日々記 観劇別館

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役者・山口祐一郎の「芝居」について

つい最近発売された演劇雑誌『悲劇喜劇』2011年11月号に掲載された、小藤田千栄子さんの評論「山口祐一郎のベスト・スリー」を読みました。
山口さんのシングルキャスト出演作品からベスト3を選び評するという試みで(故にトートやバルジャンは対象外です)、「長身のヴィジュアルと、日本一のテノール」として彼を絶賛するその内容は、日本一は随分大仰だと思いつつも概ね頷けるものでしたが、1つだけ、「芝居の人とは言いがたい」という部分には異を唱えたいと思います。
実際、本文にあるとおり、山口祐一郎という役者はあまり器用な役者ではないでしょう。ビジュアルの美しさにそぐわないどこかぎくしゃくしたダンスにアクション。例えば市村正親さんのように、ミュージカルかストプレか?主演か助演か?の別を問わず、安定感と存在感のある演技としなやかな動きで巧みに芝居を回し、観客を魅了するタイプでないことは確かです。一方、役柄に合わせて素のパーソナリティーを封印し、役の人物そのものに成り切るタイプでもありません。
また、舞台映えする足長の長身に、並々ならぬ節制と努力の賜物であろう、筋肉(特に胸筋)の程良くついた美しい体型。背筋のぴんと伸びた姿勢。耳に心地よく押し付けがましさのない、世俗性が薄く天空を浮遊するかの如き、それでいて清潔な色気のある恵まれた声質。身体から全方向に響く豊かな声量。そして高い歌唱力。これら所謂「演技力」以外の美質が、圧巻の舞台姿を作り上げるのに寄与しているのは事実と考えます。
しかし、彼の芝居の反射力、増幅力たるやただ事ではない、と思うのは身贔屓でしょうか。舞台上の光や空気のみならず客席側の呼吸を的確に感受し、何倍ものオーラの輝きとして放ち観客をロックオンするあの力。もちろん舞台上で役者を映えさせるのは、演出家や舞台監督、照明や音響スタッフの力による所が大きいわけですが、それらに応えるだけの役者の実力も必須要素でしょう。
それに、これは詭弁になってしまうかも知れませんが、ミュージカルにおいては楽曲が台詞の1つであり、楽曲を確かな解釈と明晰な滑舌とで伝える能力の高さが即ち芝居力の高さなのでは?とも思うのです。例えそこにおける所作がダイナミックだろうと、豊かな表情と美しい声で歌に込められた心がきめ細かに伝わっていれば、それが最高の芝居である、と申しましょうか。……あ、あれ?何だか元の評論の結論に近いような気もしますが(^_^;)。
ともあれ、山口祐一郎という方が何でも器用にこなせる人ではなかったが故に努力を続け、今なお挑戦を惜しまないこと、そして恵まれた素質に甘えて努力を怠る人間ではなかったことが、現在の地位に繋がっているのは確かかと思います。
大変惜しいことに人間の肉体は永遠ではなく、山口さん自身それを意識する発言を度々されているわけですが、少しでも長く今の華やかで存在感たっぷりな彼の「芝居」を堪能し続けられますように、と願って止みません。