日々記 観劇別館

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『二都物語』感想(2013.8.3ソワレ)

キャスト:
シドニー・カートン=井上芳雄 チャールズ・ダーニー=浦井健治 ルーシー・マネット=すみれ マダム・ドファルジュ=濱田めぐみ ドファルジュ=橋本さとし ドクター・マネット=今井清隆 バーサッド=福井貴一 ジェリー・クランチャー=宮川浩 サン・テヴレモンド侯爵=岡幸二郎

二都物語』、2回目にしてマイ楽となる予定の観劇に行ってまいりました。
今回、どうしても語りたいので2幕終盤のネタバレありです。ご注意ください。

前回の観劇時と異なり、お芝居のストーリーが分かっているので、少し音楽に耳を傾ける余裕がありました。最も感じたのは「この演目、デュエットナンバーがいい!」という点です。
例えば1幕の、チャールズとドクター・マネットのナンバーや、2幕のシドニーとチャールズのナンバーのように、しっとり聴かせてくれるデュエットももちろん良いのですが、そうではない、2幕のシドニーバーサッドの取引のようにちょっとした会話の掛け合いで構成されているナンバーなども、割とすんなり耳に馴染んで心地良さを覚えました。1幕の侯爵とチャールズの言い争う場面ですら、「うゎ、チャールズの台詞のメロディー綺麗!」と一瞬聞きほれたぐらいで。

また、前回気になりつつ、ストーリーを追うのに手一杯で疎かにしていたマダム・ドファルジュについて、今回はウォッチしてみました。
1幕からずっと彼女をウォッチしていて気づいたのですが……展開を知って見ると、1幕でドクター・マネットの身元引受先として登場した時、否、その前に民衆達とともに歌っている時から、既に、彼女の存在が怖いです。まるで動物園のハシビロコウのようにじっと動かず、ひたすら編み針を動かしているだけなのに、瞳には冷たい青い火が宿っています。
1幕中盤、チャールズがある決意を持ってドクターに相談する場でも、彼女の座する上手の空気が凍っています。1幕後半、バーサッドから、テヴレモンド家とマネット家が親戚になったと聞いた彼女がついに立ち上がり歌い出した瞬間、青い炎が燃え盛っていました。
そして革命勃発。2幕前半へなだれ込み、怒濤の展開。もう誰も彼女の燃え盛る炎を消し止めることはできない、炎が消えるのは、彼女の命が尽きる時だ!……とひしひしと感じた時間でした。そう感じさせる脚本と楽曲の出来も良いのだとは思いましたが、濱田さんの血を吐くような凄まじい怒りと一片の哀しみとを湛えた歌声の効果でもあったことは言うまでもありません。

マダムの歌を聴いて思ったのは、彼女を突き動かしているのは必ずしも復讐心だけではないのだということです。当たり前なのですが、その時代に生きていた多くのフランスの民衆と同様、一市民としての特権階級への憤りもしっかり心に抱いています。ただ、彼らから受けた傷の深さが尋常でなかった上、恨みと復讐心が自分ではどうしようもできないレベルまで膨れ上がって暴走が止まらなくなっているというだけで。
それにしてもマダム、本当に救われないですね……。ただ、彼女と言葉が通じなくなっても(そして恐らくは、彼女がドクター・マネットの手がかりを得るために自分と夫婦になったと知りつつも*1)、一途に愛を捧げ続けたドファルジュの存在が救いでしょうか。

マダムのことばかりを書いてしまいましたが、物語の展開に伴う井上くんの歌声の変化にも今回改めて感服させられました。1幕前半のやさぐれた捨て鉢な男のガラガラ声が、ルーシーの厚意を受け、「この星は何だ!?」とそれまで絶望のあまり見えていなかった、夜空の星に象徴されるこの世界の美しさと、生まれて初めて信じて愛を捧げても良いと思った人の存在に気づいて、ぱあっと輝きを増した歌声に変わる瞬間が気持ち良いのです。でも、彼は決して露骨には変わらず、2幕の終盤に向けて徐々に変化していくのがまた良い、と思った次第です。
また、ラストに向けて、シドニーがただじっとその時を待つのではなく、お針子クローダン(保泉沙耶さん)がいてくれて本当に良かった、とも思いました。彼女の存在で、どんなにシドニーが救われたことか!そして観客が、保泉さんの堅実な演技もあってどんなに救われたか!

それから、今回観劇2度目にしてやっと、クランチャーの裏稼業「甦り請負人」が、シドニーの2幕での役割そのものであったことに気づきました。自分の鈍さ加減に苦笑せざるを得ません。ただシドニーは親友の甦りの見返りとして自らを捧げるわけですが……。

シドニーとチャールズの関係性も今回興味深かったです。合わせ鏡で、アプローチは全く異なりますが、向いている方向が一致しているように作られているのが面白いなあ、と。2幕の終盤、シドニーとチャールズが面会する場面で、チャールズがシドニーにルーシーを託そうとするのをシドニーが、彼女はそれを望んでいない、と告げて押し留めますが、あれも結局は2人とも、ルーシーとちびルーシーの幸せを願っての言葉だったわけで。
また、同じ場面で、シドニーの口述筆記*2から彼の意図を悟ったチャールズが一瞬だけ見せた(すぐにシドニーに失神させられてしまうので)泣きそうな顔で抵抗する表情が好きです。どんな言葉よりも、チャールズのシドニーに対する思いが、あの表情に込められていたと思います。

最後に。鵜山さんの演出についても触れておきます。
血塗られたように真っ赤な複数のスライド壁が、ある時は民衆に脅威を与え、無辜の民の血を流す侯爵の馬車、またある時はギロチン刑の執行を示す扉、と言った具合に、効果的に、象徴的に使われていました。それでもあまりグロさを感じなかったのは、そうした血塗られた場面の合間合間に見られた、エメラルドグリーンを基調とした星空のような叙情的な場面や、暖色の光に満たされたダーニー家の場面などとのバランスの良さ故ではないでしょうか。
馬車、星空……そして場面展開に盆回しが使われることも含め、どこかレミゼを彷彿とさせる演出になっていたと感じました。レミゼが新演出と引き換えに失った流れるような場面転換*3は、人間ドラマの重厚さとロマンティシズム、そしてダンディズムに満たされたこの『二都物語』という演目に見事にマッチングしていたと思います。

蛇足。ルーシーの歌声、やっぱり肝心の所でくぐもって聴き取りづらかったです。もう少しだけすっきり歌ってくれると嬉しいのですが(- -;)。

*1:原作未読なので、もし違ってたらごめんなさい。

*2:あれ、何故シドニーが自分で書かないのかと悩みましたが、遺書というより遺言書のつもりだったのでは、と今気づきました。厳密な遺言書の作り方とは異なるかも知れませんが、チャールズと言う立派な証人が存在する遺言書ということで。

*3:決してレミゼの新演出を否定しているわけではありません。