日々記 観劇別館

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『マリー・アントワネット』観劇感想(2006/11/5ソワレ)(その1)

キャスト:マリー・アントワネット涼風真世 マルグリット・アルノー新妻聖子 アニエスデュシャン土居裕子 アクセル・フェルセン=井上芳雄 ルイ16世石川禅 ボーマルシェ山路和弘 オルレアン公=高嶋政宏 カリオストロ山口祐一郎

すったもんだありましたが、M.A.マイ初日を楽しんできました。
M.A.をこれから観に行こうとしている方へ。まず、この演目に東宝ミュージカル的な豪華絢爛さやエンディングのカタルシスを求めているなら止めた方が良いです。また、誰かの歌声にひたすら陶酔したいだけの方は、期待を裏切られるだけです。
それから、巨大な刃物恐怖症の方も止めておきましょう。帰りの電車の中で帝劇帰りのオバちゃんが、
「コワかったー!あんなもん観たらクリスマスも正月もコワくてコワくてー!!」と叫んでいました(実話)。……正月松の内からこれを観る博多の人たちは一体どうしろというのでしょうか。あと、フランス革命=ベルばらのイメージを崩したくない人も観るべきではないと思います。

こんなことを書くとさぞ面白くなかったんだろう、と想像されるかも知れませんが、そんなことはなく、私的にはかなり面白かったです。
栗山民也さんの演出には東宝ミュージカルらしい絢爛豪華さは無いけれど、あの身も蓋もない殺風景さは新鮮で、私は好きです。また、帝劇の舞台の広い空間の使い方は流石に上手いと思います。少なくともTdVのせせこましいセットよりは空間が生かし切れていました。まあ、そういうちゃんとしたセットを作る予算をかけたまでだと言われればそれまでですが。

全体としては、細かい場面が多い上に展開が非常に速く、かつ登場人物も多かったので、個々の登場人物への感情移入が難しかったです。個々の場面を反芻して感動している余裕は観劇中ほとんどありませんでした。そんな中印象に残ったキャラクターと場面をいくつか。曲で印象に残るものがほとんどない、という評価もどこかで見ましたが、そもそも自分は音痴なため曲は数回聴かないと覚えられないので、そちらには言及しません。

主人公の1人であるマルグリットは――実は原作はまだ3分の1程度しか読めていないのですが――原作のキャラクター設定とはかなり異なっていました。生い立ちもシスター・アニエスとの出会いも違っていますし、また、例えば娼館に身を投じる理由として、原作では貧困だの初恋に敗れただのの理由で、やむにやまれず諦めてのことでしたが、舞台では、マダム・ラパン(娼館の女将)、そして影で糸を引くカリオストロの手管に乗せられて、いつか王侯貴族の鼻をあかしてやるという目的で自ら進んで、となっています。新妻聖子ちゃんは初見でしたが、実にパワフルな歌声で、横たわりながら力強く歌うという難しい場面も見事にこなしていました。
そのマダム・ラパンは原作に登場する娼館の女将とならず者の女性2人を足して割ったような、優しさと強かさを同時に持った役でした。この方(役者は北村岳子さん)の存在感が抜群だったのですが、実にあっさり殺されてしまい残念。この役に限らず、この芝居での死者は至極簡単にお亡くなりになってくれます。

涼風さん演じる王妃マリー・アントワネットは、少女の純粋さ、愚かさ、残酷さを同時に持ち合わせた人物。マルグリットを侮辱し傷つけた行為も、少女故の残酷さと思えば納得がいきます。フェルセンも王妃のそういう所を愛したのかも知れませんが、「君みたいに人間のできた人があんな女のどこがいいんだ?」と問いかけたいです。
マルグリットの侮辱場面で「パンが無いならケーキを食べればいい」という発言がありますが、あれは歴史上の定説では王妃の台詞ではないということなのに、何故あえて(取り巻きの台詞とは言え)云わせたのか?という疑問が湧きました。以下はあくまでマイ解釈なので、実際の意向かどうかはわかりません。
この場面では王妃の内面というのは一切表現されておらず、マルグリットに見せている姿はあくまで王妃のプライドが形作っている虚像であり、マルグリットが憎しみを覚えるのもその虚像に対してです。一方「パンが無いなら」発言も、大衆が抱いた王妃への憎悪を象徴するものとして後世の人間が作り出した王妃の虚像であると言えます。憎悪の対象となる王妃はあくまで虚像であって、だからこの場面での王妃の発言は史実である必要は何ら無いということなのだと思います。もしかしたら憎悪自体も虚像であり、ひいては全てがカリオストロの「掌中の珠の中の出来事」なのかも知れないとすれば、実に痛切な皮肉です。

で、王妃や国王を引きずり落とす人々も、国王派の誰も、「憎むべき王妃(国王)」という虚像を見ていて、当然ながら彼らの内面には一切触れないのですね。唯一王妃の内面に触れ得たのはフェルセンとマルグリットのみ。そのマルグリットも、牢獄や法廷を通して王妃も1人の人間だということを悟るのだけれど、本当に魂が触れ合ったのは王妃が断頭台に登る直前の一瞬だけ。王妃もマルグリットも孤独な魂の持ち主なだけに、実に切ない瞬間です。

ちょっと長くなりすぎたので、他の役についてはその2で書くことにします。