日々記 観劇別館

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『眠れぬ雪獅子』感想(2011.10.23マチネ)

キャスト:
テンジン=東山義久 ドルジェ=伊礼彼方 ラルン=小西遼生 ペマ=山田ジルソン ラン・ダルマ/ワンドゥ=今井清隆 ターラ/ドルガ=保坂知寿

世田谷パブリックシアターでTSミュージカルファンデーションの新作『眠れぬ雪獅子』を観てまいりました。
初めにお断りしておきますと、今回の『雪獅子』、自分にはかなり歯ごたえが強く上手く消化しきれなかったようで、あまりちゃんとした感想が書けそうにありません。何と申しましょうか、所々で置いて行かれていた感じがします。
1つだけ確かに言えるのは、彼方くんの成長著しさにただ目を見張るばかりだった、ということでしょうか。私は彼方くんをエリザのルドルフ以降、ごく限られた作品でしか知らないのですが、実は彼をあまり「格好いい」と思ったことがなくて(^_^;)。
ところがこの作品の彼方くん。言葉の力を信じていたのに裏切られ、一度は言葉を棄てて武器に頼ろうとしながら、結局未遂に終わった自分に安堵し……と逡巡する詩人ドルジェの心の揺らぎがありありと伝わってきて、彼に初めて「大人の男」としての陰影を感じました。

843年に仏教を弾圧し、仏典を焚書する暴君ラン・ダルマを「黒い帽子の踊り」の踊り子に扮して暗殺する道を選んだ僧ラルンと、彼の行いが正義であったことを文字の力で広めようとした結果死に追いやられた、その弟ペマ。
その約600年後、1940年に、故郷の村を弾圧する暴君ワンドゥを、ラルンの故事にちなみ「黒い帽子の踊り」の踊り子として殺そうとする詩人ドルジェと、彼に請われて踊りを教える旅芸人一座のリーダーテンジン。
そして、彼らを節目で導く謎の占い師ドルガと、時代を超えて青年達を見守るターラ菩薩。

役者さん、皆好演されていたと思います。
東山くんの明るい演技と軽妙でしなやかなダンスアクションは物語に緩急をもたらしていました。途中で片手で力強く銃を突き上げるポーズがアンジョルラスを思わせてニヤリ。テンジンとドルジェのある場面が、エポニーヌとマリウスを連想させるものだと感じましたが、あれは制作側で狙ったのでしょうか。
また、小西くんのあくまで等身大の若者でありながら、仏僧として一途に自らの志と罪に向き合う姿も好ましかったです。
今井さんは実はあまり「暴君」な感じではなかったのですが、そういう人物であるからこそ平然と仏教や人心をないがしろにする姿はより恐ろしかったです。
保坂さんは、ドルガとして登場する時と、ターラ菩薩で登場する時の雰囲気が、声の出し方からして全く違うのは流石でした。ターラ菩薩の歌声の清らかさに心を洗われるようでした。

輪廻転生。因果応報。「言葉」の力。時代も立場も超越する強い人間愛。この物語に盛り込まれているテーマはたくさんありますが、残念ながら、今回、全てのテーマが練り切れていたわけではなかったと思います。

少しクライマックスのネタバレをします。
ペマが、権力者の意志で簡単に偽りで書き換えられることに気づいて信じられなくなった「言葉」を、逆に後世テンジンが武器として使うことになったわけですが、それはドルジェ自身が「言葉」を生業としていたから可能だったわけで、そこには時代を超えたラルンの意志も働いていて、更にそれを見つめるターラ菩薩の存在もあり、とかなり複雑な様相を呈していました。
聴く耳を持たない権力者はともかく、都の高僧(保坂さん3役目!)に「言葉」を伝えるにはテンジンの芸人としての飛び抜けた能力と、ドルジェや一座の仲間への愛情も物を言ったわけで、とすると「言葉」だけが大事ではなく、それを伝える思いも大事、というのは分かるのですが、でも、あれ?「言葉」は偽ることもできる、という問題への答えはどこへ行ったのかな?と終演後悩んでしまいました。
あと、最初はラルン&ペマが転生したものがテンジン&ドルジェ、と思っていたのですが、必ずしもそういうことでもないのだろうか?と思ってみたりしています。ドルジェは間違いなくペマの転生ですが、捨て子であるテンジンはラルン自身の転生ではなく、ラルンが自らの意志の下に使わした申し子だったのかも?などと。
ええと、最初にも書いたとおり、本当、今回の舞台を未だにすっきりと消化できておりません。もっと素直に、あの物語に流れる仏教思想そのものを受け止められれば良いのだとは思いますが……うーん、どうも上手く感想をまとめられず中途半端で残念です。