日々記 観劇別館

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『ジーザス・クライスト=スーパースター』(エルサレム・バージョン)感想(2007/8/12マチネ)

ジーザス・クライスト=柳瀬大輔 イスカリオテのユダ=金森勝 マグダラのマリア=高木美果 カヤパ(大司教)=飯田洋輔 アンナス(カヤパの義父)=阿川建一郎 司祭1=佐藤圭一 司祭2=田辺容 司祭3=川原信弘 シモン=神崎翔馬 ペテロ=田中彰孝 ピラト=田島亨祐 ヘロデ王=半場俊一郎

二度目にして今回最後のJCS観劇。前回のように眠気にさいなまれることもなく、無事見終えました。
観劇後最も心に残っている台詞はジーザスの
「死を越えて行くのには死ぬほかはない」
という言葉。前回は気にも留めなかったのですが、これって自分の教えを旬の状態のままで完成形にするには自分が死ぬしかないと気づいているということ?とぞくっとしました。ユダはもちろんジーザスのそういう心理まで分かって裏切ったわけではないのだろうけど、ジーザスはユダとの気持ちの食い違いまで分かっていて迫り来る死を受け入れたのではないか、と思います。しかし、ジーザスは自分が死後どこに行くのか理解はしていますが、死への恐れから完全に逃れることは出来ません。そんなジーザスの姿にたまらなく矛盾した「人間」を感じました。
そしてユダ。香油を無駄遣いだの「そのような女」呼ばわりだのマリアに対する扱いがさんざんなのは、やっぱり男故にマリアのようにかいがいしく寄り添って世話することが出来ないからねたましいんじゃないか、としか思えない煩悩な私。あと、この人もとても矛盾した人間です。民衆に祭り上げられたら後は堕ちるだけみたいなことを言っておきながら、ジーザスを裏切った後に「死んだらあなたの理想は実現できなくなるのに死を受け入れるなんて失望した」(うろ覚え)ということを言ってますし*1。そんなユダも結局全ては神の定めし筋書であったと気づき、ジーザスのいない世界が耐えられず自殺してしまうのが何とも切なかったです。実際はジーザスの人間の身体が喪われただけで、彼は現代に至るまで生き続けているのですけどね。

さて、本日のキャストは何と先週とまるっきり一緒でした。下村ユダヘロデカムバック!と思ったけれど、半場ヘロデも悪くない、でも動きが少ないのは不満だぞ、と思ってみたり*2。あと、実はカヤパの歌声がめちゃくちゃ渋いということに気づいてしまいました。あんなディズニーの某看板ネズミみたいな帽子(違う)をかぶっている悪役の癖に。ユダに力ずくで銀貨をつかませる場面が結構いやらしいです。
もう一点、演奏について。JCSの舞台にはオケピが見あたらないのでてっきりテープ演奏だと思い込んでおりました。しかし、カテコの演奏で金管楽器が思い切り音をボヘーと外してくれたので、あっ、生オケだったんだ、と判明いたしました(^_^;)。あの八百屋舞台のどこにオケピが隠れているんでしょう?裏?それとも真下?
(2007/8/19追記)
JCSの音楽についてですが、やはりテープ録音だそうです。コメントにてご指摘いただいたがぶがぶさん、ありがとうございました。

*1:別に祭り上げられることがジーザスの理想じゃないけど、民衆に浸透してこその教えですし。

*2:下村さんは先週はライオンキングの方に出ていらしたらしい。