日々記 観劇別館

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『レベッカ』感想(2010.4.10ソワレ)

キャスト:「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=涼風真世 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる

今期2度目のマンダレイ詣でに出向いてまいりました。またまたネタバレ注意です。ついでにいつものことではありますが、マキシムのどうしようもないヘタレぶりと、演じる山口さんの「癖」も含めた演技を丸ごと盲愛している偏った感想ですのでご容赦ください。

開演前に、このブログを通じて知り合ったとある方(マチネを観劇のため上京)とお話しする機会があったのですが、当日のマチネでマキシムも「わたし」も実に熱い演技をしていたということで、ソワレにも期待しつつ客席入りいたしました。
今回は1階I列センターという好位置で観ることができたため、前回よく分からなかった、レベッカを思わせる女性の幻影のシルエットもしっかり確認いたしました。1幕の「レベッカI」と2幕「凍りつく微笑み」の時に出現していたと思います。もっとも初日に2幕で気づかなかったのは、専らマキシムばかりをオペラグラスで追っていたせいだったようですが(^_^;;)。

本日が初見だった涼風ダンヴァースは、聞きしに勝る怖さでした。
何しろ、表情がひたすら能面。般若面のように見える表情もあり、孫次郎面のように口元だけ薄笑いを浮かべている時もありました。
特に1幕で「わたし」を陥れる時の微笑みと、2幕序盤で「消えてしまえ!」と「わたし」を追い詰める時の能面顔。今後自分が悪夢を見た時に登場してくれるに違いありません。その彼女の能面が、2幕のある場面から徐々に破綻していき、決定的な場面を迎えるのが切ないのです。

歌については、ひたすら威圧感に満ちた重低音で押していくシルビアダンヴァースとは全く異なる歌い方をしていました。どこか宝塚の男役っぽいフェアリーな雰囲気が漂っていることもあり、威圧感こそ覚えませんでしたが、かなりねっとり感を持った不気味さがありました。台詞回しも同様。
涼風ダンヴァースのキャラクターについて、例えて言うなら、相手を波打ち際に両足を浸したままでロックオンして、徐々に潮を満ちさせる、そんなイメージ。さらに、ロックオンされた者の足下からはじわじわと砂混じりの海水が、意志を持って身体の表面を這い上がってくる。観ていてそんな精神攻撃を喰らわせられました。
彼女が登場する度に観ているこちらの血が恐れざわめき、退場する度「あぁ、やっと解放された!」と安堵する、の緩急を、上演中ずっと繰り返していました。1幕で「わたし」がリビングにて1対1で彼女と対峙したシーンの後に登場するベアトリス達の明るい歌声を聴いて、あんなに救われた気持ちになったのは初めてです。

また、前回の感想で書ききれませんでしたが、ミセス・ヴァン・ホッパーの存在も舞台の重苦しさを救っていると思います。本当に困ったおば様で、「わたし」でなくてもお付きを務めるのはかなり大変そうなのだけど、どこか憎めない所があります。
衣装が、1幕前半こそ初演と一緒でしたが、仮装舞踏会の衣装が自由の女神。しかもジュリアン大佐のギリシャ神風衣装と色合い等が対になっているのが良いです。アメリカ人である彼女がいくら上流を意識しても、イギリスの階級制度の中では取るに足らない存在でしかないのですが、逆に階級からは「自由」な存在であることを表しているのかな?と思いました。

さて、今回のマキシム。声も演技もかなり絶好調、と感じました。
「幸せの風景」では、歌に入る前の一瞬「わたし」におどけて手を振るシーンで「え?素?」とどきっとしましたが、またすぐにマキシムに戻り、何事もなかったように歌い始めました*1。初日の時ともまた違う、愛しき者に優しく暖かく語りかける紳士マキシムでした。
それからマキシム、キューピッド破損バレの後に「わたし」を右手で突き飛ばした直後、「はっ、私は今一体何をした?」と右手を眺めたまま固まっています。そして「こんな夜こそ」でガウン姿で登場してからも、いつまでも右手を気にしながら沈んだ表情をして、美しい声で自問自答するように歌うのがツボです。
「神よなぜ」はあの銭形コートと独特の振りのみに気を取られがちですが、実はこの場面のマキシムの表情がかなり豊かで、今回それに釘付けになっておりました。何かの影を振り切ろうと懸命になる姿が、「わたし」に負けず劣らずかなり健気なのです(^_^)。
そして「凍りつく微笑み」。今回もマキシムは、レベッカから受けた数々の屈辱を真剣に思い出し、順調に狂っていました。あれだけ狂乱していても音程が狂わず音楽として聞けるのが不思議というか流石というか。
「夜を越えて」は初日の時ちひろちゃんの調子がいまいちに聞こえたので、今度はどうだろう?と気をつけて聴いていましたが、今回もまた、何故かマキシムと「わたし」の声が平行に響いてきて、あまり解け合って聞こえてきませんでした。二人とも声は出過ぎるぐらいちゃんと出ているのに。同じ二人のデュエットである「こんな夜こそ」では普通にハモっていると思うので、謎です。
なお、この歌の前のキスシーン、センターからだとちょっと姿勢が斜めっていて、上手席と比べるとあまりよく見えませんでした。ちっ。
多分、自分は結構舞台で演じられるキスシーンに妙なこだわりがあるのだと、最近気づきました。何でかはよく分かりません。これについては書けたら別途また書きたいと思います。

初演時からのエピローグの変更については賛否両論あるようですね。初演のようにマキシム夫妻が、年月を経てなお痛みと暗い呪縛を引きずり続けるのか、あるいは再演仕様で、彼らが痛みの記憶を残しつつ、レベッカの呪縛から解き放たれて安らぎを得るのか。
私としては、心に生涯残る傷を負い、過去の記憶を宿しつつ、それでも生きていく以上、彼らの人生に一片でも救いはあって欲しい、と思います。
ミセス・ダンヴァースのように過去の幸福と心中(あるいは自分を裏切った過去に復讐)する道を選んだ人もいますが、マキシム達は世間を欺きながらも生を選びました。あえて苦しい道を選んだのだから救われる必要はない、という考え方もあるかも知れませんが、そこで「やはり救われていて欲しい」「生きる意味は見つけていて欲しい」と思ってしまうのが、一人の観客としての身勝手な願いです。

レベッカ』、4月中に、もう1度だけ観に行きます。その次は5月に3回ほど観る予定です。キャストの皆さんが帝劇楽までにどう変化していくか、楽しみにしています。

*1:山口さんは時たまそんな風に、役と素の境界線を舞台上でするりとまたいで往復することがあります。