日々記 観劇別館

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『ウーマン・イン・ホワイト』感想(2010.1.16マチネ)

マリアン・ハルカム=笹本玲奈 ウォルター・ハートライト=田代万里生 ローラ・フェアリー=大和田美帆 フォスコ伯爵=岡幸二郎 アン・キャスリック=和音美桜 パーシヴァル・グライド卿=パク・トンハ フレデリック・フェアリー=光枝明彦

2010年観劇始めということで、青山劇場まで『ウーマン・イン・ホワイト』を観に行ってきました。
以下、2007年の初演を観ているので、どうしてもそれとの比較になってしまいますがご容赦ください。

まず、メインキャストが主演の玲奈ちゃんと叔父様役の光枝さんを除き全員交替しています。特にフォスコ伯が上條恒彦さんから岡さんに替わったのは大きいです。原作のフォスコ伯の年代は上條さんの方に近いらしいですが、今回、女たらしで耽美者でありながら、ドライな合理主義者で知恵者で、まさに「悪の魅力」という言葉がぴったりのフォスコ伯が、若くかつナルシスト度ぷんぷんの岡さんが演じることにより、前回と同一人物とは思えないキャラクターに変貌していました。2幕でのマリアンとの駆け引きの場面でも、距離感がぐっと縮まり緊張感と色気がいや増していたと思います。
フォスコ伯という役は主人公姉妹が巻き込まれる犯罪のシナリオを描いた大悪党なのですが、登場した瞬間から強烈な存在感と押し出しの強い歌声で、コンビを組むパーシヴァル卿をまあ食いまくること。そしてあまりに岡さんにはまり役過ぎ。フォスコ伯の派手な衣装や、2幕に登場する多くの給仕や愛するネズミ達がはべるオシャレな住居を見て、岡さんも実際にこういう家に住んでいるに違いない、と錯覚した程です。
トンちゃんのパーシヴァル卿は、かなり怖かったです。結婚にこぎつけるまでの表情は仮面を被っていて感情が読めません。そして本性を現してからは体格がマッチョなこともあり、ぶち切れDVモードの迫力がただ事ではありませんでした。
ただ、初演時の石川禅さんの、顔を出した瞬間からこいつは腹に一物持っている、と分かる演技に感じた衝撃には残念ながら及ばなかったです。
ハートライトを演じた田代くん。声量もあり声質も澄んでいて割と魅力的、上手いなあ、と思いました。ただ、今回のハートライト、どこか影が薄かったです。流石に別所さんと比べるのは酷なのでやりませんが、姉妹両方から惚れられる程の素敵な青年に見えなかったのは残念。
光枝さんのフレデリック叔父様。初演で観た時にはもっと色々重い物を背負い込んで耐えていたような印象でしたが、今回は観る側として展開を知っていることもあってか、因習に縛られ運命に流されるばかりの老人を哀れむ気持ちの方を強く感じました。
美帆ちゃん。友人から前評判を聞いて初めて観るのを楽しみにしてましたが、役作り、歌声ともに期待に違わぬローラでした。高音域に多少苦しそうな所がないわけではないものの、清楚で程々に芯が強い令嬢を自然に演じ切っていたと思います。
和音さん。初演のアン・キャスリックを演じられた方も悪くはなかったのですが、ローラと向き合って「私達、そっくり」と歌う場面で「え?そっくり?」と疑問符を呈さざるを得ませんでした。今回のアンとローラは歌声も見た目の雰囲気も「そっくり」と言われて納得の行く組み合わせであったと思います。マリアン・アン・ローラの三重唱も綺麗に聴かせてくれました。

そして玲奈ちゃん。実年齢よりやや上の役を、確かな歌声と演技で今回も見事にこなしていました。心ならずもハートライトを追放し、パーシヴァル卿の正体を知り、ローラに感情をぶつけられた後、激しく悔やみながら歌う「オール・フォー・ローラ」がやはり印象に残りました。
1つだけ贅沢を言わせてもらいますと、玲奈ちゃん、演技はかなり豊かになった気がしますし、歌も安心して聴けるのですが、あまりにも安定し過ぎていて揺らぎがないのが逆に不満と言えば不満だったりします。もちろん毎日安定した演技を見せてくれるのがプロの証明だとは思いますが、どこかでもう一爆発して欲しい、時には揺らぎも見せてもらいたい、とつい考えてしまうのです。

演出については、キャスト変更に伴うものを除いては初演から大きい変更はなかったと思います。そしてその分、「1幕前半の展開がたるい」等、初演で感じていた不満もあまり解消されていなかったような気がします。
音楽は、状況説明的な曲が複数存在したり、メロディが複雑過ぎたりでやっぱり数曲しか印象には残っていないのですが、全体にメリハリのある曲ばかりで、指揮の塩田さんも大いに盛り上げた演奏をしてくれていて、2時間40分、耳が飽きることなく楽しむことができました。

そしてストーリーは、よくよく考えると「現代以上に徹底したイギリスの階級社会」を意識して観ない限りは、姉妹での姓の違いに始まり、駆け落ちが視野に入らない身分違いの恋、アンの受けた仕打ち、そしてパーシヴァル卿の屈折等、ツッコミ所満載になってしまうということに、観劇後友人と話していて初めて気づきました。初演も再演も、「19世紀イギリスの社会はあんなもん」という前提条件で観ていたので、全然変だと思わなかったのですが、確かに現代の感覚を適用すると不思議な展開です。
なお、あくまで自分の記憶の上で、初演上演時、パーシヴァル卿の人格形成と犯罪の動機は、彼の下級貴族という身分に起因するということを示唆する彼自身の台詞が存在していたような気がしていましたが、どうもそれは原作読了済みの友人から聞いた説明を勝手に脳内補完していただけであったようです。この事情を聞いているといないとで、パーシヴァル卿に多少同情できるかできないかが決まってくるように思います。まあ、ハートライトのように貧しい庶民でも真っ直ぐ生きてる人間が同じ物語内に存在する以上、パーシヴァル卿に同情できたとしても数%ぐらいのものですが。

それにしても、土曜のマチネだというのに、劇場に結構空席が多かったです。後で聴くとどうやらソワレでは終演後トークショーがあったらしいので、そのためかも知れませんが、それにしても、多少欠点はあれど面白い演目なのにもったいないなあ、と思いました。