日々記 観劇別館

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『レベッカ』感想(2008.6.21ソワレ)

「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=シルビア・グラブ フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=治田敦 ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる

2週間ぶりのシアタークリエ『レベッカ』観劇に出かけてきました。今回のお席は上手後方。実は上手からの鑑賞は初めてでしたが、意外とまんべんなく舞台を見渡せる良いお席でした。
音響は、オケの音がいかにもスピーカから出てます、という感じになってるのが少し気になりましたが、歌声は綺麗に聞こえていたように思います。一緒に観た友人によれば、2幕の難破船の曲のオケの出だしが音ずれしていたそうですが、階段を駆け下りて捌けていくダンヴァース夫人と「わたし」に気を取られていて聞き逃しました。

とにかくレベッカって皆がよく泣く芝居だったんだ、と再認識した本日。ちひろちゃんなんてプロポーズ前後の場面、フランクへの相談場面、2幕の最初でダンヴァース夫人にいちゃもんつける前の場面、マキシムの告白場面、と節目節目で泣いてますが、マキシムもお馴染み告白シーンの他、月夜のリビングでも泣き顔になってるし、フランクも終盤の真相判明の時目が潤んでます。ダンヴァース夫人が同じ真相判明シーンで泣いているのはいうまでもありません。
今回心に残ったのはまたもやフランクでした。「わたし」がヴァン・ホッパー夫人に舞踏会の招待状を、と伝えに行く場面で、最初2歩ぐらい引いた感じで接していたのが、「わたし」の苦悩を知った後は優しく歩み寄り、諭すように、そして自分にも言い聞かせるかのように「誠実さと信頼」を力強く歌い、語りかけるのが良いです。優しく語るだけでなく、ああやってきっぱり言い切ってくれないとやっぱり「わたし」は安心できないだろう、と思うので。フランクは結構観るたび新鮮なので、3ヶ月の間に石川禅という役者の中で、フランクという人物に対するとらえ方が、基本形は変わらずとも、日々少しずつ変動しているのではないか?という印象を受けました。
対照的に、もう最初の時点で人物の輪郭を明確に絞り込んで固定させたんだろうな、と感じたのは、シルビアさんのダンヴァース夫人。何回か観たけど、あまり客席に投影される人物像が変わらない気がします。
シルビアダンヴァースの歌は鼻にかかっているけど文句ないし、演技も本当に執念と迫力に満ちていて、決して嫌いではないのだけど、原作のような冷たく枯れた外見の下に青い炎が音もなく燃え盛っているというイメージ(あくまで私のイメージです)ではなく、バリバリ現役の女のどろどろした真っ赤な情炎が口から蛇の舌のようにちらちら見え隠れするイメージなので、そこは違和感があったりします。そのうち赤い炎が一瞬でも青い炎に変わる時がくるかな?と思いながら観ていましたが、今までそういう気配はなく、多分これからもないと思うので、そこだけは残念です。

ここからはマキシムについて。
マキシムは終盤のファイヤーソングのロングトーンで少し声が引っかかった?と思った所こそありましたが、他は極めて絶好調でした。
ヴァン・ホッパー夫人に婚約を告げる場面ではそこまで両手をバンザイして大振りで逃げなくても、と思いますが数少ない息抜きシーンなので許します。
チェスの場面では、前は「ご褒美は何?」と言われた後「うーん」と考えてから軽くおでこキス、だったと思いますが、今回は間髪を入れずおでこに向かって行きました。キューピッドのエピソードの後に「わたし」を振り払うぶち切れっぷりはやはり怖いのだけど、その後のお月様に照らされながらのデュエットの時、本当に切なそうな泣き顔でしっとり歌いかけてくるので、何でこんなに気持ちがすれ違っちゃうんだろうねえ、とこっちも寂しい気持ちにさせられます。でも今回は、下手方向に歩んできて、下手からやってくる「わたし」とすれ違う時、やや大股でスピードアップしていたように見えたので、そこまで急がんでも(笑)、とちょっと思いました。

「神よなぜ」でも相変わらずトレンチの着こなしはきっちりさん過ぎて微妙なのだけど、歌ではマキシムとして懸命に過去と戦っていました。
仮装舞踏会アメリカン・ウーマンでマキシムがおでこの辺りに両掌をかざして人差し指でチョメチョメとしてる仕草は一体(^_^;)。全体にこの場面では乗りの良いマキシムです。きっと最初は「仮装舞踏会をやりたい」と聞いた瞬間、レベッカの女王様っぷりがもやもやしてきて嫌だったんだろうけど、「わたし」も準備に楽しそうだし(レベッカに対する彼女のコンプレックスはマキシムの目に入っていないと思われ)、これでレベッカの影を払拭できるかも?と思っていたからあんなに明るく振る舞えていたんだろうか、と思うと、あのノリノリのマキシムの姿が結構虚しかったりするのです。
2幕の「凍りつく微笑み」ではレベッカの台詞の件が本当にレベッカが乗り移ったような迫力で、狂気と怒りを行き来する感情の揺れから目を離せませんでした。ボートハウスのドアは1回閉めて跳ね返ってきたのを押さえる、という所作が定番になったみたいです。
あと、今回上手から観たためか、審問会やファヴェルの恐喝場面で、マキシムは動きこそ少ないのだけど、その分表情が豊かだということが良く分かりました。審問会で疑惑を追及された時とか、ファヴェルに嘲笑された時とか、まあ、怒りを爆発させることさせること。個人的にはファヴェルには気の毒だけど、原作のようにファヴェルを殴り倒してもいいんじゃないかと思いました。
エピローグの60代半白髪マキシムは、歌っている「わたし」に後ろからよぼよぼと歩み寄って、横からつん、と1回手でつついて振り返らせてから寄り添っていました。4月に比べると明らかに老化が進んでいるので、あそこまでよぼよぼしなくても、と思いましたが、楽も近いのできっとあの演技が定番になるのでしょうね。このよぼよぼマキシムについては、60代であんなになるなんて、よっぽど戦時中苦労したのね、でもそもそも1926年の約20年後(つまり第二次大戦終戦直後)に地中海近辺で悠々暮らせるものなのか?原作では10年後位だから無問題だけど、等々、終演後に友人と熱く語り合ってしまいました。

そのよぼよぼマキシムが、カーテンコールではまた美麗で若々しいマキシム(の姿をした山口さん)になって出てくるのが楽しかったです。両手をきちんと揃えて膝の上に置いてお辞儀をする姿が何とも可愛らしい……って、51歳の男性に使う形容詞がこれで良いのだろうか?と思わないでもありません。
ラストのオケ演奏の後にまた3回ほどカーテンコールがあったのですが、今回はシルビアさん・山口さん・ちひろちゃんの3人で手をつないで出てきていました。1回目だか2回目の時には、シルビアさん、ちひろちゃんが前に一歩出てお辞儀してるのに、山口さんは何故か前に出ないまま両手膝置きお辞儀してました。3回目の時にシルビアさんが、私は仲間外れ、といった雰囲気でつーんと横を向いて、それをちひろちゃんがハグしに行くのが可愛かったです。

レベッカ』を観るのも早いもので残り1回となってしまいました。
ふと考えたのだけど、山口さんを好きな人の間でもマキシムには馴染めない、嫌い、という人がちらほらいるようですが、だとしたらそれこそ役者・山口祐一郎の思う壺なのではないでしょうか。少なくともマキシムは等身大の人間ではあっても万人の共感や賞賛を呼ぶようなキャラクターではないので、あれが何の違和感もなく受け入れられたら却って変なのでは?と思うのですが。カリスマ性での圧倒も格好良い見せ場もない、むしろ世の女性のひんしゅくを買うような役を思う存分演じられて、ご本人的には例え3ヶ月連投で疲れたとしても結構楽しかったんじゃないかなー、と勝手に想像しておりますが如何。