キャスト:
キミ(ひめゆり学徒)=神田沙也加 上原婦長(南風原陸軍病院看護婦長)=保坂知寿 滝軍曹(日本軍軍曹)=今拓哉 檜山上等兵(日本軍兵士)=阿部よしつぐ ふみ(ひめゆり学徒)=折井理子 杉原上等兵(日本軍兵士)=高舛裕一 神谷先生(沖縄師範学校教師)=縄田晋 岡教頭先生(沖縄師範学校教頭)・軍医=北村がく ルリ(ふみの妹)=太田智子
北千住にあるシアター1010で上演されている、ミュージカル座の『ひめゆり』を観に行ってまいりました。
キミ・婦長・軍曹・檜山・教頭先生、それから男性アンサンブルのみがシングルキャストで、他の役は月*1組と☆組のWキャストということですが、私が観たのは☆組キャストの方でした。
以下、若干のネタバレありの感想です。
全体を通しての感想から申しますと、
「『レ・ミゼラブル』なくして、この作品は生まれなかった」
と思います。
地の台詞が必要最小限しかなく歌をメインにほぼノンストップで進行する芝居、聖戦を信じて身を捧げる若者達、白衣の聖女、無辜の犠牲者を照らす白いスポット、等々。
ただ、もちろんそうしたモチーフだけではなく、南方などへの転戦でこの世の地獄を見てしまった若い兵士の屈託や、逃避行に臨む少女達それぞれの思いについても重奏のように語られていることにより、この物語に一筋縄ではいかない深い陰影がもたらされていると感じました。
この演目を観るのは初めてでしたが、映画『ひめゆりの塔』や、子供の頃に読んだ「ひめゆり学徒隊」の生存者の語り部の方のお話を元にした物語等から知識は得ていたので、テーマの重さは覚悟して観ましたが、やはり相当に重く辛い物語でした。
特に1幕終盤の、ヒロインのキミが心を込めて看護した相手を、陸軍の野戦病院を襲った米軍の総攻撃のため、心ならずも見殺しにしなければならなかった時の絶叫がもう辛くて(>_<)。
現代とは全く異なる戦時体制で軍国教育を叩き込まれて育ったとは言え、沖縄の師範学校に通う普通の女学生だった主人公達が、米軍上陸後もある者は「お国のため」に尽くすという一途な意志、ある者は非国民呼ばわりされたくないという気持ちの下に、家族の元に帰らず、卒業式(戦時の繰り上げ卒業?)とともに「ひめゆり学徒隊」として最前線の陸軍病院に駆り出されたわけです。
もちろんこのような形で非戦闘員の未成年者(そりゃ戦時下ですし、基本的な武術訓練や軍事教練は一通り受けていたでしょうけれど、あくまで彼女らは非戦闘員です)が半強制的に最前線で挺身を命じられるようなことはあってはならないですし、彼女らの辿る運命も心から悲しいものと感じています。
しかし。少女達に対するよりももっと、どうしても、上原婦長や滝軍曹、そして師範学校の先生ら、大人達にどうしても感情移入してしまう自分が客席にはいました。
例えば、もし自分が上原婦長の立場だったら、いきなりあのような、いくら志が高く純粋で聡明であっても、技術的にはど素人な小娘達を預かった瞬間、もうぶち切れて仕事にならないか、あるいは滝軍曹に食ってかかり、制裁や最悪銃殺でもされているのではないかと思います。
どんなに職業意識が高くても、あの状況下で、上原婦長ほど冷静に、凛と強く、かつ優しく清く振る舞えるだろうか?と考え込んでしまいました。そう言う意味でも、これは二度とあって欲しくない物語だと思います。
また知寿さんの歌声や立ち居振る舞いが、殊の外凛々しく強く美しかったので、尚更です。
大人組で凄い、と言うより凄まじかったのは、野戦病院を仕切っている滝軍曹。今さん、1幕で登場した時から背筋もピンとして筋骨逞しく男臭く、いつでも武器を手に戦闘に突入できそうな、筋金入りの帝国軍人でした。
そして、女学生にも容赦せず、戦場を通り抜けての補給食糧の運搬(飯上げ)を命じて疎まれる鬼軍曹。その根っこは母親を戦争で失った悲しみと、祖国を守るという一途で崇高な思いに満ちていて、レミゼのジャベールからコンプレックスとストーカー精神を抜いたらこんな風だろうか?と思わせるキャラクターでした。
その滝軍曹が、2幕で援軍が来るという期待を裏切られ続け、その一途さ故に常軌を逸していく姿には、心底ぞっとさせられました。もう本当に目つきからしてイッちゃっている狂犬状態で。母親を殺した戦争を憎み、祖国を守りたいと願っていたのと同じ人間が、極限状態に置かれたが故に、未来への唯一の希望であった泣く赤子の首をへし折り、恨み罵る赤子の母親を平然と撃ち殺す姿には、演劇と分かっていても慄然とせずにいられませんでした。聞く所によれば、前回の上演では岡幸二郎さん(同じジャベール役者!)が滝軍曹を演じられたそうで、それもちょっと観てみたかった気がします。
その滝軍曹は、塹壕に追い詰められたたくさんの命を守ろうとしたキミと格闘の末、彼女を救おうとしたある人の手により最期を遂げます。
命の重さを守る事を誰よりも生きがいにしてきた人が、例え相手が正気でなかったとしても、そして犠牲の連鎖を食い止めるためであったとしても、本当は誰もその手で殺したくなどなかったよね。しかもその選択が報われたのかどうかが微妙な結末だよね。と、そこで気持ちが憔悴して思考停止してしまったのが、観た後今日まで感想が書けなかった理由の1つです。
とは言え、振り返るとこの物語が担っているのは、やはり希望の光であった、と思います。
婦長から「命の重さ」を学び、生来の気丈さを檜山(彼の死の直前の場面での真摯な告白に、阿部さんの違う一面を見ることができた気がします)との逃避行中も貫き通したキミ。元々は家族思いで心優しく、杉本の脚の手術に立ち会い失神してしまう普通の少女でしたが、病弱な妹を連れて家路を辿る苦難の道行きで強さに目覚め、生命力を発揮するふみ。この2人を、沙也加ちゃんと理子さんが好演していました。特に理子さん。ふみの柔らかさと芯の強さを両方感じさせる立ち居振る舞いと伸びやかな歌声が、印象深かったです。
観劇後数日を経ても、若々しい希望を残しながらも苦い結末が心にのしかかっています。本当に苦くて重いのですが、終盤でキミを励ます失われた命達のハーモニーの美しさには、言葉に言い表せないものがありました。ちなみに音楽は、レミゼの指揮などでもお馴染みのビリーさんこと山口琇也さんです。
まだまだ書き足りませんが、書くほどに連綿と色々な思いがあふれ出そうなので、ひとまずこの辺で筆を置きたいと思います。
*1:「月」の実際の標記は三日月マークです。