日々記 観劇別館

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『篤姫』第35回

2週間ぶりぐらいに、『篤姫』をリアルタイムで見ることができました。
今回は久光様の見せ場がむやみに多かったです。
まず、遠島から呼び戻した西郷が、拙速な上洛を止めるためとは言え、いきなり久光様が無位無冠であるという事実をズバリと指摘。この時点で既に久光様はぴきっと来つつ目をつむって耐えているんですが、更にダメ押しで「地ゴロ(=田舎者)」呼ばわり。
「地ゴロじゃとぉー!?」
と、『レベッカ』のマキシムの遥か上を行く甲高い、とても良く響く発声で大爆発してました。そして何故かブラウン管(我が家のテレビはまだ液晶ではありません)の前で小躍りする私。顔文字にするとちょうどこんな感じだったかと思います→p(^o^)q
更に、西郷が去った後、一所懸命彼をフォローする帯刀達の前で顔中青筋立てて煙管をバキリと折ってました。コロレド猊下でもあそこまでのぶち切れっぷりではなかった筈。
その後の大久保と西郷との会話シーンを見ていると、西郷の方が1枚上手だと思いました。でも、とっても使える部下に信頼されないってさぞ辛いことだろう、と、このドラマでは久光様にかなり同情しています。

その後の場面では、一転して久光様の心の闇が露わにされていました。反久光派であり、天璋院の実家でもある今和泉島津家を抑えるために、自分の息子の1人を養子として送り込み、天璋院の兄・当主忠敬は隠居させることとし、それを忠敬に告げに行くよう帯刀に告げるくだりで、
「私は人を信じることができぬ」
と稲光に照らされながら、冷たいけれどどこか寂しげな表情で言い放ってました。
そりゃあ彼も、優秀な兄上をないがしろにする父上や、自分を擁立するために兄上を呪い殺そうとする母上や、そうした状況を利用して派閥争いをする家臣達を若い頃から見ていたら、屈折するよなあ、とまたまた同情する私。
一方で、そういう人間不信が元で兄上のそばにいられなくなって、死に際にやっと和解する羽目になったのに、まだそんなことを言ってるのかキミは、と突っ込みたくもなりました。そんなわけで実は悲しい人なのだけど、大久保や帯刀の裏表のない働きを見て、ちょっとは気持ちが変わることがあるのかな、と今後に期待しております。とは言え、今の所帯刀にはちらちら本音や弱みを見せてますが、大久保にはそういうことはしなさそうだし、ましてや西郷とはどこか相容れないまま終わるのでしょうし、やっぱり副主人公の帯刀がキーになるんでしょうね。

久光様3つ目の登場場面は、ついに上洛することになり、駕籠に乗って出発する場面でした。ほくそ笑む、と言うより本当に願いが叶って心底嬉しそうな表情で口を閉じたまま微笑んでいるのが妙に可愛らしかったです。一応主人公の敵だというのに、頑張れー、と言いたくなる笑顔でした。

その主人公・天璋院は、嫁・和宮が家茂のお渡りの際に懐に何か光る物=懐剣?を隠していたと知り、先週に引き続き和宮の居室に乗り込み(良く乗り込む人だ(^_^;))、実力行使に出ていました。
そういう姫時代のやんちゃぶりを残しつつ、例えばかつては本寿院の部下として対立していた滝山が、和宮の一連の騒動が起きたのは自分が至らなかったせいだと平身低頭するのに対し、そなたがいるからこそこうして大奥の者は平穏に暮らせているのだと労う姿を見て、ああ、大人になったなあ、としみじみさせられました。同時に宮崎あおいちゃんの上手さに感服。
家茂が天璋院の助言に従って、攘夷は無理であり、それを押し通すことは日本が滅びるということだ、と和宮に告げ、和宮もそれを納得して夫を受け入れる寝所での場面も実に綺麗で良い場面だったと思います。
それから、天璋院が2人のお渡りのことを考えるうちに、ふと1人の女性に戻って家定のことを思い出した、と思わず口にしてしまい、滝山に、自分達大奥の女性達の多くはそのような情けを知る(恋愛する)こともなく生涯過ごすのだ、とクールに諫められるなど、今回は結構印象的な場面が多かったです。でも久光様の出番の多さが嬉しくて、つい半分以上語ってしまいました。すみません。