日々記 観劇別館

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『レベッカ』感想(2008.6.27マチネ)

「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=シルビア・グラブ フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=治田敦 ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる

ついに『レベッカ』マイ楽を迎えてしまいました。
鼻風邪を引いて風邪薬を服用した、あまりベストコンディションではない状態で観たので、特に2幕の記憶があまり芳しくありませんが、覚えている限りを書きます。

座席は友人に取ってもらった最後列のどセンター。帝劇で言えばR列辺りの感覚に近いかな?役者さんが間近すぎて緊張するとか、逆に見えなくてストレスがたまるとかそんなことが全くなく、舞台全体をまんべんなく見渡せて、オペラを使って役者さんの表情も遠慮なく観られる良いお席でした。
プロローグ、「わたし」の声がやや枯れ気味に聞こえたような気がしましたが、場面が進んで1幕後半辺りからはそうでもなく、いつも通りに歌えていたと思います。時々感情が「わたし」に持って行かれてしまうのか、時々涙声になってましたけれど。
ヴァン・ホッパー夫人は本当に俗物なんだけど、寿さんが演じることで華やかかつパワフルな印象になっていたと思います。何度も観ているのに今更気づいた事実に、そうか、寿さんって結構上背があったんだ!というのがありました。「わたし」の結婚が決まる場面でマキシムに突進していく姿の猛々しさはあの背丈あってこそだったのだと、今回つくづく感じました。それを受けるマキシムの台詞や所作がまた、いちいちタメを作ってオーバーアクションになっているので、笑いつつもつい緊張して見守ってしまいます。

ダンヴァース夫人。最近あの演技にすっかり慣れきっていた上、前回観た時にイメージが違うとか散々言っていましたが、今回マイ楽ということで素直な気持ちで観ていたら本当にぞっとさせられて、自分でも驚きました。真面目な話、4月の初見時以来、彼女の怖い演技を「熱演」とは感じていても心底ぞっとすることはありませんでしたので。
しかも「何者にも負けない」や「レベッカ」で何度かセンターに立って歌ってる時に、彼女の目力光線が、まー、客席後方にバシバシ飛んでくること。
ついでに言えば、今まで「レベッカに執着するダンヴァース夫人」を怖いと思ったことはあっても、レベッカの影の恐怖を感じたことはなかったのですが、今回初めて1幕のレベッカの寝室の場面、そして2幕の殺意を持って「わたし」に迫る階段の場面で、「夫人の背後に取り憑いているレベッカの執念」に対して怖気を覚えました。いえ、決して風邪の寒気などではなかったと思います。
1幕の寝室の場面と言えば、ファヴェルが1箇所盛大に台詞を間違えていました。立ち聞きしている「わたし」に声をかける所で、
「ごめん、驚かせちゃったかな?*1
と言ってました。しかしその他の登場場面は順調。2幕の「持ちつ持たれつ」のダンスでのソファ飛び乗りも、グラス投げも綺麗にこなされていました。
ファヴェルの登場場面では、レベッカのベッドでナイトガウンを手に取り鼻に近づける表情の一瞬の色っぽさとその後ふっと見せる悲しげな表情が今回印象に残りました。金の亡者でどうしようもないヤツだとは分かってるんですが、レベッカへの愛情だけは深かったと思うので、審問会以外の登場場面でみんなに「早く帰れ」だの「何故そこにいる」だの「出て行け」だのと散々言われまくるのが何とも可哀想で仕方がないのです。
ベアトリスのソロ「何を悩む」では、今まで最高音がひっくり返ってはらはらすることが多かったのですが、今回、綺麗に高音を出し切っていて、おお!やったー!と心の中で拍手してしまいました。

舞踏会の「アメリカン・ウーマン」ではヴァン・ホッパー夫人に迫られるジュリアン大佐*2のリアクションが大きくなっていたように思います。館の主人の舞踏会での怪しい挙動に影響されたのか?というのは考えすぎでしょうか(笑)?
そうそう、舞踏会の頭でオケが1箇所音を外していたような?他にもあったかも知れませんがちょっと私の耳では捕捉できませんでした。

2幕の冒頭は繰り返しになりますが、とにかく階段を昇って「わたし」に迫りまくるダンヴァース夫人が怖かったです。シルビアダンヴァースの生々しい女ぶりには引っかかりを覚えるのだけれど、今回、あの演技+照明の演出によって産み出された空間にかなりぞくぞくさせられました。
難破船の場面。あのアンサンブルコーラスが好きだと言うのに、例によって歌詞の内容をちゃんと聞き込んでいなかったので、今回じっくりと聞きました。……人間の浅ましさ、どうしようもない業の深さを歌った曲だったのですね。「持ちつ持たれつ」に次ぐファヴェルの決めポーズ場面だと言うのに、その歌詞が「いただけるものはいただこう!」だという事実が、彼という人物像を如実に表しているのだと理解しました。
ベアトリスと「わたし」のデュエットも、義姉がつい昨日まで頼りない小娘だった義妹を、自分と対等な強さを持ち、弟を守れる女性として初めて認めた瞬間、というのが伝わってきて好きです。
審問会の場面は、バルダさんの所で出ていた「そもそも何故マキシムに嫌疑がかかるの?」という疑問を読んでいたので、風邪薬でもうろうとしながらも気を付けて聞いていましたが、やっぱり「最初に見つかった別人の死体をレベッカと偽証した疑惑」と「1年も経たずに二回り若い嫁と再婚」位しか、マキシムが疑われる根拠は見出せませんでした。いや、原作でごく自然に彼が疑われてるもんでスルーしてましたけど、考えてみたら強引な展開だったんだなー、と、原作の偉大さを思い知った次第です。

2幕の場面であと印象に残っているのは、レベッカの病の真相が分かった時のフランクの「自殺だったんですね」という台詞です。
舞台での彼がマキシムとレベッカの真実の関係にどれだけ気づいていたか?という点がずっと気にかかってました。1幕で「わたし」に対して、
「あなたのお役目はマキシムにレベッカを忘れさせて差し上げることです」
と言い切っている上、大事なのは礼儀正しく控えめで愛情深いということ、と歌っているのは、暗にレベッカの本性がそうじゃなかった、と言っているようなものなので、少なくとも幸福な関係でないことには感づいていたと思います。原作だとフランクがレベッカに誘惑されて、おしどり夫婦の筈なのに、と動揺してマキシムに打ち明けるというエピソードがあるので、もうちょっと分かりやすいんですけどね。
フランクが、事件の顛末には気づかないまでも、2人の真実の関係を知っていたとすると、「自殺だったんですね」という台詞はとても重いです。ただ、その後のマキシムの「そうだ。レベッカは私を道連れにしたかったんだ」をどう受け取ったかは分かりません。素直に受け取ればマキシムが何らかの形で自殺幇助した、と思うでしょうけれど、もしかしたら、え?道連れって何?と思うかも知れません。あるいは、不仲なマキシムへの当てつけで自殺したという意味で「道連れ」と思うかも知れませんし。フランクの場合、いずれにしても口にはしないで心に収めるだけだろうけど。

まだマキシムのことについてほとんど書いてませんが、長くなってしまいましたので、続きは次のエントリにて。

*1:「ごめん、怖がらせちゃったかな?」が正解

*2:そう言えば演じる阿部さんは無事名古屋にお部屋を借りて、愛犬をお供できるのだろうか?気がかり。