日々記 観劇別館

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『レベッカ』感想(2010.5.8ソワレ) : 涼風ダンヴァース編

キャスト:「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=涼風真世 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる

約3週間ぶりの帝劇、しかも4月10日に観て割りとツボにはまった涼風ダンヴァース、ということで、満を持して出向きました(4月10日の感想へのリンク)。

しかし。まさかこんなに困惑しながら帰路につくことになるとは思いもよりませんでした。

……いえ、変だと思ったのですよ。GWに地方から遠征して(注:観劇以外にも別の上京目的あり)『レベッカ』を観た友人が、涼風ダンヴァースはヒロインへの敵意まっしぐら、本来レベッカしか見えていない筈なのにそうではない、という感想を述べていたのですが、その感想と、私が涼風ダンヴァースに抱いていたイメージがどうも噛み合わなくて。
以下、涼風ダンヴァースに対するかなり辛口な感想となります。私も涼風さんはどちらかと言えば好きな役者さんなので心苦しいのですが、涼風ダンヴァースが好きな方はできればスルーしていただけるとありがたいです。

まず、1幕のミセス・ダンヴァース初登場場面では特に何も感じなかったのですが、その次のソロナンバー「何者にも負けない」を歌い、ヒロイン「わたし」と対峙する場面で呆然としました。

涼風さん、1ヶ月前と何であんなに演技変えちゃったんですか(泣)。

1ヶ月前に観た時の、あの能面顔で何考えてるか分からない、でも何かには執着していて、怨霊あるいは物の怪が何か触手らしきものを伸ばして足下から這い上ってくるような得体の知れない怖さがすっかり消え失せ、全く別人のミセス・ダンヴァースがそこにはいました。
何だかレベッカという人物に思い入れて入れ揚げるよりも、「レベッカ様の遺した、時の止まったこの美しい世界」を守る任務の遂行自体が目的になっているようなダンヴァース。「わたし」を虐めるのは、あくまでもその世界の守護者として闖入者あるいは破壊者を攻撃しているのであり、レベッカへの愛ゆえではない。そんな印象を今日の涼風ダンヴァースからは受けました。
もう2ヶ所かなり違和感を抱いたのは、1幕最後に「わたし」を罠に陥れることに成功した時の歓喜の笑みと、2幕で「わたし」を追い詰める「レベッカII」の時でした。ミセス・ダンヴァースの行動原理には当然レベッカへの執着があってしかるべき、と思うのですが、涼風ダンヴァース、そうではなく単なるサディストにしか見えませんでした。
と申しますか、行動原理として「私の守護する世界、ひいては私自身を踏み荒らす者は去れ」はあれど、どこにも「我が愛するレベッカ様を蹂躙する者は去れ」が見当たりません。もしかして彼女が本当に愛していて守りたかったのはレベッカという人間の魂でもレベッカが作り上げ遺した世界でもなく、自分自身だったんじゃないかな?と思ってしまったわけです。

繰り返しになりますが、涼風さんは演技者としても歌い手としてもどちらかと言えば好きな部類に入る役者さんです。また、「本当に好きなのはレベッカとその世界を愛している(と思い込んでいる)自分自身」という涼風ダンヴァースのキャラクターについても、ミセス・ダンヴァースという役の解釈の一つとしてはまあ面白いと思います。
ただ、今期の『レベッカ』公演において、他の登場人物、例えばマキシムやフランクを演じる山口さんや禅さんは、いずれもレベッカという魔性の女を何らかの形で内面に巣食わせた上で表面化させるという演技をしているように酌んで取れるのに、どうも涼風さんの演技だけ噛み合っていないような気がしてならず、とても残念でした。今回受けたイメージが自分の気のせいであることを願っています。

涼風ダンヴァース話が思いの外長くなってしまいましたので、マキシムとか他の感想はまた次回レポートいたします。