日々記 観劇別館

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『貴婦人の訪問』感想(2015.8.29マチネ)

シアタークリエ『貴婦人の訪問』。3回目(クリエでは2回目)の観劇にして今回がマイ楽でした。

……で、ええと、マイ楽なので細かい所までしっかり観るぞー!と思っていたのに、終わってみたら見逃していた所や「そこまで考えていなかった」点等が結構ありました。
見逃しポイントとしては、2幕で校長がレーナから受け取った花の行方。
「あの花は後から萎れる」という話を聞いていたので、校長がアルフレッドを説得し損ねて絶望してしまう場面まではじっくり観察して、「なんだ、萎れないじゃん」と思っていたら、実は最後の審判場面で、長い物に巻かれて他の市民同様新品の服を着て登場した校長の花は、萎れていたそうです。
……というか、何でみんなあの場面でアルフレッドやクレアやマチルデに気を取られず、ちゃんと校長に気がつけるん?(八つ当たり)。
そんなわけで、自分の観察力の詰めの甘さに物凄くがっかりしつつ、以下、感想を語ります。

今回変化を感じたのは、春野マチルデでした。前に観たのは僅か1週間前なのに、演技がぐっと深まっていたと思います。
この人は相手を信じて尽くすことに対し、相手の見返りを求めている、とは最初に観た時から思っていましたが、今回、1幕で(恐らくは無意識に自身を誤魔化しながら)夫を信じている時の穏やかさと朗らかさから、2幕で見返りがないことに気づき、信じていたものが崩壊して、歌声も何もかもダークサイドに豹変して行くさまが怖かったです。しかもマチルデ、夫がクレアのもとに走るのを見送り、暗転する直前に投げやりに笑っていたような?
でも、アルフレッドはきっと、本心を告げることでマチルデが敵に回ることは分かっていたんだろうな、と思います。と申しますか、マチルデをあえて彼女にとって最も残酷なやり方で切り捨てることにより、自身を地上に縛り付ける最後の糸を切り離したに違いない、と確信しています。
マチルデも、この物語の上で恐らくは「偽善者」の位置付けになってしまうのでしょうけれど、彼女の「偽善」は人間が誰しも自然に抱いているものなので、誰も彼女の罪を責めることはできない筈だ、と思います。

それから、涼風クレア。ビジュアルは杖をついた年配の婦人(と言ってもせいぜい40代後半〜50代半ばだと思いますが)なのに、やっぱり綺麗。本日の舞台挨拶(おけぴの貸切公演でした)でも口にされていた「昔妖精、今妖怪」のキャッチフレーズに似つかわしくない美しさなのです。
そして、プレビュー公演の時、公演を重ねるごとにせっかくのクレアのキャラクターがぶれないかどうか心配していましたが、全くそんなことはないどころか、進化、そして深化していました。
特に2幕での怨念と渇望に満ちた 「返して、私を!」の絶唱。自らの信ずる正義を心の拠り所にしつつ、同時に正義にがんじがらめにされており、心のどこかでそこからの解放を待ち望んでいる姿。
涼風さんは役柄によってはあの押し出しの強さが仇になることもありますが、クレアに関してはキャラクターとマッチしていると感じています。

禅さんの校長は、2幕序盤で全てはクレアの仕掛けた罠であると知った時点で、彼女の掌の上から逃れられない、と思い込んでしまっています。校長のように激しく苦悩しながらも、最終的に良心が多数派に屈し、恐らくは心を棄てたまま生き続けるのと、アルフレッドのように自らの命の結末はどうあれ、クレアとガチンコで向き合った末に愛を取り戻すのと、さて、どちらが人として幸せだろう?とふと考えさせられたのは、禅さんの陰翳に満ちた苦悩の場面あってこそです。

今井さんの市長と今さんの署長。1幕で早々に友人アルフレッドを見限り切り捨てていた市長と、最後まで友情は変わらぬと錯覚し、正義と友情、そして自らの汚名返上という名の下に友人を死なせることに微塵の悔いも抱かない署長。彼らのいずれが、より質の悪い偽善者なのでしょうね。

中山さんの牧師。何故あそこまでノリノリでギュレンの町でマスコミへの偽装に励む?としばらく謎でしたが、多分、彼の教会の信徒をいかに「正しい」道に導くかで彼の牧師としての評価が左右されるのだと思われます。

そして、市長・牧師・署長・校長のカルテットはやはり格好良かったです。ただ、事件の発端となったクレアの歓迎パーティーにはコアな関係者である彼ら以外の市民も出席していたのに、クレアの発言が漏れないよう隠しておけ、はないだろうに、と何度聴いても思うのですが(^_^;)。

最後に、アルフレッド。
前の記事にコメントをいただいたので、彼の心の動きを自分なりに再度なぞって解釈してみました(あくまで個人の解釈です)。

まず、1幕前半の森の場面で、アルフレッドがクレアに対し「愛を諦めた」と語る場面。お前、何を諦めたらああいう非道なことができるんじゃい?と突っ込みたくなる1コマですが、これは即ち、若アルフレッドが若クレアに愛情を抱きながらも、貧しい上ロクデナシの両親を持つ彼女との人生を引き受ける覚悟がなかったので、「諦めた」ということだと解釈しました。
但し、それは彼女の立場や気持ちを考えた上での結論ではなく、全くの独善的な「諦め」で彼女を裏切る行為です。加えて若アルフレッドは若クレアに対し、納屋の事故での見捨てという裏切りを塗り重ねてしまい、彼女への謝罪や和解までも「諦めて」しまったわけで。
だからこそ、クレアを社会的にも精神的にも殺めたアルフレッドの罪は、尚更深かったのだと思います。

この物語におけるアルフレッドの身の処し方にはすっきりしない所もありますが、つまり、こういうことだったのではないかと、今のところは理解しています。

  • 男は目先の利益に囚われて女の愛を裏切り、更に市民による村八分という形で女を故郷から社会面・精神面ともに抹殺した。
  • 女は目先の利益により掌の上で故郷を操り、市民に荷担させて男の抹殺を望んだ。それは市民に罪を負わせるための復讐でもあった。ただ、女は心のどこかで市民が策略に乗らず復讐が成就しないことを望んでいたのかも知れない。
  • そして男は女に無条件の消えない愛を捧げることにより女の愛を取り戻す一方で、消えない罪を贖うためにあえて、彼女の掌の上にて市民が荷担する形での最期を選んだ。これはある意味、罪の道を歩み続けることになる市民との心中でもあった。

……ということを考えながら2幕で「愛は永遠に」を聴いて、泣きそうになりました。アルフレッドとクレアの歌声が美しく共鳴するほどに、人間の業の深さとどうしようもなさをひしひしと感じてしまいまして。

というわけで、私の『貴婦人〜』鑑賞もこれでラストです。
相当にハードで、個人や観た回数により解釈に幅のありそうな物語ですが、音楽もキャストも良く、ダンスもバランス良く入っている(と思います)、面白いミュージカルだったと思うので、再演を希望します。もっとも、キャストが豪華すぎるので、本当に機会があれば、になってしまいますが。
心残りは、レーナが3回とも同じ子役(日浦美菜子ちゃん)だったことです。美菜子ちゃんも大人と互角以上に渡り合う好演でしたが、願わくば、もう1人の子役(青木璃乃ちゃん)でも観てみたかったです。

そうそう、今回の公演は「おけぴ(オケピ)」の貸切で山口さんと涼風さんの舞台挨拶がありました。
山口さんがいつもの如く、間がたっぷり、おとぼけな声色で出だしと締めの言葉だけ請け負って、肝心の部分はほぼ涼風さんに丸投げしていたので、特に言うことはありませんが、
「本日は、おけぴ、会員の皆さま、ご観劇、ありがとうございました。そして、オケピ、十周年、本当におめでとうございます」*1
と、ただゆーったりと語るだけで会場だけでなく身内(キャスト)の笑みを誘いなごませてしまうのは、果たしてそれで良いのか?と思わないでもないです(^_^;)。

*1:言葉はうろ覚えです。