日々記 観劇別館

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『リチャード三世』感想(2012.10.14マチネ)

キャスト:
グロスター公リチャード、のちにリチャード三世=岡本健一 マーガレット=中嶋朋子 リッチモンド伯ヘンリー=浦井健治 スタンリー卿=立川三貴 ヨーク公爵夫人=倉野章子 バッキンガム公=木下浩之 エドワード四世=今井朋彦 クラレンス公ジョージ=前田一世 エリザベス=那須佐代子 アン=森万紀

新国立劇場で『リチャード三世』を観てまいりました。
2009年に同じ劇場で上演された『ヘンリー六世』がこの演目の前段の物語で、メインキャストも共通とのことですが、上演時間の長さ(三部作通しで9時間!)に尻込みしてしまい、観ていません。また、例により、シェイクスピアの原作は未読のまま臨みました。
イギリス王家が舞台ということで、リチャードだのエドワードだのヘンリーだの、同じファースト・ネームの別人が何人も物語に登場するので若干混乱を来しますが(中盤にそれを逆手に取った軽いお笑いシーンあり)、ロビーにイングランド王家の相関図パネルが掲示されており、また、テキストが実に魅力的な台詞でふんだんに彩られている割に、全体の展開自体は非常にシンプルなので、支障なく楽しむことができました。上演時間が3時間40分(うち休憩20分)という長丁場でしたが、あまり「長い」とは感じなかったです。

1幕ではひたすらグロースター公リチャードの陰謀と、それにより幼子にも容赦なくもたらされる死が展開されます。リチャードは謀略を巡らしますがただお膳立てしてるだけ、あとは直接手を下すのは陰謀に引き入れた手下ども。手下どもが動かすレールに乗ってるだけなのが妙にリアルで、じわじわと恐ろしかったです。
しかし、終演後には、何と申しますか、リチャードが哀れに思えて仕方ありませんでした。他人どころか自分自身すら愛し信頼した事がない故に、誰かを追い詰め服従させることはできても、彼らが打算とは言え寄せようとした信頼に応えるような生き方ができない男。2幕で実母であるヨーク公夫人が、幼い頃からお前は性格が悪くて、等と嘆く台詞を聞きながら、何言ってるの、彼の姿形と性悪とどっちが先だったかを観客は知る由もないけど、この女性はどこまで彼の本質に向き合って理解できていたのか?と斜に構えて見てしまっていました。
でも本人は、そんな自分を一つも哀れとは思っておらず、ひたすら知略・謀略を駆使して、人を出し抜いて生き抜く事ばかり考えている、ある意味前向きな生き方をしているわけです。ただ思い切り目的と手段が逆転しているようにも思いましたけれど(^_^;)。そんな所に哀れさを覚えつつも、一方で憎めなさを感じてもいました。
リチャードを演じたのは岡本健一さん。彼のような整った顔立ちの役者がどうやって、醜いと描写されるリチャードを演じるのだろう?という下世話な興味も多少はあったわけですが、全く違和感なし。瘤が拵えられた背中を折り曲げた姿勢のままでの、時に激しいアクションも伴う演技はかなり身体に負担がかかると思いますが、前述のとおりリチャードという一癖も二癖もある人物像を見事に作り上げていました。

リチャードの次に強烈だったのは、マーガレット元王妃。純化され膨れ上がった、聞く耳持たない狂気に満ちた怨みと憎しみ。復讐の連鎖により築かれた迷宮から脱出できない心。白髪・白塗りの姿をした彼女の白い衣装が薄汚れていたのは、その怨念が、彼女自身が過去に犯した罪の穢れの上に積み重ねられたものであるが故でしょうか。女性のエゴと執着と嫌らしさを抽出、毒の結晶と化させたような、生者と死者の中間のような立場にある人物を、中嶋朋子さんが好演していました。
ちなみに彼女、髪も顔も衣装も真っ白でしたが、べ、別に、先日観た『ロミオ&ジュリエット』の「死」を連想したりはしませんでしたよ!?

その他の女性陣。序盤で自分の父親と夫の仇であるリチャードと再婚するよう外堀を埋められた上に、更なるリチャードの野心のためにゴミのように殺されるアンと言い、上の息子エドワード四世の子(実孫)ともう1人の息子クラレンス公を弟息子リチャードに殺されるヨーク公夫人と言い、夫と王子2人を亡き者にされるエリザベス王妃と言い、その運命だけ見ると王権を巡る権力闘争に翻弄された悲劇の人々である筈なのですが、強くてしっかり高貴な者故のプライドを保っていて、ちっとも哀れに見えなかったのは何故でしょうか。
立場的に哀れな筈の女性達よりもどちらかと言えばむしろ、漫才コンビのような刺客にあっさり殺される善良なクラレンス公や、エリザベスの幼い息子達、そして、リチャードに追随し陰謀の片棒を担いだ末に、報いられず裏切り処刑されるバッキンガム公ら男性陣の方に同情しながら観ていました。
なお、この文章の最初で少し触れた、2幕で権力闘争の犠牲になった「エドワード」達(エドワード四世とその息子(エドワード五世)、エドワード皇太子(マーガレットの息子でアンの元夫))の名前の応酬をするのは、彼女達+マーガレットです。もしかしてこの人達の人生、「エドワード」に振り回される運命?と皮肉さに笑ってしまいましたけれど。

そして浦井くんが演じたリッチモンド伯。2幕にしか出てこないのに、終盤はとても美味しい所をさらっていきます(笑)。
そりゃスタンリー卿、彼と義理の親子な上に、この義息子の人間の出来の良さなら、リチャードよりこっちを取るだろう、と思い切り納得してしまいました。この腹のない、高潔で、光の似合う王子様*1を演じるのは、リチャードやマーガレットとはまた異なる難しさがあると思いますが、そんな役をぬけぬけと(誉めてます)、良い声を響かせて演じきっていた浦井くん、凄いです。

最後に舞台装置や小道具についても少し触れておきます。
椅子などの小道具がリアルではなく、パイプ椅子や箱を何かに見立てて使う、というのはお芝居でごく普通にある話ですが、今回気になったのは「玉座」です。
エドワード四世の玉座は、王が重病で寝たきりという事情はあるもののかなり立派なのに、リチャードの玉座が、何というかレストランのお子様椅子みたいなちゃちな形で(^_^;)。あんなに彼が執着した玉座の価値って?とちょっと考えさせられてしまいました。終盤で勝利を収めたリッチモンドがついに最後まで頭に被ることのなかった黄金の王冠の価値についても同様です。

これはやや大きいネタバレになりますが、舞台の作りは八百屋舞台で、砂の広がる砂漠っぽい荒野の風景の中に、回る盆があります。キャストの皆様、八百屋舞台を上り下りしなくてはならないから大変だなあ、と思いながら観ていましたが、特に、盆をゆっくり回しながらの、2幕のリチャードとリッチモンドの両陣営の対比が面白かったです。決戦の前夜、盆を半分に仕切った片側にリチャード、もう片側にリッチモンドが眠り、亡霊達がリチャードには呪詛の言葉を吐き、リッチモンドには期待と祝福の言葉を降り注ぐという、非常にシュールな展開でした。

普段、個人的好みでどうしてもミュージカルや音楽劇の観劇に走りがちですが、たまにはこういう由緒正しいストプレも観ておかねば!と改めて思わせてくれた作品でした。実は元々、21日の千穐楽を観劇する予定でしたが、この日に本業関係でどうしても外せない用事が入ってしまい、泣く泣く諦めかけていた所、幸いにも本日のチケットをお譲りいただいたので観ることができた、という経緯があります。前週から土日は家を空けることが多く、本日の観劇をかなりぎりぎりまで迷っていましたが、やはり自分のお尻を引っぱたいてでも観に行って良かったと思いました。

*1:史実だと、リチャードの悪事とされている事の一部はこの人がやったという疑いもあるらしいですが、少なくともこの戯曲の中では非の打ち所のない人格者です。