キャスト:ヴォルフガング・モーツァルト=井上芳雄 ナンネール=高橋由美子 コンスタンツェ=島袋寛子 ヴァルトシュテッテン男爵夫人=香寿たつき セシリア・ウェーバー=阿知波悟美 アルコ伯爵=武岡淳一 エマヌエル・シカネーダー=吉野圭吾 コロレド大司教=山口祐一郎 レオポルト=市村正親 アマデ=坂口湧久
本日は帝劇でM!のマチネ、シアタークリエで『プライド』ソワレとマチソワしてきました。
流石に2演目の感想を続けて書くのは辛いので、まずはM!からまいります。
今期のM!では、今までそんなに思い入れのなかった井上ヴォルフが気になって仕方がありません。
才能に突き動かされて魂の自由を強烈に欲する、音楽と情熱の申し子のようなヴォルフ。アマデとも自然な一体感があって、観ている者の感情をぐらぐらと揺るがしてくれるのです。
M!のキャストは声量の凄い方が多い、と前回の感想にも書きましたが、井上くんも例外ではありません。今回の井上ヴォルフは、激しい感情の動きを表すために時に濁った歌声で絶唱することを厭わないので、好みが分かれるかも知れませんが、私は好きです。
湧久アマデは今回初見でしたが、他2人の女の子アマデとはまた違う雰囲気があり可愛かったです。ヴォルフを振り回すというよりは、ヴォルフより精神年齢の優った出来の良い弟のようにも見えました。何だかアマデ本人は、全部ヴォルフのためを思って動いているような、そんな印象を受けました(パパを喪ったヴォルフの首を絞める時すらも!)。
今期公演開始からもうじき1ヶ月ということで、キャストの皆さんが細かい遊びを入れてくれたり、演技が少しずつ変わってきているようです。
中でも本日「おっ」と思ったのは香寿男爵夫人。1幕の「星から降る金」の歌い方が、ヴォルフに優しさを向けるだけでなく、背中を押し、旺盛な自立心を煽るかのようなやや力強い歌い方に変わっていました。この歌い方のほうが、やがて2幕で精神的自立を目指すヴォルフの心境とマッチしているように感じられました。
吉野シカネーダーは初日からかなり遊びを入れてくれていますが(笑)、今日の居酒屋シーンでの台詞「私が誰だかご存じか?」は、「わたしーがー、だれだーかー、ごぞんじかーよー?」とまた片言化が進んでいました。
それから、プラター公園での胴切りなど一連の場面。ヴォルフと、胴切りマジックの台に拘束されたアルコ伯爵のやり取りにアドリブが増えてきています。
前回(11月20日)に書き忘れましたが、山崎ヴォルフは拘束された武岡アルコのおデコにキスしてました(^_^;)。
今回のアルコ伯爵は、拘束されて井上ヴォルフに風車を咥えさせられ、そのままヴォルフは「並の男じゃない」の歌唱に突入。その間アルコはずっと風車を咥えっぱなしという大変な状態に(笑)。歌が終わった後は、何やらヴォルフに向けてフガフガと叫び「フガフガ?」とヴォルフに突っ込まれてました。そしてやっと風車から解放。しかしアルコはその直後に、豚野郎!と叫ぶので、今度は胴切りされてしまうのでした。まだ今期3回しか観ていませんが、アルコの受難内容、他にもパターンがありそうで怖いです。
そして、本日の山口猊下。だいぶ猊下らしさが復活していました。
1幕での登場時から、口では怒鳴りつけても天才ヴォルフに翻弄されるのが嬉しくてたまらない、という感じで微笑んでいて、既にそこから、11月に観た時のしっとり猊下とは全く違っていたと思います。
そのきかん気のペットが自分の掌から出られずもがく様を眺めてほくそ笑み、楽しんでいる様子はかなり「どS」。ヴォルフが決別を告げる途中までは駄々っ子を軽くあしらっていて、彼にカツラを投げつけられた時にやっと、彼との決裂が復元しようのないものであると気づいたのではないか?と今日は感じました*1。ヴォルフを怒鳴りつけて背を向ける時の表情が何とも寂しそうでたまらないのです。
また、猊下、2幕のお怒り、もとい、お嘆きモードが今日はかなり激しかったように思います。自分が愛しく思い、追い求めているのは2人といない天才ヴォルフなのに、誰もそれを分かってくれない上、ヴォルフも二度と掌には戻ってこないという悲嘆と憤りとが、あのソロでの劇場の空気を震わせる絶叫を通して強く伝わってきていました。やっぱり猊下はこうでなくては。
本日のM!を観て考えてしまったのは、ヴォルフと他の登場人物達は「愛していればわかりあえる」わけに行かなかったんだよね、ということです。
特に終幕近くの「モーツァルト、モーツァルト!」でレクイエムを作曲するヴォルフを他のキャストが取り囲んで歌う場面を観ながら、こんなにヴォルフは周囲の人、家族だけでなくパトロン達や友達に愛されていたのに、その愛がどれもヴォルフの求めるそれとは一致していなかったのは、悲劇に他ならない、と思っていました。
父や姉との愛のすれ違いも悲しいですが、「魔笛」作曲の場面でのヴォルフは苦渋の選択とは言え、「愛は見せかけね!」と泣き叫ぶ妻コンスタンツェよりも作曲を選んでしまったわけで……。結局は才能(アマデ)だけがヴォルフが信じるに値する最も確実な存在だったということだったのだろうか?等と考えさせられました。