日々記 観劇別館

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新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』ディレイビューイング感想(前編2020.2.15、後編2020.2.29上映)

キャスト:
(前編)
ナウシカ尾上菊之助 クシャナ中村七之助 ユパ=尾上松也 ミラルパ=坂東巳之助 アスベル/口上=尾上右近 ケチャ=中村米吉 ミト/トルメキアの将軍=市村橘太郎 クロトワ=片岡亀蔵 ジル=河原崎権十郎 城ババ=市村萬次郎 チャルカ=中村錦之助 マニ族僧正=中村又五郎
(後編)
ナウシカ尾上菊之助 クシャナ中村七之助 ユパ=尾上松也 セルム/墓の主の精=中村歌昇 ミラルパ/ナムリス=坂東巳之助 アスベル/オーマの精=尾上右近 道化=中村種之助 ケチャ=中村米吉 第三皇子/神官=中村吉之丞 上人=嵐橘三郎 クロトワ=片岡亀蔵 チャルカ=中村錦之助 ヴ王中村歌六

こんにちは。演劇界隈に新型コロナウイルス禍のため厳しい逆風が吹き荒れています。

自分が3月に観に行こうとチケットを確保していた『アナスタシア』の当該上演回も公演中止になってしまいました。その後東京公演は再開されましたがこれから取り直すことも難しく、大阪公演を追う余裕もなく……ということでどこか鬱屈した思いに囚われ続けています。

だからというわけでもありませんが、1ヶ月ほど前に近所のシネコンに観に行った歌舞伎版『風の谷のナウシカ』の感想を思い出し書きすることにいたしました。以下、お付き合いいただけましたら幸いです。

 

2019年12月に上演された歌舞伎版ナウシカ。これまで歌舞伎鑑賞にご縁が薄かったのと、昼夜通し狂言計6時間という長丁場に腰が引けたのとで、気になりつつも生の舞台を観る機会を逃していました。

そんな折、ちょうど近所のシネコンで前後編各3時間ずつに分けて上映があり、また、伝え聞く舞台の評判も良さそうでしたので、思い切って2回に渡り観に行くことにしました。

歌舞伎版ナウシカ、想像以上にあの世界を再現しており、予想以上にきちんと歌舞伎でした。キャラクターの装束は和装で、ナウシカレクイエム等の劇中音楽の演奏も和楽器ナウシカ王蟲の対話も日本舞踊。更に遠景に飛ぶ小さなメーヴェに乗るナウシカは子役。といった具合で、歌舞伎に詳しくない自分のような者でも分かるような歌舞伎の約束事は一通り守られていると感じました。

同時に、前編・後編ともに口上役や道化役による、物語世界のモチーフが描かれた緞帳を使った前口上であの瘴気に満ちた世界に観客を引き込む工夫がなされており、また、キャラクターの装束も原作のイメージを損なわないよう巧みにデザインされていたので、観ていて全く違和感を覚えませんでした。

主演を張る菊之助さんは開幕直後に負傷したため、立ち回り場面は大幅に減らされていたらしいですが、それでも主演としての見せ場はたっぷり確保されていたと思いますし、全く不満は感じませんでした。舞姿で披露された体幹の確かさと身体の柔らかさに驚愕! そして節目節目で登場するテトと交流する姿なども可憐でした。

なお、このテトのぬいぐるみが実にかわいらしかったです。黒衣さんの操演が見事だったのも大きいですが、後編にてナウシカの腕の中で悲劇的な最期を迎えた時には、涙が出そうになったぐらいです。あの世界が生き物の生存環境として過酷であるという現実を改めて突きつけられた瞬間でもありました。

そして、七之助さんのクシャナ殿下が舞台に最初に登場した瞬間、凄絶なまでの美しさにすっかり息を呑んでおりました。

七之助さんには失礼ながらごく最近まで、お若い頃のどこか振る舞いの危なっかしい印象しか抱いていなかったのですが、大河ドラマ『いだてん』で彼が演じた三遊亭圓生師匠のぞくぞくするような色気に仰天して以来、気になる役者さんの1人になっています。

七之助クシャナ、登場するだけでそのセリフ回し、居住まいから、ただの姫君ではなく、自ら危険を顧みず陣頭に立ち、多くの将兵の畏敬を集め、スパイであった筈のクロトワをも寝返らせるカリスマ性を持つ存在であることが、映像からもこれでもかと伝わってきていました。いずれ他の歌舞伎演目でもぜひ七之助さんを見てみたいです。

ほかにこの演目で気になった役者さんは、土鬼(ドルク)の皇弟ミラルパほかを演じた巳之助さん、そしてアスベルとオーマの精を演じた右近さんでしょうか。

ミラルパのイメージは原作とイコールではないのですが、超常的でただならぬ佇まいと威圧感が終始全身から漂っていたと思います。そしてミラルパをあっさり殺めた後登場する皇兄(ミラルパと二役)が顔はそっくり同じなのに超常性はすっかり消えて俗物感満載で。まだお若い筈なのにあの切り替えは見事! と拍手したくなりました。

右近さんのアスベルは男雛のように美しく、それでいて冒険小説のヒーローのような勇気と強さとを兼ね備えた少年に仕上がっていました。でも「森の人」ことセルム以上にはナウシカの心を強く惹きつけることはなく、何となくケチャと組むことが多くなりいつの間にかフェイドアウトしてしまう所は、まあ、アスベルだなあ、と。

右近さんは後編のクライマックスではオーマの精として朱塗りのメイクで登場。戦闘の舞が実に健気かつ華麗で、そう言えばこの方も菊之助さんや七之助さんと同様、六代目の系譜に名を連ねる役者さんであったなあ、と思いながら見入っておりました。

逆に「もう少し行けるんじゃないか?」と思ったのは松也さんのユパでした。何せユパなので無双の剣士だし、前編の大量の水が降り注ぐ中でのバトルシーンもアスベルとともに身体を張って立派にこなしていたし、何より後編では壮絶な最期を遂げるしで、見せ場は本当にたっぷりあるのですが……うーん、もう一振り何かのスパイスがあってもいいなあ、と思ってしまうのは何故でしょう。

最後になりますが、原作のナウシカが過去の人類の壮大なプロジェクトの礎となることを拒否してプロジェクト破壊の道を選ぶあのラストには、見届けた者の心にずしりと重いものを被せて放さない何かが備わっているとずっと思っておりました。しかし歌舞伎版の幕が下りた後には厳粛さと同時にどこか華やぎもあり、「これで良かったのだ」という気持ちにさせられたのは不思議です。これが、歌舞伎の力なのでしょうか。その「歌舞伎の力」を確かめるために、いずれ必ず歌舞伎の生舞台を観に行こう、と考えはじめています。今は、少しでも早いコロナウイルス禍の解消と、全ての劇場の、エンターテインメントの正常化を願うばかりです。