日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『マディソン郡の橋』感想(2018.3.11マチネ)

キャスト:ロバート=山口祐一郎 フランチェスカ涼風真世 マリアン=彩乃かなみ マイケル=石川新太 キャロライン=島田彩 チャーリー=戸井勝海 マージ=伊東弘美 バド=石川禅 others=加賀谷一肇

都合3.75回目*1の『マディソン郡の橋』を観てまいりました。今のところ、今回がマイ楽になる予定です。

以下、ネタバレありの感想です。しかも、ほぼ主役カップルのことしか書いておりません。
東京公演も後半戦になりましたのでいい加減しつこいかも知れませんが、これから『橋』を観劇予定の方はご覧になってからお読みいただくことをお薦めします。

今回の座席は3列目下手ブロックという、あまりにもステージに近すぎる場所でした。そのせいで逆に度胸が座ってしまったのか、それともお友達と楽しく美味しいごはんをいただいてリラックスした上に腰痛の痛み止めが効きすぎたのか、妙に落ち着いてフラットな心持ちでキャスト9名の美しいハーモニーを、随所で物語に緩急をもたらす加賀谷さんのダンスを、そして運命の2人の愛の顛末と彩り豊かな歌声を、ひたすらに全身で受け止めるような観劇になりました。

1幕ラストで山口ロバートの手を取って階上の寝室に誘う瞬間、涼風フランチェスカの決意の眼差しに背筋がぞくっとしました。あれは、出会うべくして出会った宿命の恋人、ロバートに対する激しい思いから一歩も引かず、自分の心に従い、2人でどこまでも行こうという覚悟の眼差しであると解釈しています。
更に、2幕のフランチェスカがロバートの両肩に手を置き、ロバートがその手を長い手指で(文字通り繊細な指と手つきで!)そっと取って語り合う場面。互いにたくさん愛し愛されて、身体の奥底から満たされた思いを味わっている様子が伝わってきました。そしてメロディーにハーモニーにと入れ替わりながら強く共鳴し合う男女の歌声。充ち満ちる幸福感。
なのに。その相手が「聞いてほしい、フランチェスカ。行こう、一緒に!」と渾身の(歌い方もまさに渾身の熱情を込めて!)呼びかけをしてくれているのに。「あり得ない!」と、フランチェスカは口にしてしまうのです。かけがえのない家族と会うこともなくここを立ち去るなんて! と。
大昔、奇しくも山口さんが過去の恋愛に関するインタビューで「男はロマンチストで女は現実的」と語っていたことがあったけど、まさにその通りだね、と思いながら、2人の最後の夜の帳が下りていく舞台をじっと見つめておりました。
なお、頭のほんの片隅ではありますが、『エリザベート』で夫の皇帝に死を覚悟の最後通告を突きつけた涼風シシィを「エリザベート、行こうよ、2人で」と黄泉へと誘惑して「いやよ、逃げないわ!」と拒否される山口トートもちらりと連想してしまいました。当然シシィは間違っても「家族が大事」と言うとは思えませんが(^_^;)。

原作小説のフランチェスカには「2人なら一瞬で」どこまでも行ける筈のロバートと共に行かない理由として、ロバートを見送る時点で既に、家族に対する責任を放棄したくないから、というきっぱりとした答えがあって、リアリストな傾向がより強いと感じました。
しかしミュージカル版ではフランチェスカ、その辺りの心情に若干の迷いがあるようで、夫と息子マイケルの諍いを収めようとすることにより明確に「家族」であり「母」であることを選び取る一方で、夫にハグされた時に露骨に避けたり、街でロバートとすれ違った瞬間になお彼の胸に飛び込む自分を想像してしまったりと、激しく逡巡し揺れ動きます。この違いは脚本家が、逡巡した方が絵面としての見所やドラマとしての盛り上がりがあるためにそうしたのか、それとも小説のようにあの状況で毅然とする女性は受け入れられづらいと気後れしたのか、あるいはその両方なのかは良く分かりませんが、もう少し毅然としたフランチェスカでも良いのにね、と考えてしまう場面です。

その後のフランチェスカは心にロバートとの素敵な思い出を棲まわせ続けながらも、娘は近くに嫁ぎ、息子は反抗期のサポートの甲斐あってエリート医師に、ついでに夫は濡れ落ち葉にもならず最期まで家族思いのまま先立ってくれて、と割と普通に幸福になるわけですが。
今回、白髪になって死を前にしても静かに待ち続けたロバートが「色あせても浮かび上がるのはあの日のあなた」と歌うのを聴きながら、これほどに残酷な幸福はない、と思ってしまいました。
決して本人は後悔もせず、むしろ自分と来るより家族を選ぶ彼女だからこそ好きになったのであり、しかも孤独な暮らしの中で生涯運命の相手を待ち続け、愛を捧げ続けることができたことの幸福を自覚しており、自身を不幸だとは露ほども考えていないのですが、であるからこそフランチェスカの幸福と比べた時にロバートの幸福に痛ましさを覚えてしまいました。

ただ、波風なく穏やかに妻と相思相愛であったチャーリーや、知らぬが仏とは言え無骨な愛情で妻と子を包み続けたバドと同様、ロバートの送った生涯もまた一つの幸せの形であり、愛情の形であることには違いありません。
愛って何ですかねえ? とベタすぎることを考えながら、これで見納めなんて……と消え入りそうな気持ちで劇場を後にしつつ、隣の建物でしっかりお買い物をして『橋』仕様チケットケースを入手してから帰宅いたしました。しかしゲットしたは良いですが、なかなか使いどころに困るケースではあります(^_^)。

*1:1回分は4分の1遅参しましたので……。