日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

確固たる言葉

だいぶ以前の雑誌『レプリークBis』(2005.July.vol.1)に掲載された山口さんのインタビューの一問一答を、時たま再読しては元気づけられています。例えば以下の発言。

今とは違う人生がありえたとして、どんな自分を想像しますか。
「違う人生でも、今と同じ僕。自分が好きということじゃないですよ(笑)。自分を受け入れている。自分を受け入れない人は、人も受け入れられないんじゃないでしょうか。」

無人島にたったひとつしか持っていけないとしたら、さて何を持って行きますか。
「全部。全部をひとつとして、自分の中にあるもの全部。自分の中にある一切合切を持っていければ、それでいい。具体的な物はいりません」

あまりにも確固とし過ぎていて、それは一方で他人が簡単に隙に付け入ることをきっぱりと拒絶している感じでもあり、一抹の寂しさを覚える言葉でもあります。また、世の中自己否定に凝り固まってしまっている人もたくさんいるわけで、そういう人達にこのような明快な自己肯定の言葉を向けたとしても、そう簡単に立ち上がれるものではないかも知れません。
それでも、嘘でも良いからまずは自己をしっかり肯定する所から始めてみることにより、何とか進む道筋の少し先を照らす、ほのかな灯りぐらい点すことはできるのではないか?と、これらの言葉を読み返して考えさせられました。

他方、同じ記事で、
「理想のために頑張り過ぎて自分の肉体を切り刻むことを自分は20代のうちに止めている*1。でも限界まで頑張った結果については(頑張りすぎて舞台でベストコンディションでいられなくなるかも知れないことを含めて)、自分で責任を取らなくてはならない、ということが限界まで頑張ったから分かり、欠点も含めたあるがままの自分を受け入れられるようになった」
という主旨の発言もされています。
つまり、山口さんが現在の(4年前ですが)自己をまるごと肯定できているのは、やるだけのことをやり、更にある程度の年齢を重ねた故なのでしょう。やっぱり自己について確固たる言葉を吐けるようになるために、「しゃーない、もう少し私も頑張るか」と思うのです。

*1:確かに20代の頃のポートレイトを見ると、瞳や表情がかなりぎらついてたりします(^_^;)。