日々記 観劇別館

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『レ・ミゼラブル』新演出版感想(2013.5.26マチネ)

キャスト:
ジャン・バルジャン=吉原光夫 ジャベール=川口竜也 マリウス=田村良太 コゼット=若井久美子 テナルディエ=萬谷法英 マダム・テナルディエ=浦嶋りんこ エポニーヌ=昆夏美 ファンテーヌ=里アンナ アンジョルラス=上原理生 ガブローシュ=加藤清史郎 リトル・コゼット=木村青空 リトル・エポニーヌ=武田有紀子

ようやっと、新演出版『レ・ミゼラブル』を観てきました。
以下、観劇直後にTwitterに落とした感想に、ほんの少しだけ追記したものを書き記しておきます。今読み返すと本当に観察力が浅くて恥ずかしいです(^_^;)。

ネタバレもありますので、未見の方はご注意ください。

まず、Twitterの方には一度だけ書いて、こっちでももう滅多に書くつもりはありませんが、この演出なら山口バルジャン、いけたかも?と一瞬だけ思いました。でも、1幕前半辺りを見る限り、やはりバルジャンが若くないと、具体的には「枯淡」がデフォルトで心身に身に付いていない状態じゃないとこの演出ではダメだったんだろうな、と理解しています。

吉原バルジャン、仮出獄直後から司教様に燭台をいただくまでは、普通の人間の感情を失ってる感じとか、公判で正体を明かすかどうか逡巡する辺りのエゴから抜けられない感が上手かったです。そんなバルジャンが、ファンテの臨終で守る物を得た瞬間、劇的に顔つきが変わり、おー、きたきた!待ってたぞと思いました。
少し前後しますが、バルジャンが仮出獄許可証を破り捨てた後にタイトル文字がスクリーンに映し出されるのが好きです。これまでの展開はあくまで序章で、ここからレミゼという物語が始まるのだというのが明確に伝わってきて、わくわくします。

初っ端から囚人の懲役場所が変わっていたのを皮切りに、旧演出版からの変更箇所は実にたくさんありましたが、細かい変更のうち目立つものとしては、子役3人の出番が1幕序盤にも増えたというのがあります。特に、ほんの一瞬でしたが、バルジャンが結果的に小銭を奪ってしまうプティ・ジェルヴェ少年の場面が増えていたのには驚きました。バルジャンのあの罪状、今までの演出だと完全スルーされていたのに、この期に及んで追加されたのは何故なのでしょうね。

川口ジャベールは、私は意外と好きです。あの全身からにじみ出てくる余裕のない青二才感、クソマジメさが素敵。声質も凛としてピリッとしていて良いです。
新演出では「星よ」の場面設定が変更されており、映画のあの場面設定は、この舞台のイメージを踏襲してたのね、と納得しました。旧演出版でパリの街を背景に歌うのも好きでしたが、変更後の場面も素敵だと思います。
「星よ」であれ?と思ったのは、ジャベールに白いスポットが降り注いだ時。白いスポット=神に救われた者と理解していたので、ちょっとびっくりしました。その後の彼の最期の場面で白いスポットが当たることはなかったので、観劇後に、「星よ」の時点ではまだジャベールも天国に行ける可能性があったのだ、と考えて、少々しんみりしてしまいました。

「星よ」と前後しますが、パリの街角への学生達の登場シーン。アジビラを配る学生がアンジョとマリウス以外にも増えていました。
この辺りの場面などで、アンジョが前より目立たなくなりワン・オブ・学生になってるらしいという噂を聞いていましたが、今回は上原アンジョだったためかそういう印象は全くなく、むしろ随所で目立ちまくっていました。
とはいえ、2幕で亡骸はガブと一緒に台車でごろごろ運搬されていたりして、そういう意味では彼だけが特別視されなくなったのは良かったなあ、とも思っています。自分は旧演出でアンジョの逆さ吊り亡骸に皆が拍手するのに抵抗があった方ですので。

そうそう、清史郎ガブローシュですが、以前観た2011年にも既に堂々としていましたが、今回はもっと堂々としていました。以前は歌は普通かな、という感じでしたが、何となく、上手くなっていたような気がします。子供が2歳大きくなるというのはやはり格別のことなのね、と感慨深かったです。
旧演出にあった回り盆がなくなったことで、あらゆる場面に変更が生じていましたが、ガブローシュの死の場面は最大の変更箇所の1つでした。以前はガブローシュが銃弾を拾いに行くと盆が回りましたが、今回からは砦の向こうにガブローシュが降りて、歌いながら銃弾拾いしている間の姿は見えません。死に際にカバンも投げません*1。弾を拾って砦を登り戻った瞬間に……という展開になっていました。銃弾を持ち帰っているので無駄死に感は薄くなったかも知れませんが、その分あっけない無辜の者の死、という要素が強まったように思います。その後にグランテールが……というのは、映画版とも共通でした。

グランテールと言えば、「共に飲もう」の場面で死を賭した戦いに疑問を呈し、アンジョルラスと対峙するあのソロですが、今回、上原アンジョと丹宗グラン、この場面で見つめ合った瞬間、何だか、上原アンジョの眼差しが一瞬優しくなり、和解しているように見えました。
これまた新演出共通なのか人によるのかは良く分かりませんが、旧演出を観た時の自分的解釈では、この時点ではだいぶ互いを理解してはいるけれど、まだ一触即発感は解けておらず、最後にマリウスを撃たれたアンジョがグランに一瞬のアイコンタクト(時に肩に手)で和解し、別れを告げた上で壮絶な戦死を遂げる、と理解していたので、え、ここでもう和解しちゃうの?早くない?とつい思ってしまいました。
しかし、もしこの深夜の時点で、既に分かり合っているが、もう戦いは止められない、女子供は砦から帰しても僕らは最期まで戦いを生きる、という心境に、2人が共に至っていたとしたら、それはそれで萌えるシチュエーションであると思います。

マリウスの田村さんは初見でした。というより、上原アンジョとアンサンブルの一部を除いて今回はほとんど初見メンバーだったわけですが(^_^;)。
マリウスにはリアルに虹の空の彼方に飛んで行きそうなタイプ(ex.禅マリウス)と、飛んで行かなさそうだけどちょっと言ってみました、なタイプ(ex.原田マリウス)とがいると理解していますが、田村マリウスは後者でした(笑)。マリウスの愚かさと言うかイノセントさがいい感じに出ていて良かったと思います。
田村マリウス、歌は軽く演歌というか歌謡曲が入っていたような気がしました。歌い方に小節が利いているというだけでなく、あの鼻にかかったような声がちょっと昔の歌謡曲風と申しましょうか。

若井コゼット。他のコゼットを観ていないので早計な判断かも知れませんが、ああ、象が踏んでも壊れなさそうなコゼットは旧演出でも沙也加コゼという例があったけど(決して嫌いではない)、新演出では加えて翳りを嫌う、無邪気で明朗なキャラ設定なんだな、と理解しました。マリウスがエポニーヌの手引きでプリュメ街まで来てくれた時、ああ、自分をこの日陰から連れ出してくれるかも知れない人が現れた!掴まえてもう離さないわ!と手放しに喜んでいる感じで。個人的にはもう少しだけ翳りがあっても良いのに、とは感じましたが、まあそう言う方針なら仕方がないと思うことにします。

そう言えば吉原バルジャンの「彼を帰して」について語るのを失念していました。吉原さんの彼帰は初めて聴きましたが、神に「祈る」というよりもむしろ、自らがマリウスを守り、救って連れ帰ることを「誓っている」という印象を受けました。実際、戦闘能力高そうでしたし。ただ、逞しくて声も若々しい分、臨終の場面ではあまりすぐ死にそうには見えなかったです(^_^;)。
臨終であまりすぐ死にそうもない逞しさと言えば、里ファンテーヌもそんな感じでした。ファンテーヌは、儚さと同時に、なりふり構わない必死感がある方が好きなのだけど、里さんのはやや儚さ成分が薄めで。でも歌は強さと切なさがこもっていて良かったと思います。

昆エポニーヌについてまだ語っていませんでした。あまり原則からはみ出ていない、想定の範囲内の仕上がりに見えました。これは昆さんがどうのではなく、エポという役が、キャラのはみ出しに厳しそうなこの作品の中でもとりわけ縛りが多そうなためだと考えています。もっとも、今回他のエポニーヌを観ていないので断言できませんが。
昆エポ、結構小柄な筈なのですが、エポニーヌとしてひとたび舞台に立つと、あまり小さく見えないのは流石です。
そして、エポニーヌの両親である、テナルディエ夫妻。1幕の「宿屋の主の歌」でこれまで以上に、儲けのためなら相手を問わず、軽やかにむごいことをする面が強調されていると感じました。盲人の客やその愛鳥への仕打ちなど。萬谷さん、浦嶋さんともに、あまりあくが強くなく、この役に手垢が付いていないのが功を奏していたと思います。

新演出版を観終わって抱いた感想は、月並みですが、演出が変わっても、キャスト自身や彼らが身に纏う衣装が入れ替わっても、やはりレミゼという作品のパワーは変わらないな、というものでした。そして、作品のパワーに引きずられずに舞台に立ち、しっかり役として生きている役者の皆様はやはり凄いぞ、とも思いました。
もう1回観に行くかどうかは……時間と予算と他の観劇スケジュールの関係上、ちょっと分かりません(^_^;)。もし観る機会があるなら、今回とは全く違うキャストで観てみたいです。

*1:2013.5.31追記:カバンは上手方向の学生に投げて渡しているそうです。