日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

平吉さんとマキシム

しつこく、『レベッカ』がらみのネタです。
ネット上で、
「『レベッカ』のマキシムの演技は『百年の物語』の平吉さんと一緒。演技の引き出しが少ない」
というような書き込みを見かけました。え?そうだっけ?確かに2人とも癇癪持ちだし、物語の前半できらびやか、後半でズダボロになって登場するけど?と激しく疑問に。ということで、検証のため、約1年半ぶりに『百年』のDVDを再見しました(→1年半前の感想)。

結論。平吉さんとマキシムの演技、予想はしてましたが、やはり全然違いました。
そもそも、強がりな明治男が妻への愛情の証しとしてケジメを付けるための本心の告白と、罪を犯した男が自分を支えきれずに堤防決壊を起こしての告白とでは、全く質が違って当たり前だと思います。
告白した後の平吉さんは本当に澄んだ目をして凛々しい立ち居振る舞い。妻の彩さんが付いてきてくれると知った時も、本当は大声で嬉し泣きしたいんだろうに、じっとこらえてます。
一方、マキシムは罪が暴露されようとして動揺の真っ直中にいるので、とても凛と振る舞うわけには行かず、最後には罪ごと自分を受け入れてくれた妻に涙ながらに縋り付いてます。妻に対して懸命に保ってきた年長者、家長としてのプライドも、その時点で一斉に崩壊。
と言うわけで、貧しい田舎者から成り上がってきた日本の明治男を演じるのと、生まれながらの英国貴族を演じるのとでは、全く別の引き出しが必要よね、と1人ひっそり頷いておりました。
平吉さんについて、個人的には、落ちぶれても書物の束とレコードだけは捨てきれず取ってある所がツボです。書物は志を持ってお母様と一緒に上京してきた頃の、レコードはそれを聴ける身分になった時のそれぞれ原点だったんだろうな、と思います。

しかし、ドラマの平吉さん登場シーンからひたすら彼視点で見てると、初めから彩さんラブだということが丸分かりなのに、愛情表現が著しく不器用(というか非常識)であるが故に、どうして大事な局面ですれ違うかな、この人は、と思いながら平吉さんを観察。
例えば震災の後彩さんを公太さんの屋敷に迎えに行った時、嬉しくて目なんか潤ませてるくせに、君が帰らないと相手も姦通罪で罰せられる、とか脅迫めいたことを言うもんだから、彩さんに拒絶されたまま手込めにするような羽目に陥るんだよ、と考えつつ見ていました。心で拒絶されたまま、それでも毎晩愛人の家にも寄らず真っ直ぐ帰宅して、臥所を共にしてしまう平吉さんが悲しいのです。でも、前半の振る舞いがあんまりだからこそ、クライマックスで落ちぶれた時の別人のような綺麗な瞳が際だつのでした。
大御所橋田さんを誉めるのは何か悔しいけど、やっぱり平吉さんは良く作り込まれたキャラクターです。きっと演じる側もやり甲斐があったのではないかと思います。
マキシムというキャラクターの深い面白さについては、数日前にも書いたので省略します。日本の舞台でももっと色っぽい所を見せてくれても良いのだけど(まだ言うか?)、役者さんとしてはその辺はさらりと流して他の場面の演技で見せたいんでしょうね。