日々記 観劇別館

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『オトコ・フタリ』感想(2020.12.26 13:30開演)

キャスト:
禅定寺恭一郎=山口祐一郎 中村好子=保坂知寿 須藤冬馬=浦井健治 須藤由利子(声)=大塚千弘

観劇3回目にしてマイ楽の『オトコ・フタリ』を観てまいりました。

今回、前から5列目の下手通路寄りというかなり前方席でしたが、土曜マチネにも関わらずすぐ前(4列目)や5列目センター寄りの席が空いているなど、販売自粛の最前列席を差し引いても満席にはなっていなかった所に、厳しい現状を感じ取っています。

さて、前回観てから1週間も経っていないのに、冬馬くんの顔芸と恭一郎さんのリアクション芸が、かなり進化していました。特に1幕のシェリー酒ぶっかけシーンから、家政婦と闖入者の2人カラオケに恭一郎さん悶絶、に至るまでの流れの見事なこと! もっとも、流れがノリノリ過ぎたのか、当日ソワレでは冬馬くんがシェリー酒のグラスを破壊したらしいという情報もありましたが……。

彼らに好子さんを加えた3人の掛け合いがあくまでコメディであり、ぎりぎりコントになっていないのは、演じる皆様のぴったりの呼吸と技量あってこそと思います。

好子さんは1幕では内面の感情を抑制し、たまにうっかり内に秘めた本音が漏れ出たりしながら、雇い主である恭一郎さんと互いにはっきり物を申せるビジネス関係を強固に築いていることが見て取れます。彼女が冬馬くんの受け入れを巡り何度か恭一郎さんを説得する場面で、その都度恭一郎さんがキュッと内股になるのが個人的にはツボでして。あれは彼女への負い目を無意識に体現しているのかも知れない、と3回目にして思い至りました。

疑いなく、好子さんは「いい女」だと思うわけですが、実際の所彼女のいい女ぶりをお芝居を観ていない人に説明するのはなかなか難しいものがあります。しかし少なくとも劇中で冬馬くんの純粋な心には「(由利子さんの次に)いい女」として焼きつけられたのではないでしょうか。そして、きっと恭一郎さんの心にも。

なお、自分の頭の中には、好子さんが住み込んでいた6年の間にも、雇い主さんはその場限りの女性をあの邸に次々と連れ込んでいたのだろうか? というしょうもない疑問が浮かんでいます。ただ、もしあえて取っ替え引っ替え連れ込んで見せていたとすれば、それはちょっと闇が広がりすぎているので、あまり深く追求しない方が良さそうではありますが。

また、もう一つの疑問としては、
「恭一郎さんは冬馬くんの言うように、本当に好子さんほか女性の心理に鈍感だったのか?」
というのがあります。個人的には、少なくとも好子さんについては気づいていたが故に、分からないと嘯いたと解釈したいところです。しかし、仮にご縁のあった女性たちの心理についてもう少し敏感であったなら、そもそも悲劇は起きていなかった筈……。まあ、鈍感呼ばわりしている冬馬くん自身も大概唐変木に見受けられ、しかもその自覚は乏しそうなので、その点ではお互い様なのではないかと思います。

脱線しましたので、本編の感想に戻ります。

公演初日と比べてかなり受け止め方が変わったのは、2幕終盤近くのメールの場面です。初日はだいぶシリアス寄りの印象でしたが、本日はかなり「泣き笑い」要素が強まっていると感じました。

実はリピート観劇するほどに、メールの主の「贖罪のために○○○○行き」という振り幅の大きすぎる行動が疑問になり始めていたのですが、恭一郎さんと冬馬くんのメールを巡るボケツッコミの応酬が強化されたことにより、疑問が笑いのオブラートに包まれてぼかされたという印象です。メールの主の行動そのものよりは、メールを読んだ、邸に取り残された「オトコ・フタリ」の間に生まれる奇妙な絆もしくは連帯感の方が強調されるようになっていました。

今回、わずか3回ではありますがマイ楽ですので『オトコ・フタリ』を総括しますと、登場人物全員が何らかの形で大切なものを失う一方で、これまで各々が縛り付けられていた何かから解放され、それぞれ自分の中に元々あった大切な何かを取り戻す物語である、と思います。

かつて愛に向き合うことから逃げた男が、愛するがゆえに大切な人を自らの手元から解き放つ決断をし、真正面から愛と向き合い始める。終盤、一旦恭一郎さんが1人になった時に静かに口ずさんでいた、時々揺らぐあの歌声には、そんな男の心境が存分に込められていると感じました。

物理的に近い距離で互いを縛り合うことが愛ではない。愛に距離も性別も生物学的分類も関係ない。ある意味、何かと心や希望が壊されることがあまりにも多すぎた今年の観劇納めに最もふさわしい演目だったのかも知れません。

どうぞ、来年はもっと良い年でありますように。