日々記 観劇別館

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『エリザベート』感想(2010.9.12マチネ)

キャスト:
エリザベート瀬奈じゅん トート=山口祐一郎 ルイジ・ルキーニ=高嶋政宏 フランツ・ヨーゼフ=石川禅 ゾフィー杜けあき ルドルフ=伊礼彼方 ルドヴィカ=春風ひとみ マックス=村井国夫 少年ルドルフ=鈴木知憲

本日で山口トート耐久レース終了と相成りまして、1ヶ月ぶりに彼のいる『エリザベート』を観てきました。
そういうわけで、今回の感想はいつも以上に彼に偏っていることをあらかじめお断りしておきます。ついでに目も腐っていると思います。すみません。

山口トート、今期は好調を保っているらしいとは他の方のブログやツイッター界隈で目にしていましたが、想像以上でした。
「最後のダンス」が、シシィへの深い情熱と執着と傲慢が込められた、実に官能的かつ激しい歌いっぷりで、「渾身を振り絞る」とはまさにこういうことか、とただただ世界に浸るばかりでした。
当然アクションも激しく、萌えポイントである、思い通りにならないシシィに焦れて、両手を握り拳にしてぶんぶんと振る姿も健在で喜ばしい限りです。
自分が最も最近に観たトートが低体温系で動きもあまり激しくない城田トートだったので、余計に山口トートの熱さ、激しさが際立って見えたのかも知れません。

また、あの強烈な目力ビームを放ちながら、シシィ本人のほか彼女を取り巻く人々をいたぶり弄ぶさまは、まさに「どS」(笑)。俺様度がただ事ではありませんでした。
そして、革命ダンス等でのアクションに込められた質量感が凄まじかったです。山口トートは、自分がいたぶった結果であるシシィやルドルフのパッションを自らもそっくり全部受け止めていて、それがあの質量感に繋がっているのではないかと想像しています。

ちょっと本題からずれますが、ダンスに関して言えば、あんなに質量感のある踊り方をする方は珍しいと思うのです。決して「鈍重」というわけではなく、振付通りにテンポも保って動いているにも関わらず、一つ一つの振りに純金並みの質量が詰まっているとしか言いようのない、そんなずっしりしたダンス。と、ここだけ抜粋するとまるであのダンスが嫌いみたいですが、でも好きです(^_^)。

そして今回、もしかしたら気のせいかも知れませんが、え?と思った演技。
ルドルフにキスしながらピストルを渡す場面で、山口トート、どうも目を見開いたままでキスしていたような気がします。伊礼くんの顔のやや斜め方向から力強くがっつりと行っていました。ちなみに今回の席はL列の上手ブロックです。
もう一つ気になったのは、エピローグのシシィとのキスから納棺に至るまでの表情。顔中くしゃくしゃにすることも厭わず、感極まった泣き笑いの表情(しかも泣きの要素強し)をしていました。
まるで人間のように喜怒哀楽の感情を顕わにするトート。長い間求めたシシィの魂が漸く手に入ったという喜び故か、それともシシィの魂が激しく生きる姿を二度と見られなくなる悲しみ故か?と考えを巡らせずにはいられない、とても複雑な表情でした。

これは付け足しですが。
山口トートは絶対幕間等にメイクを、もっと具体的にはアイメイクを直していないに違いない、と本日確信いたしました。
彼の場合、ゲネプロや初日でばっちりメイクを決めていたとしても、その後徐々に塗りが薄くなっていくのが定番ではありますが、今期は1幕でゴンドラに乗って初登場する時点では、比較的綺麗にアイメイクを決めている印象があります*1。でも2幕が終わり、カーテンコールで登場する頃には……アイメイクがすっかり消え失せているのでした。2幕のアクションで乱れまくったカツラの髪は綺麗に梳られていると言うのに。
汗で流れた?とも少し思いましたが、山口さんは汗かきではないので、そう簡単には流れまい、と思い直しました。

以下は他キャストの感想です。

まず瀬奈シシィ。最初に観た時よりはだいぶ少女時代に違和感がなくなってきたように思います。でも「愛と死の輪舞」でびっくり顔のシシィに優しく微笑むトートを見ながら、
「トート、こんな素頓狂な女で本当にいいんかい!?」
と心の中でツッコミを入れてしまったことを告白しておきます。瀬奈さんごめんなさい。

瀬奈シシィですが、実は個人的に捉え所が難しくて悩んでおります。
一路シシィの坩の強さ。朝海シシィの強烈なエゴ。涼風シシィの図太さ。さて、瀬奈シシィのそれらに当たる個性って一体何でしょう?
と思ってしまうのは、瀬奈シシィの「私だけに」が、歌そのものは上手いのに、何だかもやもやしてこじんまりと収まってしまっていると感じたからなのですが。
自分らしい生き方を求めつつも他者(パパやヴィンディッシュ嬢)の人生を羨む、トート(死)に強い憧憬を抱きながらも抵抗し続ける、等の矛盾点を抱えながら生きる、シシィという人物のすっきりしない内面がそのまま投影されてしまっていると申しましょうか。
一観客としては、「私だけに」はシシィの人生ポリシー決意表明だと解釈しているので、もう少しすっきりと聴きたいのが本音ですが、実はシシィってそう単純にすっきりできる人間じゃないんだよ、という事実を突きつけられているようで、複雑な思いです。
逆に、そのすっきりしなさ加減が、2幕の禅フランツとの「夜のボート」では、単純でない二人の関係を示唆していてプラスに働いてはいるのですが、もやっとして音楽に専念できないという問題があったりもするのでした(^_^;)。

禅フランツは何度観ても切ないです。
若い頃から自分の立場を受け入れ、母上の言葉に忠実に生きてきた彼が、ただ二度背いたのがいずれもシシィ絡み(結婚と、母上との決別)だったのに。シシィと出会えて心に「皇帝の義務」を住まわせつつあんなに幸せそうだったのに。
トートにあんなに嘲笑されて(しかも今期の山口トートの嘲笑ぶりがまた強烈!)、大好きなシシィも連れ去られてしまうなんて、と人生の哀感をひしひしと感じます。決して同情はいたしませんが。

それから、今期2回目の杜ゾフィー。8月よりはだいぶこなれて聞きやすい歌声になっていたのは流石だと思います。
彼女の場合、母性薄めで割と凛としたゾフィーなので、死の場面(所謂「ベラリア」)の、息子を育てて云々の部分の歌詞が取って付けた様に聞こえてならないのでした。
ゾフィーハプスブルク朝とその統治する国家に忠誠を誓っているのであって、息子や孫は飽くまで忠誠のための手駒の一つ、と割り切る強さを持っているように見えるので、歌詞の後半部分の「国が滅びてしまう」の方が本音だと言われても疑いません。

そして、今期初見の伊礼ルド。
流石に万里生ルドと比べるとやっぱり声量はアレでした*2
また、演技も歌もガンガン熱い系の万里生ルドに対し、伊礼ルドは割とおとなしめです。でも、内面には熱さと空虚さを同時に抱えてるんだろうな、と感じさせてくれます。父上に対しては精一杯突っ張って生きてきた彼が、ママに対してはがっくりと膝を折って「最悪の事態に陥ってしまったんだ……」と泣き顔で縋り付くさまがツボです。

本日は、滅多にないほど観た後の充実感に満ちた公演だったと思います。
9月は8月とは打って変わって、あと3公演(うち山口トートは1公演)観にいく予定です。頑張ります。

*1:それでも初日よりは薄いと思いますが!

*2:プロローグの亡霊姿で「あ、ルドの声が聞こえない」と思ったことを小さく書いておきます。