日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『ミス・サイゴン』感想(2022.08.12 18:00開演)

キャスト:
エンジニア=駒田一 キム=高畑充希 クリス=海宝直人 ジョン=上野哲也 エレン=松原凛子 トゥイ=西川大貴 ジジ=青山郁代 タム=藤元萬瑠

 

ミス・サイゴン』帝劇公演を観てまいりました。

この演目を観るのは2008年以来2回目14年ぶり、新演出では初鑑賞でした。長期間観ていなかったのは、そんなに好きではない(ぶっちゃけ嫌い)な演目だからです😅。にもかかわらず、2020年の再演が発表された時に、キャスト表を見て「ぜひ高畑充希ちゃんのキムと海宝直人くんのクリスが観たい!」という気持ちが湧き起こりました。しかし2020年公演はご存じのとおりコロナ禍の緊急事態宣言で全て中止に😢。そんなわけで2022年公演が決まった際に、満を持してチケット確保と相成りました次第です。

ということで、キムとクリスを中心に、以下、感想です。

2年間待っていた充希キムは、序盤のおどおどした田舎娘から恋に華やぐ少女、そして中盤以降の意志の強い一途な女性への変化が鮮やかでした。また、2幕途中で回想シーンがあるのですが、そこで一旦母親になる前のキムに遡った上で再度現在のキムに戻り、過去に犯した罪の意識に苛まれるスイッチの切り替えが見事なのです。

歌声も清純さと凛々しさをたたえた澄んだ声で聴きやすい印象。ただ、これはそういう歌唱指導なのでしょうか、たまに母音強め、子音弱めで歌っていて、歌詞が聞き取りづらい所がありました。

キムはかなり感情の振り幅の激しいキャラクターではありますが、充希キム、時に一途さが狂気を孕んで発揮されていて、ぞっとする瞬間も多々見受けられます。そんな彼女が「これが最後の仕事」とタムの手を取り引き渡し場所へ向かう時の、全てを決めている表情の神々しさには惹きつけられずにいられませんでした。まあ、だからと言ってあのラストシーンの後味の悪さが変わるわけではないのですが。

もう1人待望していた海宝クリス。彼のクリスは本当に「普通の青年」でした。ただ普通に人生を送りたいだけなのに時代に振り回され、母国にも居場所がなく、という状況で、やはり普通の人であるエレンに居場所を求めたのは必然であるという説得力が彼にはあります。あの誰も幸せにならないラストでの海宝クリスの悲しげな表情が忘れられません。カーテンコールでは、充希キムも海宝クリスも心底放心したような表情で登場しますが、特に海宝さんはカーテンコールの最後の方まで感情を引きずっている感じだったのが心に残っています。

歌は、充希キムとは合っていると思います。2人のデュエット「世界が終わる夜のように」を聴いて、2年間待った甲斐があった! と感慨深いものがありました。

次に、全体の感想について。

14年ぶりに再見し、新演出ではヘリコプターが本物ではなくなったなどと聞いていたので、違和感があるのでは? と心配していましたが、全く違和感はありませんでした。と言うより、そもそも途中の細かい展開を綺麗さっぱり忘れていました! 何せ途中で、
「あれ? ヘリって、前は1幕で飛んできていなかったっけ? いきなりベトナム統一後の兵士とか再教育とか出てきても分からないよ」
と本気で思っていたぐらいですから……。

あと、トゥイについて、旧演出で観た時は、キムに今度こそはフラれないよう立身出世して迎えに来たのに可哀想、ぐらいしか思いませんでしたが、今回改めて観ると、どっぷり共産主義の軍人に染まっていた上に、エンジニアの扱いが結構ひどいので、何とも言えない気持ちになりました。ただ、キムに対しては少なくとも、タムを人質に取っては見たものの、危害を加えるつもりゼロですし、結婚しても悪いようにはしないだろうし、キム、一旦言うこと聞いてついて行った方が良かったんでないかい? と言う気がしないでもないです。

ところで西川トゥイ、押し出しに迫力があってなかなか良かったんですが、なぜか時々阿部サダヲさんに見える瞬間がありまして😅。私だけだと思いますが……西川さんすみません。

それから、「ブイドイ」については、アメリカ兵が残した子供たちを自虐的であっても「ゴミクズ」と呼ぶことにずっと違和感を覚えています。まあ、あれはアメリカの男性的視点での贖罪であり、ジョンという人物もアメリカの男性的視点での良心の象徴なのかな、と解釈しています。

エレンは極めて良識的なアメリカ女性の象徴として描かれていると思っていますが、あのベトナムの子供たちを実際のところどう見ていたのか、あまり描写されていないですね。信仰上救済が必要な存在と考えていたとしても、自分の夫が当事者であり、現地妻のキムがいたと知った後、どちらを選ぶのかと迫りはしましたが、タムを引き取ることについてどこまで彼女の中で落とし込めていたのかが、実はあまり舞台からは見えてきませんでした。

もう一つ、「アメリカン・ドリーム」。エンジニアは市村さんでしか観たことがなかったので、駒田エンジニアはかなり新鮮でした。あの薄汚さ加減と象が踏んでも壊れない筆箱のような精神力と、ゴキブリのような生命力! ある意味市村エンジニア以上だと思います。それでいて心に純粋な夢とどこか高邁な精神を抱いている面も伝わってくるのが良いのです。

でもそんな駒田エンジニアも、アメリカが実際にどういう場所なのかは脳内ドリームでしか知らないのだ、と思うと、「アメリカン・ドリーム」はとても悲しい歌に聴こえてきます。そしてキムはアメリカにタムと渡ってクリスと再会して暮らすことを望んでいて、自分の夢が叶わないならせめてタムだけでも、と願いましたが、多分彼女のアメリカのイメージに具体的なものは「クリス」しかなかったのだと思うと、もっと悲しくなります。

そして、エンジニアもキムも、では、アメリカに自力で渡って何とかできるか? と言えば、そういう力を一切持っていない人たちである、という点で、よりラストシーンにかけて無力感が強まっています。もっとも、キムにとってはアメリカ=クリスだったので、クリスを手に入れられないアメリカに自分が渡る意味は見出していなかったでしょうけれども。

というわけで、今回も『ミス・サイゴン』は私の好きな作品には格上げされませんでした。曲はこんなにも素晴らしいものがたくさんあるのに。またしばらくは観ないような気がします。