日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『Yuichiro & Friends -Singing! Talking! Not Dancing!-』感想(2024.01.14 13:00開演)

シアタークリエでのコンサートを再度(2回目)観てまいりました。

初日より皆さまだいぶほぐれたのか、歌はかなり伸びやかになっており。そしてトークはより一層フリーダム化していました。

セットリストは、少なくとも初日と同じメンバー(祐一郎さん、ちーちゃん、アッキーさん)については変わっていませんでした。東宝さんのXによると1月18日から曲目が変わるということで、1月21日にもう一度だけ観に行く予定なので、楽しみにしています。

祐一郎さんの声は、やはり適度な甘みと柔らかみと深みを兼ね備えていて、ミュージカルだけでなくジャズにも合っていると改めて噛みしめています。
また、かつてコーラスグループとしてデビューする話もあったとどこかで聞いたことがありますが、アンコール前の最後の全員曲での歌声を聴いて、
「その道も十分いけたに違いない」
と思いました。
そしてこれを書きながら、確か初日のトークで、昔、海外での活動を誘われたことがある(劇団に止められて断った)というような話をちらりとされていたのを思い出し、
「うん、それもきっと十分いけたと思うけど、でも日本に留まってくれなければ多分巡り会えなかったよ。出逢えて良かった」
という深い感慨を覚えているところです。

ちーちゃんは初日も今回も、トークで海や泳ぎへの愛を熱く語っていました。海にまつわる曲を歌う時、実に生き生きとしているのですよ、これが。

今さんは、ソロ曲のチョイスが絶妙にツボにはまりました。まさか1曲目であんなにダンサブルな彼が見られるとは……。私、ほぼ同世代なのですが、普通に一緒に手振りができました(実は昔、小学校であの曲を鼓笛隊パレードで演奏して踊った経験あり)。
2幕でのソロも、現在公開中の映画合わせのようにお見受けしましたが、原曲が結構好きなのでありがたかったです。オリジナルは色気とダンディズムに溢れた感じでしたが、今さんのは色気よりストイックさが勝っているイメージで。
あと、これは曲バレになりますが、涼風さんとのデュエットがまた聴けたのが嬉しかったです。今フェルセン、大人の包容力と色気満載で、当時激推しでした。

その涼風さんはソロ曲はたっぷり低音で聴かせてくれるもので統一してくれていて、これもまたありがたく拝聴しました。人斬りを止めた男の哀愁も良かったですが、2幕で直前まで爆笑トークを繰り広げた後に、イントロの間にしっかりあの「八つ裂きにされた(祐一郎さん談)」演目の怒りと凄みと怨念に満ちた女に切り替わるのはさすがです。

アッキーさんは当日回が千穐楽。しつこいので毎回は言わないようにしていますが、やっぱり彼の男歌も女歌もこなす自在な歌声は「神の歌声」だと思っています。高音が本当に素晴らしいのです。

トークについては、祐一郎さんが1曲目にまつわるエピソードを一所懸命巻いて超要約版で語るのを見て、やればできるじゃん、と一瞬だけ思いました。
しかし、初日では制御役を努めていたちーちゃんが、今回は朱に交わったのか完全にフリーダム化していたこともあり、本当に「一瞬」で終わったのでした。

実は舞台下手後ろのバーカウンターを模した一角に、一口チョコレートの入ったかごが隠されていたことが今回判明しました。キャストが何か気の利いたことを言うと、なぜか祐一郎さんがかごを取り出してチョコを配るという状況が発生し、最終的にとうとう涼風さんが最前列のお客さんの1人にチョコを渡していました。

二つだけ、ネタバレにならないエピソードを書いておきます。
一つ目は、トークの合間に突如、舞台下手のポートレートが飾られている場所へと昇っていく今さん。どうも1幕最初に下手から登場した時にポートレートの照明がずれたので直しに行ったようです。そして、それを見た祐一郎さんが、直し方にダメ出しをして、なぜかもう一度直しに行かされる今さん……。いきなり照明を直しに行く方も行く方ですが、ダメ出しをする方もする方だと思います!

もうひとつは、今回ちーちゃんに代わりトークの制御役を務めた涼風さんが、祐さまグッズの紹介役も担当し、なんと直筆カンペまで用意されるほどの周到ぶりを見せていました。そんな彼女のそばに祐一郎さんがすっと近づいたので、おお、またチョコ? と思っていたら、「触っちゃったぁ❤️」の一言が。空耳で前後に「きゃっ」と聞こえたような気がしましたがそれは言ってません。

最後に、トークの内容を断片とキーワードのみで紹介します。

定員28人のルームで1人カラオケ/チューチュートレイン/宇宙人/UFO/チップ特区/クリエの天から蜘蛛の糸/散骨の海

……これ、数年後などに読み返した時に内容を思い出せるか心配になりました。

 

『Yuichiro & Friends -Singing! Talking! Not Dancing!-』初日感想(2024.01.06 18:00開演)

新年あけましておめでとうございます
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます

まだ松の内の1月6日夜、シアタークリエにて『Yuichiro & Friends -Singing! Talking! Not Dancing!-』コンサートの初日を観てまいりました。
昨年末に『ベートーヴェン』帝劇公演の配信は観ましたが、『ラグタイム』以来ほぼ3ヶ月ぶりの観劇です(今回は劇ではありませんが……)。

以下、感想です。初日ゆえ詳細なネタバレはできるだけ避けたいと思います。

初日の祐一郎さん以外のキャストは、知寿さん、禅さん、中川さん(アッキー)、千弘さん(ちーちゃん)でした。

1幕はまず、皆さまドレスアップして1曲ずつ披露する所からスタートしました。
歌唱曲は、トップバッターの祐一郎さんは学校関係(?)、ちーちゃんはディズニーミュージカル、禅さんはJ-POP、知寿さんとアッキーさんは定番ミュージカルと、初っぱなから幅広かったです。特に1曲目が予想外だったのでかなり戸惑いました。

5人歌い終えた後にご挨拶からトークタイムへ。どうも各自のOP曲はそれぞれご自身が選曲されたらしく、本来はトークで全員の曲名とその曲を選んだ理由が明かされる段取りだったようです。

しかし。祐一郎さんの歌唱曲の曲名は発表されたものの、トークが脱線しまくったために選曲理由は明かされず(その曲に関連する思い出話はありました)。FC会員は「ああ」とにっこり納得したと思いますが、そうでない方には疑問符が浮かびまくっていたのでは? と若干心配です。

トークは一応テーマらしきものがありましたが、例によりホストの方にテーマを守るつもりが一切ないので🍥、ほぼ意味をなしていませんでした。

頑張って逸れまくった話の流れを元に戻す役割を果たそうとするちーちゃん。
彼女の奮闘にもかかわらず、自分のトークの途中でなぜか突然ホストに話を振って振り出しに戻すアッキーさん。ちょっと待って、自分の話の腰を折って暴走するホストの話になんか聞き入ってるんですがw
そうした状況に為す術がないまま、楽しそうなホストの逸脱ぶりにしっかり乗っかる禅さん。
そして、初めからホストの制御を全放棄していて、しかし何が起きても全く動じず、大事なポイントは逃さない知寿さん。

もう皆さまのわちゃわちゃを見聞きしているだけでも楽しいのですが、しかし1幕が終わった時には予定の時刻を5分ほど過ぎておりました……。

ちなみに祐一郎さんがトークの内容について「ネットに投げるのOK/NG」「この(誰かの微妙な内容の発言の)部分だけ切り取られて報道されたら怖いから」と仰っていた件については、ああ、ここ数年のコロナ禍でご本人も事務所もDXが徐々に進みつつあるからね、やっと時代に追いついてきたのね、としみじみしました(祐一郎さん、昨年めでたく法学士になられましたし)。
実際のトークの内容はそこだけ切り取ると微妙な発言はともかく「え、この内容で本当にNG?」と思いましたが、ここで書くのは最小限にしておきます。

歌は、アッキーさんとちーちゃんのデュエットが、20年ぶりぐらいだったようですが、息が合っていて良かったです。

また、禅さん、知寿さんのデュエットも素晴らしかったです。私的には本役の皆さまと同じくらい、いえ、それ以上に良かったと思います。上手い方が歌うと歌の説得力が違うのです。

1幕ラストでは祐一郎さんも長いソロ曲をガーッと思い切り歌い上げてくれました。上手く言えないのですが、祐一郎さんの本役がある歌、要は出演ミュージカルの曲って、歌う場所が即、その作品の舞台になって引き込まれるんですよね……すごい。
これまでの東宝のコンサートではもっぱら本役のある「持ち歌」を歌う機会が多かったので(過去に歌った『糸』は劇中曲)、
「彼が持ち歌ではない曲をきちんと歌った時にはどうなるのか聴きたい」
とずっと気になっていました。今回、往年のナイトクラブで演奏していた方も参加している楽団を従えて複数のジャズのスタンダードナンバー(英語歌詞)を歌うという試みがあり、その念願を叶えることができました。結論。役を離れた歌においても、祐一郎ボイスの響きの甘さも深さも存分に堪能できると証明されました。これはぜひ音源としても残して欲しいです!

2幕はキャストがお召し替えして、ミュージカル曲から始まりました。
「あの曲を男声トリオで歌ってあんなにカッコいいなんて!」
と身震いさせられながらも、3人のEXILE風振り付けに爆笑していました。

禅さん、知寿さんの過去出演作(後者はアテレコかな)の曲も、ありがたかったです。
祐一郎さんにご縁のあるJ-POP曲での女性陣との共演も優しい雰囲気が漂っていて素敵でした。

トークは、1幕のものも含めてネタバレはしませんが、「歌いながら衣装が脱げない!」「暖房の重油燃料もスポットライトも切れた舞台」「赤坂のラテンクオーターで踊る不良中学生」「中学の英語の授業で覚えた歌詞が今日役に立った」「下の世代に『ディスコ』が通じるか悩む60代」「舞台で剥がれかけるヌーブラ」「猫は散歩しません!」というキーフレーズだけ挙げておきます。
なお舞台で燃料や照明が切れた事件については、確か以前に別のコンサートでもさわりが語られていたように思いますが、私は半端に古い世代なのでドリフの全員集合の停電事件しか連想できず……。当該の上演現場に居合わせた方が羨ましいと思う一方で、コンプライアンスというビジネス用語もない時代、中止も返金もできない状況だったから強行するしかなかったんだろうな、と想像しています。

キャストの皆さまの今後の予定についても各自のコメントがありました。知寿さんは4月の地球ゴージャスの舞台とその後のモダン・ミリー、禅さんはカムフロムアウェイ、アッキーさんは悪魔のヴァイオリニストの再演。ちーちゃんは「主婦をやります」ということで、おや、もしかして? と勘ぐりましたが、それ以上の言及は特になし。子育てについてわからないなりに気遣ってみるホストな方のお父さんモードが、失礼ながらかなり愛らしかったです。
そして肝心の祐一郎さんの予定発表はなく……。まさか今回のコンサートで今年のお仕事は終了、ということはないよね? と思いますが、昨年のお仕事状況を振り返るとあながちそうなっても不思議ではないわけでして。気長に待つことにします。

前後しますが、途中でキャストのサイン入りポートレートのプレゼント抽選会も開催されました。私自身はかすりもしませんでしたが、斜め後ろの座席の方が祐一郎さんのポートレートに当選されていたので、思わずその場で振り返って「おめでとうございます!」とお声がけしてしまいました。

エンディングでは全員で歌唱。アンコールの祐一郎さんのソロがこれまた意外な曲目でして。あまりにも意外すぎて、初め何の曲だか全くわからず。大変に可愛らしい曲を、このレベルの高い楽団で、あの美声で歌うというのはある意味結構なご褒美状態だと感じました。

ちなみに終演は、予定の時刻を15分ほど過ぎていたと思います。この後キャストの皆さまで大反省会が開かれるに違いない、と想像しながら会場を後にしました。

次回は、14日昼に鑑賞の予定です。個人的には前日休日出勤してちょっとした大仕事を済ませる予定なので(失敗したら翌週にリスケ……)、できれば仕事を成功させてすっきりした気持ちで参加できることを願っています。

(追記)祐一郎さん、踊ってました。しかも前出の3人EXILE以外にも。なので決して“Not Dancing”ではございません!

『ラグタイム』感想(2023.09.24 12:45開演)

キャスト:
ターテ=石丸幹二 コールハウス・ウォーカー・Jr=井上芳雄 マザー=安蘭けい ファーザー=川口竜也 ヤンガーブラザー=東啓介 サラ=遥海 イヴリン・ネズビット=綺咲愛里 エマ・ゴールドマン=土井ケイト ハリー・フーディーニ=舘形比呂一 ヘンリー・フォード&グランドファーザー=畠中洋 ブッカー・T・ワシントン=EXILE NESMITH リトルボーイ=大槻英翔 リトルガール=嘉村咲良 リトルコールハウス=平山正剛

日生劇場で上演中のミュージカル『ラグタイム』を、おけぴ観劇会半館貸切公演(残りの半館はチケットぴあ貸切)で観てまいりました。

物語の舞台は20世紀初頭のアメリカ。裕福な白人の一家と、近所で働く黒人メイドサラとその婚約者でピアニストでやはり黒人のコールハウス、そして妻を亡くしラトビアから一人娘とともに移民してきたユダヤ人の貧しい切り絵師「ターテ」(本名ではなくラトビア語の『父さん』の意)の3組の家族のドラマを、最初は並行で描き、やがて彼らの人生が交錯し、予想もしなかった運命へと突き進んでいくさまを、心地良い「ラグタイム」の調べとともに描いていきます。

何の予備知識もなくこの舞台を観たので、実は当初は、
「人々に苦難が発生するものの、何だかんだで音楽に救われる物語」
だと思っていましたが、実際の内容はそうではなかったです。

コールハウスは、彼の不誠実が原因で別れたサラとの復縁の過程で白人一家との縁が生まれ、一度は彼の奏でるラグタイムの調べを通じて、人種や身分の垣根なく心を交わすことが叶いますが、人種差別主義者から極めて理不尽かつ悪質な侮辱を受けたことをきっかけに、彼やサラの運命が狂い始めます。

最終的にコールハウスは雪辱を果たすべく、音楽の道を捨てて違う道に走ってしまうわけですが、移民して生活苦にあえぎながらも芸術家として生きることを諦めずにブラッシュアップしていったターテとの対比になっていて、劇中の音楽はこんなにも耳に心地良くて心にしみるのに、コールハウスを音楽は救ってくれなかったんだな、と思うと、非常に心が痛かったです。ラストシーンでは恐らく神様はコールハウスもサラも祝福してくれているだろうと思いますが、残念ながら仏教徒な私の心は未だに成仏できずにおります。

また、この作品には様々な「断絶」が描かれています。異なる人種や宗教、身分間の断絶ばかりでなく、家族間の断絶も含まれています。

例えば、白人一家の「おかあさん(マザー)」は確固たる正義感と敬虔さに基づいて、サラ母子を保護しますが、古典的な価値観(当時としては当たり前のもの)を持つ「おとうさん(ファーザー)」が自分の思いを理解してくれることを、端から諦めています。だからなのか、彼女の意思は言葉を尽くすよりも、一度これと決めたら揺るがない行動で示されることが多いです。

ただ、「おかあさん」の弟(ヤンガーブラザー)の行動を見ていると、やっぱり考えるより先に結論を出して暴走しまくっているので、どちらかと言えば社会的抑圧というよりはそういう血筋のような気がします。

個人的には古き良き時代の絵に描いたような夫であり父親である「おとうさん」に、演じる川口さんの絶妙な役作りもあって肩入れして見ていました。家族の変化にも時代の変化にもついて行けないままおろおろと必死で古い価値観にしがみつき、やっと家族の変化の根源であるコールハウスと対話して、妻や義弟が守り抜こうとしてた本質を理解できたと思ったら、過去に自分が信じてきた価値観に背中から突き落とされて、さりとて妻とも元サヤには収まれず、失意のまま生涯を終えたであろう「おとうさん」……。心から同情します。

ところでこのミュージカルのキャストは皆さん歌ウマなので安心して聴いていられました。

特に、遥海サラ。私、「命をあげるよ」みたいな「母は強し」の過度なアピールはそんなに好きではないのですが、サラという人物は「母だから強い」というよりは、内縁の夫や子供への愛情をひたむきに信じることで強くあろうとしているのが、彼女の人種やら国籍やらあらゆる垣根を取っ払ったような豊かな歌声から伝わってきて、とても良かったです。そういうサラだからこそ、1幕最後で彼女が見舞われた悲劇はより一層ショッキングでした。またその1幕ラストでの彼女の友人(演:塚本直さん)の悲鳴のような歌声が強烈なのです。ありがとう、遥海さんと塚本さんの名前を教えてくれたおけぴ観劇会マップ!

井上くんは正直声質や歌い方がラグタイムに100%しっくり合っているわけではないのですが(失礼)、逆に無理に合わせず、コールハウスという複雑な葛藤を抱えた役どころを確かな解釈で攻略していることに好感が持てました。

安蘭おかあさんは……変わらずお歌も姿も美しかったです。意思の強さとほんの少しだけ弱さを持ったおかあさんにぴったりはまっていたと思います。今回の役名は「マザー」で、「おかあさん」と呼ばれるようになる前の彼女の姿は全く出てきませんが、彼女がいかに偏見のない眼を持って育つことができたのかはちょっぴり知りたいところです。

東くんの弟くんは最初に登場した時の印象は「でかい」でしたが(すみません)、彼は身長だけでなく声量もたっぷりあるので聴かせどころではしっかり歌を聴かせてくれました。弟くんは、こういう子を「バカな子ほどかわいい」と言うんだろうな、と思いながら眺めていました。未だに最初に何であの魔性の女にあれだけ入れあげたのかが良く分かりませんが、まあ、バカな子だからだろうな、と思っています。エンディングで紹介されたその後の人生に最も納得がいった人物の1人です。

そして石丸さん! 1幕の幼い娘(かわいい!)を抱えて貧困に喘ぐ移民ターテが、苦しみの中で自らの芸術の才を活かす糸口を見出し、2幕で再登場し、更にエンディングを迎えた時に心から「良かったね」と祝福を送りたい気持ちになれたのは、石丸ターテがしっかりと見せてくれた誠実さと必死さとアートへの愛ゆえだと思いました。

ところで「おけぴ観劇会・チケットぴあ貸切公演」だったので、カーテンコールでは井上くんと安蘭さんと石丸さんのご挨拶がありました。安蘭さんは、前回は「チケットぴあ・おけぴ観劇会貸切公演」という並び順であったというお話をされており、腰にピシッと手を当てたポーズで決めていましたが、実はあれが何だったのか良く分かっておりません。井上くんは貸切公演の名前の並び順をやはりネタにしつつも、若干ブラックにまとめてくれていました。石丸さんは「良い話をした後に最後に宣伝で落とす」と井上くんに突っ込まれていましたが、おかげでその「良い話」の内容が思い出せません😅

今回、ラストで救いこそありますが、どうも今ひとつ成仏してくれない心に軽い葛藤を覚えながら劇場を後にしたわけですが、今年の残り2か月、その後の観劇予定がないことに気がついてしまいました。これを観劇納めにはせず、今年のうちにどこかで成仏させたいところです。

 

『家族モドキ』東京千穐楽感想(2023.08.13 13:00開演)

キャスト:
高梨次郎=山口祐一郎 木下渉=浦井健治 高梨民子=大塚千弘 木下園江=保坂知寿

『家族モドキ』のシアタークリエ千穐楽を見届けてまいりました。地方公演のチケットは確保していないので、今回がマイ楽になります。

以下、核心となるキーワードを避けた上で、物語の展開に触れていますので、未見の方はご注意ください。

1幕では、改めて渉くんの存在の貴重さと浦井くんの好演とを深く認識しました。

というのも、この演目の脚本には役者さんが遊びを入れられる余白が意外と少ないという印象です。また、登場人物についても、次郎さんは物語を中心で回す役割ですし、民ちゃんは2幕途中までは何かと戦い続けていますし、園江さんも複雑な役どころすぎて崩すことが許されていません。かれらの中では渉くんだけが、全く課題を抱えていないわけではないものの、堂々と自分のことは全く棚上げして他の3人の感情を受け止められる唯一の人物であったりします。

というわけで、数少ない遊べる余白と見受けられる、1幕の渉くんと次郎さんとの掛け合いの行間において、浦井くんが許される範囲でほんの少し大仰な仕草や、くるくると変わる表情を見せてくれていました。更に東京千穐楽ということもあってか、いつもよりややそれらが拡幅されていたように思います。そのおかげで、観客としても息継ぎができて、とてもありがたかったです。

2幕の次郎さんと園江さんとの対話から子守歌までの場面では、次郎さんが涙をこらえているように見えました。絶望のどん底に突き落とされても、生きてさえいれば新たな人生を始められる。生きていたからこそ新しい命にも出会える。それに、これは相手も生きていればになりますが、自らの過ちで失いかけていた人間関係も取り戻すチャンスが与えられる(ただし取り戻せるとは限りませんが)。そんな事実を噛みしめて受け入れているような表情であったと思います。急速に意地が解けて近づいていく父娘の心と、静かな覚悟とともに離れていく園江さんの背中との対比が切ないです。

観た方の間で物議を醸しているあの結末の次郎さんの行動は……今日もやはり観客としては納得できていないままです。
ただ、次郎さんがああいう行動に出た理由について、「あの人の望み」の体裁を借りた彼自身の心からの望みとして、今やかけがえのない人と「擬き」ではない本物の家族になりたかったからだと仮定すると、まあわからなくもないかな、と思えるようにはなりました。この物語の主役は観客ではなくあくまで次郎さんなので、彼がそうしたいと思うならまあ仕方がないですよね、という方向に気持ちが傾きかけてもいます。

しかし、以前の感想でも書いたとおり、主役が望んでいるというだけなので、裁量権は若い2人にあると思っています。天使がある人の隣で天使として生きること自体が罪であったとしても、天使自身が罪を承知の上で相手の命尽きるまでその生き方を貫くのであれば、それでも良いのではないでしょうか。

また、疑似家族で十分思い合えているのにあえて形式を必要とする理由もわからないですし、逆に今ある家族を、何もそのタイミングで、頼み込んでまで解体させるようなことをしなくても良いのでは? と決して腑に落ちていないことには変わりありません。

そして、東京千穐楽にあたり、もし自分が園江さんと同じ立場だったら? と、じっくり考えてみました。あのような状況で愛する人に迷惑はかけ続けたくない、と思う気持ちは一緒ですが、あそこまで徹底的に断ち切る試みができるかはわからないです。逆に、関係を断ち切るなら相手に裏切られた時だと思いますが、互いに愛情がある状態で縁切りをするのは相当に意思が強くないと難しそうですね。

色々ともやっと思いを巡らせつつも、この演目はこれで見納めです。カーテンコールでは東京千穐楽ということでキャスト全員からご挨拶がありました。祐一郎さんにまずは浦井健治さんから、と言われてはいはーい、と手を挙げて飛び出した浦井くんがとてもかわいらしかったのですが、あまりにもかわいすぎて肝心の挨拶の中身を覚えていません😅

千弘さんは休演なしで東京楽を迎えられたことへの喜びをお話ししていました。

知寿さんは、通常の舞台のお仕事の稽古場には「がんばりスイッチ」を入れて臨みますが(決してそのことが悪いとかではなく、それが普通であるとの補足あり)、今回、こんなにがんばりスイッチの要らなかった稽古場はない、とのお話でした。恐らくその立役者と思われる祐一郎さん、どれだけ場をほぐしまくってるのでしょうか……。

最後に祐一郎さんがいつもの「夢のようなひとときを過ごせておじいちゃんは幸せでした」で締めていました。

この演目を再演してほしいか、もしくは同じような結末でもやもや考えさせられるストプレシリーズを続けてほしいかと言うと、正直なところ考えてしまいます。また、現実問題として、割引チケットが乱発された上に千穐楽でもクリエのBox席などに空席があり、満員御礼の札は出ていませんでした。いずれも手練れである今回のキャスト4人を擁するのであれば、例えば変にテーマ性や社会性を追求しなくても、小粒でも味わい深い音楽劇などもぜひ考えていただきたい、と思います。

これはエックスと名乗る元Twitterにも書きましたが、例の年明けの座長コンサートは、お歌が聴けるのも、今回の『家族モドキ』のキャストを含む往年の共演者との絡みが見られるのも、どちらもとてもうれしいので、チケ取りは頑張るつもりでいます。

ただ、ファンとしては、座長さんがミュージカルにおいて一軍登録は辛うじて残しつつも最前線の重要な試合へのレギュラー登板からはことごとく外されている上、中途半端に名球界入りと言うか殿堂入りさせられているような現状が、どうも微妙に納得できずにいます。ストプレでの台詞の聞き取りやすさと声の良さも十分堪能していますが、そろそろ、グランドミュージカルでなくても、主役でなくても見せ場があれば全然良いので、もっと音楽が、歌が前面に打ち出された舞台を観てみたいところです。

 

『家族モドキ』感想(2023.08.05 18:00開演)

キャスト:
高梨次郎=山口祐一郎 木下渉=浦井健治 高梨民子=大塚千弘 木下園江=保坂知寿

3回目の『家族モドキ』を観に行ってまいりました。

開幕から10日経って、だいぶ舞台が安定してきた印象です。

上演時間が確か初日の時は18:00~20:10、本日は18:00~20:05(いずれも25分休憩を含む)と微妙に短くなっていましたが、どこか気づきにくい箇所をダウンサイジングしているのでしょうか。

お話は、最初に観た時の違和感よりは随分慣れてきました。あの結末について、今も素直に賛同できるわけではないのは一緒ですが、なぜ次郎さんが渉くんにあの言葉をかけるに至ったのかが少しだけ見えた気がしますので。

2幕序盤で民ちゃんが、ある事件が起きて動揺する渉くんに「私が恩返ししたい」と言う場面があります。その後、今度は次郎さんと園江さんが2人きりで語り合い、絶望のどん底にいる次郎さんに園江さんがかけた言葉がきっかけで、双方共に背中を押される流れになるのですが、結局のところ、当初園江さんの望みを批判していた次郎さんがそれを認めて推すような言葉を渉くんにかけるのも、「園江さんへの恩返し」でもあったのかも知れない、と今回観て思い始めています。そこら辺は民ちゃんと親子だなあ、とも。

ただ、渉くんの人柄が無意識に彼女を追い詰めた、とまで言う必要があったのかは、お芝居の台詞とわかっていても、そして最終的には渉くんの人柄を肯定していたとしても、どうなんだろう? と言う思いは拭えません。

また、今回、次郎さんと民ちゃんの親子関係に少し重点を置いて観てみたのですが、民ちゃんの恋愛がああいう状況になったのは、やはり相手が上っ面の優しさで騙すことに長けていたということだろうか? と考えました。そして図らずも次郎さんが「男を見る目がない」と腐していましたが、そもそも上っ面の優しさですら娘に見える形で示してこなかった貴方の不器用さが、娘の男を見る目が育たなかった原因なのでは? とツッコミを入れたいです。

あと、民ちゃんの母親であり次郎さんの妻であった女性について。あの子守唄を夫と一緒に歌っていたということは、恐らく夫に対する愛情はそれなりに強かったのではないかと思われますが、一方、夫と同じくそんなに愛情に器用な人ではなかったのではないか? とも想像しています。まあ、元をたどれば夫の女性遍歴などの行状が原因で、色々拗らせて自ら壊れてしまったと推測されますので、諸悪の根源はやはり夫な人なのだとは思いますが、何だか報われないですね。

なお、物語と直接関係のない点ですが、次郎さんの机上にある置き時計(目覚まし時計)。ずうっと時間が止まったままになっています。次郎さんはいつも腕時計で時間を見ているから良いのだろうとは思いますし、置き時計があの状態なのは彼の生活能力の低さの象徴なのかも知れませんが、作中の高梨家で起きている出来事が一体何時頃に起きているのかが謎なので、ふと気になった次第です。

今回、感想がツッコミどころばかりになってしまいましたが、1つだけ良いことを申しますと、何度観ても、4人のキャストの呼吸が絶妙で、そこはとても安心して観ていられるお芝居だという印象です。そしてこの4人だったらやはりミュージカルも観たいです。特に祐一郎さん、公表されているスケジュールにしばらくミュージカルの予定がないのはどういうこと? クリコンもメンバーから外れているし、クンツェ&リーヴァイ日本初演キャスト皆勤からも外れているけど、そろそろ歌ってくれてもいいんじゃない? と心の中で延々と呟いています(キモい)。

手持ちのチケットは残り1枚、東京千穐楽のみとなりました。身体に気をつけて、無事見届けられるようにしたいと思います。

 

『家族モドキ』感想(2023.07.30 13:00開演)

キャスト:
高梨次郎=山口祐一郎 木下渉=浦井健治 高梨民子=大塚千弘 木下園江=保坂知寿

シアタークリエにて、2回目の『家族モドキ』を観てまいりました。

今回はイープラス貸切公演。サイン入りプログラムプレゼントの抽選は当然のように外れました。

再見すると「あの台詞はあの場面の伏線だったのか」というのが結構わかります。例えば園江さんが初登場場面で「(病院までの)道に迷ってしまって……」と言うのは、初見時は救急で運ばれた病院だからかな? と思っていましたが、多分そうではないだろう、など。

あと、初日よりもキャストの手探り感は薄れた感じです。特に祐一郎さん。特に1幕で初日よりも演技のノイズが削ぎ落とされ、観客が次郎さんという人物を受け止めやすくなったように思います。

この演目は、SNSを見る限りでは、2幕後半の園江さんと次郎さん、とりわけ後者の物語の結末での言動が、観た人の間で議論を呼んでいるようです。

2人は全く同じことを望んでいるように見えて、実はそれぞれに異なる切実な想いの下に望みを口にしています。その想いの切実さは理解しますが、私自身、
「ここまで『本当の家族でなくても助け合い、わかり合い、優しく思い合える』という話をさんざん描いておいて、なぜ今さら家族の形にこだわって再構築しようとするの?」
という疑問を抱きましたし、また、あの次郎さんの発言が多くの人の賛同を得るのは難しいだろうと思っています。

ただ、その場面の直前に「戸籍上の家族でないと対応できないことがある」ことも示唆されているので、そこは次郎さんの価値観が古いというよりは、日本の法律上の限界から彼が導き出した結論だったのかも知れません。

また、考えてみれば、いくら年長者2人の想いが切実かつ深いものであったとしても、かれらの想いに応えるかを選ぶのは、若年者2人なのですよね。まあ、渉くんはかなり背中を押されてしまった感がありますが、相手の想いを突っぱねるのではなく、黙って温かいお気持ちだけありがたく頂戴した上で、それでも我々は違う道を選びたい、と言うこともできるわけでして……。

なお、次郎さんに関しては作中で民ちゃんから、過去の妻を蔑ろにした行状がぼろかすに非難される一方、素直さには欠ける頑固オヤジでありつつも実は非常に愛情深い人物であるという真実が、観客には早々に明らかにされています。この物語は、次郎さんがそういう人物であるからこそ園江さんとわかり合い、結論の是非はともかくとして彼女から信頼を受けて「後を託された」のだとすんなり納得できる作りになっていますし、また、園江さんと2人での対話場面も、息の合った役者さん同士ならではの、暖かな空気と優しさに溢れた非常に味わい深いものになっていると思います。結論の是非はともかく(しつこい)。

ここまでほぼ次郎さんの話しかしていないですが、もう一言だけ。2幕後半、渉くんと民ちゃんに「お父さんまだかなー?」とさんざん待たせた上で満を持して登場する銀髪次郎さんが、「美老人」と言うのも憚られるほどめちゃくちゃ素敵なので、それだけでも観る価値はあります。

そう言えば、次郎さんの年齢設定は演じる方とほぼ同世代、60代半ばから後半と思われますが、渉くんっていったい何歳ぐらいなの? というのがひっそりと気になっています。娘の民ちゃんが20代後半、最終的に30歳前後とすると、渉くんは恐らくそれより3歳ぐらい上とは推測されますが、特に物語の前半で、彼のちょっとした表情や仕草に、年齢に似合わぬ絶妙な老け感や世帯じみた感が滲み出ていたように思います。そのような雰囲気は、物語の終盤ではだいぶ薄れているので、多分年の離れた園江さん(実はこの人の年齢も結構謎です。40代後半ぐらい?)との暮らしで身につけたものであろうと察せられます。浦井くん、演技に情報量多すぎです!

で、物語の締めくくりにおいて、渉くんは次郎さんがかけた言葉に対し、ただ黙って深々と頭を下げるのですね。ここでの彼の心境は観る者の想像に委ねられていますが、個人的には、
「いや、この子、一見穏やかな天使に見えるけど、内心で提案に賛同していたとしても、人に背中を押されたからそのまま素直に行動する子じゃないよね。動くならあくまで自分で判断した上で、そうしたいという鉄の意志を持って動いて、誰が何と言おうと貫き通すんじゃないかな。でなけりゃ実のお父さんとも対立しないでしょう(恐らく園ちゃんとの結婚に当たりそうなったと勝手に想像)」
と、彼の人物像を解釈しているので、まあ、彼なら簡単に流されないだろうと信じています。そもそも民ちゃんもとても流されるとは……(以下略)。

……今回、女性陣についてあまり語れていませんが、ぐだぐだと長くなってしまったので、この辺にしておきます。

なお、今回はイープラス貸切公演で、キャスト全員からカーテンコールでの舞台挨拶もあった筈ですが、上記のようなことをもやもやと考えていて、ごめんなさい、ほとんど内容を覚えておりません😣。ただ祐一郎さんは「いつもの通り」であったと記憶します。

チケットはあと2公演分確保しています。次回はちょっとでももやもやせずに観られますように。

 

『家族モドキ』初日感想(2023.07.26 18:00開演)

キャスト:
高梨次郎=山口祐一郎 木下渉=浦井健治 高梨民子=大塚千弘 木下園江=保坂知寿

7月26日にシアタークリエで開幕したストプレ『家族モドキ』の初日に行ってきました。

日本史(幕末史)専攻の大学教授である高梨次郎が、妻の死を機に仲違いしていた実の娘民子の3年ぶりの帰省を待っていたところ、民子の大学の同窓生と称する青年渉が訪れ、ほどなく民子も帰省。更にある出来事を経て、渉の年上の妻園江までが次郎の暮らしに乱入するが……? というのがこの作品のあらすじです。

物語は前半はかなり賑やか、後半は少々苦みのある人情喜劇です。全体を通して、いくつかのあまり幸福とは言えないシチュエーションが織り込まれています。

一言にて感想を申しますと、
「人生にはままならないことも回り道もたくさんあるが、それもまた人生」
となるでしょうか。

物語の主役である次郎さんは本質的には情愛に満ちているものの、本編開始以前の所業に「それはいかんだろう」と説教を喰らわせたくなる人物、身内への情愛を素直に表現できない人物として描かれています。

家族に対して罪深い所業を為した上に社会的にも進退極まった彼を攻撃し、批判するのは実に容易いのですが、ではそういう罪深い人間が人生をやり直すことは許されないのか? ということで、「やり直しのチャンス」が与えられたのが今回の物語なのではないか? と、個人的には考えているところです。

次郎さんでひとつ気になったのは喫煙シーン。恐らく彼の穏やかならぬ胸中を表す意図があるとは推測しますが、点きそうで点かない火や、(恐らく中の人のタバコへのなじみが薄いことにも起因すると思われる)口元の微妙な落ち着きなさ加減が気になるので、無理して入れる必要はないように思います。

園江さんに関しては、彼女があのような行動を取った心の流れは、自立心強く生きてきた人間としてごく自然なもののように受け止めています。ただ、彼女が愛する夫の渉くんに実現を望んだのは、世間的に両手を挙げて受け入れられるとは言い難い選択肢でした。そして終盤で、その選択肢をあえて再度渉くんに提示するのは次郎さん。園江さんが次郎さんにバトンを渡したのは、彼の一度どん底に堕ちてもひっそりと輝きを放ち続ける愛情深さを目にしたゆえでしょうか。次郎さんが、研究対象として以上に大好きな勝海舟について講談調に生き生き、朗々と語り、それに対して園江さんが絶妙な合いの手を入れる場面は、演じるお二人の呼吸が絶妙で、大人な2人が男女関係ではなく人間同士として分かり合った感があって好きです。

それから民子ちゃん。若いなりに山ほどの苦悩と後悔を抱え込んだ女の子なのですが、後半のエピソードが重すぎて彼女の抱えた心の闇の問題が若干霞んでしまったような……。そもそも何で学生時代に「彼」を受け入れなかったのかの事情は分かりませんが、いっぱい傷を負った人なのでその分幸せになってもらいたいです。

なお、詳細は省きますが、父娘の子守唄は最高です!

そして渉くん。三次元の男性で何の不自然感もなくあのように無邪気な笑顔で天使として振る舞える、実年齢40代の浦井くんは、つくづく貴重だと思う次第です。とある場面でとある人の発言として出てきた「(渉くんには)闇がないから」については、ピュアであり過ぎることもまた罪なのか? でもそれって彼のせいなの? とかなり心に引っかかっているので、次回の観劇後にまた考えたいと思います。

最後になりますが、実は今回の公演の事前ビジュアルを見て、
「さしもの祐一郎さんもだいぶ実年齢相応になってきたか……」
と不届き千万なことを考えていました。

ところが実際に舞台上のすらりとしたお姿を見てしまうと、
「こんな60代後半はやっぱり希少種だ」
とあっさり再認識せずにはいられないのは不思議なことです。

 

『君たちはどう生きるか』感想(ネタバレなし)(2023.07.21鑑賞)

たまたま平日お休みだったので、ジブリの新作映画『君たちはどう生きるか』を鑑賞してきました。

はじめに、これを書いている人はジブリオタでも宮崎監督オタでもないので、本当の野次馬的感想しか書けません。加えて、吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』はもちろん、今回の映画の元ネタになったと言われるファンタジー小説も未読なので本歌取りとかオマージュとかあったとしても全くわかりません。その点、ご容赦ください。

とりあえず「自分が認識している宮崎駿作品要素」は集大成としてしっかり含まれていたと思います。すなわち次の要素。軽くかじっている人はニヤリとできるのではないでしょうか。

  • よく働きそうなババア(複数)
  • 強かで食えないババア
  • 賢そうで勇敢な少年
  • 心身ともにたくましいお姉さん
  • とらわれのお姫さま
  • 病弱なお母さん
  • 芯が強く勇敢な美少女
  • 塔屋での追いかけっこ的な何か
  • 誰かの意図により創られた異世界ではない、自分が生きてきた禍福糾える世界の肯定

物語は良い意味で「タイトル詐欺」です。映画にはタイトルの元ネタの「あの本」に関連するエピソードも登場しますし、「世界の理を知るおじさんと親戚の少年」に該当する関係性も(かなり捻った作りで)出てきますが、あのタイトルからこのストーリーは普通想像しないのではないかと思われます。実はジブリが今回の映画の事前宣伝を最小限にしていたのも、単に「タイトルと実際のお話の展開がいかに異なるものであるか」を説明するのが面倒くさかっただけなんじゃないか? とかなり本気で考えていたりします。

ただ、内容的には、あの世界に引きずりこまれた「君たち」がそれぞれに「どう生きるか」を選び取るまでのお話なので、タイトルと全く合致していないわけではありません。

また、あの本のエピソードについては、眞人(マヒト)少年に本を贈った人は無意識下に自分の運命に関する記憶が刻まれていたに違いない、と、最後まで見終えた後に振り返ると、泣けるものがありました。眞人少年以外であの世界に行った人物は具体的な心理描写が最小限に抑えられているので尚更に。

それから、宮崎作品要素として最初に記した、勇敢な少年少女について。かれらの勇敢さは最初から表立って有していたものではなく、主に「誰かがかけがえのない存在であると気づいていく」過程において獲得されているのが良いですね。

終盤の展開は、
「え、これで終わり?」
とあっけにとられつつも、あれは一応大団円なんだと思いますが、
「あの世界にいた、あの白くて丸いのはどうなっちゃったの?」
という点がずっと心に引っかかっています。確か、ラピュタもののけ姫のクライマックスでも似たような思いにかられたことがあったような既視感(書き忘れていましたが、ナウシカ(原作)でも!)。

あと、最後まで解明されなかったのが、
「序盤でジジイに看病されていたあの人は結局なんだったのか?」
です。どうしたんだろう、あの人……。

 

『ムーラン・ルージュ』感想(2023.07.01 13:00開演)

キャスト:
ティーン=平原綾香 クリスチャン=井上芳雄 ジドラー=橋本さとし ロートレック=上野哲也 デューク=K サンティアゴ中井智彦 ニニ=加賀楓

もう先週の話になりますが、帝劇で上演中のミュージカル『ムーラン・ルージュ』を観てきました。

物語の舞台は1899年、パリのキャバレー「ムーラン・ルージュ」。看板歌姫サティーンを擁した華やかなレビューショーが売りのムーランは裏では経営破綻寸前で、太客の公爵(デューク)アンドレをサティーンのパトロンにして支援を仰ごうとする状態。一方、作家志望のアメリカ人青年クリスチャンは、渡仏早々意気投合した芸術家仲間のロートレックサンティアゴとともにムーランでの音楽劇『ボヘミアン・ラプソディ』(ロートレックがタイトルを口にした時、客席から笑いが起きてました)の上演を目指してサティーンに取り入ろうとするが、サティーンのふとした勘違いをきっかけに惹かれあう関係に。しかしアクシデントが重なった結果、公爵とサティーンの愛人関係と引き換えに音楽劇上演とムーランの支援が実現。クリスチャンとサティーンの恋の行方は? というのが物語の粗筋です。

粗筋だけ見ると一見きらびやかで、実際ショーは本当に華やかなのですが、サティーンの生い立ちやロートレックの人物像、貧富の差、障害者差別など、シビアな描写も多く、陰影豊かな物語となっています。

とにかく舞台装置が豪華です。A席でもリピートを躊躇させるチケ代の一部は、確実にあの、舞台両袖に鎮座する赤い風車や象をはじめとするゴージャスでカラフルな電飾に課せられているに違いない、と思いながら観ていました(残りのチケ代は演出のロイヤリティとS席に舞う銀テ代と思料)。

舞台装置は、1幕では序盤のショータイムのセット一式と終盤のカップルが踊るエッフェル塔、2幕ではレミゼの「星よ」を彷彿とさせる満点の星空が特にお気に入りです。

ダンスは時代の雰囲気を若干醸し出しながらもしっかり現代風で、見ると元気になる系でした。個人的に、フレンチカンカンの見せパンは、劇中のダンサーが身につけていた今風の短いパンツよりはズロースの方が時代感があって好みですが、そこはダンスが決まっていればどちらでも良いです。

以下は、キャラクターやお話について延々とぶつぶつ語るだけなので、お時間のある方のみどうぞ。

まず、振り返ってみて、この物語の主役は語り部であるクリスチャンよりもやはりサティーンだ、と再認識しています。
ティーンは子供の頃から、貧しさから金のためなら何でもやらざるを得ない世界に生きてきて、その枠組みの中で歌姫としてのし上がったがゆえに、自分が身も心も汚れていると自覚していたからこそ、自分が住む世界を「素晴らしい世界」と呼んでくれたクリスチャンに惹かれてしまったわけで……。

ティーンとクリスチャンは、今回は平原さんと井上くんで観ました。
平原さん、どちらかと言えば小柄な方だと思いますが、とにかくスタイルが良いので、舞台映えしていました。「這い上がってきた女」の酸いも甘いも噛み分けた雰囲気と、家族同然の仲間も、自分に純愛を捧げてくるお坊ちゃんも裏切れない義理堅さのどちらも自然に兼ね備えていて良かったです。
また、井上くん、こういう純情バカなお坊ちゃん役を演じると本当に上手いです。クリスチャンの心優しい一方で、未熟で自分しか見えていなくてイラッとさせる所まで含めて、巧みに見せていると思いました。これが、Wキャストの甲斐くんだと、もっと青臭さと恋に舞い上がる感じが強調されるのかな、と想像していますがどうなんでしょうね。

主演の2人以外で気になったのは、上野哲也さん演じる画家ロートレックです。少女時代から知るサティーンに心惹かれながらも、自身の身体のハンディキャップを引け目に感じて一歩引いて彼女を見守り続けてきたこのボヘミアンの青年を、上野さんが繊細な演技で好演していました。

それから、ムーランのオーナー兼興行主で時にステージにも上がるジドラー(橋本さとしさん)も、ライトでコミカルな場面とハードでシリアスな場面との橋渡し役として、実にいい味を出していたと思います。ジドラーとロートレックが芝居を随所で引き締めていたと言っても過言ではないです。

あと、何の思い入れもないのに心に引っかかって離れないのは、サティーンのパトロンとなる公爵。ひたすら戯画的にやたら金と権力を振りかざす存在で、位の高い貴族の割には全く上品には描かれていないのが潔いです。恐らく演じるKさん自身「貴族である」ことよりも、女を自分の所有物にすることに最大の価値を置いている人物として演じているためだと思いますが、実は2幕で彼の館が出てくるまでは、私、彼をかなり「偽貴族」じゃないかと疑っていました。
公爵、一応ヒロインに惚れる役なので、顔と財産以外にもう少し長所があっても良いと思いますが、あまりないですね……。ただあの徹頭徹尾傲岸不遜な性格がお好きな方にはたまらないかも知れません。
家柄は下(伯爵家)ながら一応名門貴族の筈のロートレックと何かあるのでは? と期待しましたが、それを前提にした会話は特に何もなし。彼をはぐれ者で身体が不自由な貴族と知っていて見下しているのか、そもそも貴族と気づいていないのかは不明です。

すみません、全く愛のない公爵に対して長々と語ってしまいました。

ムーラン・ルージュ』の物語は前述のとおり華やかなショーと甘い恋と苦い現実とで彩られ、悲劇的顛末を迎えますが、なぜか劇場から出る時には心に華やいだテンションが残るという不思議な作品です。リピートできるかできないか? で申しますと、全然できる! と自信を持って断言できます。
開演前と幕間、終演時のキャストが登場していないタイミングでのステージ撮影も許可されています。なかなか撮影が難しいきらびやかなステージではありますが。

願わくば望海サティーン×甲斐クリスチャンでも観てみたいところですが、ちょっと日程が微妙に合わなさそうで残念でなりません。

ところで以下は独り言ですが、「私、不治の病なの」と相手にストレートに重い事実を伝えるのと、何も知らない相手の目の前、しかもステージ上で突然大量に喀血して倒れるのとでは、相手に確実に重大なダメージを与えるのはやはり後者ですよね……。

 

『キングダム』大千穐楽配信感想(2023.05.11 18:00開演)

キャスト:
信=高野洸 嬴政・漂=小関裕太 河了貂=川島海荷 楊端和=美弥るりか 壁=有澤樟太郎 成蟜=神里優希 左慈HAYATE バジオウ=元木聖也 紫夏=朴璐美 昌文君=小西遼生 王騎=山口祐一郎 昌王・竭氏=壤晴彦

遅くなりましたが、『キングダム』の札幌大千穐楽(劇場:札幌文化芸術劇場 hitaru)を配信で観ましたので、ごく簡単に感想を残しておきます。

当日夕方、ぎりぎりまで仕事があり焦りましたが、どうにか18時から自宅にてリアルタイムで立ち会い見届けることができました。

数ヶ月ぶりに舞台版『キングダム』を観て、この演目、最初から最後までダレたり破綻したりがほとんどないのは実は希有なのではないかと、改めて感じていました。いまだに原作漫画は読めていませんが、きっとそれだけ原作に力があるのでしょう。

高野さんの信は初見でしたが、台詞もアクションもしっかりしていて、三浦さんに負けず劣らずはまり役と思いました。

政は結局小関さんしか見られていません。小関政は品があって好きなので良いですが、牧島輝さんが出演されるもう1公演の配信を観る時間はなく……残念!

そしてもちろんわれらが王騎将軍は、画面越しでも朗々と良く通る台詞回しで、圧倒的な強さと、その強さに相応しい絶対的な主の再臨を渇望する激しくも孤独な魂とを、決して長いとは言えない出演時間で強烈に演じきっていました。

川島さん、美弥さん、朴さん。女性陣もそれぞれに見せ場を持って好演されていましたし、小西さんら中堅どころ、複雑なアクションをこなすアンサンブルチーム、大ベテランの壤さん、祐一郎さん……。幅広い年齢層のキャスト一丸となって、完成された舞台を作り上げていたという印象です。

色々書きましたが、個々のキャストやキャラクターについてどうこうよりも、カンパニーの熱量と物語の力とが、中継ではありましたが真っ直ぐに届いてきて、それを受け止めるのが楽しかったです。後日特典の舞台裏メイキング映像を見た後付けの感想ではありますが、アクションも演技もあれだけ作り込み、カンパニーの雰囲気も悪くなさそうで。カーテンコールからも、文字通り老若男女揃ったカンパニーの温かさが伝わってきたと思います。しかもこのコロナ禍で1日も公演中止もキャスト休演もなかったというのはなかなか貴重ではないかと。

ここからは自分語りになってしまうことをお許しください。4月末の土曜日に咳、頭痛、鼻水、倦怠感ののち、夕方突然発熱し、日曜日に抗原検査で新型コロナウイルス陽性と診断され、連休最終日まで自宅療養、引きこもり生活を送っていました。

前出の諸症状、解熱後の嗅覚障害(回復済み)、謎のしつこい咳などは、まあ、諦めて受け容れるしかありませんでしたが、陽性診断の下った当日は、浦井くんの『アルジャーノンに花束を』を観に行く予定でした。チケットは発券済み、しかも夕方遅くの発熱であったため譲渡も叶わず、空席を作ってしまったのが本当に悔しくて……。ああ、こんな風に悔しい思いをした人が、この3年間でたくさんいたのだろうな、と、分かっていたつもりなのに今更ながら悟る日々。

そんなダメージを引きずった状態で観たからこそ、配信『キングダム』が余計に心にしみたのだと思います。自分の心の奥で折れていた元気の素が、舞台のパワーで温められて呼び覚まされた感じでした。

改めて、心から「完走おめでとう! キングダ・ムー!」と叫ばせていただきます。カンパニーの皆さま、スタッフの皆さま、本当にお疲れ様でした。また再演あるいは続編でお会いできる日を心待ちにしています。