日々記 観劇別館

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『笑う男』感想(2022.02.12 13:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=熊谷彩春 ジョシアナ公爵=大塚千弘 デヴィット・ディリー・ムーア卿=吉野圭吾 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=ポピエルマレック健太朗

『笑う男』の帝劇初日公演が直前に中止になってからはや9日。その後2月10日に遅れ開幕したものの、いつまた何があってもおかしくない、と緊張の日々を過ごしていましたが、2月12日、無事マイ初日を迎えることができました。

実は今回の座席は最前列を確保していたので、もし再度中止になっていたらしばらく立ち直れなかったかも知れません。と言うわけで、早速感想にまいります。ラストのネタバレがありますので、未見の方は観劇後にお読みいただくことをおすすめします。

帝劇版の『笑う男』は、やはり舞台の奥行きが深い! と思いました。演出は、空間の使い方以外は全体に初演とそう大きく変わっていなかったような印象です。ただ、冒頭の船の遭難は、初演の方が迫力があったような気がします。何でだろう?

雪原を小さなグウィンプレンがもっと小さなデアを抱えてさ迷う先に、ウルシュス父さんが現れるとやはりほっとします。そして、新米父さんがあやしても火のついたように泣き続けるデアが、グウィンプレンの腕に渡った瞬間ぴたりと泣き止むと、もっと安堵します。

ウルシュス、成長した子供たちを擁した一座のショーを始める際に、
「今日も無事に幕が開きましたぁーー!!」
と元気良く叫んでくれたので、こちらもできるだけ元気良く拍手を返しました。

そして、子供たちが舞台を勤める姿を袖からはらはらと熱い視線で見守るウルシュスを、子供たちそっちのけで観察する私……。父さんの愛情は今回も海より深く、厳しくも温かい、全力投球な子育てです。トークが暴走する息子に必死にストップをかけ、公演終了後に(本当は暴力はいけませんが)鉄拳制裁するさまもまた良し。

浦井くんのグウィンプレンは、初演の時も少し思ったのですが、異形の筈なのにあまり異形な感じはありません。ウルシュス演出のショーではアクションも難なくこなし、デアを護り、しっかり二枚目役を演じていて、ああ、これはこの一座で2人が根を生やして生きていけるようにウルシュスが作り上げたんだろうな、だから父さん、「幸せになる権利」で外に出て行こうとする息子にあんなに渾身の説得を……と、変な所でうるっときました。

その「幸せになる権利」、リプライズで同じメロディーが繰り返し使われていますが、メインのウルシュスとグウィンプレンのデュエット、ただでさえ節回しなどが難しそうな歌なのに、そこに「お前はここにいろ、それがデアもお前も一番幸せだ!」とか「貴族だけでなくぼくだって幸せになれる!」とかの感情を乗せて歌って伝えるのって、本当、演者の力を要求されるよなあ、と思いながら聴いていました。今回公演が再開してくれて、無事この神デュエットにも再会できたよ、ありがとう! という気持ちでいっぱいになりながら。

父子のことばかり書いてしまいましたが、初見の彩春デアにも触れておきたいと思います。彩春さんを観るのは多分2回目ですが(前回は『天保十二年のシェイクスピア』)、澄んだ歌声が綺麗です。そして本当に愛らしくて純白なデアで……。何となく、東宝芸能の役者さんで歌の上手い若手の女性が出てきても東宝にそのまま長く定着して地位を確立できる方はそんなにたくさんいないような印象を受けているので、できれば長く活躍して欲しいな、と思いつつ、この声でクリスティーヌとか歌ったらどんなに良いだろう、とも考えてしまう複雑な自分がおります。

なお、『笑う男』の手持ちチケットは残り1枚(帝劇楽)ですが、デアは彩春さんです。前述のとおりとても素敵なデアなのですが、できれば真彩希帆さんのデアも観て、それぞれの良さを堪能したかったと思います。希帆デア、中止になった初日が唯一のチケットでしたので😢。

今回特筆したいのは、吉野デヴィット(読み方は「デヴィッ」のように思いますが役名は「デヴィッ」)と千弘ジョシアナ。この2人……エロかったです! それぞれに自堕落に走らないとやっていられない心の闇を抱えている感じが伝わってきて、余計に退廃的な色気がだだ漏れしていました。初演でデヴィットとジョシアナを観た時にはそこまでは感じなかったのですが。特にデヴィットは、吉野さんだと役の実年齢に近いので(25年前のグウィンプレン誕生時に既に青年の筈)、よりしっくりはまっている印象です。

とりあえず、ジョシアナという人物に少しだけですが共感したのは今回が初めてでした。井の中の蛙ではありますが、決して好き好んで1%の特権階級に生まれたわけではない人。庶子とは言え王女としてのプライドは高く、どう考えても特権階級でしか生きられないのですが、常に息苦しさを覚えていて、刹那的な享楽に耽って現実逃避してしまう人。多分、グウィンプレンへの気持ちは一夜の相手へのそれではなく、特権階級という地獄から救い出してくれるかも知れない相手にすがる愛だったと思われますが、強制されるのが嫌いで、かと言って他人を本気で愛したこともないので、全てが終わってからでないとそれが愛であったことにすら気づけなかった人。見た目凜としながらもぼろぼろと崩れて、より深い孤独へと落ちていく千弘ジョシアナを観て、決して同情はしませんが少しだけ哀れと思いました。

なので、グウィンプレンがジョシアナに一瞬ぐらついた気持ちも分かるような気がします。2人とも、何らかの形で現状に納得していない者同士。もっとも、「この世を何とか変えたい!」と一瞬だけでも考えたグウィンプレンと、色々を諦めたジョシアナとが決して相容れることはありませんでしたが。

それから、初演から続投の禅さんのフェドロ。気のせいか、初演時よりも「お前何様だ」なイメージが強まったように思いました。2幕でグウィンプレンの後見人面して家主を差し置いて勝手にクランチャリー卿のお城の皆さんを仕切った上に金貨も持ち出していますが、君、よそのお家の子ですよね? 初演の時も思いましたが、あれ、ジョシアナに「裏切り者」呼ばわりされる以前の極悪な所業のような……。更に彼がウルシュス一家にしたことを思い返すと、輪をかけて「おまえさえ要らぬことをしなければ」という気持ちになります。ジョシアナはフェドロがウルシュスたちに何をしたかは一切知らない筈ですが、まあ彼女にも切り捨てられて当然なのではないかと。

なお、フェドロ、2幕でデヴィットを侮辱する場面で、「閣下の子供……失礼、妾の子供が……」とトチっていました。禅さん、15、6年観ていて、トチりは初めて目撃しましたが、何事もなかったようにカバーしていてさすがだな、と思いました。

 

そして、そして、あのラストシーン!  ……いや、映像としては確かにとても美しいのですが、やっぱりウルシュスがかわいそうで仕方がありません。特に今回、手を取り合って幸せそうなグウィンプレンとデアの幻影を最後に見たウルシュスの表情にスポットが当たって終幕、なのですが、「泣いたことがない」と嘯く男が、子供を育て愛することを知り、その子供たちが失われるかも知れない悲しみを味わって初めて涙を流し、ようやく奇跡が起きて彼に最高の笑顔が戻ってきた! と思ったらまたこんなことに……! というのは、お芝居と分かっていてもなかなかつらいものがあります。彼は恐らくこの後また、笑いも泣きもしない日々を送り続けたのだろう、と思うだけでもう。

しかし一方で、祐一郎さん、「脆い心」で本気で泣いたらまた歌声が泣き声になっちゃうし、ラストでも泣くと涙も鼻水も大変なことになるから一所懸命こらえているのかな? という妄想する自分もおりました😅。

『笑う男』、元々短かった帝劇の公演期間が更に短くなり、残り1週間ではや帝劇千穐楽となります。一応、千穐楽に観に行く予定ですが、いつ何があってもおかしくない状況ですので、無事に千穐楽まで公演の幕が開き続けること、そして自分が無事に観に行けることをひたすら祈ることにします。