日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

近況報告

日々、Twitterの方で日常生活のあれこれは書いていますが、一応生存証明を兼ねて近況報告です。
まず、とある所で公開されていた(まだ公開されているかは不明)、『誰でもピカソ』2004年放送映像は見ました。何故作詞をしてしまうのか?についての言い訳が面白かったです。
一方、同じ所で公開されていた『スタジオパーク』2002年放送映像は、まだ見られておりません。以前どこぞで、どこかの親切なお方が一言一句書き起こされたレポートは拝読したので、彼の君が当時何をやらかしたかは大体存じているのですが、まだ見る勇気がありません。ほら、百聞は一見にしかずとも言いますし……見たら笑い死んで立ち直れないのではないかと(^_^;;)。

今月の予定ですが、9月は観劇予定もあまりありません。せいぜいサットン・フォスター来日記念ガラコンを観に行くぐらいです。と言いつつ未だにサットン・フォスターがどういう方か良く分かっていません。完全に、綜馬さんと一孝さんと知寿さん目当てでチケを確保しました。少しは予習しておくことにします。

と、これだけではあれなので、レミゼの登場人物で「一番好きな人」「感情移入してしまう人」「憧れる人」について少し語っておきます。
元ネタは岡田育さんが「ザ・インタビューズ」で書かれていた、
レミゼの登場人物で、一番好きな人、感情移入してしまう人、憧れる人を教えてください。
です。

一番好きな人: ジャン・バルジャン
レミゼは原作はきちんと完読できておらず、ミュージカル版しか存じません*1
その上で語りますと、そもそもレミゼ自体が、群像劇でありつつも、基本の柱は「バルジャンの魂の遍歴と救済」だと思っています。
昔、ミュージカルではカットされている、バルジャンが子どもが落とした小銭を着服する場面をジュブナイル版の本で読み、
「何でこのおっさん、いくら落ち込んでいたとは言え、反省したのに、そんなことしちゃうかなあ?」
と憤ったことこそありますが、やっぱりバルジャンの、そうした人間的な生々しい心の揺れ動きを見せながらも、結局は神に身を捧げ、善と聖に満ちた生き方を貫く所が好きです。しかも聖職者ではなく市井の人間として。

感情移入してしまう人: その時によって変わる。
これ、観劇する時の自分の立場、体調等によって、相当に変わります。
例えば、精神的に色々な物と戦って疲れ切った状況でレミゼを観た時は、バリケードの学生達に完全に気持ちが同化して、共に理想を見つめるとともに来し方を振り返り、共に鉄砲に撃たれて息絶えていました。
また、あの東日本大震災後に心が殺伐としていた時は、観客の嘆き悲しみを一手に引き受けたかのように揺らぎながら舞台に佇む山口バルジャンに、最初から最後まで心を揺さぶられっぱなしでした。
もう少し心が元気な時には、ジャベールが、ある時は氷に亀裂が走り割れるように(綜馬ジャベール)、ある時は熱く燃える星が砕け散るように(今ジャベール)、またある時は美学で固めた鎧が剣先で貫かれるように(岡ジャベール)、命を絶つ姿に心を寄せることもあります。
でも、レミゼって、劇中のどの場面でもそれぞれに、様々なキャラクターに感情移入することが可能で、しかもどの場面の音楽も美しいときているので、本当、こればかりは1人に決めることができません。

憧れる人: (白い意味で)ジャン・バルジャン (黒い意味で)テナルディエの旦那 (無難な意味で)コゼット
バルジャンについては、その半生が人とはかなり違う成り立ちであることも含め、自分にはまずできない生き方をしているという点で憧れます。
テナルディエの旦那については、あの美学でも何でも無い、単に悪党として、しぶとく生き残る所が凄いと思います。聞く所によると、原作では物語後半で投獄された時に奥さんは亡くなってしまいますが、テナルディエの旦那はその後もしっかりエポニーヌの妹と一緒に生き延びるとか。その強かさだけは見習いたいです。
ただ、どちらも、自分が「そういう人生を送りたい」とは思わないのでした。大変そうだし。
後半生が穏やかそう、という意味で、まあ、そういう人生なら送ってもいいかな、と思えるのは、コゼットでしょうか。ただ、本人が綺麗に忘れているとは言え、テナ夫妻に虐待されるというハードな幼児期を送っていますが。あと夫は別にマリウスでなくても良いです(^_^;)。

……書いていて思いましたが、最後のはあまり面白い回答ではなかったですね。でも、書いてしまったので取りあえず載せておくことにします。

*1:実は文庫2巻途中まで流し読みしたきり積読状態です。だからと言って「原作を読め」と言われると益々放置する天の邪鬼なので、どうか「読め」とは仰らないでいただきたく。