日々記 観劇別館

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『レベッカ』原作読了 : 「わたし」とマキシム

何週間かかけて、ようやく読み終わりました。
レベッカ (上巻) (新潮文庫)
レベッカ (下巻) (新潮文庫)
読む前は旧訳でやや時代がかった言い回しなので読みづらいかも?と思いましたが、意外とそうでもなかったです。とは言え、言葉遣い、特に女性のそれが、自身も含めて現代の若い女性にはほとんど失われた日本語であるのには一抹の寂しさを覚えました。「〜ですわ」「〜ですのよ」という言葉遣い、あるところにはあるのかも知れませんが、一般庶民の生活の場で見かけることはまずありません。

さて、この物語の語り手である「わたし」は、ちゃんと女学校に通って教育も受けていて、イギリスの社会階級で決して低い階層に育ったわけでは無いと思うのですけれど、本来であれば身分違いのマキシムと結婚することはあり得なかった人物です。それが思いがけずデ・ウィンター家の奥方になってしまい、しかも嫁ぎ先のマンダレイは隅々まで前妻レベッカの魂で満たされていたという大変な立場に。「わたし」は一見おとなしくて少女の面影を残しているようでいて、実はとてもしっかりと自分の意志を持った女性なのだけど、そりゃあの環境に放り出されたんじゃ妄想マシーンになっても致し方ないと思います。また「わたし」の妄想マシーンぶりが、本当に若い娘さんならではの突っ走り方で、時々現実と妄想が錯綜していたりするのが妙にリアルで怖いのです。

で、夫のマキシムが、妻があんなに悩みまくって妄想マシーン化しているというのに、ある事件が起こって妻に過去を告白するまではずうっと自分のことしか考えていないという、どちらかと言えば背中を蹴飛ばしたくなるような男性です。本当、レベッカに完全には支配されていない数少ない男性であるフランク(デ・ウィンター家の資産管理人)が「わたし」の相談相手になってくれていなかったら「わたし」の暮らしは地獄まっしぐらだったことでしょう。あ、女性であるベアトリス(マキシムのお姉さん)も、ちょっとは救いになったことがあった筈。結果的に地雷を踏むことが多かったけれど。
ただ、彼はマンダレイレベッカに支配された世界からはずっと逃げ出したくて、だから、レベッカとは正反対の飾らない素直な少女性に満ちあふれた「わたし」に惹きつけられたという気持ちはわかりました。マキシムはあの告白をすることにより自らの罪を知られること以上に、彼女が大人=自分の愛した少女とは別種の人間になることを恐れていたのだと思います。でも、確かに告白を聞いて「わたし」は大人になってしまったのだけど、彼女の「どんなことがあってもマキシムと添い遂げる」という気持ちに代表される芯の強さは変わることが無かったわけで、やっぱりあの告白によって2人はお互いの真実を知り、初めて本当の夫婦になれたのだろうと思いました。

そのマキシムを、ミュージカル『レベッカ』のウィーン初演ではウヴェ・クレーガーさん(この人の声も好きです)が演じ、日本初演では山口さんが演じる予定です。決して「演技派」ではない山口さんが演じることに不安の声もあるようですが、マキシムの(恐らくはレベッカの影響ではなく生来の)どこか偏屈な性向や、本音を簡単には明かしてくれなさそうな雰囲気は、どこか山口さんと通じるものがあると思います。――って、素の山口さんは全く知らないのですけれど(笑)。マキシム、容姿は恐らく二枚目としても、言動はちっとも颯爽としていないし、ついでに人でなしな所があるのは否めませんが、そういう情けない、人間の弱さむき出しの山口さんを是非舞台で観てみたいという気持ちが日に日に高まっております。テレビドラマで演じていた平吉さんや龍之介さんや五代医師の人でなしぶり(ストーカーにして殺人犯の岡田課長は未見)が大変板に付いていたので、きっと舞台での人でなしマキシムも行ける、と信じています。

レベッカ』についてはデンヴァース(ダンヴァース)夫人についても語らないと収まりがつきませんが、長くなるのでまた次回。