日々記 観劇別館

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『フランス招聘版ロミオ&ジュリエット 〜ヴェローナの子どもたち〜』初日感想(2012.10.6ソワレ)

キャスト:
ロミオ=シリル・ニコライ ジュリエット=ジョイ・エステール ベンヴォーリオ=ステファヌ・ネヴィル マーキューシオ=ジョン・エイゼン ティボルト=トム・ロス 乳母=グラディス・フライオリ キャピュレット夫人=ステファニー・ロドリグ キャピュレット卿=セバスティエン・エル・シャト モンタギュー夫人=ブリジット・ヴェンディッティ 大公=ステファヌ・メトロ ロレンス神父=フレデリック・シャルテール <死>=オレリー・バドル

今年オープンした渋谷ヒカリエ内の劇場、シアターオーブに初めて出向き、R&Jを観てまいりました。
オーブは流石に新しい劇場、広くて綺麗な所で、座席も舞台を見渡しやすく作られていると感じました。
トイレは出入口階に1ヶ所のみ。劇場の規模の割にちょっと少ないのでは?という気もしましたが、中の個室数は比較的多い印象でした。20分の休憩時間でぎりぎり女子トイレの行列を捌けていたところを見ると、やはりきちんと間に合うよう計算されて作られているのでしょうね。
客席には、海外の方もちらほら。初日なので、ご招待客も多かったと思われます。また、「世界の王」で結構手拍子が起きていた点から、海外版・日本版(男女混声版・宝塚版)の別を問わず、今回が初見ではない観客が相当数いたのではないかと想像しています。

さて、R&Jの舞台をきちんと観たのは日本の男女混成版のみなので、どうしてもそちらと比較しまくりながら観てしまいました。
日本版と演出や物語上の設定が大きく異なっていた点は、概ね次のとおりです。

  • 衣装が現代風だがアニマル柄ではない(笑)。現代風だけどシックで上品。
  • 音楽のテンポがややゆったり。
  • 大公の出番が多い(ような気がする)*1
  • 終幕の曲「罪びと」が短い(ような気がする)。
  • モンタギュー卿がいない。
  • パリスがKY男でもピンクちゃんでもない上、舞踏会でブイブイ踊りまくっている。
  • ジュリエットがママ(キャピュレット夫人)の不義の子という設定が曖昧。1幕でママがジュリエットに結婚を強要しようとするソロの歌詞の内容は日本版とほぼ同じで、「夫は私の身体目当て、私は父親の言いなりに結婚し、愛人を作り、そしてお前が産まれた。お前も涙の谷に生きるのよ!」だが、2幕のパパのソロでは特に血縁関係に言及されていない。
  • ティボルトとママが愛人関係という設定がなく、ティボルトが単に「家に居場所がなく、ジュリエットのそばにいたくて本家に入り浸っている子」になっている。
  • 「死」のダンサーが女性である。

そんなわけで、日本版では色気要員だった(平方くんはそうでもありませんでしたが上原くんはかなり……)ティボルトが、グレて拗ねてケンカに明け暮れていて、その上ジュリエットにも振り向かれないただの寂しがりやで可哀想な不良青年になっていました(^_^;)。そしてジュリエットママにも、娘の若さに嫉妬する怖さではなく「お前だけ抜け駆けで幸福にはしないわよ」的な怖さの方を強く覚えました。
もっとも、不義の子設定と愛人関係設定はどうやらフランス再演版や他の海外版で別々に後付け導入されたらしいので、そこはあってもなくてもいいんでないかい?という気分になっています。
「死」は個人的にはどちらかといえば女性よりも男性、と申しますか、もう少し中性的な方が好みです。ただ今回の女性ダンサーの方は、登場人物に静電気のようにまとわりつく存在としての不気味さ、生者と対極にある皮膚感覚面での違和感、白くてひらひらした衣装で美しいけれどこいつには触っちゃいけない感をとてもリアルに表現されていて、好演されていたと思います。
(2012.10.7追記
コメントでご指摘いただきましたが、フランス語の「死」(la mort)は女性名詞だそうです(la は女性定冠詞)。よって女性の姿で現れるのが正解。ドイツ語の“Der Tod”が男性名詞(der が男性定冠詞)なのでどうしても男性のイメージがありましたが(大学の選択履修外国語はドイツ語でしたがフランス語は知識ゼロで、というのはあまり言い訳にはならないですね(^_^;))、フランス語ではそうではないようです。何となく、フランス人とドイツ人の死生観の違いを表している気がします。ついでに日本人としては「果たして『死』に性別が要るんかい?」と疑問符が消えないままでいます(役設定台無し(^_^;))。
追記ここまで)
取りあえず舞台を観察しながら終始思っていたのは、
「日本版、別にあえてアニマル柄や巨大白襟付きの衣装で奇をてらったり、Facebookとかケータイとかメールとかを使って無理やり現代風の物語に置き換えたりしなくても良かったんでないかい?」
ということでした。
今回のようにカジュアルでありながらシックで品のあるデザインであっても、いつの時代の物語か分からなくしてついでに格調を保つことは十分できるわけですし、加えて、何もケータイを壊さなくても「死」が介入することで手紙を届かなくすることは可能なわけで*2
ただ、日本版の演出を全否定するかと言うとそうではありません*3。例えば、金属ポールを活用してセットの上からスピーディーに滑り降りられるようにしている点や、1幕の舞踏会でロミオとジュリエットがそれぞれ車輪付きの高い塔に乗り、近づいた塔の上で初めて出会う場面、それに2幕の「決闘」でロミオとベンヴォーリオのデュエットを舞台上手と下手から響かせていた場面*4などは、かなり気に入っていた点です。

メインキャストの中では、ジュリエットを演じるジョイが、とにかく凛として愛らしかったです。長い金髪も綺麗。そしてロミオを演じるシリルは、金髪、細面、ちょっと頼りなさそうで、ジュリエットと並ぶと絵に描いたような由緒正しいおとぎ話の王子様と王女様風。かなり目の保養になりました。
歌は、皆さん本当に良かったのですが、特に印象に残ったのは、ジュリエットママ、マーキューシオ、ベンヴォーリオ辺りでしょうか。
ジュリエットママのステファニーは声が綺麗。低音から高音まで敷居低く響かせている感じが良いです。
マーキューシオのジョンは、別に髪型がウェービーヘアだからというわけではありませんが、姿、歌、そして軽やかな身のこなしから、アッキーを連想して仕方がありませんでした。日本版で彼を演じた良知くんのヤンチャぶりや、石井くんの壊れっぷりもそれぞれ愛していましたが、「この役、もしアッキーが演ったなら、歌声を輝かせながらどんな狂気で魅せてくれるだろう?」と、つい気持ちを馳せてしまいました。
そう言えばマーキューシオ、1幕の「世界の王」からミニワイヤレスマイクの音声に雑音が入り始め、直後のソロの途中でついに歌声が聞こえなくなるというトラブルが発生してしまっていました。数秒後、歌っていた下手側からスタッフが素早くハンドマイクを手渡して事なきを得ていましたが、緊張の一瞬でした。
そしてベンヴォーリオのステファヌ。舞台に初登場した瞬間から全身に「いい人」オーラを漂わせているのは流石だと思いました。私、こういう、きちんと歌えて踊れるにもかかわらず、どこかもっさり感のある人、好きです(^_^)。
ちなみにベンヴォーリオ、「彼にどう伝えよう」(日本版の「どうやって伝えよう」)のソロで、自分は両親を亡くして家もなく……といったことを語っていましたが、日本版でその辺りの身の上が語られていた記憶があまりありません。浦井くんのベンヴォーリオは、ニートだけどモンタギュー本家よりは格下ながらもそこそこ良い家の子で、だからニートなのに(しつこい)ロミオママにも信用されている、と勝手に思っていたのですが、今にして思えば演出家が浦井くんのパーソナリティに合わせてそういうイメージを後付けしたのかも?と想像しています。
そして、今回観ていて心が躍ったのが、しっかり体幹が鍛えられ、バレエに熟練したダンサーズによる、躍動的なダンスシーンでした。R&Jについては日本版のダンサーズも非常に好感度大でしたが、今回、ダンサーの数はその時よりもやや少ないと思われるにもかかわらず、ダイナミックに肉体の存在感溢れるダンスで魅了してくれました。

終幕後のカーテンコールは、初日ということもあってか、やや長めにやってくれました。
嬉しかったのは、カーテンコールで2曲聴けたことです。1曲目は、多分プログラムパンフのセットリストにも掲載されていた「20歳とは」だと思いますが、2曲目の曲名は良く分かりませんでした。劇中で演った曲かも知れませんが、すみません、音痴なので良く覚えておりません……。
(2012.10.7 22:43追記
コメント欄でお知らせいただきましたが、カーテンコールの曲は1曲目が「祈り」(2幕のロミオとジュリエットのデュエット曲)、2曲目が「20歳とは」だったようです。
追記ここまで)
終演後は、ロビーにキャストが登場するということで、人の波が凄いことになっていましたが、しばし待機。結局、前にいる人波が多すぎて良く見えませんでしたが、一瞬だけ見えた頭の形から推定するに、キャピュレット夫妻、大公、マーキューシオ、ベンヴォーリオ辺りであったと思われます。

R&J、本当は時間があればもう一度ぐらい観たいのですが、残念ながら再見する時間はなさそうです。しばらくは今回の舞台を脳内再生してしのぐことにします。

*1:大公、スキンヘッドで結構怖かったです。

*2:そう言えば「死」が手紙を開封した時に、浦島太郎よろしく粉の煙が揚がっていましたが、あれは何だったのでしょう?

*3:全否定している人がある程度存在するであろうことは推測しています。

*4:今回のフランス版では上手側で一緒に歌っていました。