日々記 観劇別館

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『LOVE OF SEVEN DOLLS 七つの人形の恋物語』感想(2010.7.31ソワレ(初日))

キャスト:にんじん=高野菜々 レイ(レイナルド)=広田勇二 アリ(アリファンファロン)=新木啓介 ムッシュ・ニコラ=五十嵐進 デュクロ博士=藤田将範 マダム・ミュスカ=浜崎真美 ジジ=安彦佳津美 ムーシュ(マレル・ギュイゼック)=関根麻帆 キャプテン・コック(ミシェル・ペエロ)=今拓哉 バロット=安中淳也 ローラ=井田安寿 劇場支配人=秋本みな子 ゴーロ=石山輝夫 ボスケ=光枝明彦

ル テアトル銀座に『LOVE OF SEVEN DOLLS 七つの人形の恋物語』を観に行ってきました。
因みに音楽座ミュージカルは初観劇。パンフがシアター情報誌『Confetti』の特別号という形式で入口で無料配布されていたり、終演後ですが役者の方(本日はにんじんとデュクロ博士ほか1、2名)がロビーに立ってご挨拶されていたりと、新参者には目新しい世界がありました。

物語の時代設定は第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の時代(多分1930年代前半〜中頃)のヨーロッパ。舞台のプロローグは、人形遣いの男、キャプテンことミシェルの、闇と不信に満ちた内面の独り語り。そしてカーニバルの夜、川に身投げしようとしていた孤児の少女ムーシュ(「ハエ」を意味する蔑称)が、キャプテン率いる人形一座の人形達に拾われた所から、本格的に物語が展開していきます。ムーシュの眼には何故か人形達が魂を持って生きているように見え、いつしか彼らとムーシュの舞台での生き生きした掛け合いショーが評判を呼び、ついには大劇場に進出。しかし(人形を遣っている筈の)キャプテンのムーシュへの態度は冷たく、暴力、陵辱等過酷な目に遭わせます。やがてムーシュが軽業師バロットと心を通わせるという変化が訪れ、また、ナチスの台頭が始まり一座の滞在する街も戦渦に巻き込まれていく……というのが物語の展開です。

最初、登場人物の設定(粗暴な旅芸人・拾われた無垢な少女・少女と心を通わせる第三の男)がフェリーニの『道』に少し似ている?とも思いましたが、展開は全然違いました。
ミュージカルなのでダンスシーンも勿論ありますが、どちらかと言えば歌とドラマの丁寧な積み重ねで進行していきました。こういうタイプのミュージカルは割と好きです。
Rカンパニーには、パンフのキャストプロフィールを見ると、元劇団四季の方がかなり在籍されているようです。そのためもあってか、今さんや光枝さんといった元四季の客演メンバーな方も溶け込んでほとんど違和感がありませんでした。
この『七つの人形〜』という演目の、人形遣いの複数の裏人格が複数の人形に具現され、遣い手の本音は彼らにより語られる、しかも表人格が一番困った奴、という設定はとても面白いと思いました。人形のにんじんさん(高野菜々さん好演。何故かムーシュは彼だけ「さん」付けで呼びます)は母親に捨てられた幼いミシェルの分身であり、狐のレイはキャプテンの本音、特にムーシュに対する本当の気持ちの語り手。他の人形もそれぞれキャプテンの屈折してせめぎ合う内面の具現者。しかもキャプテンの表人格は、母親と去っていった軍人がミシェルに見せた冷酷さそのもの、という複雑さが何とも魅力的なのです。
そんな複雑な内面を持つ人物を、今さんは見事に表現しきっていたと思います。ライトなファン*1としては、今さんの今回のようなコクのある良い演技が見られるのは嬉しい限りです。
今さんについて言えば、ムーシュがキャプテンに凌辱されるシーンでは、事後に軽く服装の乱れた*2今さんが一瞬だけ登場して妙にドキドキしてしまいました。不覚。
ちなみにこのシーン自体は、キャプテンがムーシュを押し倒した瞬間に黒衣のダンサーズが現れ、下着姿のムーシュを翻弄するダンスで表現されていました。ちょっとエリザのシシィとトートダンサーとのダンスにも通じるイメージを覚えました。あれよりもっと感情表現が生々しいですが。
同じようなダンスシーンでも、2幕でムーシュがキャプテンに酷い仕打ちを受け、ゴーロ(人形一座の雑用係兼アコーディオン奏者)からキャプテンの身の上話を聞いた後で自分の意志に目覚める場面の、インストゥルメンタルに乗せた黒衣ダンサーズのダンスは、やや間延びしていたように思いました。ムーシュがキャプテンを抑圧者ではなく一人の人間として見つめ直した上で、「自分は(蔑称の)ムーシュではなく、本名のマレル(海)だ」と悟る重要な場面ではあるのですけれど。
このゴーロというキャラクターもなかなか味わい深かったです。一見ムーシュと同様、キャプテンに邪険にされているだけのように見えて、実は全てを達観して受け入れ、ひたすら見守る人物。演じている石山さんは今さん達同様客演ですが、四季のご出身ではなくストプレ畑の方ということで、他のキャストと少し空気の違う何とも言えない暖かみを醸し出していました。

人形達の登場シーンで苦笑いしてしまったのは、ムーシュがキャプテンに襲われた翌朝、こっそり一座を去ろうとするのを見つけた人形達が、朝食のソーセージ等を差し出したりして必死に止めるエピソード。あれだけ酷い事をしておきながらムーシュに出て行って欲しくないキャプテンの裏人格に呆れつつどこか憐れみ、ひいては微笑ましさすら覚えるのは不思議です。
逆にこれは!と思ったのは、一座が大劇場の舞台で演じた『シラノ』の、シラノがプロンプターとなりクリスチャンがロクサーヌに告白する場面。人形レイがシラノを演じ、更にシラノのプロンプターをムーシュが務めるという図式でした。クリスチャンが語る愛の言葉は本当はシラノの紡ぎ出した言葉。更にその台詞は現実にはキャプテンの唇から語られており、ムーシュに向けられている、という二重にも三重にもなった構造が面白かったです。
最大の見せ場はやはり、クライマックスの人形達の対話、そして人形達とムーシュとの対話だったと思います。人形達の集団自殺決議、意に従わぬ分子の排除、という展開はかなり辛い物がありますが、最初は人形達とムーシュとの間に交わされていた言葉が、次第にミシェルとマレルという一組の男女の言葉に置き換わり、理解し合えた刹那に……という怒濤の展開にすっかり圧倒されてしまいました。
エピローグは何通りかの解釈ができそうです。1人だけが生き残ったのか?あるいは奇跡的に2人とも生き延びて一座を続けているのか?等々。いずれにしても、もう昔のように2人が抑圧する者・される者の関係でなくなったのは確かだと思います。

物語の中で一個だけ謎だったのは、キャプテンの幼馴染にして女スパイのローラの劇中での役割でしょうか。
いえ、キャプテンが、バロットと仲良くするムーシュへの当て付けに彼女を使ったのと*3、生きるために手段を選ばず戦争の点火にすら荷担する戦災孤児の悲劇の象徴である、ということまでは分かったのですが、結局彼女は劇場主のボスケ爺様を利用して何がしたかったのか?という点がよく分かりませんでした。
ただ、これについては観劇後に友人とも話しながら考えたのですが、彼女は恐らく、ジプシー(ナチスの弾圧対象)であるバロットとその仲間達の次の渡航先の情報なんていうのも収集していたのだと思います。終幕の時点でバロット達の消息を示すものは何もなく、ということは無事渡航して逃げおおせたのかどうかも分からないままです。もし彼らが渡航を果たせなかったとしたら?という仮定に思いを致すだけで背筋が凍ります。

なお、今回、何せ初日だけに開演は10分ほど遅れ、終演時刻も入口に掲示された時刻を20分ほど過ぎてしまっていました。前述の黒衣ダンサーズのダンスなど、もう少し尺を短くできそう、という場面が所々見受けられたので、東京公演を経て地方巡演に向かう頃にはもっと洗練されることを期待してよろしいかと思います。

*1:対山口さんに比して、という意味です。

*2:いや、胸がややはだけてシャツの裾が長ズボンにきちんと入っていない程度ですが。

*3:ローラとキャプテンのやたら艶っぽいキスシーンが2度ほどあり(笑)。