日々記 観劇別館

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『オトコ・フタリ』初日感想(2020.12.12 18:30開演)

キャスト:
禅定寺恭一郎=山口祐一郎 中村好子=保坂知寿 須藤冬馬=浦井健治 須藤由利子(声)=大塚千弘

シアタークリエにて『オトコ・フタリ』の初日を観てまいりました。

なお、観劇歴がここ15年程度なもので、祐一郎さんが純然たるストプレを演じるのを観るのはまるきり初めてです。

劇場にちゃんとしたお芝居を見に来るのは久しぶり、クリエは……思い出せなかったのでブログの過去記事を辿ったら、今年1月に観た井上くんの『シャボン玉とんだ、宇宙までとんだ』以来でした。

久々のクリエは、物販はパンフレットのみ、ほかのグッズはシャンテの書店で販売、ということでしたので開演前にそちらで調達。書店レジに透明袋入りパンフを持参するとカウンター下から新しい裸のパンフを出してくれました。

このほかに、客席は最前列の販売なし、地下客席階ロビーでの飲み物販売はカップ入りのものはなくペットボトル入りのお茶や水のみ、と、かなり感染防止策が取られています。劇場内の換気もしっかり行われている印象でした。

また、今回リピート客向けに幕間と終演後に1階の窓口でチケットスタンプラリー(チケットは観劇前のものでも可)が実施されていましたが、恐らくこれも地下のロビーに人が溜まらないようにするための対応と思われます。

ただ、私はラリーの列に並んでしまったので伝聞になってしまいますが、地下ロビーでは結構おしゃべりされている方もいらしたように聞いています。また、1階も初日で我々もスタッフさんもどちらも不慣れだったことや、スタンプラリーとリピチケの受付が同じ窓口だったこともあってか、1階も待機列でやや人は多くなっていました。これは恐らく次回は改善されるのではないかと期待しています。

 

さて、前置きが長くなりましたが、お芝居本編の感想にまいります。例により結末は記しませんが軽微なネタバレを含みますのでご注意ください。

物語の9割方が、著名かつ恋愛遍歴でも有名な抽象画家の禅定寺恭一郎の邸宅で展開されます。登場人物は恭一郎と、禅定寺邸住み込み歴6年、美味しい紅茶を淹れるのとケーキ作りの得意な家政婦中村好子、禅定寺邸に向かうと書き残して突然家を出た母親を探して押しかけてくる青年須藤冬馬の3人、そして声だけで、しかし一定の存在感を持って登場する由利子の計4人のみ。図らずもこのwithコロナの状況にはぴったりの少人数演目となっております。

また、舞台に登場する3人の役者さんへの当て書き感が半端ない演目でもあります。「どこが?」と問われても即答は難しいですが、役者さん方の持ち味はもちろん、プライベートなパーソナリティの魅力までも透かして見せてくれているような印象を受けています。

登場人物についてそれぞれ触れてまいりますと、まず、恭一郎さん。脚が……長いです。見慣れている筈なのに、ついまじまじと観察してしまいました。発声はやや低めで心地良い響きで、しかも台詞が聴き取りやすい。ああ、この語りを聴けるなんて幸せ! とすっかり浸っておりました。すみません、これは役の感想ではなく役者さんの感想ですね😅。

恭一郎さんは芸術家らしく偏屈ですが、どこか飄々とした風情もある不思議な男性です。女性にモテまくりで、お付き合いした相手の裸体画を交際記録簿代わりとしているようなお方ですが、後半では彼が心に封じてきた、重く切なく、取り返しのつかないがゆえに美しく、とても大切ないくつもの結晶が明らかにされます。そして観客は名実ともに、歩き始めた彼の心象風景に深く広がる星空へと誘われるのです。

冬馬くんは、全ての物語が動き出すきっかけを作る人物でありながら、彼自身には実は謎はほとんどありません。一方で彼なくしては物語が成立せず、ラストでは大いなる人間的成長を遂げます。あと、とにかく演じる浦井くんの顔芸が凄まじいです。

この冬馬くん(一部は好子さんとデュエット)がやや調子外れにがなりながら歌う中島みゆき「糸」や米津玄師「Lemon」(後者のタイトルは観劇後に知りました)の歌詞が、物語が進むほどに染みてまいります。

そして好子さん。事前取材等で男性2人の間の大きい「点」と呼ばれていましたが、実際に観てみて「そのとおり!」と膝を打ちました。色々な意味で、この人が物語のキーになっていて、この人のある行動があったからこそ、それぞれの理由で停滞し苦しんでいた男性2人は再び歩み始めます。タイトルはあくまで『オトコ・フタリ』で、ラストまでの展開もまさにそのとおりなのですが、多分、確実に、好子さんもどこかで新たな歩みを始めている筈です、きっと。

それから、声のみで登場の由利子さん。過酷すぎる経験をしたとは言え、ちょっと振れ幅が大きすぎるのでは、とは思いましたが、こういう人だからこそ冬馬くんが心を寄せたのだろう、と納得の人物像でした。

さて、この演目を総括しますと、「愛の水中花」(古くてすみません)の冒頭の歌詞です。「これも愛、あれも愛、多分愛、きっと愛」(重ねてすみません)。

休憩時間込みで2時間5分という決して長い上演時間ではありません。しかし、2人の男と1人の女(+もう1人の女)の身に起きた一連の出来事を通して、人間の様々な愛の形、そして本当に独りでは生きられない人間の宿命というものに触れることのできる物語だと思います。

また、「愛されるよりも愛する方が幸せ」という好子さんが残した言葉にも、思いを巡らせております。少しだけ、『マディソン郡の橋』のロバートの後半生を連想しました。

こんな時代だからこそ、会えなくても思い続けることは大事だと思いますし、できれば思うだけでなくきちんと愛を伝えられるのが一番だと個人的には考えています。しかし口にしないことで守られる愛もありますし、秘めたものをあえて口にすることで認めることのできる愛もある。色々あっていいじゃないか。と、初日のカーテンコールでキャスト3人がそれぞれコロナ禍に向き合って語られたメッセージを思い出しながら記させていただいた次第です。今回もお付き合いいただき誠にありがとうございました。