日々記 観劇別館

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『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』初日感想(2019.8.31 13:00開演)

キャスト:
ヘドウィグ=浦井健治 イツァーク=アヴちゃん(女王蜂)
BAND-THE ANGRY INCH:
Guitar=DURAN Bass=YUTARO Drums=楠瀬タクヤ Guitar=大橋英之 Keyboard=大塚茜

 今回、『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』(以下、『HEDWIG』)という演目も、EXシアター六本木というハコも全く初めてでした。ついでに、ライブハウスという空間も、そして客席に普通のミュージカルファンと思しき大人しい客層と、尖ったロックファッションで決めた客層とが混じり合っている状況も初めてでしたので、「ミュージカルプリンス浦井くんの最新主演舞台」といういつもの感じと、普段の自分とは異質なテリトリーに紛れ込んでしまったアウェー感とで微妙にお尻が落ち着かない感触を味わいながら開演時間を迎えました。

……という話はどうでも良いので、以下、感想にまいります。初っ端からラストシーンに言及しますので、未見の方はご注意ください。

 

今回、まるっきり初見のHEDWIGをラストまで見終えて真っ先に抱いた印象は、
「え? もしかして、ヘドウィグの探していた『カタワレ』ってイツァークだった??」
というものでした。

もちろんラストのあれは、「ヘドウィグの不全感、そしてイツァークの抑圧からの解放の結果」と理解しているので、別にあの2人が互いに「カタワレ」だったわけではないと思うのですが、一瞬、「2人が魂の救済と解放により融合し完全体になった?」という印象を受けたのです。そう思わせられるほどにラストシーンのアヴちゃんは実に神々しく美しくありました。

 美しいと言えば浦井ヘドウィグも、舞台に登場した時から妖艶な美人さんでした。どんなに際どい台詞を口にしても露悪的な所がなく、終演後にロック系ファッションの女性客の方が「今まで見てきた中で一番上品なヘドウィグだった」と語る声が聞こえてきました。

私、HEDWIGという演目について、映画も過去の舞台上演も未見ではありましたが、
「性転換手術に失敗し、自らの不完全さに苦しみながら愛を求めてグロテスクに生きるトランスジェンダーの物語」
と最初は思っておりました。ところが浦井くんのヘドウィグにはグロテスク成分は薄めです。ヘドウィグとしてそれがベストなのかは分かりませんが(私的には演者それぞれのヘドウィグがあっていいと思う)、それ故に、 ヘドウィグの最初の結婚について、無論愛情がなかったとは言わないまでも、打算の要素が強かったという面が強く打ち出されていたように感じられました。あの時代に「東側」から「西側」に脱出するというのはかなりハードルが高かった筈ですので。

自由になるために危険な手術にトライした筈なのに逆に新たな傷と呪縛が生まれただけで、しかも愛が彼女の心を満たすことはなく、ひたすらに過去への呪縛と執着を繰り返すばかり。想像するだに恐ろしいです😢。

また、この物語のタイトルロールはヘドウィグなのですが、ヘドウィグという月の光の生み出す影と闇を象徴するような存在であるイツァークも、相当に難しい役だと思います。ヘドウィグと良く似た境遇でありながら、いえ、良く似ているがために理不尽な抑圧を受け、自由のためにそれに耐えざるを得ない鬱屈と矛盾とを抱えた人物。演じるアヴちゃんの、舞台上の全ての闇を支配するかのような昏く鋭い眼差しと、揺れ動く心情を体現するかのように聖なる女声と太い男声とを自在に行き来する激しい歌声とが、強烈なコントラストで心に残像を残しています。

そして、ヘドウィグの想い人であるトミー。彼がいなければ絶対この物語は成立しない癖に、彼女にかなりのむごい仕打ちをもたらした彼の内面については、ぎりぎりまで観客には伝えられないのがとてももどかしいです。

 

HEDWIGという演目については、正直なところあまりきちんと消化できているわけではありません。

ただ、LGBTというマイノリティ、多様性などのカテゴリに位置づけられるコミュニティ、あるいはドラァグクイーンの華やかな装い、そしてロックの激しいリズムに五感を奪われがちですし、また、それらの要素なくしては成立し得ない演目でもありますが、演目に込められたメッセージは極めて普遍的なものとして受け止めました。
人間が心に抱えたまま囚われているコンプレックスや不全感の象徴である「怒りの1インチ」について、
「『怒りの1インチ』なんて関係ない、そんなものを超越して愛しているよ」
と言ってくれる誰かが1人でもいてくれさえすれば、人間の魂は救われ解放されるのに、現実にいざ誰かが「それ」に向き合うとなかなか「関係ない」とは言えないのが人間のもどかしさであり、シビアな現実です。しかし、だからこそ「怒りの1インチ」を乗り越えていく、あるいは受け容れていくことは、無数の1インチの当事者にとっても、そしてそれに向き合う者にとっても恒久的かつ普遍的な人類の課題であると思います。

……ということをHEDWIGという演目からつい大真面目につらつらと考えてしまいました。もっと頭を空っぽにしてヘドウィグに、そしてイツァークに共鳴できれば良いのですが、どうもすぐ考え込んでしまってダメですね。