日々記 観劇別館

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『マリー・アントワネット』観劇感想(2006/12/16ソワレ)

キャスト:マリー・アントワネット涼風真世 マルグリット・アルノー笹本玲奈 アニエスデュシャン土居裕子 アクセル・フェルセン=井上芳雄 ルイ16世石川禅 ボーマルシェ山路和弘 オルレアン公=高嶋政宏 カリオストロ山口祐一郎 ルイ・ジョゼフ=川綱治加来 ルイ・シャルル=大久保祥太郎 マリー・テレーズ=黒沢ともよ

都合4回目のM.A.観劇でした。今回のお席は、1階U列、つまり後ろから数えた方が早い場所の最下手側。前に背丈や頭が大きい人が座っていなかったという幸運もありますが、意外なことに何の障害物も無く舞台、そして客席通路をも見渡せる良席でした。唯一障害があるとすれば、自身の視力ぐらいでしょうか。

マルグリットは1ヶ月ぶりの玲奈ちゃん。先日の新妻マルグリットと比べると、ちょっと演技が一本調子のように見えました。新妻マルは、無力な者の悲しみ→(為政者の象徴である)王妃への憎しみ→革命への疑問→「愛」という概念の理解と葛藤→王妃との和解 という彼女の変貌のプロセスをきちんと見せてる感じ。笹本マルは最初から最後までただひたすらに「怒り」を貫いてるようです。
先ほど「一本調子」と書いてしまいましたが、多分、笹本マルの方が原作のマルグリットに近いキャラクターなのでしょうね。原作のような加虐的性格こそ無いけれど、怒りをエネルギーに走り続けていて、どんな状況にあっても王妃に向けられた憎しみはぶれることがないにも関わらず、気づいたら王妃という人間から大きい影響を受けてしまっていて動揺に襲われるという。新妻マルの演技とどちらが正しいというのは言えないけれど、解釈の違いが見えて面白いと思いました。
自分の好みで言うと新妻マルの解釈の方かな?でも笹本マルの強烈な目力と、子鹿のように敏捷な身のこなしは好きです。

カリオストロは、今回の客席降りでは観客のオペラグラスを借りて舞台を覗き見たりしていました。その瞬間客席に笑いとどよめきが起きておりました。
2週間前の観劇時にも感じましたが、演出上、だいぶ錬金術師としての役割が明確化されてきたようです。2幕の旗を出してミニチュア馬車を止める場面で、旗を大振りして笑いを取ってしまうのは変わりありませんけれど(笑)。

それから、オルレアン公。前回観た時は1幕のソロで息が続いてないなあ、と思いましたが、今回はかなりいい感じに声が伸びてました。一方でフェルセンはセリフの声がちょっと枯れ気味でした。歌の方は流石きちんと歌いきっていましたが、少しお疲れなのかも知れません。

子役達は前回と同じメンバーでしたが、変わらず安定した演技を見せてくれています。特に治加来君の、最初の無邪気さから徐々に革命の地獄絵図の幻覚に襲われて狂気を帯びていくソロには背筋が寒くなります。あの幻覚もカリオストロが見せてるのかと思うと、唯一彼が憎たらしくなる瞬間でもあったりして。

楽も近づき、全体的に舞台が完成形に近づいてきたように思います。初回観劇時はほとんど印象に残らなかったナンバーも、『もしも』とか『心の声』とか、だいぶ頭の中でリピートするようになってきました。
次回は前々楽・前楽を連続観劇予定。楽を観る予定は無いので、次がいよいよマイ・ラストM.A.となります。前楽辺りでボーマルシェのぼやきタイムがどれだけ長くなるのか、密かに楽しみにしております。ちなみに今回はかなり短くて、それまで「そこまで長くしなくても」ぐらいに思っていたのに、短ければ短いで物足りなさを感じてしまう身勝手者です。

……私事ですが、今回の観劇の直前に友人の身内に予期せぬ不幸が生じたことを知り、心にもやもやを抱えたまま出かけました。上に書いたとおり、結構楽しむことも出来たのですが、芝居とは言え、まだ生きられた筈の数々の命が絶たれる場面を観るのは割と辛かったです。翌日のお通夜に参列して帰宅した今も、もやもやはまだ続いています。こうして毎日生きていると、喜びと同時に苦しみも存在して負担に思うことも多いのだけど、命があるこの瞬間は一つ一つ大事にした方が良いのだと、珍しく真剣に考え中です。