日々記 観劇別館

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『ジキル&ハイド』感想(2012.3.10マチネ)

キャスト:ヘンリー・ジキル/エドワード・ハイド=石丸幹二 ルーシー・ハリス=濱田めぐみ エマ・カルー笹本玲奈 ガブリエル・ジョン・アターソン=吉野圭吾 サイモン・ストライド、市民、客=畠中洋 プール、患者(ジキルの父)、市民=花王おさむ ダンヴァース・カルー卿=中嶋しゅう

日生劇場石丸幹二さん主演の『ジキル&ハイド』を見てまいりました。
以下、本当に核心に触れるネタバレは避けるようにはしていますが、軽いネタバレはありますのでご注意ください。

これまでの人生で一度だけ観たジキハイは、2007年の鹿賀ジキルファイナルのみ。その時のイメージが頭にこびり付いている中、果たして自分は石丸ジキルに馴染めるかしら?と不安を覚えつつ臨んだ日生劇場
……結果。全く心配いりませんでした。演出に少し変更があったのも理由だと思いますが、鹿賀さんと石丸さん、同じ人物を演じながらかなり印象が違いましたので。

まず何と言っても石丸さんは滑舌が良いです(笑)。鹿賀さん独特の、歌と台詞の境目が曖昧な歌い方にも何とも言えない味わいがあり、嫌いではないのですが、歌詞は石丸さんの方が聴き取りやすいかと思います。
石丸ジキルは、一途で真っ直ぐで才能と善意に満ちていて、でも頑固で不器用で少々KYなために他者と衝突してしまう青年医師の無念さを全身に漂わせたキャラクターでした。あのハイドはこのジキルの存在あってこそ生まれたのだ、という説得力のある人物像だったと思います。これは石丸さんの当たり役になるのではないでしょうか。
(でも、あのね、ヘンリー・ジキル博士。あの鼻持ちならない病院の理事達じゃなくても、開発薬があんなに怪しく毒々しい蛍光色をしていたら、普通はドン引きすると思いますよ(^_^;)。)

ジキルは、心を失い息子の顔も忘れてしまった愛する父上に、人としての尊厳を取り戻したくてあの禁断の薬を開発した筈なのに、薬により誕生したハイドは、逆にその薬の効果によって他者の尊厳をとことん傷つけ冒涜するばかりか、ジキル、ハイド双方の尊厳までも傷つけ崩壊させていくことになります。石丸ジキルが端正な顔を歪め、もがき壊れていく姿はもう何とも悲しいものがありました。ジキルの時、ハイドの時、そして精神が彼らの境目にいる時とでそれぞれ声色を変えているのですね。

ちなみに、鹿賀さんのジキハイで見覚えのないシーンがいくつかありました。例えば、ルーシーがジキルの診察を受けた後の軽く色っぽい場面など。ただ、自分は鹿賀さんについてはハイドの印象が強烈過ぎて、1幕のジキルの場面の記憶があまりなかったりするので、これは勘違いかも知れません。
また、1幕終盤から2幕前半にかけてのハイドの復讐シーン。以前のものより残虐さが増していたように感じられました。いえ、元々残虐ではありましたが、表現が露骨に派手になったと申しましょうか。
そして、少なくとも以前のアターソンは、「どん底」(ルーシーのレビューシーン)であんなに踊りまくってはいなかった気がいたします。これはダンスの得意な吉野アターソンならではの演出でしょうか。あくまでルーシーのサブの立ち位置を保ちながら、官能的に見せ場を作られていました。

その吉野アターソン。今回の彼の存在感というかキャラの立ち方が、個人的にはツボでした。不器用なジキルの真っ直ぐな心根を知っているからというだけでなく、権威の名を借りた、天才への無形の暴力が許せないからこそ、偏見に囚われずジキルに寄り添っているのだと明確に感じさせてくれるキャラクター作りが良かったです。そんな彼であるが故に、ジキル&ハイドの真実を知り、ラストである役割を果たすことの悲しみがいや増すというものです。
吉野さん、東宝ミュージカルではどちらかと言えば悪党の役が多く、こうした熱い正義漢の役は最近あまりやってくれていなかったので、そう言う意味でも貴重だったりします。

濱田ルーシーは、自在な歌声がとにかく素敵でした。1幕のレビューシーンで登場した時から、とにかく2幕の石丸ハイドとのデュエットが楽しみで仕方がなく、ひたすら待機。
そのデュエット「罪な遊戯(あそび)」では、期待どおり、官能と緊迫感に溢れた美しいハーモニーを聴かせてくれました。この場面でルーシーを追い詰めるハイドの所作について、鹿賀ハイドはマントの使い方や手つきが実に細やかでいやらしかった記憶がありますが、石丸ハイドはその辺りはそんなに細かくないように思えました。後で友人に話したら「年期の差だろう」とあっさり断言されましたけれど(^_^;)。その代わり、石丸ハイド、目の演技が凄まじかったです。ねっとりと執拗に舐め回すような目線がもう何とも。
それから、ルーシーとエマのデュエット曲「その目に」は、昨夏のブロードウェイミュージカルライブでも男性デュオで聴きましたが、今回聴いて、やはり女性デュオの方が耳にしっくりくると感じました。

今回成長を感じたのは玲奈エマ。役どころ故かも知れませんが、力みの少ない、柔らかみのある歌い方をしていて、玲奈ちゃん上手くなったなあ、と思いました。
強く気高く、最後の最後まで揺るぎない愛情をジキルに捧げ続けるエマ。イギリス人なのにどこか大和撫子的なキャラクターはどこか『ウーマン・イン・ホワイト』のマリアンに通じるものがありました。石丸さんと同様、これももしかしたら玲奈ちゃんの当たり役になるのでは?と思わせてくれます。
先程記したルーシーとのデュエットのほか、石丸ジキルとのデュエット「ありのままの」も、しっとりと美しかったです。何と言ってもちゃんと対等に愛し合うカップルに見えましたし。申し訳ありませんが鹿賀さんの場合はあまりエマと対等には見えなかったので。
少しラストシーンについて語ります。
(以下文字反転)
ジキルとエマの結婚披露宴で甦ったハイドがサイモンを殺し、エマを手にかけようとしてアターソンに一発撃たれた後「俺を殺せ!」と叫びます。アターソンが流石に躊躇い撃てないと知るやいなや、わざとアターソンに襲いかかり望みどおり撃たれ、エマの腕の中で息を引き取りますが、このアターソンを襲った時にはジキルとハイドどちらの人格だったのでしょうか。
ハイドの一人称は「俺」でジキルは「僕」なので、最初に「殺せ」と叫んだのは間違いなくハイドです。根拠はありませんが、アターソンを襲ったのはジキルの意志なのではないか?と思うようにしています。あるいはジキル&ハイド2人の総意。そうでないと、ジキルの人格が帰ってきた瞬間にエマの腕の中でご臨終、という、そりゃないわ、な結末になってしまいますので。
(文字反転終了)

他の役にもほんの少しだけ触れておきます。
畠中さんのサイモン。今回のジキハイの配役を最初に知った時、
「え?定石だと畠中さんと吉野さんの役は逆じゃないの?」
とも思いましたが、サイモンの出番、意外に少なかったりします。その少ない出番の中で確かな存在感を示す必要がある――平たく言えばジキル&ハイドに殺意を抱かれるに相当する、嫉妬に基づく意地悪を働かなければならず、しかもしっかり歌わなければならない、実は結構難しい役どころです。もちろん吉野さんでも「あり」とは思われますが、今回の場合は畠中さんが適任であり、かつ好演されていたと思いました。
エマの父親カルー卿の中嶋さん。お歌は……浜畑さんと比べるとちょっと、だいぶ不安定です(T_T)。ただ、演技は確かでいらしたと思います。
それから2幕冒頭で「事件、事件!」と叫ぶ新聞売り。宝塚の男役のような声質だったのでもしかして女性?と疑いパンフを確認したら、寺元健一郎さんという歴とした男性でした。この役は確か以前は、2011年のレミゼでアンジョルラスを演じた阿部よしつぐさんが演じていらした筈。もしかして大役への登竜門になるかも知れないポジションかも?と勝手に期待して、ここにお名前を記しておきます。

ジキハイは、2週間後に再見する機会を得ました。恐らく今回読み取れなかった所が多々あると思われますので、次回はもう少しじっくりと丁寧に観てみたいと考えています。