日々記 観劇別館

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『天翔ける風に』感想(2009.8.30マチネ(東京千穐楽))(ネタバレ注意!)

三条英=香寿たつき 才谷梅太郎山崎銀之丞 都司之助=戸井勝海 溜水石右衛門=今拓哉 甘井聞太左衛門=阿部裕 志士ヤマガタ=平澤智 三条智=剱持たまき 三条清・おみつ=福麻むつ美

TdV東京公演が終わり虚脱状態になっている最中、池袋の東京芸術劇場中ホールでTSミュージカルファンデーションにより上演された本作を観に行ってきました。
原作は野田秀樹さんの『贋作・罪と罰』。ドストエフスキーの『罪と罰』の舞台を幕末の日本に、主人公の貧しい学生ラスコーリニコフを幕府の開明塾で学ぶ女性・三条英(はなぶさ)に置き換えて展開されるこの物語は、大変複雑かつ重い内容でした。
次々増える登場人物のドラマが相互に絡み合っていくので、初見の観客としては話についていくのがやっとでした。
何しろ、主人公である英を含め、誰1人として所謂ハッピーエンドは迎えません。
例えばずっと目先の利のために他人に流される生き方をしてきた聞太は、多分生まれて初めて自分が生き延びるためという強い意志を持って人斬りをしたわけですが、その結果、知らなかったとは言え実の娘の唯一の生きる希望を切り捨てるという、何とも皮肉でやるせない結末を招いてしまっています。
また、やはり母親や家を守るために不本意な縁談を黙って受け入れていた英の妹の智(たまきちゃんが好演)は、姉の罪を盾に迫ろうとするその縁談相手、溜水を誇りを持って断固拒否する道を選びます。しかし、実はその溜水の卑劣な行為は、ニヒリストかつマキャベリストとして、周囲の人間、特に女性を利用しまくって生きてきた彼に芽生えた、智に対する本気の愛情に根ざす行動だったことが、観客に明らかにされます。彼の命と引き換えに。
決して生き長らえた者=幸福ではないこの物語の結末。生き残った三条家の家族が再び一堂に会することがあったのか定かではありませんが、彼らがラストシーンの後いかに人生を全うしたのか、思いを馳せれば切りがありません。

キャストの感想に移りますと、香寿さんの歌声に今回かなり魅せられました。序盤の貧困に苦しむ一方で才気に思い上がる英から、中盤で理想(悪人を滅ぼし、時代も変革できる)と現実(善人を巻き添えにした上、時代に対しては無力)とのギャップや、幕府の捕り方である都の追及に抵抗する痛々しい英、一度は罠により愛する者を殺そうとするが、彼の愛と説得により浄化される英、そして最後に希望が打ち砕かれたのも知らず、希望をよすがに生き抜こうとする英。これらの変化を、表情や立ち居振る舞いだけでなく、きちんと歌声で演じ分けられる(ラストの英の澄んだ歌声の美しさ!)香寿さんの底力をとことん見せつけられ、堪能することができました。
初ミュージカルだったという山崎さん。お歌は確かに経験のある方に比べれば荒削りな所はありましたが、発声と姿勢が元々しっかりされていることもあり、全く違和感なく観られました。
才谷こと龍馬の人物像は、途中でなかなか上手く理解することができず、最後まで通して観てようやく何とかつかめたかな?という感じです。英にひっそりと愛を注ぐ1人の純粋な心を持つ男性であるだけでなく、溜水と組んで金の力と策略とで革命を起こそうとする無私なトリックスターであり、そして英を浄化し解放する役割を背負った天使でもあるという、複雑な役どころ。しかし最後には無惨に斬り捨てられ、英の愛の言葉が虚しく響く中、ぼろ雑巾のように地べたに横たわることになります。彼もやはり救われません。

人物像が比較的思い入れし易かったのは、聞太です。本当に小市民なダメパパなんですが、運命に流され翻弄されつつ彼の中では全て理にかなっているというのが実にリアルで、いかにもありそうな話でぞっとさせられました。その小市民な男を体躯も歌声も堂々たる阿部さんが演じることで、よりリアル感が増していたように思います。
それから、英に下手人の目星を付けて疑う都司之助。口ひげを蓄えて見た目が大変渋いおじ様で、戸井さんの日頃の若々しいイメージとかけ離れていたので、失礼ながら最初戸井さんが演じていることが分かりませんでした。後で聞いたら一緒に観ていた友人も同様だったみたいです。英をかなり執拗に追及していますが、理知的で彼女への敬意を忘れないキャラクターなので、最後までねちっこくなることはありませんでした。ここが同じ追及者でも『レ・ミゼラブル』のジャベールと違う所です。でも、戸井さんがジャベールを演じたら意外と良いかも?とちょっと思わせてくれました。
そして、意表を突かれたのは今さんが演じた溜水。パーマヘアにあごひげ、黄色地に銀の縫い取りの入ったジャケットという、カーテンコールで「腹話術人形」呼ばわりされたど派手な悪党スタイルはかなりのインパクトがありました。まあ、今さんが演じるのだから単純な悪党にはならないだろうと分かってはいましたが、三条家の人々の運命を散々に弄んだニヒリストが、前述の通り愛に殉じる行動を取った時にはあっと驚かされました。いや、見た目で判断してはいけなかったです。

今回、最初に述べたようにストーリーを追うのに頑張りすぎて、良い曲もたくさんあった筈なのにあまり覚えていないのが残念です。ただでさえTSの演目は展開がジェットコースターで息つく間がないのですが……。
でも、TSの真骨頂であるダンスはしっかり堪能することができました。作中「ええじゃないか隊」と呼ばれていたアンサンブルのダンスもしなやかでパワフルでしたし、志士たちの突撃ダンスもやはり男臭くて骨太で素敵でした。

カーテンコールは東京楽ということで、20分以上はやっていたと思います。代表者2名のみではありましたが「ええじゃないか隊」からもご挨拶があった他、名前のある役(『志士』を含む)の役者さん1人1人からもご挨拶をいただく所に、大会社配給の演目にはない温かみを感じて好感が持てました。
『天翔ける風に』、今回が3回目の再演だそうですが、また観てみたい演目です。そしてその時も「英」は是非香寿さんで!と思います。
ストプレ版の『贋作――』は……いっぺん観たいような、音楽もダンスも付かない言霊の力に圧倒されそうで怖いような、そんな複雑な気持ちです。