日々記 観劇別館

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『オペラ座の怪人』観劇記(9/30マチネ)

キャスト:オペラ座の怪人(ファントム)=佐野正幸、クリスティーヌ・ダーエ=沼尾みゆき、ラウル・シャニュイ子爵=北澤裕輔、カルロッタ・ジュディチェルリ=岩本潤子、メグ・ジリー=荒井香織、マダム・ジリー=秋山知子、ムッシュー・アンドレ=林和男、ムッシュー・フィルマン=青木朗、ウバルド・ピアンジ=半場俊一郎、ムッシュー・レイエ=松下武史、ムッシュー・ルフェーブル=深見正博、ジョセフ・ブケー=塚本伸彦

劇団四季のロングラン・キャストCD(ファントム=山口祐一郎)を聴いたのをきっかけに興味を持ち、今期の上演期間中に一度観ておきたいと思っていましたが、運良く当日会場引換チケットを入手できたため、汐留の電通四季劇場「海」まで出かけてきました。
ストーリーは四季のサイトのステージガイドに出ていますのでそちらをどうぞ。

今週ファントムにキャスティングされている佐野さんは、長くラウル役を演じていたとのこと。演技や歌声にどこか「粘っこさ」があります。そして、立ち居振る舞いが若々しくなくて、歌声もあまり艶々していない(すみません)のが特長です。どうも山口ファントムを耳「だけ」で聴いていると若く華やかなイメージが出来てしまっていていけないのですが、ファントムという人物は闇の世界で長く暮らしてきて、ある程度の年齢を重ねている筈なので、若々しくなくても全く無問題どころか却って良い作用をもたらしていました。そういうわけでお歌も別に華々しくなくて構わないのですが、もう少しだけファルセットとロングトーンが綺麗ならば、と思いました。
沼尾さんのクリスティーヌは、ちょっとおばさんっぽい風味あり。メグ・ジリーと並んだ時などかなり年上に見えてしまいましたが、パンフのキャスト紹介写真を見ると普通にお若い方なので、これはメイクの影響でしょうか。歌声はよく伸びて、高いけどキンキンしていない美声でした。
そして北澤さんのラウル。ちょっと鈴木綜馬さん(かつての芥川英司さん)に似た雰囲気だと思いました。端正で王子様属性がたっぷりで、これなら最後にクリスティーヌが選んでも仕方ないかなと(笑)。強烈な個性で場をかき乱すようなタイプではないけれど、歌声も温かさがあって好感度は高かったです。

さて、肝心の作品についてです。CDでさんざん聴いてきた各楽曲が、実際の舞台ではこうなっていたのか、といちいち確認し、時に感動を覚えながらの鑑賞となりました。
見るもの全てが新鮮だった中、演出で特に引き込まれたのは1幕のオペラ座の地下湖のシーンです。ファントムとクリスティーヌが舞台を右に左に横切りながら長い階段を下りていくと青く煙る湖の水面が見え、もやの中で無数のろうそくが次々に点り、やがてその灯りの真ん中を抜けて2人を乗せたボートがゆっくりと漕ぎ出し、ファントムの怪しげな隠れ家にたどりつく。この幻想的な光景を、役者さんと裏方さんで一点の呼吸の乱れもなく見せてくれる段取りの見事さにはただ感嘆するしかありませんでした。そりゃあれだけ長期間、連日上演しているのだから当然と言えばそうなのですが、「職人芸」「継続は力なり」という言葉が重みを持って心に響いてきました。もちろん他のいくつかの場面でも感嘆を覚えるところはありましたが、見事に術に嵌められた、と思ったのはここだけです。
演技面で印象に残ったのは、アンドレ(芸術派)&フィルマン(実利派)の支配人コンビ。あの哀しい愛の物語の中で数少ない笑いどころを担いつつ目立ってはいけないという、実は難しい役どころだと思いますが、期待に違わず一歩引きつつ笑わせてくれていました。
あと、2幕のクリスティーヌの墓参りのシーン。ファントムが十字架から抜け出てくる時に十字架をびくともさせずに静かにすうっと出てくる姿が美しかったです。どこにも引っかからずにあの狭い十字架の隙間を抜けるのって結構な練習が要るんだろうな、と思わず想像。
そして余韻のあるラストシーン。ただ一度のキスだけを残してクリスティーヌが去り、元の独りぼっちになったファントムはいずこへか消え去り、残された仮面を手にして呆然とひざまずくメグ・ジリー。幼い頃から母親に付き従ってオペラ座で育ったであろう彼女は、事の核心には至らないまでも、本当はかなり真実の近くにいたのではないかと想像をかきたてられる場面でした。

しかしクリスティーヌ……ファントムの立場から見ると実に非道い女です。何せ自分で仮面を剥いでおいてあんなに飛び退いて逃げてるし、というのは置いといて、あんなに手塩にかけたのに、自分のおかげで才能が認められた途端に若い王子様に走るなんて何事ー!とファントムが嫉妬に燃え盛るのも無理はありません。
それでも以下の理由により、彼女の行動は必然だったのだと解釈しています。人に愛されたことがなかった故に歪んでしまったファントムの愛情という闇に彼女の純粋な魂は囚われてしまっていたわけですが、多分彼女の魂を救ってくれるのであれば、誰が手を差し伸べたとしてもそれにすがっていたことでしょう。偶々最初にアプローチしたのがラウルだったというだけで。
では逆に、あのままラウルが現れなければクリスティーヌが大人しくファントムの囚われになっていたかと言うと、決してそうは思えないのです。ファントムが彼女を虜に出来ていたのは、彼女が亡き父親のイメージをファントムに投影していた、言ってみればファザコンの結果であることが墓地の場面から匂わされています。そもそも最初はファントムのことを「パパが送ってくれた音楽の天使」と思いこんでいたぐらいですし。やがて彼女の才能が世間に認められれば必然的に上流社会とのつながりも出来、いずれファザコンを打ち破る相手が目の前に現れていただろうことは想像に難くありません。
と、このように考えると、既にクリスティーヌを愛した時点でファントムは棄てられる運命にあったわけで、それ故に彼の哀れさはより一層のものとなります。ただ、最後に彼の恋愛感情は無残にも絶たれてしまいましたが、クリスティーヌからの感謝と下心のない愛を込めた唯一のキスで、彼の魂は救われたのでしょうか?個人的には、多少なりとも救われていて欲しい、と願いつつ劇場を後にしました。

…以下は蛇足で気になった事というか、おまけのような感想です。
カーテンコールの服装について。クリスティーヌは最後に着ていたウェディングドレス。ファントムはカツラに仮面に燕尾服の正装。でもラウルはクリスティーヌ救助の時のままの腕も露わなズダボロのシャツ姿。何故?ファンサービス?それとも姫を救い出したナイトとしての勲章?
それと、劇団四季の劇場は初めて行きましたが、座席の傾斜が急で配置も千鳥になっていて実に見やすくて感動しました。日生はともかく、帝劇の座席の見えづらさはかなりどうかと常々感じているので。
また、帝劇や日生でかかる東宝ミュージカルの演目と比べて客席の男性率が高いのにびっくり。しかも、いかにも連れられてきていますな感じじゃなくて、自ら望んでこの演目が観たくてこの場にやってきた、という雰囲気の方がちらほら。役者にも演目にもキラキラ感のあふれる東宝ミュージカルよりもむしろ、四季ミュージカルの方が男性には入りやすいのかも知れませんね。
そして、東宝ミュージカルを観劇した後よりも疲れの少ない自分がここにおります。恐らく座席が見やすかったのも一つの要因ではありますが、役者さんの演技に一喜一憂するドキドキ感が少なかったのが最大の要因かと思われます。ある意味東宝ミュージカルは心臓に悪いかも。もしかして四季で否定していると言われるスター中心主義の弊害ってこれ?と思いましたが、観劇後のカタルシス感は東宝ミュージカルの方があるような気がします。
かといって四季ミュージカルがつまらないかというと絶対にそんなことはないのがポイント。これについてはそのうちまた分析してみたいところです。