッカ』感想(2010.4.20マチネ) : 舞台編

キャスト:「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=シルビア・グラブ フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる

4月20日、『レベッカ』のマチネを観てまいりました。

初っ端から何ですが、山口さんの声が高音部ばかり際立ち、あまり劇場内に綺麗に響き渡ってくれなかったような印象を受けました。もっともこれは、休演日明けだったからでしょうか?あるいは当日の座席が舞台に大変近かったため(B列下手ブロック)かも知れません。
それに、恐らく『レベッカ』の曲の音域故だと思いますが、山口さんの出番の大半はウィスパーボイスか超高音で歌いまくっています。そうでない歌も半分語り(しかも狂気入り)だったりしますので、元々劇場に響く山口ボイスを堪能するにはあまり向いていない演目なのかも、と考えています。

それでも。スピーカーから聞こえる山口さんの声に混じって生声が聞こえてくるのは大層心地よかったです。
また、1幕で「幸せの風景」を口ずさむ時に「わたし」に向ける眼差しが、暖かく包み込むような実に優しい眼差しであることに気づいて、見とれるなどしておりました(^_^)。2幕で「凍りつく微笑み」でレベッカの発したおぞましい一言を再現して口にする時の、レベッカが乗り移ったかのように内股で身をよじらせる姿がツボなのです。
同じ2幕のファヴェルに追及される場面も実はお気に入り。私が座っていた下手席のほぼ真正面で、核心を突く言葉が出たり侮辱されたりする度に、ポーカーフェイスを保とうとしつつ、腕組みする手にぎゅっと力を込めたり、顔にそっと手を添えてみたりして責め苦に必死で耐え抜く姿も、十分に堪能いたしました。

今回の観劇で特筆しておきたいのが、舞台上で1つの場面が展開されるごとに、奇妙なほどに気持ちが登場人物にぴったりシンクロし共鳴する感覚を味わうという貴重な体験ができたということです。
どれだけ舞台と気持ちがシンクロしていたかと申しますと、例えば、この時までに『レベッカ』の公演を既に2回観ていましたが、2回とも、2幕終盤のド・ウィンター夫妻のデュエットがあまり綺麗に耳に入ってきてくれませんでした。しかし、そういったこともこの日はなく、驚くほどにすんなりと耳と心に染み渡ってまいりました。
もう1つ驚いたのは、1幕の海辺でベンと「わたし」が初めて対話する場面。「あの人」が海の底へ行ってしまったと語るベンの目線の先に、息絶えた「あの人」を抱きかかえたあの紳士が重い足取りで歩んでいく姿が確かに見えたような気がして、息をのんだのでした。
舞台を観ながらこんな不思議な感覚が押し寄せるような日は、後にも先にももう滅多にないような気がします。

ほぼ2週間ぶりのシルビアダンヴァースは、雷鳴のように激しく歌っていました。
ファヴェルとの掛け合いで、いわばレベッカの小宇宙の番人であるシルビアダンヴァースは、侵入者である彼にこれでもかと軽蔑の言葉を浴びせつつ、やはり彼がレベッカ小宇宙を構成するかけらの1つであるが故か、彼を完全に拒絶しきれていないのが面白いです。ファヴェルに自分の女性性に付け込まれまいと必死で武装する属性は、多分涼風ダンヴァースには備わっていないんじゃないかと思います。

そして、いくら他家に嫁いだ身とは言え、裏では実の弟に「家族」にカウントしてもらえない可哀想なビイことベアトリス。弟のことをたくさん心配しても、マキシムがレベッカに呪縛されてしまっているが故に、彼の心には姉の言葉や心配が伝わる余地がないのだろうか、と、彼女のソロを聴きながらふと悲しくなりました。
そのビイを演じる伊東さんのソロ。初演時には最高音部が時々ひっくり返っていましたが、少なくともここ2回聴いた限りでは綺麗に決まっています。練習したんだろうなあ……。

ビイが弟に対するのと同じ様に、「わたし」に言葉を尽くして「あなたにも美点がたくさんある」とメッセージを伝えようとしているにも関わらず、彼女がマキシムとは違う意味でレベッカに囚われているために、空振りしてしまっているのはフランクです。禅さんの優しい歌声を聴きながら、どんなに誠意や思いやりを込めた言葉であっても、相手に余裕がなければ受け入れられることはないのだなあ、と思い、少々寂しい心持ちになりました。

まだまだ書き足りないことがあるような気もしますが、夜も遅いのでひとまずこの辺で止めておくことにいたします。