「わたし」=大塚ちひろ マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=シルビア・グラブ フランク・クロウリー=石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=治田敦 ジュリアン大佐=阿部裕 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=伊東弘美 ヴァン・ホッパー夫人=寿ひずる
4月6日からシアタークリエで上演が開始された『レベッカ』。本日夜、マイ初日を迎えました。以下、マキシムとその中の人にバイアスがかかった感想な上、相変わらず原作、映画も含めてネタバレしまくりなので、いずれも未見の方はご注意ください。
1幕プロローグはちひろちゃんのソロから。さすがにウィーン版並とはいかないけれど、お?これは意外と期待していいかも?と思わせてくれました。『レベッカ』はドイツ語の歌しか聴いたことがなかったので、日本語の歌詞で歌われるとやや違和感あり。1曲ごとに「あの歌詞はこういう意味だったのか」と呑み込みながら聴いていました。
ヴァン・ホッパー夫人の寿さんも期待通り笑い所を持って来てくれて、山口マキシム登場。真っ白なスーツがあまりに似合い過ぎてて心臓をわしづかみにされてしまいました。しかも雰囲気が若くて細くて、素材が良いから非人間とか超人のコスプレなし、普通(でもないけど)の人間男性の姿でも全く問題なく行けるということが分かりました。
ウィーン版のCDで聴く限りではむやみにたくさんあるように聞こえていた、マキシムと「わたし」のキスシーンは、日本上演版ではプロポーズ成立した時の1回のみでした。しかも私の目に映った限りではヅカキス。別に普通にしてくれても全く文句はなかったのだけど、と思いつつ、マキシムが「わたし」をコゼット回し(2回転程度ですが)して喜んでいる様子の方がツボに入ってしまいました。
歌は特に1幕の「神よ なぜ」ではかなり抑えている風で、開幕間もないから飛ばさないようにしてるのかな?と感じました。ただ、山口さんに限らずセンターで歌う声が聴き取り辛い傾向にあったので、劇場の音響も関係しているのかも知れません。
2幕の「凍りつく微笑み」の山口さんは、姿、歌、演技ともに素晴らしかったです。ボートハウスから出てきた時の服装も乱れやつれて憔悴しきったマキシムにまず釘付けになり、その後畳みかけるように語り歌い、妻に渾身の告白をするさまにすっかり引き込まれました。レベッカの死以降、誰にも言えない暗い秘密を抱えつつ虚勢を張っていたマキシムが、籠の小鳥のように慈しんでいた妻という思いがけない相手こそが拠り所であったことに気づいて、あの端正な顔を子供が半ベソをかくように、何かをこらえて泣き笑いをするような微妙な表情に崩しつつ、何もかもをかなぐり捨て、弱さをむき出しにして縋り付いていくさまに何とも胸を打たれてしまいました。あの場面を、山口さんは歌唱力だけで演技ができないとか言ってる人達に見せてやりたいです。
とは言え、原作や映画と比較すると、舞台のマキシムがらみの描写に2つ程不満があります。1つは、1幕のマンダレイの書斎のシーンで、置物を壊した「わたし」をいきなり怒鳴りつけた後の描写。原作だとただ冷たく黙ってるだけで、それが「わたし」、そして読者の不安と妄想をかき立てるわけですが、舞台では「本当は仲良くしたいのにそれができない」みたいなことを歌ってその時のマキシムの心境をまるまる説明してしまうので、観客の緊張が緩和されてしまうのが残念です。
もう1つの不満は、これは観る前からずっと気になっていた点ですが、レベッカの死因が原作ではなく映画版準拠であったことです。原作のあの死因であってこそ、何が何でも生涯を通して真相を守り続けねばならないという、より一層強固な夫婦の絆が生まれると思うのですけれど。
終盤で発生する火事は、日本の消防法の関係であまり派手にはならないらしいという噂を聞いてはいましたが、実際その通りしょぼくて、あまり燃え盛っている印象がなかったことにがっかりしてしまいました。でも、炎を前にしたマキシムの「父から受け継いだマンダレイの誇り、燃えるなら皆燃えてしまえ!」(注:うろ覚え)というバズーカ絶唱があまりに凄まじかったので、その分はがっかりを差し引かせていただくことにしたいです。
他のキャスト、禅さんや伊東さん、吉野さん、はるパパさんほかについてもいっぱい書きたいことがあるのは山々なのですが、今日は時間がないのでまた別に書かせていただくことにします。